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五章 真実編

True end  やさしいうそ

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 翌朝になっても、プリシラは目覚めなかった。また僕と過ごした記憶を失うのではないか。
 そう恐れながら、ベッドの脇の椅子に座って見守った。
 花の時期は短いというのに、鳥かごのようにプリシラを屋敷に閉じ込めて、誰とも関わらないようにして、果たして幸せだったのか。リスクがあっても、自由に出歩かせて、同年代の友人と関わらせる機会を奪ったのは、自分の傲慢じゃないか。
 やっとまた、プリシラの気持ちをもう一度取り戻したのに。二人の新しい時間を重ねてきたのに。

「もし同じ運命をたどるのだとしたら、僕は、今まで何のために……!」

 僕は唇をかみしめて、硬く握りしめたこぶしを膝に打ち付けた。
 ……否。
 もし幾度同じ運命を辿るのだと分かっていてもなお、僕はプリシラを求めただろう。どれだけの喜びと絶望を繰り返すのだとしても。
 進んだその先に、絶望しか残されていないのだとしても。一欠片の光さえ、味わうことがないのだとしても。
 諦められる想いなら、こんなに苦しんだりしなかった。僕はもう止まることなどできはしない。プリシラの心を探し続けるだけだ。何度だって。

「アンセル様。少し代わりますわ。少しでも休まれては? 気づかれたらすぐにお呼びしますから」

 いつの間にか隣に立っていたフェンリルが、珍しく気づかわしげに声をかけてきた。
 僕は緩慢に首を振る。

「大丈夫だ。疲れてない。プリシラが目覚めた時に、傍にいてやりたいんだ」

 フェンリルは小さくため息をついて、

「……分かりました。せめてお食事を取られてくださいな。軽食をお持ちしましたから」
「……分かった」

 食事など摂る気分ではなかったが、正直に言ってしまったら、フェンリルに部屋からつまみだされるのは分かっていた。

 フェンリルの用意してくれたサンドイッチと紅茶を、僕は無理やり胃に流し込んだ。食欲などなかったはずなのに、慣れたフェンリルの入れてくれた紅茶は、僕の体にじんわりと染み入って、温めてくれた。

「後悔されていますか?」

 静かにフェンリルが僕に問いかける。僕の顔は見ないままで。
 プリシラに真実を告げなかったことだろうか。そもそも、再び僕が彼女を望んだことだろうか。
 どちらにしても僕の答えは……。
 僕が答えようとしたとき。

「……ん」

 プリシラのまぶたがぴくりと動き、唇からかすれた声がもれた。

「プリシラ!」
「プリシラ様」

 僕とフェンリルは、プリシラの顔をのぞき込む。ゆっくりと彼女の目が開いた。
 瞬きしたプリシラがクスクス笑い出す。

「どうしたの? セル、フェンリル。変な顔して……あれ? 何だか大きくなった?」

 プリシラがゆっくりと上半身を起こす。ふらついたので、フェンリルがさっと支えて背中にクッションを挟み込む。

「セル…? 僕のことが分かるのか?」

 それは昔の僕の呼び名だ。今のプリシラは知りえない。
 プリシラは怪訝な顔で、

「おかしなセル。朝になったら太陽が登るのかって言ってるのと同じよ?
 あら? そういえば、さっきまで私、セルとレストランで食事してたんだけど……。このお部屋見おぼえないけれどどこなの? ……でも、私の好みのお部屋ね」

