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「この――大馬鹿者が! 追放されるとは何事だ!」
屋敷全体が揺れるほどの大声で、土下座をしている利家を怒鳴りつけたのは、父親である利春だった。額に青筋を立てるほど怒りを示していた。
その隣で苦い顔をしているのは、前田家次期当主であり長兄の利久である。自分の弟が短気で乱雑な男だと分かっていたが、まさか主君の前で狼藉を働くとは思わなかった。
「言い訳はしねえ。全部俺が悪いんだ」
「なんだと! この――」
「親父殿。少し俺に話させてくれ」
静かに父を制した利久は「潔いのは結構だけどな」と言う。
「お前、これからどうするつもりだ? これからの進退やまつ殿のこと、何か考えているのか?」
「とりあえず、信頼できる人に相談しようと思う。それからまつのことだが――」
まつは別室にて利家たちの話し合いを待っていた。
彼女は笄斬りの一件を聞いたとき、自分のせいだと思ってしまった。
利家と彼の母、たつがそんなことはないと言い聞かせたものの、酷く衝撃を受けている。
「――ここで預かってくれないか? もうすぐ子供が生まれるんだ。武家屋敷はもう使えないし、頼れるところはここしかない」
「勝手なことを言いよって! そんな道理が通じると思っているのか!」
「勝手なのも道理が通じないのも重々承知している。でもお願いだ」
土下座したまま利家は父と兄に懇願し続ける。
家族とはいえ、恥も外聞もない行ないである。
しかしそれしか彼にできることはなかった。
「少しだけでいい。すぐに暮らせるところを見つけるから」
「貴様――」
「……親父殿。俺はいいと思いますよ」
利久の決断に「甘やかすな!」と利春は一喝した。
家族ではあるが、追放された武士を援助するなど、利春の価値観によれば言語道断である。
けれど利久は「少しの間だけです」と宥める言葉を言う。
「利家自身、このままではいけないと思っているでしょう。必死になって仕官先や手に職をつけると思います。それにまつ殿には罪はない。もちろん、生まれてくる子供にも」
「……お前の言っていることは分かるが」
「親父殿、あなたは孫が可愛くないんですか?」
情に訴えるのは利久も卑怯だと分かっていた。でも直情的な利春には効果的だった。
天井を見上げながらしばらく唸っていた利春。
そうして「いいだろう」と渋々頷いた。
「まつ殿の面倒は見る。だが新たな住処ができたらすぐに出て行ってもらう」
「……ありがとう、親父、利久兄」
「うるさいわ! さっさと出て行け、利家!」
利春に言われるがまま、身体を起こして出て行こうとするが、その前に利家は二人に対して言い残した。
「この恩は必ず返す。絶対にだ」
「…………」
利春と利久は息を飲んだ。それは覚悟の美しさではなく、決死の思いを受け取ったからだ。命を懸けてでも何かをやり遂げようとする男のあり方を見出したのだった。
利家が一礼してその場から去ると、利春は「利家を助けてやってくれ」と利久に言う。
「無論、わしからではなく、お前からの援助という形でな」
「……意外ですね。親父殿が利家を気遣うなんて」
「あんな出来損ないで馬鹿な息子でもな、親は可愛いものだ」
利春は「もう会うこともないからな」と淋しげに呟いた。
利久は「そんな弱気なことを言わんでください」と返す。
利春は利家の前では厳格に振舞っていたが、心身ともに限界が訪れつつあった。
利家がまつの元へ訪れると、彼女は蒼白の顔のまま、布団の上で寝ていた。幼い身で妊娠しているから当然だが、自責の念が彼女を苛んでいた。
傍で寄り添っている、利家の母のたつが「話し合いはどうでしたか?」と訊いてくる。
「まつはしばらく、ここで面倒を見てもらうことになった」
「利家……それは、離縁ということですか?」
まつがはらはらと静かに涙を流した。
利家は「離縁じゃねえよ」と険しい顔ですぐさま否定した。
「俺とお前が暮らせるようになるまでの辛抱だ」
「……新たな仕官先を探すのですか?」
まつに問われて利家は「まだそれは考えてない」と言う。
普通に考えれば織田家以外の仕官先を探すべきだろうが、その考えには至れなかった。
