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縛られる
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「兄上が織田信友を攻めるらしいな」
末森城、評定の間。
多くの家臣がいる中、上座から家老の柴田勝家にそう告げたのは、城主である織田信行だった。
「ははっ。信長様は既に軍勢を集めているとのこと。いかがなさいますか?」
応じて疑問を発する柴田。それを見つつ傍にいる母の土田御前に「ここは私の兵も出陣させるべきだと思います」と信行は言った。端整で兄とも父親とも似ない、聡明な顔立ちな彼を母親は可愛がっていた。
「兄に協力するのですか?」
「信友は愚かにも主家殺しを行ないました。当然、岩龍丸様を保護した兄に大義名分はございます。だからこそ、私も参戦して仇討ちに加わったという実績を作るべきと存じます」
信行は決して愚かではなかった。聡明かつ視野の広い武将であった。
それだけではなく、母親を慮るところもあった。
「ですから、勝家を派遣してみようと思うのですが」
「……良いでしょう。柴田殿、頼みましたよ」
母親が賛同したのを受けて、柴田は力強く頷いた。
「他の者も異存はないな?」
「ありませぬ。見事な策だと思います」
真っ先にそう言ったのは信行の側近、津々木蔵人だった。彼は美しい顔をしており、信行と『親しい』間柄であった。主君のお気に入りである彼の言葉に追従するように家臣たちも口々の同意を述べた。
「よし。ならばそのようにいたせ」
信行はそう言って評定の間を出た。津々木が一番近い距離で後に続き、他の家臣も出て行った。
残されたのは土田御前と柴田勝家のみ。
「柴田殿……いえ、権六。大変な役目をいつも任せておりますね」
土田御前は歳を重ねてもなお美しく、そして色香を備えていた。
柴田にゆっくりと近づき、細く美しい指で柴田の頬を撫でる。
惚けた表情になりかけた柴田は「お、おやめくだされ」と慌てて言う。
「誰かに見られたら――」
「そのときは見せ付けてやるか、そなたが斬れば良いではないですか」
土田御前は妖艶な笑みを見せながら、柴田の頬を一通り撫でた後、そっと離れた。
そして世の男共をぞくぞくさせる目を向けながら「こたびの戦が終わったら、何か褒美を与えましょう」と言う。
「信行に言って領地を増やしてもらいましょうか?」
「いえ、結構です。わしは信行様のために戦うだけで満足です」
柴田は立ち上がってその場を去ろうとする。
土田御前はその背中に向けて「それは信行の家老だからですか?」と呼びかける。
「それとも……『それ以上』の存在だからですか?」
「…………」
柴田の顔は苦渋に満ちていた。
それに何と返せば良いのかも分からなかった。
だから黙って評定の間を出た。
「ふ、ふふふふ……相変わらず、愛らしくて愛おしいお方ですね……」
悪そうな笑みを見せる土田御前。
しかしその笑顔の中に少しだけ後悔と寂しさが混じっているのは、本人すら気づかなかった。
◆◇◆◇
「おお、柴田様! あなたも参戦するんですか!」
信行の兵を引き連れて那古野城にやってきた柴田勝家を出迎えたのは、喜色満面な顔をしている利家だった。萱津の戦いからまったく会えていなかったので、とても嬉しいらしい。まるで犬のように馬上の柴田の傍に寄る利家。
柴田のほうも「おお、利家か!」と嬉しそうに利家の頭を撫でた。
「戦だが場所はどの辺になる?」
「山王口、安食、成願寺でぶつかると聞いております」
「そうか。では信長様の元へ急ぐとするか」
馬から下りて那古野城の評定の間へと歩く柴田。
利家はそれに付き従った。
「見ないうちに立派になったな」
「ありがとうございます!」
「……平手殿のことは残念だったな」
