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弟子入りと修行
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作法も何も知らない状態で茶の湯を体験することになった。わざわざ堺まで来て習うものだから礼法のように堅苦しいものだと思っていたけど、田中さん――いや、千宗易さんは僕の無作法も気にせずに茶を点ててくれた。
源五郎さまは流石に武家の出であらせられるので、慣れた感じで上座に正座した。僕はその横に座る。
竹を細く裂き湾曲させて膨らませた奇妙な形のもので黒い茶碗の中をかき混ぜる。しゃかしゃかと心地良い音が茶室全体に鳴る。誰も何も話さない。源五郎さまも山上さんも、そして僕も。
「どうぞ。お好きなようにお飲みください」
源五郎さまの前に差し出された茶碗。源五郎さまは「ではいただく」と両手で持って一口含む。
「……美味いな。疲れた身体に染み渡るようだ」
「ありがたき御言葉。では雲之介さまにも差し上げてください」
源五郎さまは茶碗を僕の前に置いた。
僕は源五郎さまを真似て、口に運ぶ。
……苦い。でもそんなに嫌じゃない。薬みたいな苦さじゃなくて、爽やかな苦味。それでいて、すーっと消えていく。後味は心地良いものだけが残る。
「……美味しいです」
「それは何よりでございます」
源五郎さまは僕が茶碗を置くとすぐに「おぬし、俺たちの素性を知っていたな?」と問い質した。
「ええ。承知しておりました」
「いつから気づいていた?」
「お供をさせていただいたときには、既に」
ということは知りながら自分の素性を明かさなかったのか。ううむ。油断ならないな。
「ふん。まあいい。それで俺たちに茶の湯を教えてくれるんだろうな」
「もちろんでございます」
「ではさっそく教えてもらおうか」
源五郎さまは着いたばかりだというのに指南してもらおうとしている。
些か早いのではないだろうか?
「その前に一つ問わせていただきたく存じます」
「なんだ?」
「御ふた方は、いかなる理由で茶を学ばれるのですか?」
理由? それは重要なのだろうか?
「俺は面白そうだったからだ。公家や町衆が楽しんでいるらしい茶の湯がな」
源五郎さまは迷いなく答えた。
「ほう。織田信長さまのためではなく、自分が楽しむためと?」
「別に兄上のために堺まで来たわけではない。それに織田家のためでもない」
陪臣とはいえ家臣の僕がいる前で、大胆なことを言う。
「所詮俺は側室の子。家督を継げるわけでもない。ならば自分の楽しみのために生きるのも一興だ」
楽しみのため。そういえば以前、藤吉郎がそんなことを言ってたっけ。
案外、似た者同士かも。
「なるほど。では雲之介さまは、いかなる理由ですか?」
僕は迷わず答えた。
「僕は――藤吉郎のために茶を習う。ただそれだけです」
千宗易さんは「藤吉郎?」と首を傾げた。
「ああ。こいつの主君だ。雲は陪臣なんだよ」
源五郎さまの言葉に千宗易さんは顎に手を置いた。
「では己のために茶を習うわけではないと?」
「ええ。そうです」
真っ直ぐ千宗易さんを見つめる。
すると「分かりました」と笑みを見せた。
「御ふた方とも指南しましょう。己の楽しみのため、そして己が主君のため、様々な理由がありますが、十分茶を習う資格がございます」
「うん? 対極な理由だが、それでいいのか? どういう基準なんだ?」
源五郎さまの問いに千宗易さんは「茶とはもてなしの心そのものです」と答えた。
「そしてもてなすということは偽らないこと。すなわち正直でいることが最も大切なのです。御ふた方は偽らざる心で私に理由を述べてくれた。それで十分なのです」
そして最後に千宗易さんは言う。
