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笹の才蔵

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 徳川家が駿河国進攻をしている最中、成政は後方支援を担当していた。
 新たに工場を作り、堺の今井宋久から鍛冶職人を誘致してもらい、鉄砲の増産をさせていた。
 そのおかげで日に五丁の鉄砲を生産することができた。

「うむ。なかなかの出来だな」

 遠目にある的に銃弾を当てて、精度を確かめる成政。
 職人の一人が頭を下げて「お褒めいただきありがとうございます」と応じる。

「日に五丁だが……それ以上生産はできぬか?」
「人手が足りません。日に五丁が精一杯です」
「……引き続き鍛冶屋を集めよう。差配は任す」

 仕事を終えて工場から出た成政に大蔵長安が近づいた。
 何か報告があるのかと成政は「どうした?」と問う。

「へえ。以前より佐々家に仕える文官を募集していましたが……八人集めました」
「使えそうな者はどのくらいだ?」
「算術は全員使えますし文字書きもできます……直接、見てくだせえ」

 少しの間にそこまでの人材を集めるとは思わなかった。
 長安を佐々家家老に任ずるのも悪くないなと考える成政。
 とりあえず、その者たちを見てみようと彼は考えた。

「すぐに向かう。本多殿に会ってからな」
「かしこまりました」

 本多正信がいる岡崎城へ足を運ぶ。
 そのとき、何やら騒ぎが起きていた。
 馬に乗っていた成政は近くの者に「何か諍いでも起きているのか?」と問う。

「あ、お侍様。子供が大暴れしているんです」
「子供だと?」
「年は十四か十五。数人の荒くれ者と喧嘩しています」

 手で筒を作って覗くと、どこから持ってきたのか分からない、洗濯竿ぐらいの棒を振り回して荒くれ者を寄せ付けていないが、動きが緩慢だ。あの調子だと捕まえられてしまうだろう。
 しかし、ゆっくりでもなかなか良い動きをする子供だった。おそらく武芸を習っているのだろう。成政が関心を持つぐらいには、才のある動き――

