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ありがとう

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 施薬院に着く。燃やされていない。でも、ところどころ壊されていて、特に門が破壊されていた。
 おそらく、無理に押し入ったのだろう。
 中に入ると、患者たちが泣いてたり、悔しがっていたり、そして僕を哀れむ目で見ていた。
 道三さんと玄朔が居た。二人とも僕の顔を見て、ハッとする。それまで顔を伏せていたのに。
 まるで、何かを悼むように、顔を伏せていたのに。

「志乃は、晴太郎は、どこに居る?」

 僕は二人に訊ねた。玄朔が唾を飲み込みながら「晴太郎くんは、無事です」とだけ言った。
 晴太郎は……?

「奥の部屋で寝ています……」
「志乃はどこに居る?」
「それは……」

 僕は玄朔の着物を掴んで無理矢理立たせた。乱暴な行ないだけど、玄朔は文句一つ言わない。

「どこに居るんだ?」
「…………」

 答えなかったので、玄朔の頬を思いっきり殴る。
 倒れこんだ彼は、それでも何も言わなかった。

「志乃は、どこに居るんだ?」

 玄朔を再び立たせて問うと「右奥の寝室に寝かせているよ」と道三さんが言う。
 厳しい目つきで僕を見つめていた。

「そうか。じゃあ二人ともついて来てくれ。診てやってほしい」

 玄朔を乱暴に放して、僕は真っ先に志乃が寝ているところに行く。
 志乃は身篭っているんだ。
 僧兵に襲われて、きっと怖い思いをしたんだろう。
 母子ともに大丈夫だと良いけど。

 寝室を開けた。

 志乃は布団に寝かされていた。

 真っ青な顔で、死に装束だった。



「嘘でしょ……」

 後ろで半兵衛さんの声がする。
 振り返ると秀長さんたちが居た。
 正勝も半兵衛さんも長政も居た。

 全員、分かっていた。
 僕も、分かっていた。

「ねえ。曲直瀬道三でしょ、あなた。知っているわよ。医聖って呼ばれてる名医でしょ」
「半兵衛、よさないか」

 半兵衛さんが道三さんに詰め寄った。
 それを正勝が止める。

「ねえ治してよ。すぐに、いますぐに!」
「……無理だ。いくらわしでも、死人は――」
「ふざけないでよ! 良いから治しなさいよ!」

 半兵衛さんが道三さんの首元を掴む。

「やめろって言ってんだろ! 半兵衛!」

 正勝が、半兵衛さんを、道三さんから引き剥がした。

「死人を治すなんて、できっこねえ!」

 死人、死人か……

「雲之介ちゃんから、志乃ちゃんを奪わないであげて! お願いだから、生き返らせてあげてよ! 後生だから……」

 泣き崩れる半兵衛さんを長政が支える。
 秀長さんも泣いていた。手で顔を覆って、泣いていた。

「しばらく、志乃と二人きりにしてくれ」

 自分でも恐ろしいほど、かすれた声だった。
 全員、何かを言おうとして、何も言わずに、黙って下がった。

 襖を閉めて、志乃を見る。
 どこか、覚悟しているような顔。
 だけど、少しだけ苦しみも混じっている。

『あなたは――悪くないわ』

 いつか、初めて人を殺したとき、慰めてくれた言葉。
 何故だろう。志乃が遠くに感じる。

 そっと頬を撫でる。冷たくなっている。

『当たり前よ! 心から、あなたを愛しているわ!』

 そう言ってくれた志乃。
 僕が愛した、妻。

 それが遠くに遠くに感じる。

「志乃。いつだったか、言ってくれたね。太平の世になったら、百姓になって、静かに暮らそうって」

 志乃は答えない。

「悪くないと思ってしまったんだ。穏やかに、何も思い煩うこともなく、暮らせたらどんだけ幸せだろうか」

 志乃は答えない。

「初めて言うけどさ。志乃の髪、好きだったんだ」

 志乃の髪をかき上げる。
 志乃は答えない。

「どうして、こうなっちゃったんだろうね……」

 志乃は答えない。

 志乃は答えない。

 志乃は――答えない。



 ようやく、僕は、志乃が死んだことを、認められた。



 襖を開けると、みんなが正座をして待っていた。

「兄弟、それは……」
「……ああ、志乃の髪だ」

 僕は不自然にならない程度に、髪を切った。

「志乃の遺髪、持っていようと思って」
「あ、ああ……そうだな……」

 何か言いたげな正勝だったけど、何も言わなかった。

「それで、晴太郎はどこに居る? 無事だって言ってたけど」
「……怪我はありません。でも、心に大きな傷を受けました」

 玄朔が医師として言う。

「大きな傷?」
「……志乃さんが殺されたところを、見てしまったらしいです」

 繊細な晴太郎らしいな。

「……分かった。詳しい話が聞きたい。二人はその場に居たのか?」

 道三さんと玄朔に訊ねると「いえ、居ませんでした」と不在だったと告げられた。

「今、明里が帰ってきました。彼女なら知っています」
「そう。じゃあ聞こうか」

 玄朔がそう言ったので、僕は居間に向かう。

「雲之介……」

 長政が僕と話したいようだった。足を止める。

「なんだい? 長政」
「あまり、無理をするなよ」

 僕は「無理してるって自覚してるよ」と言って――笑った。
 無理に、笑った。

「でもね。そうしないと死にたくなるんだ」



 明里はまるで処刑される直前の囚人のように青ざめていた。
 僕はそんな彼女の前に座る。

「何があったのか。教えてくれるかな」

 明里は泣きながら、涙を零しながら、語り出す。

「そ、僧兵が、押し入って――」
「それで?」
「志乃さんが、皆を守って、前に立って……」
「それで?」
「――殺されました」

 いまいち要領を得なかったけど。
 志乃がみんなのために死んだことは分かった。

「そうか……志乃は、みんなのために、死んだのか」

 みんなのせいで、とは言えなかった。

「そのとき、志乃さんの水晶を僧兵は奪いました」
「ああ、そういえば、なかったね」
「しばらくの間、志乃さんは息がありました」
「志乃の最期の言葉、分かるかな?」

 明里は身体を震わせて、長い時間をかけて、言ってくれた。

「志乃さんは、『ありがとう、雲之介』と……」

 僕は目を閉じて、志乃を思い出す。
 浮かぶのは、笑顔だった。
 太陽のように明るい笑顔だった。

「落ち着いたら、また話してくれ」

 泣き崩れた明里にそう言い残して、僕は立ち上がる。
 この場に居たくなかったから、僕は施薬院を出た。

「おい、どこに行くんだ!」

 正勝が僕の肩を掴む。
 いつの間にか、仲間に囲まれていた。

「ここに居たくない……」
「気持ちは分かるけどよ。晴太郎は……」
「連れて来てくれ。今日は二条城で寝る」

 正勝の肩を握る力が強くなる。

「……分かった。長政殿、晴太郎くんを」

 秀長さんの言葉で、長政が晴太郎を背負ってきてくれた。
 苦悶の表情で魘されている。

「ありがとう。みんな」

 それしか言えなかった。

「一晩寝たら、長浜に帰っていいかな」
「…………」
「かすみに、言わないと」

 ああ、そうだった。
 志乃に言わないと。

 僕も愛してるよ。
 さようなら、志乃。
 今まで、ありがとう。
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