「その心を忘れないようにしてください」
僕は黙って頷いた。
源五郎さまは「巷の生臭坊主よりも良いことを言うなあ」と感心していた。
「さて。指南の前に食事をしましょう。宗二、御ふた方に食事を。それから部屋をそれぞれ案内してあげなさい」
「かしこまりました」
山上さんはそう言って立ち上がった。僕も源五郎さまも後に続く。
茶のせいか、とても溌剌とした気分になった。
茶の湯――実際は侘び茶というらしい――の修行は案外楽しかった。
決められた所作に美しさを見出す。そんなことを言えば難しく思われるけど、それほど難しい作法ではなかった。一通りのやり方は一ヶ月ほどで覚えられた。源五郎さまは覚えが早かったので半月で習得した。
毎日茶を点てたり、宗二さん――いつしかそう呼ぶようになった――の座学を受けたりしているから、当然だった。
お師匠さま、つまり千宗易さんは厳しい人ではなかった。かといって優しく教えてくれたわけでもない。僕たちの成長に合わせていろいろ教えてくれたのだ。
「ふむ。基礎はできてきたようですね」
二ヶ月ほどして、ようやく半人前として認められたようだった。
後は一人前になるだけだ。
「後は創意ですね。いいですか? 人と同じことをしては成長など望めません。自分なりの創意工夫で人をもてなすのです」
そう言って覚えさせるだけではなく、自分なりのもてなしを考えさせられた。
源五郎さまはそつなくこなしていたけど、僕はどうも苦手だった。
相手をもてなす。
そんなこと、今までの人生において、考えたことがなかったから。
それからさらに四ヶ月。
つまり僕と源五郎さまが堺に住んでから半年が経った。
「雲之介。師匠がお呼びです」
「お師匠さまが? 何の用事だろう……」
宗二さんが部屋にやってきて言う。そのとき盤双六を源五郎さまとやっていた途中だった。
「またそのようなものを……やっている暇があるのなら、もっと茶器の歴史の勉強をですね――」
「山宗、いいじゃないか。たまの手遊びだ」
源五郎さまはにやにや笑いながら言う。
ちなみに山宗とは宗二さんのことである。
「雲、さっさと行ってこい。遊戯は仕切りなおしだな」
「あ! 自分が負けているからといって――」
「ふふふ。師匠を待たせてはいかんぞ?」
そう言われては仕方ない。僕は未練を残しつつ、お師匠さまの居る部屋まで向かった。
「お師匠さま、雲之介でございます」
「ええ。入ってよろしいですよ」
お師匠さまの言葉に従って障子を開けて、中に入るとそこには見知らぬ人が居た。
略式の服装。だけど気品が溢れる顔つき。二十代半ばだけど、どこか老成している雰囲気がある。刀は脇に置いてある。かなりの業物だ。
全身から知性が滲み出ている。それなのに隙がなくて武人らしい。森さまと一緒に居たので、それなりに分かっていた。
「雲之介さま。こちらは与一郎さまにてございます」
お師匠さまが紹介してくださったので、僕も正座のまま「雲之介です」と頭を下げた。
「若いのに礼儀がなっているな。流石に宗易殿の弟子である」
この言葉遣い。やっぱり武士だ。
「そなたに頼みたいことがあってな。まずはこれを見てほしい」
与一郎さまは覆われた紫色の布を取って木箱を取り出し、紐をほどいて蓋を開けた。
「これは……井戸茶碗ですか?」
「宗易殿の弟子なだけはあるな。一目で見抜くとは」
まあかいらぎがあるから分かりやすかった。
「高麗の井戸茶碗である。これをとある人物に届けてほしい」
「はあ。分かりました」
なんとなく承知してしまった。誰に渡すのか、そしてその人がどこに居るのか、さらに源五郎さまの許可を取っていないのに。
「話が早いな。素直なのは良いことだ」
「雲之介さま。源五郎さまには私から言っておきます」
頷く与一郎さまとお師匠さま。