「俺はお前と一緒に暮らしたい。その、なんだ、俺は……お前のことを愛している」
「利家……私のせいで、こんなことになったのに……」
「何度も言っただろう。お前のせいじゃない。悪いのは俺だ」
利家は母に「まつを頼む」とだけ言って出かけようとする。
まつは「どこに行くのですか?」とか細い声で訊ねる。
「信頼している人に今後の相談をしようと思う」
「それは一体、どなたですか?」
「口うるさい坊主だよ。正直、会いたくないけどな」
苦笑いをして答える――この状況でも笑えるなんてと彼は自嘲した。
「政秀寺の住職、沢彦宋恩に会ってくる。その屁理屈じじいだったら、道を説いてもらえるかもしれない」
◆◇◆◇
「はっきり言おう。お前のことは馬鹿だと思っていた。だが本当の大馬鹿者だとは思わなかったぞ」
そんな手厳しいことを言いながら、沢彦は利家に湯漬けを振舞った。
腹が空いていた利家は勢い良くかき込む。見ていて気持ちのよい食べっぷりだった。
沢彦は利家が飯を食い終わるまで待った。
利家が落ち着いたところで、沢彦は「それで、今後の見通しはついているのか?」と訊ねた。しかし沢彦自身、あるわけないからここに来たのだと分かっていた。それは的中していたようで利家は「ついていない」と答えた。
「商売や畑仕事ができるわけじゃないからな。俺にできることは槍働きだけだ」
「偉そうに言うでないわ。ま、そんなところだと思ったが……僧になれるとは思えんし、武士をやるしかないな」
沢彦の言葉に利家は頷いた。
しかし織田家以外に仕官したいところはなかった。
斉藤家や今川家、伊勢国の北畠家に仕えたいとも思わない。
「なあじじい。織田家にもう一度仕官できねえかな」
「これほどの目に遭って、まだ信長の下につきたいと思うのか?」
「……駄目か? そうだよなあ、ずうずうしいよな」
「よっぽど、織田家が好きなんだな」
沢彦にずばっと言われて利家は「かもしれねえな」と認めた。
織田家には柴田や可成などの尊敬できる上司や新介や小平太などの気の合う同僚、藤吉郎など慕ってくれる者がいた。また、死んだ平手政秀のこともある。
それに――好敵手の成政もいる。十貫文の借りは速やかに返さなければならない。
「俺にとって、織田家が全てなんだよ」
「ふん。開き直りおって。それで、再仕官する策はあるのか?」
「何言っているんだよ。それを聞きにここに来たんじゃねえか」
「結局、人任せか! お前はいつもそうだな」
苦言を呈すというより、説教を始める沢彦。
聞き流そうとする利家だったが、つい耳に入ってしまうことを沢彦は言う。
「何でもかんでも人に聞けばいいと思っている。少しは自分で考えることをしろ。楽な道を選ぶな」
「……もう一度、仕官が叶うにはどうすればいいのか、それを考えればいいんだな?」
意外と頭が回ることを利家が言うものだから、沢彦は「ま、そうだな」と肯定してしまった。そしてゆっくりと思案し始める利家。
沢彦は黙り込んだ利家を見守った。
「要は殿がお許しになればいいんだから……何か喜ぶことをすればいいんだな……」
「信長が喜ぶと言えば、面白いことだが……お前にそれができるのか?」
「まさか。藤吉郎じゃあるまいし。うーん……」
長考する利家に痺れを切らした沢彦は「お前の得意分野で喜ばせるしかないだろう」と口出ししてしまった。
「得意分野か。槍働きしかできん」
「偉そうに言うな。だったら戦で手柄を立てるしかなかろう」
「勝手に戦に出ろって言うのか?」
「織田家の味方になって、首級を挙げれば信長も認めざるを得ない」
利家は「それしかねえか」と頷いた。
やるべきことが見つかったので、少しだけ負担が軽くなった気がした。
「後は住むところだな。じじいが前にいた小屋、あるじゃねえか」
「……貸せというのか?」
「家賃は出世払いで返すからよ」
沢彦はしばらくじっと利家を見た。
目に覚悟が宿っているのを確認すると「勝手にしろ」と言う。
「金は出さん。自分で都合しろ」
「ありがとう」
「素直に礼は言えるのだな」
こうして利家は来るべき戦に備えて、武芸を磨きつつ、日々暮らすことになった。
