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心をなで斬りにされる

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 縄張から作事に至るまで、隅々に工夫を張り巡らせた築城。
 それ一つが武蔵国そのものだと錯覚してしまいそうな名城。
 そんな強固で巨大な江戸城を前にして、士気が下がってしまうのは仕方なかった。

 一応、一万三千で包囲しているものの、力攻めでは到底落とせないと誰もが分かる。
 一体、どこから攻めればいいのか。定かではないほど圧倒的威圧感だった。

 俺は雪隆と島、忠勝と弥助、そしてなつめと丈吉たちと軍議を行なうことにした。

「俺は、このまま包囲するべきと考えます」
「同じく。力攻めではとても落とせません」

 雪隆の言葉に忠勝が同意した。これは義理の親子だからというわけではなく、当たり前な判断に賛同しただけだ。
 それに加えて、島が「援軍を豊臣家に要請しましょう」と進言した。
 駿府城攻め以来、まともに口を利いていなかったが、真っ当な意見だから俺も頷いた。

「確かに、一万三千では攻略は厳しい。すぐに使者を出してくれ」

 弥助は黙って頷いて、陣から出た。
 それから「兵糧攻めをするにしても、今回は難しい」と俺は言う。

「おそらく大量の兵糧を確保しているはずだ。何年も準備していたのだからな」
「……なるほど。こたびの戦のために作られたのは明白ですからな」

 島の言葉どおりだった。立地や周辺の地理を考慮――計算して作られている。
 ここは平地だから打ち下ろしもできない。
 また川の流れを利用した水攻めもできない。

「だが、江戸城が落ちれば、小田原城も落ちるだろう。何故なら江戸城は防護に関しては小田原城以上だ。この城が落ちたと知れば、士気は著しく下がる」

 逆に言えば、江戸城が落ちない限り、小田原城は篭城し続けるということだ。
 それは由々しき問題である。
 流石に稀代の名将、徳川家康と黒田如水の創りし城だった。

「なつめ、丈吉。兵糧を焼くことはできないか? 駿府城と同じように」
「あー、それは無理ね。向こうには伊賀の生き残りがついているもの」

 伊賀の生き残り……かつて織田信長公が行なった、伊賀攻めを生き残った者。
 俺は、進言したのが父さまであることを知っていた。
 因縁深い相手だった。

「向こうは当然、兵糧を焼き払うことを警戒しているでしょう。我ら全員が挑んでも、成功しません」
「そこまでか……まあいい。仕方あるまい」

 その後、俺は軍議を進めたが、兵糧攻め以外の良策は生まれなかった。
 せめて搦め手などがあれば良いのだが……

「との。すこしいいか?」

 使者の準備をしていた弥助が、困惑した顔で戻ってきた。

「うん? どうかしたか? 何か問題が?」
「その、えどじょうから、ししゃがきた」

 江戸城から使者?
 まだ戦が始まる前だというのに、一体何の用だろうか?

「その使者はなんと?」
「いや、ないようより、そいつじたいがもんだいだ……」
「そいつ自体? 一体どういうことだ?」

 俺の問いに弥助は戸惑いながら言った。

「そいつは――くろだじょすいだった」
「……はあ?」

 黒田如水。
 かつて父さまの仲間であり、秀吉公の軍師であり。
 今は敵方として戦っている男だった。



「あひゃひゃ。久しぶりだなあ。秀晴」
「……よくまあのこのこと顔を出せましたね」

 敵中にいながら、余裕な態度を見せる如水。
 白装束のように真っ白な着流し。
 とても戦に臨む姿ではない。
 自分が死なないと思っているのだろうか?
 もちろん、この場で殺すこともできるが……どうしたものか。