「それで、届ける人と場所は?」
「ああ。まず場所だが大和の興福寺だ。ここに手紙もある。門番に見せるといい」
そして最後にこう言った。
「そして届ける人物は一乗院門跡の覚慶さまだ。無礼のないようにな」
源五郎さまは流石に武家の出であらせられるので、慣れた感じで上座に正座した。僕はその横に座る。
竹を細く裂き湾曲させて膨らませた奇妙な形のもので黒い茶碗の中をかき混ぜる。しゃかしゃかと心地良い音が茶室全体に鳴る。誰も何も話さない。源五郎さまも山上さんも、そして僕も。
「どうぞ。お好きなようにお飲みください」
源五郎さまの前に差し出された茶碗。源五郎さまは「ではいただく」と両手で持って一口含む。
「……美味いな。疲れた身体に染み渡るようだ」
「ありがたき御言葉。では雲之介さまにも差し上げてください」
源五郎さまは茶碗を僕の前に置いた。
僕は源五郎さまを真似て、口に運ぶ。
……苦い。でもそんなに嫌じゃない。薬みたいな苦さじゃなくて、爽やかな苦味。それでいて、すーっと消えていく。後味は心地良いものだけが残る。
「……美味しいです」
「それは何よりでございます」
源五郎さまは僕が茶碗を置くとすぐに「おぬし、俺たちの素性を知っていたな?」と問い質した。
「ええ。承知しておりました」
「いつから気づいていた?」
「お供をさせていただいたときには、既に」
ということは知りながら自分の素性を明かさなかったのか。ううむ。油断ならないな。
「ふん。まあいい。それで俺たちに茶の湯を教えてくれるんだろうな」
「もちろんでございます」
「ではさっそく教えてもらおうか」
源五郎さまは着いたばかりだというのに指南してもらおうとしている。
些か早いのではないだろうか?
「その前に一つ問わせていただきたく存じます」
「なんだ?」
「御ふた方は、いかなる理由で茶を学ばれるのですか?」
理由? それは重要なのだろうか?
「俺は面白そうだったからだ。公家や町衆が楽しんでいるらしい茶の湯がな」
源五郎さまは迷いなく答えた。
「ほう。織田信長さまのためではなく、自分が楽しむためと?」
「別に兄上のために堺まで来たわけではない。それに織田家のためでもない」
陪臣とはいえ家臣の僕がいる前で、大胆なことを言う。
「所詮俺は側室の子。家督を継げるわけでもない。ならば自分の楽しみのために生きるのも一興だ」
楽しみのため。そういえば以前、藤吉郎がそんなことを言ってたっけ。
案外、似た者同士かも。
「なるほど。では雲之介さまは、いかなる理由ですか?」
僕は迷わず答えた。
「僕は――藤吉郎のために茶を習う。ただそれだけです」
千宗易さんは「藤吉郎?」と首を傾げた。
「ああ。こいつの主君だ。雲は陪臣なんだよ」
源五郎さまの言葉に千宗易さんは顎に手を置いた。
「では己のために茶を習うわけではないと?」
「ええ。そうです」
真っ直ぐ千宗易さんを見つめる。
すると「分かりました」と笑みを見せた。
「御ふた方とも指南しましょう。己の楽しみのため、そして己が主君のため、様々な理由がありますが、十分茶を習う資格がございます」
「うん? 対極な理由だが、それでいいのか? どういう基準なんだ?」
源五郎さまの問いに千宗易さんは「茶とはもてなしの心そのものです」と答えた。
「そしてもてなすということは偽らないこと。すなわち正直でいることが最も大切なのです。御ふた方は偽らざる心で私に理由を述べてくれた。それで十分なのです」
そして最後に千宗易さんは言う。
「その心を忘れないようにしてください」
僕は黙って頷いた。
源五郎さまは「巷の生臭坊主よりも良いことを言うなあ」と感心していた。
「さて。指南の前に食事をしましょう。宗二、御ふた方に食事を。それから部屋をそれぞれ案内してあげなさい」
