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武士への憧れ

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「まだ子どもなのに、あの正勝さんに勝つとはね……凄いわね雪之丞くん!」
「……それほどでもない」

 志乃に褒められてもくすりともしない雪之丞。感情表現が乏しいらしい。
 雪之丞を家来にしたその日の晩、僕は彼を自宅へと招いた。これから主従関係となるのだから、少しでも親しくならないと思ったのだ。

「そういえば、君はどこの生まれだ?」
「……越前国。そう母さまから聞かされていた」
「うん? じゃあ育ったのは北近江かな?」
「……ああ。そうだ」

 正勝との勝負に見せた素早い動きと相反して、ゆっくりな喋り方をする。

「ねえねえ。ゆきのじょー。あそんで」
「ずるいよかすみ。ぼくともあそんでー」

 雪之丞の袖を引っ張るかすみと晴太郎。歳の離れた兄みたいな雪之丞を慕って……じゃないな。珍しいから構ってほしいんだろう。

「……えっと。確かあなたは雲之介と呼ばれてたな」
「うん? ああ、雨竜雲之介秀昭というのが僕の名前だ」
「……雲之介さん、この子たち、どうしたらいい?」

 僕は「遊んであげてやってくれ」と何気なく言った。

「分かった。何して遊ぶ?」
「うんとね。お馬さん!」
「かすみはいつもそれだね」

 二人を乗せて歩き回る雪之丞。子どもたちは物凄く楽しそうだ。

「そうだ。雪之丞くん、ご飯用意したから食べましょう。あなたも一緒にね」
「そうだね。雪之丞、志乃のご飯はとても美味しいんだ」

 双子を乗せた雪之丞はぴたりと動きを止めて「本当にいいのか?」と訊ねた。

「小者として雇われた俺なんかと一緒に……」
「良いんだ。一緒に食べたほうが楽しいしね」

 目を大きく見開いた雪之丞。そして微笑を浮かべて「じゃあ、遠慮なくいただきます」と応じてくれた。

 志乃が用意した晩ご飯は琵琶湖で取れた大きな魚と白米、味噌汁とたくわんだった。

「……まじりっけの無い白飯を食べるのは初めてだ」
「本当は混ぜ物するけどね。雪之丞が家来になった記念だよ」

 雪之丞は見た目通りよく食べる子だった。五杯もご飯をおかわりして志乃を驚かせた。

「ゆきのじょー、よくたべる」
「おにいちゃんもがんばって」
「むりいわないでよう」

 僕は最初聞くべきだったことを今更ながら訊ねた。

「雪之丞はどうして武士になろうと思ったんだ?」

 僕の問いに雪之丞は姿勢を正して「……武士になりたくない人はいない」と答えた。

「逆に聞くけど、雲之介さんはなんで武士になったんだ?」
「あー、僕の場合は成り行きって言うのかな……でも好んでなったわけでもないな」
「意味が分からないけど……俺は好んで武士になりたいんだ」

 真っ直ぐ射抜くような目。しばし見つめ合う。

「武士になって、誰も彼も見返してやりたいんだ」
「……何かあったのかな?」

 志乃も晴太郎もかすみも、そして僕も雪之丞の言葉を待った。

「……何もない。気にしないでくれ」

 何かありそうな反応だったけど、敢えて追及せずに「そっか。いろいろあるよね」と濁した。人間、誰しも言いたくないことはある。

「それで、確か子飼いたちと一緒に勉強するのよね。雪之丞くんは」
「ああ。でももうすぐ元服の歳だから、一年ぐらいでいいんじゃないか? その後、僕の家来として働いてもらう」

 雪之丞は「具体的に何をすればいいんだ?」と訊ねてきた。

「まあ戦働きかな」
「雲之介。まだ子どもなのよ?」
「志乃さん。俺は今年で十四になる。子どもじゃない」

 強気な物言いだけど、逆に言えば頼りになるな。
 志乃は「まあそうだけど……」と何か言いたげだったけど、飲み込んでしまった。
 志乃を安心させるためにわざと明るく言う。

「そのためにも武芸をしっかりと習っておかないとね。秀吉が子飼いのために京から剣術家を呼び寄せるらしいし」
「へえ。誰かしら? 吉岡憲法さんかしら?」

 志乃は京暮らしが長かったから、僕よりも詳しくなっているようだった。

「当主自ら来るとは思えないけど、それに近しい腕の持ち主なら良いよね」
「……だけど戦場ではあまり刀は使われないんじゃないかしら?」

 志乃の言うとおりだった。戦場では弓と槍が主に活躍している。

「まあね。でも剣術を習っておけば基礎は出来るから、その後好きなものを選べばいい」

 僕は鉄砲ぐらいしかできないので助言は出来ないけど、そのくらいのことは分かっていた。

「雪之丞はどんな武器を使いたい?」

 何気なく訊ねる。元服祝いにその武器をあげようとぼんやりと考えていた。

「……野太刀がいい」

 雪之丞は真剣な表情で言う。

「全てを断ち切れるような、鋭い刃を持った、大柄な刀がほしい」



 それから雪之丞は子どもたちと一緒の部屋に寝かせた。明日は使っていない部屋を掃除して、それを彼の私室にしようと考えた。
 志乃と並んで寝ていると、不意に話しかけられた。