彼は知らない。その来るべき戦が織田家の存亡を懸けたものになるとは――
屋敷全体が揺れるほどの大声で、土下座をしている利家を怒鳴りつけたのは、父親である利春だった。額に青筋を立てるほど怒りを示していた。
その隣で苦い顔をしているのは、前田家次期当主であり長兄の利久である。自分の弟が短気で乱雑な男だと分かっていたが、まさか主君の前で狼藉を働くとは思わなかった。
「言い訳はしねえ。全部俺が悪いんだ」
「なんだと! この――」
「親父殿。少し俺に話させてくれ」
静かに父を制した利久は「潔いのは結構だけどな」と言う。
「お前、これからどうするつもりだ? これからの進退やまつ殿のこと、何か考えているのか?」
「とりあえず、信頼できる人に相談しようと思う。それからまつのことだが――」
まつは別室にて利家たちの話し合いを待っていた。
彼女は笄斬りの一件を聞いたとき、自分のせいだと思ってしまった。
利家と彼の母、たつがそんなことはないと言い聞かせたものの、酷く衝撃を受けている。
「――ここで預かってくれないか? もうすぐ子供が生まれるんだ。武家屋敷はもう使えないし、頼れるところはここしかない」
「勝手なことを言いよって! そんな道理が通じると思っているのか!」
「勝手なのも道理が通じないのも重々承知している。でもお願いだ」
土下座したまま利家は父と兄に懇願し続ける。
家族とはいえ、恥も外聞もない行ないである。
しかしそれしか彼にできることはなかった。
「少しだけでいい。すぐに暮らせるところを見つけるから」
「貴様――」
「……親父殿。俺はいいと思いますよ」
利久の決断に「甘やかすな!」と利春は一喝した。
家族ではあるが、追放された武士を援助するなど、利春の価値観によれば言語道断である。
けれど利久は「少しの間だけです」と宥める言葉を言う。
「利家自身、このままではいけないと思っているでしょう。必死になって仕官先や手に職をつけると思います。それにまつ殿には罪はない。もちろん、生まれてくる子供にも」
「……お前の言っていることは分かるが」
「親父殿、あなたは孫が可愛くないんですか?」
情に訴えるのは利久も卑怯だと分かっていた。でも直情的な利春には効果的だった。
天井を見上げながらしばらく唸っていた利春。
そうして「いいだろう」と渋々頷いた。
「まつ殿の面倒は見る。だが新たな住処ができたらすぐに出て行ってもらう」
「……ありがとう、親父、利久兄」
「うるさいわ! さっさと出て行け、利家!」
利春に言われるがまま、身体を起こして出て行こうとするが、その前に利家は二人に対して言い残した。
「この恩は必ず返す。絶対にだ」
「…………」
利春と利久は息を飲んだ。それは覚悟の美しさではなく、決死の思いを受け取ったからだ。命を懸けてでも何かをやり遂げようとする男のあり方を見出したのだった。
利家が一礼してその場から去ると、利春は「利家を助けてやってくれ」と利久に言う。
「無論、わしからではなく、お前からの援助という形でな」
「……意外ですね。親父殿が利家を気遣うなんて」
「あんな出来損ないで馬鹿な息子でもな、親は可愛いものだ」
利春は「もう会うこともないからな」と淋しげに呟いた。
利久は「そんな弱気なことを言わんでください」と返す。
利春は利家の前では厳格に振舞っていたが、心身ともに限界が訪れつつあった。
利家がまつの元へ訪れると、彼女は蒼白の顔のまま、布団の上で寝ていた。幼い身で妊娠しているから当然だが、自責の念が彼女を苛んでいた。
傍で寄り添っている、利家の母のたつが「話し合いはどうでしたか?」と訊いてくる。
「まつはしばらく、ここで面倒を見てもらうことになった」
「利家……それは、離縁ということですか?」
まつがはらはらと静かに涙を流した。
利家は「離縁じゃねえよ」と険しい顔ですぐさま否定した。
「俺とお前が暮らせるようになるまでの辛抱だ」
「……新たな仕官先を探すのですか?」
まつに問われて利家は「まだそれは考えてない」と言う。
普通に考えれば織田家以外の仕官先を探すべきだろうが、その考えには至れなかった。
「俺はお前と一緒に暮らしたい。その、なんだ、俺は……お前のことを愛している」