唐突に平手の名を出されて、嬉しそうだった利家の顔が曇ってしまう。
しかし利家は「平手様は立派な最期を遂げられました」と真剣な表情で言う。
「俺が介錯しました」
「……そうだったのか。よく成し遂げたな」
柴田は立ち止まって利家の肩を叩いた。
憧れの人に褒められているが、利家は嬉しいとは思わなかった。
「後で詳しい話を聞かせてくれ」
「……承知しました」
柴田はしばらく利家の肩に手を置いて、それからまた歩き出した。
利家はその場に立って見送った。
柴田が評定の間を訪れると、可成と丹羽らに指示を与える信長がいた。
せわしなく指示を与え続けていた信長だったが、柴田の姿を見るなり「おお、来たか勝家!」といつものような大声をあげた。
「柴田勝家、信行様の兵を引き連れて参陣いたしました」
跪きながら述べる柴田に「ご苦労である!」と信長は言う。
「信行の軍はお前の差配に任す。存分に戦働きをせよ」
「かしこまりました。出陣は――」
「半刻もせずに出陣する。兵に具足を着させろ」
これで話は終わりらしく、可成と丹羽に指示を続ける信長。
即断する早さが尋常ではないと柴田は思った。
「柴田様。こちらに部屋をご用意しております。刻限までお休みください」
柴田にそう言ったのは成政だった。丁寧な口調で案内するつもりらしい。
「おお、確か佐々成政だったな。それは助かる。兵の準備は整っておるゆえ、案内を頼むぞ」
「かしこまりました」
成政の先導で柴田は城の一室へと向かう。
途中、柴田は成政に訊ねる。
「信長様は、些かお変わりになられたようだが、お前はどう思う?」
柴田は一目見て信長の様子が以前と違うと思っていた。
やはり平手政秀を死なせたことが影響しているのかもしれないと考えた。
「私は一家臣です。主君が変わられたなどと評せません」
「堅いことを言うな。お前は変わったとは思わないのか?」
しばし沈黙した後、成政は答えた。
「良き変化だと思います」
「ほう。良き変化とな?」
「下克上を狙う戦国大名としての心構えができた。それしか言えませんね」
実際、成政は信長の変化を史実どおりだなと認識していた。
これから起こる苛烈で非道な行ないをするであろうという確信を抱いていた。
「ふうむ。そういうものか」
「柴田様はどう感じなさいましたか?」
逆に問われた柴田は「少し危ういな」と答えた。
「触れたら壊れそうな雰囲気がある。いや、触れたら壊されそうなと言ったほうが正確かもしれん」
「まるで火薬のようですね」
「言い当て妙だな。まあ発火しなければただの粉にすぎん」
とある部屋の前で立ち止まる成政。
どうやらここが柴田に宛がわれた部屋らしい。
「柴田様。一つだけお訊ねしてもよろしいですか?」
「先ほど質問したと思うが。まあいいだろう。なんだ?」
成政は真っ直ぐ柴田の顔を見て、それから早口で言った。
「もし信行様が変わってしまってもついて行きますか?」
成政は史実を知っている。
いずれ兄弟が争うことを知っている。
「ああ。ついて行く」
何の迷いも無く答える柴田。
成政は知っている。
いずれ柴田が――
「……分かりました」
成政は部屋の障子を開けて、それから跪いた。
柴田は「ご苦労だったな」と中に入って障子を閉めた。
部屋の中心にどかりと座り、ふうっと溜息をつく。
「過ちは……過去とはいつまでもついて来るものだな」
信秀や信長、そして土田御前には申し訳ないと思っている。
後悔したことも一度や二度ではない。
だが――柴田は信行のために生きると決めていた。
それだけは嘘ではないと信じていた。
「必ず、信行様を尾張国の主にする。その決意は変わらん」
だからこそ、織田弾正忠家の敵である信友や、いずれ敵になるであろう織田伊勢守家の信安は倒さなければならない。
それゆえに目の前の戦に全力で挑む。
最大の敵である信長の力を強める結果になろうとも。
