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そして太平の世へ

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 鎌倉五山の第一位、建長寺。
 格式高いこの寺に、俺は雪隆の墓を立てた。
 これしか俺にはできなかった。

「雪隆、すまない。お前にはいろいろ助けてもらっていた」

 俺が幼少だった頃からの付き合いだった。
 遊び相手になってもらっていた。
 元服して戦に臨んだときも、支えてくれた。

 まるで半身を失った気分だった。
 いや気分ではなく、実際そうなんだろう。
 心に穴が開いてしまった――

「との。そろそろいかないと」

 弥助が促すが、どうしても動くことができない。
 墓の前で雪隆を祈ることしかできない。
 墓の前で己を責めることしかできない。

「俺のせいだ……雪隆が死んだのは、俺の……」
「との。それはちがう」

 弥助が優しい声音で言う。
 振り返ると弥助はできる限りの微笑みを見せていた。

「ゆきたかは、まもるためにしねた。それは、こうふくなことだとおもう」
「どうして、そんなことが言える?」
「おれは、まもれなかった」

 本能寺のことを言っているのだと気づく。

「まもれずにいきのびるより、まもってしぬほうが、しあわせだ」
「割り切れと言うのか?」
「そうだ。でないと、せっかくまもったものが――こわれてしまう」

 俺は弥助をじっと見つめた後、雪隆の墓に向き直す。

「淋しいんだ……」
「…………」
「淋しくて淋しくて、仕方ないんだ……!」

 どっと涙が溢れるのを感じる。
 留められず、地面に落ちる。
 後悔はいつまでも続いてしまう。

 俺の兄に等しい雪隆は死んだ。
 これからどうすればいいのか。
 それは――分かっていた。

 奥州に百四十万石の大領土を築いていた、伊達政宗なる男が秀勝さまに降伏したらしい。
 何でも白装束で秀勝さまに謝罪したという。
 建長寺から戻ったときに、その話を聞いた俺は、伊達殿に会うことにした。

「おう。お前さんが丹波国の雨竜か」

 片目に眼帯をしている俺と同世代の男だった。かなり歌舞いた見た目をしていて、美男子と言っても過言ではない。
 片目をぎらつかせて俺を睨んでいる。
 このとき、弥助を伴わせていて「そっちが噂の弥助か」と興味を示していた。

「後で信長公の話を聞かせてくれよ」
「ああ、わかった」

 俺は伊達殿に「よく降伏しようと思ったな」と訊ねた。実際会ってみると、降伏などしなさそうだった。

「まあな。北条家の負けだと思っていたけどよ。家中のごたごたで遅れちまった」

 後に『家中のごたごた』とは実母に毒を盛られ、その報復に弟を殺したことだと知った。

「ま、会津を没収されたのは痛かったがな。そいつは仕方ねえ」
「なんだ。いつでも取り返せるって思っているのか?」

 すると伊達殿は「このまま天下が治まるとは思わねえ」と笑った。

「機会は巡ってくるさ……」

 俺は伊達殿に危険を感じた。
 もしかすると、秀吉公でも抑えられないのではないか?
 そんな風に感じるほど、大器であると見た。



 江戸城と小田原城は程なく開城した。
 厳密に言えば、小田原城のほうが先だった。
 秀吉公に授けられた策、石垣山に一夜で城を建てたと見せかけることの効果が大きかった。

 北条家先代当主、北条氏政は切腹。当主の氏直は高野山に追放となった。
 また捕縛していた服部半蔵は、左腕を斬られたときに、破傷風となってしまい、処断を待たずに死んでしまった。

 江戸城は開城したが、徳川家康と黒田如水の両名の行方は依然として分からなかった。
 ひょっとしたら、最初から居なかったか、服部の失敗を知った時点で逃亡したのかもしれない。