「利家……私のせいで、こんなことになったのに……」
「何度も言っただろう。お前のせいじゃない。悪いのは俺だ」
利家は母に「まつを頼む」とだけ言って出かけようとする。
まつは「どこに行くのですか?」とか細い声で訊ねる。
「信頼している人に今後の相談をしようと思う」
「それは一体、どなたですか?」
「口うるさい坊主だよ。正直、会いたくないけどな」
苦笑いをして答える――この状況でも笑えるなんてと彼は自嘲した。
「政秀寺の住職、沢彦宋恩に会ってくる。その屁理屈じじいだったら、道を説いてもらえるかもしれない」
◆◇◆◇
「はっきり言おう。お前のことは馬鹿だと思っていた。だが本当の大馬鹿者だとは思わなかったぞ」
そんな手厳しいことを言いながら、沢彦は利家に湯漬けを振舞った。
腹が空いていた利家は勢い良くかき込む。見ていて気持ちのよい食べっぷりだった。
沢彦は利家が飯を食い終わるまで待った。
利家が落ち着いたところで、沢彦は「それで、今後の見通しはついているのか?」と訊ねた。しかし沢彦自身、あるわけないからここに来たのだと分かっていた。それは的中していたようで利家は「ついていない」と答えた。
「商売や畑仕事ができるわけじゃないからな。俺にできることは槍働きだけだ」
「偉そうに言うでないわ。ま、そんなところだと思ったが……僧になれるとは思えんし、武士をやるしかないな」
沢彦の言葉に利家は頷いた。
しかし織田家以外に仕官したいところはなかった。
斉藤家や今川家、伊勢国の北畠家に仕えたいとも思わない。
「なあじじい。織田家にもう一度仕官できねえかな」
「これほどの目に遭って、まだ信長の下につきたいと思うのか?」
「……駄目か? そうだよなあ、ずうずうしいよな」
「よっぽど、織田家が好きなんだな」
沢彦にずばっと言われて利家は「かもしれねえな」と認めた。
織田家には柴田や可成などの尊敬できる上司や新介や小平太などの気の合う同僚、藤吉郎など慕ってくれる者がいた。また、死んだ平手政秀のこともある。
それに――好敵手の成政もいる。十貫文の借りは速やかに返さなければならない。
「俺にとって、織田家が全てなんだよ」
「ふん。開き直りおって。それで、再仕官する策はあるのか?」
「何言っているんだよ。それを聞きにここに来たんじゃねえか」
「結局、人任せか! お前はいつもそうだな」
苦言を呈すというより、説教を始める沢彦。
聞き流そうとする利家だったが、つい耳に入ってしまうことを沢彦は言う。
「何でもかんでも人に聞けばいいと思っている。少しは自分で考えることをしろ。楽な道を選ぶな」
「……もう一度、仕官が叶うにはどうすればいいのか、それを考えればいいんだな?」
意外と頭が回ることを利家が言うものだから、沢彦は「ま、そうだな」と肯定してしまった。そしてゆっくりと思案し始める利家。
沢彦は黙り込んだ利家を見守った。
「要は殿がお許しになればいいんだから……何か喜ぶことをすればいいんだな……」
「信長が喜ぶと言えば、面白いことだが……お前にそれができるのか?」
「まさか。藤吉郎じゃあるまいし。うーん……」
長考する利家に痺れを切らした沢彦は「お前の得意分野で喜ばせるしかないだろう」と口出ししてしまった。
「得意分野か。槍働きしかできん」
「偉そうに言うな。だったら戦で手柄を立てるしかなかろう」
「勝手に戦に出ろって言うのか?」
「織田家の味方になって、首級を挙げれば信長も認めざるを得ない」
利家は「それしかねえか」と頷いた。
やるべきことが見つかったので、少しだけ負担が軽くなった気がした。
「後は住むところだな。じじいが前にいた小屋、あるじゃねえか」
「……貸せというのか?」
「家賃は出世払いで返すからよ」
沢彦はしばらくじっと利家を見た。
目に覚悟が宿っているのを確認すると「勝手にしろ」と言う。
「金は出さん。自分で都合しろ」
「ありがとう」
「素直に礼は言えるのだな」
こうして利家は来るべき戦に備えて、武芸を磨きつつ、日々暮らすことになった。
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