「ねえ、雲之介。雪之丞くんって良い子よね」
「うん? ああ、性格は良いね」
「……でも気づいてた? あの子、あなたを時折睨んでいたわ」

 まったく気づかなかった。

「目つきが悪いだけじゃないのか?」
「ううん。あれは――人を恨んでいる目よ」
「どうして分かるのさ?」
「私も同じだったから」

 一瞬、何も言えなかったけど、少ししてから「……そっか」と呟く。

「僕も武士なんだ。恨まれることはしている」
「あなたじゃなくて織田家を恨んでいるかもしれないけど」
「……確か、越前国生まれって言ってたね」

 思い出すのはたくさんの死体。
 血に染まった平原。

「ねえ雲之介……もしも太平の世になったら、私の実家で百姓でもしない?」
「急にどうしたの?」
「きっとお父さんもお母さんも受け入れてくれるわよ」

 僕は想像する。自分が土地を耕しながら暮らす姿を。隣に志乃が居て、成長した晴太郎やかすみが居ることを。

「……秀吉が許してくれるなら、それもいいかもね」

 志乃が僕の手を握ってきた。

「約束してとは言わないわ。考えておいて」

 そうして夜は更けていく。
 明日はどんな一日になるのだろうか。



 翌日。僕は雪之丞を秀吉に紹介した。

「秀吉。僕の家来の雪之丞だ」
「……よろしくお願いします」

 ぼさぼさだった髪を後ろでくくると雪之丞は意外と精悍な顔つきになる。志乃が登城する前に紐で結んでくれたのだ。

「おお。良き若武者だな。こちらこそよろしく頼む」

 評定の間に居たのは秀吉の他に半兵衛さんが居た。

「あら。可愛い子じゃない。食べちゃいたいわ」
「……失礼だが、あんたは女なのか?」
「いいえ。男よ」

 雪之丞は呆然としながら僕に訊ねる。

「……へ、変態なのか? あいつは」
「あいつって言わないの。竹中半兵衛って知らないか?」
「あ、あの天才軍師に、女装癖が……」
「あら? 女装癖が変だって言うの?」

 少し機嫌を損ねた半兵衛さん。気にしないことにした。

「おおそうだ。他の子飼いの者を紹介しよう。雲之介、おぬしも来い。昨日、鷹狩りで有望な子を見つけたのだ」
「へえ。それは楽しみだな」

 評定の間を出て、子飼いが居る大広間へ向かう。
 近づくと何やら争う声が聞こえた。

「なんだ? 喧嘩でもしてるのか?」

 そう言いながら秀吉ががらりと襖を開けた。

「新参者のくせに偉そうにすんな!」
「……低脳が」
「てめえ生意気だぞ!」
「やめろお前ら!」

 状況を整理しよう。
 静かに書物を読んでいる小坊主――見覚えがある――に虎之助と市松が絡んでいる。机に足を置いて態度が悪い。それを桂松が仲裁しようとしているのだった。

「待て待て。何をしているんだ」

 とりあえず僕が子どもたちの間に入った。
 虎之助は九才、市松は十才の子どもだ。虎之助は目つきが少々悪いが何処となく愛嬌のある顔つきをしている。市松は眉が太く凛々しい顔をしていた。がっちりと体格もできている。
 桂松は細身で芯の通った真面目な性格と聞いている。
 小坊主は真面目と言うよりは頑固そうだ。賢そうな顔つきだ。

「あん? 誰だよおっさん」

 ……虎之助におっさん呼ばわりされた。もうそんな歳かあ僕も。
 そういえば子飼いの顔と名前は僕が一方的に知っていたんだっけ。

「おっさんじゃない。僕は雲之介という。秀吉の家臣だよ」
「ふうん。でも邪魔すんなよ。佐吉の野郎が生意気なんだ」

 市松が喚いた。甲高い声だった。まだ声変わりしていないのだろう。

「佐吉? ああ、観音寺の……」
「お久しぶりです。雲之介さま」

 書物から目を離して、僕に一礼をする小坊主――佐吉だった。

「なんだ雲之介。知り合いだったのか?」
「観音寺の交渉のときに会ったんだよ」

 秀吉は「それも何かの縁だな」とにかっと笑った。

「雲之介。子飼いの教育をおぬしに任せる」
「……はあ?」
「半兵衛も雲之介が良いと言われてな」

 半兵衛さんを見る。さっと目を逸らされた。
 面倒事を押し付けたな……

「でも僕が教えられるのは算術とかだけど」
「安心しろ。軍学や武芸は他の者が教える。お前は内政などを教えよ」

 勝手な言い草だ……

「当然、普段の仕事もこなしながらだろう?」
「ああ、頼んだぞ」

 秀吉は僕の肩に手を置いた。
 はあ。まったく、人使いが荒いなあ。

「承知したよ……」
「えー! こんな弱そうな奴に習うのやだなあ」

 市松の言葉に虎之助も頷いた。

 子飼い同士は仲が悪く、しかも僕を侮っている。
 ……先が思いやられるな。
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