「かしこまりました」
山上さんはそう言って立ち上がった。僕も源五郎さまも後に続く。
茶のせいか、とても溌剌とした気分になった。
茶の湯――実際は侘び茶というらしい――の修行は案外楽しかった。
決められた所作に美しさを見出す。そんなことを言えば難しく思われるけど、それほど難しい作法ではなかった。一通りのやり方は一ヶ月ほどで覚えられた。源五郎さまは覚えが早かったので半月で習得した。
毎日茶を点てたり、宗二さん――いつしかそう呼ぶようになった――の座学を受けたりしているから、当然だった。
お師匠さま、つまり千宗易さんは厳しい人ではなかった。かといって優しく教えてくれたわけでもない。僕たちの成長に合わせていろいろ教えてくれたのだ。
「ふむ。基礎はできてきたようですね」
二ヶ月ほどして、ようやく半人前として認められたようだった。
後は一人前になるだけだ。
「後は創意ですね。いいですか? 人と同じことをしては成長など望めません。自分なりの創意工夫で人をもてなすのです」
そう言って覚えさせるだけではなく、自分なりのもてなしを考えさせられた。
源五郎さまはそつなくこなしていたけど、僕はどうも苦手だった。
相手をもてなす。
そんなこと、今までの人生において、考えたことがなかったから。
それからさらに四ヶ月。
つまり僕と源五郎さまが堺に住んでから半年が経った。
「雲之介。師匠がお呼びです」
「お師匠さまが? 何の用事だろう……」
宗二さんが部屋にやってきて言う。そのとき盤双六を源五郎さまとやっていた途中だった。
「またそのようなものを……やっている暇があるのなら、もっと茶器の歴史の勉強をですね――」
「山宗、いいじゃないか。たまの手遊びだ」
源五郎さまはにやにや笑いながら言う。
ちなみに山宗とは宗二さんのことである。
「雲、さっさと行ってこい。遊戯は仕切りなおしだな」
「あ! 自分が負けているからといって――」
「ふふふ。師匠を待たせてはいかんぞ?」
そう言われては仕方ない。僕は未練を残しつつ、お師匠さまの居る部屋まで向かった。
「お師匠さま、雲之介でございます」
「ええ。入ってよろしいですよ」
お師匠さまの言葉に従って障子を開けて、中に入るとそこには見知らぬ人が居た。
略式の服装。だけど気品が溢れる顔つき。二十代半ばだけど、どこか老成している雰囲気がある。刀は脇に置いてある。かなりの業物だ。
全身から知性が滲み出ている。それなのに隙がなくて武人らしい。森さまと一緒に居たので、それなりに分かっていた。
「雲之介さま。こちらは与一郎さまにてございます」
お師匠さまが紹介してくださったので、僕も正座のまま「雲之介です」と頭を下げた。
「若いのに礼儀がなっているな。流石に宗易殿の弟子である」
この言葉遣い。やっぱり武士だ。
「そなたに頼みたいことがあってな。まずはこれを見てほしい」
与一郎さまは覆われた紫色の布を取って木箱を取り出し、紐をほどいて蓋を開けた。
「これは……井戸茶碗ですか?」
「宗易殿の弟子なだけはあるな。一目で見抜くとは」
まあかいらぎがあるから分かりやすかった。
「高麗の井戸茶碗である。これをとある人物に届けてほしい」
「はあ。分かりました」
なんとなく承知してしまった。誰に渡すのか、そしてその人がどこに居るのか、さらに源五郎さまの許可を取っていないのに。
「話が早いな。素直なのは良いことだ」
「雲之介さま。源五郎さまには私から言っておきます」
頷く与一郎さまとお師匠さま。
「それで、届ける人と場所は?」
「ああ。まず場所だが大和の興福寺だ。ここに手紙もある。門番に見せるといい」
そして最後にこう言った。
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