自分は戦うことしかできないと考えていた。
その考えは狂おしいほど、柴田を縛っていた。
末森城、評定の間。
多くの家臣がいる中、上座から家老の柴田勝家にそう告げたのは、城主である織田信行だった。
「ははっ。信長様は既に軍勢を集めているとのこと。いかがなさいますか?」
応じて疑問を発する柴田。それを見つつ傍にいる母の土田御前に「ここは私の兵も出陣させるべきだと思います」と信行は言った。端整で兄とも父親とも似ない、聡明な顔立ちな彼を母親は可愛がっていた。
「兄に協力するのですか?」
「信友は愚かにも主家殺しを行ないました。当然、岩龍丸様を保護した兄に大義名分はございます。だからこそ、私も参戦して仇討ちに加わったという実績を作るべきと存じます」
信行は決して愚かではなかった。聡明かつ視野の広い武将であった。
それだけではなく、母親を慮るところもあった。
「ですから、勝家を派遣してみようと思うのですが」
「……良いでしょう。柴田殿、頼みましたよ」
母親が賛同したのを受けて、柴田は力強く頷いた。
「他の者も異存はないな?」
「ありませぬ。見事な策だと思います」
真っ先にそう言ったのは信行の側近、津々木蔵人だった。彼は美しい顔をしており、信行と『親しい』間柄であった。主君のお気に入りである彼の言葉に追従するように家臣たちも口々の同意を述べた。
「よし。ならばそのようにいたせ」
信行はそう言って評定の間を出た。津々木が一番近い距離で後に続き、他の家臣も出て行った。
残されたのは土田御前と柴田勝家のみ。
「柴田殿……いえ、権六。大変な役目をいつも任せておりますね」
土田御前は歳を重ねてもなお美しく、そして色香を備えていた。
柴田にゆっくりと近づき、細く美しい指で柴田の頬を撫でる。
惚けた表情になりかけた柴田は「お、おやめくだされ」と慌てて言う。
「誰かに見られたら――」
「そのときは見せ付けてやるか、そなたが斬れば良いではないですか」
土田御前は妖艶な笑みを見せながら、柴田の頬を一通り撫でた後、そっと離れた。
そして世の男共をぞくぞくさせる目を向けながら「こたびの戦が終わったら、何か褒美を与えましょう」と言う。
「信行に言って領地を増やしてもらいましょうか?」
「いえ、結構です。わしは信行様のために戦うだけで満足です」
柴田は立ち上がってその場を去ろうとする。
土田御前はその背中に向けて「それは信行の家老だからですか?」と呼びかける。
「それとも……『それ以上』の存在だからですか?」
「…………」
柴田の顔は苦渋に満ちていた。
それに何と返せば良いのかも分からなかった。
だから黙って評定の間を出た。
「ふ、ふふふふ……相変わらず、愛らしくて愛おしいお方ですね……」
悪そうな笑みを見せる土田御前。
しかしその笑顔の中に少しだけ後悔と寂しさが混じっているのは、本人すら気づかなかった。
◆◇◆◇
「おお、柴田様! あなたも参戦するんですか!」
信行の兵を引き連れて那古野城にやってきた柴田勝家を出迎えたのは、喜色満面な顔をしている利家だった。萱津の戦いからまったく会えていなかったので、とても嬉しいらしい。まるで犬のように馬上の柴田の傍に寄る利家。
柴田のほうも「おお、利家か!」と嬉しそうに利家の頭を撫でた。
「戦だが場所はどの辺になる?」
「山王口、安食、成願寺でぶつかると聞いております」
「そうか。では信長様の元へ急ぐとするか」
馬から下りて那古野城の評定の間へと歩く柴田。
利家はそれに付き従った。
「見ないうちに立派になったな」
「ありがとうございます!」
「……平手殿のことは残念だったな」
唐突に平手の名を出されて、嬉しそうだった利家の顔が曇ってしまう。
しかし利家は「平手様は立派な最期を遂げられました」と真剣な表情で言う。
「俺が介錯しました」
「……そうだったのか。よく成し遂げたな」