 この場には雪隆と弥助を同席させている。
 また陣の外には忍び衆を配置してある。

 だが黒田如水はたった一人で俺に向かい合っている。
 度胸では負けた気がしてしまう。

「ふへへへ。まあそんな怯えるなよ。取って食おうってんじゃねえよ」
「……怯えてなどいません」
「そうか? まあじじいの戯言だと思って聞き流せ」

 見透かしたような言葉に心がざわつく。

「それで、何の用ですか? 世間話をしに来た訳ではないでしょう?」
「ひひひ。まあな。そんじゃ、単刀直入に言うぜ――」

 如水は不敵な笑みを浮かべたまま、俺に言った。

「――寝返ろ。俺たちの側に着け」
「なん、だと……?」

 俺は度肝を抜いた。
 名軍師の黒田如水が俺を調略している――

「ふざけるな! 殿がそんな甘言に乗るわけないだろう!」

 雪隆が一歩踏み出して、如水に近づくのを――手を挙げて止める。

「……殿?」
「雪隆の言うとおりだ。俺の答えは『ふざけるな』だ」

 豊臣家に恩ある俺を引き抜こうなんて、ふざけた話だった。
 しかし如水は「ふざけるな、か……」と嘲笑った。

「でもよ。俺の目から見ると、お前のほうがふざけているぜ。ふひひひ」
「どういうことだ?」
「まあ待て。俺の話を聞け。それから答えをまた聞こうじゃないか」

 人差し指を振りながら、如水は笑った。

「なあ。お前どうして豊臣家の味方しているんだよ」
「決まっている。俺は豊臣家に恩が――」
「違うだろう。お前ではなく、雨竜家が豊臣家に恩義あるんだ。決してお前自身が恩を受けているわけではない」

 如水はにやにや笑いながら「そこがおかしいんだよ」と肩を竦めた。

「お前はあの雨竜雲之介秀昭を超えたいんじゃなかったか?」
「……何が言いたいのか分からんが、一応答えてやる。ああ、超えたいと願っている」
「だったら――どうして豊臣家の味方して、俺たちと戦っているんだよ」

 言っていることが判然としない。
 だが次の言葉で――核心が突かれた。

「どうして、雨竜家の天下を望まないんだ?」
「――っ!?」
「天下統一を志さないんだよ、お前は」

 まるで足元が崩れる思いがした。
 そんなこと、考えたことが無かった。

「はっきり言うぜ。お前は雲之介を超えることはできねえ。俺の目から見ても、そこそこの才気はあるが、超えることはできっこねえ」
「…………」
「でもよ。才能で超えられなくても、偉業を成せば――超えられるぜ」

 如水の口調が次第に熱を帯びる。

「うけけけ。父親を超えたいんなら、父親の創ったもんを守るんじゃなくてぶっ壊せよ。それしかねえだろう。今のままなら、雲之介の創ったもんを受け継いだだけの二代目だぜえ」
「そ、それは――」
「俺が言いたいのは、豊臣家の天下じゃなくて、雨竜家の天下にしちまえよってことだ」

 何か言い返そうとして――できない自分がいる。
 反論が――できない。

「お前は二代目の秀勝に友情を感じているだろうが、そんなのまやかしだ。用済みになったら、屑入れに捨てられるぞ? この俺がそうだった。狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る。意味分かるだろう?」

 呼吸が荒くなる。
 如水の言葉は続く。

「もちろん、俺と家康の下につくことになるけどな。でもお前は若い。俺と家康が死ねば天下を引き継ぐのはお前だよ。田舎大名の北条家じゃ天下取れねえしな」
「…………」
「なあ秀晴。清く正しく生きたいのは分かるけどよ。堕ちてみろ。こっちのほうが楽しいぜえ」

 俺は、からからに渇いた口を無理矢理開いて、如水に言う。

「お、俺は、丹波一国の主だ――」
「はん。そんなのすぐに転封されちまうぞ? この戦に勝ったら、関東に飛ばされるぜ」
「そんなことは――」
「ありえないか? いや、ありえるね」

 如水は笑顔のまま、俺に問う。

「もう一度訊くぜ。俺たちの側につけ。返事はそれでも『ふざけるな』かな?」

 心をかき乱されるような。
 心をなで斬りにされるような。
 一言一言が、俺の心を――

「殿。そのような甘言に乗ってはいけません!」

 俺の肩を叩いたのは、雪隆だった。
 後ろを振り向くと、雪隆は殺意を帯びた目で如水を見つめていた。

「いつかの松永久秀を思い出す。貴様の甘言など聞くものか」
「俺は、秀晴に言ったんだぜ」
「黙れ。殿の答えは変わらない――ふざけるな、だ」

 俺は力無く、頷いた。
 言葉を発することなど、できなかった。

「……しょうがねえなあ。俺たちと一緒に来たら楽しいのによ」

 如水は杖を使って、その場から去ろうとする。
 その背中に、俺は言う。

「お、お前は、本気で、勝つつもりなのか?」
「ああそうだ」
「策はあるのか……?」

 俺の言葉に振り返ることなく「あるね」と答えた如水。

「一つ、言っておこう」
「……なんだ?」
「俺たちの誘いを断ったことを、いつか後悔するときが来る」

 そして陣を出る際に捨て台詞のように言った。

「そんとき、お前はどんな顔をするかな? うひゃひゃひゃひゃ!」

 正直に言おう。
 如水の提案に心を動かされなかったと言えば――嘘になる。
 それくらい魅力的な提案だった。

 俺の心はぐちゃぐちゃにかき乱されて。
 まともに口を利けるようになったのは、しばらく経ってからだった。
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