 きょろきょろと部屋の中を見渡す。

「教えてくれ。僕はもう、君にプロポーズはした?」
「え……、と」

 プリシラは頬を赤くして、ちらりとフェンリルを見やる。聞かれるのが恥ずかしいらしい。

「私のことは気にしないでください。プリシラ様。いずれ結婚されるだろうことは存じてますもの」
「大事なことなんだ。教えて」

 フェンリルも後押ししてくれる。僕の真剣な様子に、プリシラは頷いた。

「え、ええ。してくれたわ。原っぱで。この腕輪をはめてくれて……。まさか忘れちゃったの?」

 ちょうど、あの事件の直前までの記憶まであるらしい。僕とプリシラの最後の、幸福な時間。
 不満そうに頬を膨らませるプリシラがかわいらしくて。
 僕は決めた。
 君を守るためなら、どこまでも汚れてやると。
 そのためなら君を傷つける真実は、隠し通す。
 やっとの思いで掴んだはずの幸せが、粉々に砕けて、指の間からすり抜けていったあの日。
 失われた未来を、どうしたらもう一度取り戻すことができるのか。どうしようもないことなのに、僕はそればかりを考えていた。
 もう一度、プリシラをこの腕に抱くことができるのなら、僕はもう何も怖くない。どんな罪も背負ってやる。どんなにこの手が汚れたって構わない。
 代償に神の怒りに触れて、地獄の業火に焼かれたって構わない。
 失うくらいなら、君を……壊してやる。
 プリシラを欲しがったことを間違いだっただなんて、思いたくない。僕は小さく息を吐いた。励ましてくれるかのように、フェンリルは僕の背中にそっとふれた。


  ★★★

 見慣れない部屋。心なしかセルとフェンリルもいつもより大人びた印象だ。
 なぜだか体のあちこちが痛かった。

「不思議ね。私、とても長い夢を見ていたような気がしたの。とても不思議で、ものすごく悲しいことと、嬉しいことがあって……」

 夢にしては妙に現実味があった気がした。私の話を、珍しくセルが遮った。いつもなら、どんなに取り留めのない話でも黙って聞いてくれるのに。

「落ち着いて聞いてくれ」

 真剣なセルに、私は黙って頷いた。
 落ち着いた口調で淡々と、説明してくれる。

「君は事故に遭って少しの間眠っていた。そのせいで記憶が混濁しているようだ。ご両親は長期の仕事で外国に行かれている。いつ戻られるかはまだ分からない。
 君は今二十一歳。僕は十八歳。僕と君はもう結婚している。ここは君と僕、どちらの実家でもない。新しく建てた、君と僕の屋敷で君の部屋。
 信じる?」

 不安そうな、セルの瞳。
 私の最後の記憶から、三年も空いている。
 記憶喪失だなんて、そう簡単に起こることではないだろう。でも。
 私は迷いなく頷いた。
 むしろセルの外見が大人びていることに、それなら納得がいく。
 
「信じるわ。セルの言うことだもの。見覚えはないのに、この部屋は何もかも私の好みだし……。でもあなたと過ごした時間を忘れたのは寂しいわ」

 一分一秒でも大切な、セルとの時間。それが、三年も失われているなんて。
 セルは優しく私の手を握ってくれた。

「僕が、君との時間は全部覚えている。
 落ち着いたらゆっくり話すよ。
 それに大事なのは過去じゃなくて、これから過ごす君との時間だ。もし君が思い出さなくてもかまわない」

 確かにそうだ。大事なのは過ぎ去った時間より、これから積み重ねる時間。

「お父様と、お母様にも早く会いたいわ。お母様とケーキを作る約束をしていたのよ」

 セルが優しいまなざしで微笑んだ。

「……会えるよ。きっと。
 お願いだ、プリシラ。もう、僕の前からいなくなるのはやめてくれ」
「いやだ。おかしなセル。
 私があなたの傍から離れたことがあった?」

 心配そうにセルが言うから、私は思わず吹き出してしまった。
 記憶がなくったって分かる。私が、セルと離れて生きていけるはずがないってことを。

「……ない。君と僕は、再会してからずっと一緒だったからな。これからも一緒だよ。ずっと」
「ええ。私、セルと一緒なら、何も怖いことなんかないわ」

 セルは安心したような、悲しいような、複雑な顔をして、私にキスを落とした。
 フェンリルのすすり泣くような声も聞こえたけれど、なぜだろう。
 不思議には思ったけれど、私が目覚めたことが嬉しかったのかもしれない。
 




  ★★★

 私としてはメリバよりなラストだと思いますが、これがもともと考えていたラストです。暗いので、多少救済したバージョンも載せます。
 思ったより完結に時間がかかりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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