柴田は立ち止まって利家の肩を叩いた。
憧れの人に褒められているが、利家は嬉しいとは思わなかった。
「後で詳しい話を聞かせてくれ」
「……承知しました」
柴田はしばらく利家の肩に手を置いて、それからまた歩き出した。
利家はその場に立って見送った。
柴田が評定の間を訪れると、可成と丹羽らに指示を与える信長がいた。
せわしなく指示を与え続けていた信長だったが、柴田の姿を見るなり「おお、来たか勝家!」といつものような大声をあげた。
「柴田勝家、信行様の兵を引き連れて参陣いたしました」
跪きながら述べる柴田に「ご苦労である!」と信長は言う。
「信行の軍はお前の差配に任す。存分に戦働きをせよ」
「かしこまりました。出陣は――」
「半刻もせずに出陣する。兵に具足を着させろ」
これで話は終わりらしく、可成と丹羽に指示を続ける信長。
即断する早さが尋常ではないと柴田は思った。
「柴田様。こちらに部屋をご用意しております。刻限までお休みください」
柴田にそう言ったのは成政だった。丁寧な口調で案内するつもりらしい。
「おお、確か佐々成政だったな。それは助かる。兵の準備は整っておるゆえ、案内を頼むぞ」
「かしこまりました」
成政の先導で柴田は城の一室へと向かう。
途中、柴田は成政に訊ねる。
「信長様は、些かお変わりになられたようだが、お前はどう思う?」
柴田は一目見て信長の様子が以前と違うと思っていた。
やはり平手政秀を死なせたことが影響しているのかもしれないと考えた。
「私は一家臣です。主君が変わられたなどと評せません」
「堅いことを言うな。お前は変わったとは思わないのか?」
しばし沈黙した後、成政は答えた。
「良き変化だと思います」
「ほう。良き変化とな?」
「下克上を狙う戦国大名としての心構えができた。それしか言えませんね」
実際、成政は信長の変化を史実どおりだなと認識していた。
これから起こる苛烈で非道な行ないをするであろうという確信を抱いていた。
「ふうむ。そういうものか」
「柴田様はどう感じなさいましたか?」
逆に問われた柴田は「少し危ういな」と答えた。
「触れたら壊れそうな雰囲気がある。いや、触れたら壊されそうなと言ったほうが正確かもしれん」
「まるで火薬のようですね」
「言い当て妙だな。まあ発火しなければただの粉にすぎん」
とある部屋の前で立ち止まる成政。
どうやらここが柴田に宛がわれた部屋らしい。
「柴田様。一つだけお訊ねしてもよろしいですか?」
「先ほど質問したと思うが。まあいいだろう。なんだ?」
成政は真っ直ぐ柴田の顔を見て、それから早口で言った。
「もし信行様が変わってしまってもついて行きますか?」
成政は史実を知っている。
いずれ兄弟が争うことを知っている。
「ああ。ついて行く」
何の迷いも無く答える柴田。
成政は知っている。
いずれ柴田が――
「……分かりました」
成政は部屋の障子を開けて、それから跪いた。
柴田は「ご苦労だったな」と中に入って障子を閉めた。
部屋の中心にどかりと座り、ふうっと溜息をつく。
「過ちは……過去とはいつまでもついて来るものだな」
信秀や信長、そして土田御前には申し訳ないと思っている。
後悔したことも一度や二度ではない。
だが――柴田は信行のために生きると決めていた。
それだけは嘘ではないと信じていた。
「必ず、信行様を尾張国の主にする。その決意は変わらん」
だからこそ、織田弾正忠家の敵である信友や、いずれ敵になるであろう織田伊勢守家の信安は倒さなければならない。
それゆえに目の前の戦に全力で挑む。
最大の敵である信長の力を強める結果になろうとも。
自分は戦うことしかできないと考えていた。
その考えは狂おしいほど、柴田を縛っていた。
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