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真実を告げること

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 暗い道を一人で歩いている。
 深淵に進んでいると錯覚する。
 足を止めたくなる。
 闇に侵食されてる。
 このまま身を委ねたくなる。

 光なんて希望もなく。
 輝きすら願望もない。
 あるのは絶望だけだ。
 あるいは失望だけだ。

 ああ、いっそのこと、停滞してしまいたい――

「おや。目覚めましたか」

 目を開けると、枕元で正座をしている明智さまが居た。

「……意味が分からない」
「でしょうね。私も予想外ですよ」

 ぼやく明智さまから目を切らずに冷静に考える。ここは地下牢ではない。布団に寝かされている。造りからして武家屋敷だ。
 襖と障子に囲まれた部屋に、明智さまと二人きり。

「単刀直入に言います。口裏を合わせてください」

 やや早口で明智さまが喋り出す。

「あなたは公方さまの命令――頼みで三好家に占拠された勝龍寺城に赴き、交渉をした。しかし失敗して囚われの身になってしまった。そして地下牢で私に会っていない」
「そんなこと、よく言えますね。僕が飲むと思いますか?」

 明智さまは「ええ。飲むことになるでしょう」と薄く笑った。

「これから来る木下殿の話を聞けば、自然とそうなります」
「……大した自信ですね」
「公方さまとは友人なのでしょう?」

 意味深なこと言い残して、明智さまは障子を開けて部屋から出ようとする。
 その途中で、足を止めた。

「あ、そうそう。あなたの記憶の詳細は、奥方が知っていますよ」
「……なんで、志乃が?」
「私なりの配慮ですよ」

 どうして志乃に話すことが配慮になるんだろうか?

「それでは、また会いましょう」

 明智さまは静かに障子を閉めた。
 僕は起き上がろうとして、力が入らないことに気づく。

「お腹、空いたなあ……」

 呟いても、今は一人だった。



 しばらくして、秀吉と秀長さんが部屋に訪れた。
 秀長さんが持ってきてくれた粥を少しずつ食べながら、僕は「何があったんだ?」と訊ねた。

「何から話せばよいか……おぬしが交渉に向かった同時期に、大殿は朝倉家と本願寺、武田家の三家と和睦したのだ」

 どうやら明智さまが言ったことは、周りから信じられているようだ。
 いや、それよりも驚くべきことを秀吉は言った。

「和睦……? どうしてだ?」
「あのまま戦っても、勝機はなかった。徳川家諸共武田家に滅ぼされてしまうところだったのだ」
「いや、それは分かるけど……どうやって和睦をしたんだ?」

 秀長さんが粥のおかわりをよそいながら「朝廷と公方さまの力を借りたんだ」と答えた。

「この二つが命じれば、流石に逆らえないさ」
「義昭さんが……」

 なんだろう。違和感がある。何かが噛み合わない。

「そういえば、勝龍寺城は三好家の手に落ちたと言ってたな……」
「うん? だからおぬしが行ったのだろう?」
「……落ちた経緯って知ってるか? どうも記憶があやふやで」

 木下兄弟は顔を見合わせた。僕の頭を心配しているようだ。

「……経緯か。確か明智さまの説明だと、城主の細川さまが京の公家衆と交渉していたとき、留守を狙って攻められたと聞いているよ」
「そういえば、三好家とは和睦しないんですか?」

 さらに秀長さんに問うと「ああ。だから次の目標は三好家だね」と言われた。

「しばらくは近畿の制圧に力を注ぐことになるんじゃないかな」
「そうですか……」

 僕は明智さまと口裏を合わせる必要などなかった。だから真実を告げようとする――

「いや、それにしても公方さまが黒幕ではなくて良かったわ」

 不意に、秀吉がそんなことを言い出した。
 言葉を飲み込んで、代わりに「……どういう意味?」と訊ねる。

「うん? あの絶望的な状況で和睦を斡旋してくれたのだぞ? 黒幕ではないだろう」

 ここで気づいた。気づいてしまった。
 もし真実を告げても、明智さまが黒幕とは考えられないだろう。
 何故なら、明智さまには本願寺も武田家も動かせないのだから。
 そんな権限を持っているのは、義昭さんしか居ない。
 つまり自然と黒幕は義昭さんとなってしまう。
 それは避けないといけない。僕は違うと思っても秀吉や大殿は疑うだろう。
 もしかすると、織田家と足利家の戦になるかもしれない。
 それだけではなく、包囲網に参加した大名家、いや日の本中の大名が敵に回るかも――

「うん? どうした雲之介。顔色が悪いが……気分が優れないのか?」

 秀吉が僕の顔を覗きこむ。

「……大丈夫だよ、秀吉」

 僕は明智さまの言葉を思い出していた。

『公方さまとは友人なのでしょう?』



 結局言えずに、木下兄弟が帰った後、正勝と半兵衛さんが志乃を連れてきてくれた。

「雲之介……!」

 志乃は僕の顔を見て、絶句した。顔に血でも付いているのかと一瞬疑ったけど、そういえば頬がこけるほど痩せていたんだっけと思い出す。

「ああ。志乃。久しぶりだね。元気そうで――」

 そこまでしか言えなかった。志乃がその場で泣き崩れてしまったからだ。

「し、志乃! えっと、ごめん! 心配をかけて――」
「馬鹿! もう馬鹿なんだから! 死んじゃったらどうするのよお!」

 泣き喚く志乃の姿に何も言えずに、僕はただおろおろするばかりだった。

「はいはい。志乃ちゃん泣かないの。無事だったんだからいいじゃない」
「無事じゃ、ないわよ! こんなに、痩せちゃって……!」
「安心しろ。飯が食えるようになったら、すぐに太る――」
「まだご飯も食べられないの!?」

 二人が慰めているけど、逆効果だった。こうなると落ち着くまで泣かせるしかないな。
 志乃に泣かれて怒られて。ようやく落ち着いた頃。

「明智さまに保護されていたのよ……」
「……そうか」
 
 落ち着いて話せるようになった志乃の話を聞く。

「急に明智さまが家に来て、雲之介が囚われたことを言って、頭の中がぐちゃぐちゃになって……」
「そうだよな。心配かけてごめんね」
「素直に謝らないでよ! 許しちゃうじゃない!」

 滅茶苦茶なこと言い出した。まあ感情がおかしくなったんだろう。

「でも無事で良かったわね。明智さまには感謝しなくちゃ」

 半兵衛さんの言葉は複雑に聞こえた。悟られないように「そうだな」と答えた。

「ねえ。雲之介。一つだけ聞きたいことがあるんだけど」
「何? なんでも聞いてよ」

 獄中での話はしたくないけど、してほしいのならするしかない。
 でも志乃は予想外のことを言った。

「明智さまからとある人物を紹介されたわ」
「紹介?」
「その人は――あなたの記憶のことを知っていた」

 思わず息を飲んだ。
 正勝と半兵衛も声には出さないけど、驚いている。
 志乃は姿勢を正して、僕に告げた。

「ねえ。記憶のこと、知りたい?」
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