 江戸城から本陣に戻った忠勝に雪隆の死を告げた。
 忠勝は知っていたようで、黙って頷いた。
 その夜、吼えるような泣き声が本陣に響き渡った。

 俺は諸々の処理をこなす中、秀勝さまと話していた。

「これでようやく、太平の世になるな」

 秀勝さまは大笑いなされた。
 まあ今回の手柄で誰もが認める将軍の跡継ぎになったのだから当然だった。

「お前も、雲之介殿を超えられたのではないか?」
「……そのことなんですけどね」

 俺は秀勝さまにここ数日考えていたことを述べる。

「真柄雪隆が最期に言ったことを覚えていますか?」
「ああ。忘れはしない。認めて尊敬することと、固執し囚われることは別だと。そう言っていたな」
「俺は、その言葉を忘れません」

 最期に教えてくれたことが分からなければ、俺は大馬鹿者だ。

「父さまはいつだって、俺を認めてくれていました」
「…………」
「でも、俺は父さまを本当の意味で認めていなかったのかもしれません」

 父さまという人間を見ずに、その業績だけを見ていた。

「信康殿がおっしゃっていたのですが、超えても超えなくてもいいのかもしれませんね」
「では、ただ尊敬するだけでいいのか?」

 俺は「そうですね」と肯定した。

「超えるべきは偉大な父ではなく――己の限界なのでしょう」
「己の、限界……」
「父さまも、常に己の限界を超えてきた。超え続けてきたんです。それを俺は失念していた」

 だから追いつくことができなかった。
 今ではそう思う。

「変わったな、秀晴。前向きになった」
「秀勝さまも、明るくなりましたね」

 俺たちは互いの成長を笑い合った。
 それから秀勝さまは俺に言う。

「官位と領土の加増を賜ることになるぞ」
「俺がですか?」
「ああ。私の右腕として、もっと働いてもらう」

 秀勝さまはにこりと笑った。
 純粋無垢な笑顔だった。

「頼んだぞ、私が最も信頼する友よ」



 そのまま奥州の仕置きを済ませた後、俺は丹波国に戻ってきた。
 そして、雪隆の妻、小松に彼の死を告げた。

「そうですか。夫は……」

 気の強い美人だと聞いていたが、まさしくそうだった。
 夫の死を知らせても耐えている。

「あなたと雪隆の息子の面倒は、俺が一生見る」
「…………」
「雪隆は、そのくらい、大切な存在だった」

 大きくなった腹をさすって、小松は「ありがとうございます」と震えた声で言う。
 部屋を外に出ると、小松のすすり泣く声が聞こえた。
 居た堪れなくなる。

 その後、なつと雷次郎の元へ帰った。
 雷次郎はすっかり大きくなり、まるで父さまを思い出す風貌になっていた。

「あなたさまもお変わりになりましたね」

 雷次郎の成長をなつに話すと、そんなことを言ってきた。

「変わった? 俺がか?」
「ええ。気負わなくなりましたね」

 自分ではよく分からないが、なつが言うのならそうなんだろう。

「前のほうが良かったか?」
「いえ。今のほうが雰囲気が柔らかくなりましたよ」
「そうか。それは嬉しいな」

 なつの笑顔を見て、安心する。
 これでようやく、熟睡できるなと思った。



 それから数ヵ月後。
 小田原攻めの論功行賞が行なわれた。

「雨竜家の働き、天晴れである!」

 将軍、豊臣秀吉公から直接、お褒めの言葉を頂いた。
 戦功第一は俺のようだった。
 まあ、江戸城の他にも支城を多く落としていたので、当然かもしれない。
 いや、この言い方は傲慢だったかな?

「褒美として、官位を朝廷より賜った。中納言に任ずる」

 秀吉公の言葉に周りの諸将がざわめく。
 俺も驚きながら「慎んでお受けいたします」と頭を下げた。

「加えて、国替えを命ずる」

 思わぬ言葉に俺は頭を上げた。
 秀吉公はにっこりと笑っていた。
 俺は、その笑顔の善悪が、分からなかった。

「伊豆国などの関八州を雨竜家の領地とする――」
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