「そこの者たち! 徳川家の領内での狼藉、許さぬぞ!」

 成政が馬に乗りつつ場を収めようと向かった。
 人の群れが散っていくと荒くれ共も気づいたのか「逃げろ!」と一斉に駆け出す。

「ま、待て、逃げるな……っく!」

 子供――少年は怪我を負っていた。荒くれ共につけられたものだろう。
 成政は馬を下りて「大丈夫か?」と抱えた。

「こ、このくらい……」
「無理をするな。おい、薬を持ってきてくれ」

 少年は安心したのか、気絶してしまった。
 瓜のように面長で色の白い少年だった。しかし鍛えられているのは分かる。
 武家の出なのかもしれない。

「仕方ない、屋敷に連れていくか」

 正信殿とは後日話そう。
 成政は少年を馬に乗せた。


◆◇◆◇


「お前さま、この子は……」
「分からぬ。荒くれ共と喧嘩をしていた」
「喧嘩、ですか……」

 成政の妻、はるは手桶で手拭いを洗い、水を切って額に当てた。
 穏やかな顔ですやすやと寝ている姿を見て、怪我の割に痛みは少ないなと成政は思った。

「喧嘩と聞くと、件の方を思い出します」
「……利家のことか」
「お前さまは、酔うとあの方のことを悪く言います。楽しそうに」

 楽しそうに、の部分に眉をひそめる成政。
 するとはるはくすくすと笑った。
 成政が久しぶりに見る、彼女の笑顔だった。

「ようやく、笑ってくれたか」
「あっ……」
「悪いことではない。むしろ、笑ってくれていたほうが良い。その……心が安らぐのだ」

 飾り気のない成政の本音に、はるは嬉しそうな顔をしたけど、それは一瞬のことですぐさまは我慢の顔になる。
 成政は笑顔で「私が悪かったよ」と告げた。

「お前の仏頂面を見ていると、私は自分が、本物の悪人に思えるのだ」
「……悪人ではないですか」
「私のためではなく、徳川家のために殺したのだ……いや、言い訳だな」

 成政ははるに頭を下げた。
 はるは慌てて「何をなさっているのですか!?」と喚く。

「ごめんなさい。もう二度と怖がらせたりしないから」
「……本当ですか? もし怖がらせたらどうしますか?」
「煮るなり焼くなりすればいい」

 はるは大きなため息をついて。
 成政の顔を持ち上げて己の顔を近づけた。
 徐々に赤くなる成政。
 耐えきれずに吹き出してしまった。

「あははは! お前さまは、照れ屋さんですね!」
「う、うるさい! 人が真剣に謝っておるのに!」
「いいですよ、許してあげます」

 はるは顔から手を放して、そのまま身を成政に預けた。
 あわあわとする成政の様子を感じつつ、はるは本当に愛らしいわと思っていた。

「うーん……あれ? ここは……?」

 少年の目が覚めたようだ。
 成政ははるを引き離して「気づいたようだな」と威厳を込めて言う。

「……ここはどこだ?」
「私の屋敷だ」
「はあ……それであんたは誰だ?」

 警戒を込めて睨んでいるが、子供の脅しなど成政には通用しない。
 むしろ微笑ましく思えて笑ってしまった。

「なんで笑うんだ!」
「ああ、失礼した……私は徳川家家老、佐々成政である」

 少年は驚いて「あの佐々成政か!?」と喚いた。
 その驚きようが面白くて「そのとおりだ」と成政は頷いた。

「どうしてあの荒くれ共と喧嘩していた?」
「ああ。くだらないことだよ。肩がぶつかったとかどうとか」
「本当にくだらないことだな」
「うるせえな……そんじゃお世話になったよ」

 そそくさと出て行こうとする少年だったが、当然のように怪我は治っていない。
 立ち上がろうとして「あいててて……」と怪我の箇所を抑える。

「無理をするな。はる、何か食せる物を。粥などが良いな」
「ふふふ。かしこまりました」

 機嫌の良いはるはにこやかに準備しに行く。
 少年は「綺麗な人だな」とぼそりと呟いた。
 成政は警戒するように「私の妻だ」と言う。

「色目を使うなよ」
「そんなんじゃねえよ……何本気にしてんだ?」
「それより、お前は何者だ? 人に名を聞いておいて名乗らないのは無礼だろう」

 少年はしばらく迷ったが、結局「……可児才蔵という」と答えた。
 成政はその名に聞き覚えがあった――未来知識で彼が後の猛将だと知った。

「良い名だな。それで才蔵はどうしてここに? 三河国の者ではないだろう」
「あれ? どうして俺がここの出じゃないと分かったんだ?」
「……美濃国に可児という地名がある。そこの出だと推察するが」

 意外と鋭い才蔵を誤魔化すように推理を披露する成政。
 才蔵は「頭いいんだな」と感心した。

「うん。美濃の出なんだけどさ。実家から出奔して諸国漫遊の旅をしていた」
「そうか。つまり浪人だな」
「はっきり言うなよ。路銀も尽きてどうしようか迷っているんだ」

 成政はさりげなく「私に仕えないか?」と問う。
 才蔵は「はあ? あんたに?」と目を丸くする。

「ああ。禄も出す。徳川家家老に仕えるのは不服なら仕方ないが」
「いや。不満はねえけど。ていうか同情なら勘弁だぜ? これでも武士の矜持はあるんだ」
「そうではない。武芸を習っているのは分かるし、腹が空いていなければ荒くれ共を一掃していたことも分かる」

 動きが緩慢だったのは、腹が空いていたから。
 そして空腹なのは路銀が尽きているからだ。

「鋭いな。流石に家老をやっているだけはある」
「それで、仕えるのか?」

 才蔵が答える前に「お粥が出来上がりました」とはるが持ってきた。
 匙で掬ってお椀によそったものを才蔵に手渡すと、一心不乱に食べ始めた。

「うめえ! こんなに美味い飯、初めてだ!」
「ふふふ。お粗末様です」
「ま、ゆっくりと食べてくれ」

 成政は別に焦らなくても良いかと思っていると「ああ。あんたに仕えるよ」と才蔵が言う。

「一飯の恩は必ず返すよ」
「そうか。おい、はる。風呂の準備をしてやれ」

 笹の才蔵を手に入れられたことの喜びで胸がいっぱいになる中、成政は威厳を込めてはるに言う。
 どうして機嫌が良いのだろうとはるは微笑みながら「はい、お前さま」と答えた。
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