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同情と諫言

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「状況を――説明してくれ」

 義昭さんは――疲れた声で細川さまと明智さまに問う。
 戦から戻った二人はところどころ怪我を負っていた。大将や副将がここまでの傷を負うということは、相当追い詰められていた証である。

「浅井家当主、浅井長政殿は織田家の援軍を待たずに、朝倉家に攻め入りました」
「……与一郎、それはまことか?」

 義昭さんが疑問に思うのは当然だった。織田家の援軍を待ってから進軍しても、遅くはないはずだ。

「信長殿は――武田家に攻められている徳川家の援軍に向かっており不在でした」
「なっ――武田家は織田家と徳川家の双方と同盟を結んでいたはずではないか!」

 信じられないのは義昭さんだけではない。この場に居る僕や一覚さん、そして村井さまもその事実を受け入れられなかった。
 戦国最強と謳われた武田家が敵に回った――想像するだけでもおそろしいのに。

「徳川家が遠江を制し、今川家を滅ぼした段階で、武田家は一方的に同盟を破棄し、駿河より進軍し、最終的に高天神城へと攻め込みました」
「た、武田信玄には、信義はないのか!」

 細川さまの説明に対して義昭さんが怒るのは無理もない。戦国乱世でも守るべき信義や仁義があるはずだ。

「織田殿は僅かな兵を岐阜に残し、遠江へ兵を進めました。留守居役の佐久間信盛殿はそれゆえ援軍が遅れると。仔細を伝令から聞いた長政殿は、浅井家のみで決戦を……」
「……そんなことなら、無理を押してでも、全軍で向かうべきだったな」

 悔やんでも悔やみ切れないだろう――僕だって同じ気持ちだった。

「いえ。全軍であっても負けていたでしょう。何故なら近江の一向宗が敵になったのですから」
「そこが分からない。どうして一向宗が浅井家を襲う? どうして朝倉家の味方をする? 越前は一向一揆が問題になっていると聞いているが」

 細川さまは「おそらく密約があったのでしょう」と落ち着いた声で答えた。

「湖北十ヶ寺を中心として、総勢五万の一向一揆が金ヶ崎城攻めをしていた我らと浅井家の背後を襲いました」
「なんと……! それでは長政殿は……」
「討ち死にしたとの知らせが入っていますが、定かではありません。しかし海北綱親殿や赤尾清綱殿、その他武名高き武将も討ち死にしていることから、おそらく――」

 義昭さんは顔を伏せて「……分かった」とだけ呟いた。

「ご苦労であった。皆の者、席を外してくれ」

 一人に――なりたいのだろう。僕たちはその場から退出しようとする。

「――雲之介。そなたは残れ」

 そのとき、細川さまが僕を睨んだ――いや気のせいだ。
 皆は評定の間から出て行く。
 僕は義昭さんの前に座った。
 そして二人きりになる。

「……すまないな」

 そう言って将軍である義昭さんは家臣の僕に頭を下げた。

「そ、そんな。義昭さん、頭を上げてください!」
「謝らせてくれ。そなたの大事な人を、私は殺してしまった」
「義昭さんのせいでは――ありません!」

 義昭さんに近づいて、肩に手を置いた。
 顔を上げた――申し訳なさそうな表情をしている。

「そなたと長政殿の関係は知っている。本当にすまなかった」

 僕は義昭さんが将軍をやりたがらない理由をようやく知った。
 この人は、優しすぎる。
 厳しい決断をしなければいけない為政者としては向いていない。
 そんな義昭さんに僕は同情した。
 将軍にしてはいけない人だった。
 そんな彼を将軍にしたのは誰だ?
 興福寺から連れ出した僕にも責任があるんじゃないか?

「義昭さん、僕は長政さまに好感を抱いていました。ずっと味方で居たいと思っていました。でも――」

 肩入れしてはいけない。僕は秀吉の家臣なのだから。
 それでも、言わなければいけないと思ってしまった。

「義昭さんにも同じように友人として思っていますよ。だから、前を向いてください」
「……そう言ってくれるか」

 義昭さんは――力なく笑った。
 僕も無理矢理笑った。

 二条城を後にして、僕は自分の屋敷に帰った。
 門の前で、志乃が待っていた。

「おかえり。雲之介」
「――志乃」
「ご飯、できているわよ」

 数日の間、志乃は何も聞かなかった。何も言わなかった。
 ただ寄り添ってくれた。

「――ありがとう」

 それしか言えない自分が情けなかった。

 大殿が京にやってきたのは、それから一ヵ月後のことだった。
 その間、北近江の大部分が一向宗のものになったこと。浅井家の生き残りが佐和山城に集まっていることを聞いた。
 僕は足利家の軍を増やすための徴兵をしている最中だった。村井さまに言われて二条城の一室に赴く。
 部屋では大殿は一人で目を閉じて正座していた。

「……雲之介か」
「はい、そうです。大殿――」
「何も言わずに、聞いてくれ」

 僕は口を閉じた。
 少しだけ沈黙してから、大殿は口を開いた。

「義父の道三と同じ状況だ。援軍が――間に合わなかった」
「…………」
「何故、俺の大事な者は、すぐに死んでしまうのだ……」

 ここでようやく気づく。
 大殿の目の下に酷い隈が縁取られているのを。

「認めていた長政も、認めようとしていた久政殿も、好きだった親父も平手の爺も、全員死んでしまった……」

 顕如が言っていた身内に甘すぎるというのは、当たっていない。
 大殿は――身内を愛しすぎているんだ。

「許せぬ……一向宗も朝倉も武田も皆滅ぼしてやる……」

 凄まじい怒りを発する大殿。
 僕は――死ぬ覚悟を決めて、諫言する。

「大殿。それはいけません」
「なんだと……?」
「憎しみに囚われては、いけません」

 僕は平伏して、大殿に向かって言う。

「大殿は大志を抱き、天下を太平へと導くお方。憎しみによって天下を手中に収めてはいけません」
「……ならばあやつらを滅ぼすなと言うのか?」
「いえ。そうではありません。憎しみではなく、慈悲でもなく、日の本のためを思って征伐してください」

 大殿が息を飲む気配がした。

「それならば微力ながら僕もお助けします。家臣も民もついて行くでしょう。どうか冷静になってください」

 大殿はふうっと大きく溜息をして、僕に問う。

「お前は長政を殺されて、悔しくないのか? 憎くないのか?」
「……悔しいに決まっています。憎いに決まっています」
「であれば――」
「でも、それで報復したら、戦国乱世は終わらないじゃないですか」

 大殿は「是非もなし、か……」と呟く。

「お前の言葉、決して忘れぬ」
「…………」
「だが俺は借りを必ず返す」

 大殿はいつものように覇気に満ちた笑みを見せた。

「だから、そのためにも家臣やお前にも働いてもらうぞ」

 それに応じて、僕も誓った。

「ははっ。身命を賭して、努めます!」

 それから僕は大殿に命じられた。
 足利の臣から秀吉の配下に戻るようにと。
 義昭さんとは話がついているようだ。

「北近江は既に一向宗の手に落ちた。しかし横山城は奪還できた。そこを拠点に北近江を攻める。猿には城番を命じている。お前も手伝ってやれ」
「かしこまりました!」
「それと、市のことだが、どうやら磯野という武将が佐和山城に匿っているそうだ」

 お市さま、無事だったんだ……!
 あの方に関しては何の情報も入らなかったから、心配していた。

「市は織田家で保護したい。雲之介、秀吉とともに佐和山城に行ってその旨を伝えろ」
「ははっ」

 了承すると大殿は「ものは相談なのだが」と話題を変えた。

「お前さえ良ければ、俺の直臣にならないか?」
「…………」
「北近江を攻め取ったらでいい。よく考えてくれ」

 突然の申し出に受けることも断ることもできず、呆然としてしまった。

 義昭さんに別れを告げて。
 一覚さんや村井さまにお礼を言って。
 勝龍寺に居る細川さまに手紙を出して。
 諸々の準備を整えて、僕は横山城に向かう。
 志乃は京に残すことにした。淋しい思いをさせてしまうが、仕方の無いことだった。

「……絶対に帰ってきてね」
「分かっている。晴太郎とかすみを頼む」

 志乃は泣きそうな顔していたけど、涙は見せなかった。
 僕は優しく抱きしめた。
 志乃も抱きしめ返してくれた。

 そうして僕は秀吉の下で再び働くことになった。
 予想はしていたけど、それ以上に厳しい戦いになることを、僕はまだ知らなかった。
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