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五章 真実編

あの日のこと

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 ※多少残酷な表現があります。ご注意ください。



 最後に覚えていたのは、冬の空だ。
 その日、平和な日常が崩壊した。でも日常だと思っていたものこそ、儚い幻だったのかもしれない。
 明日も同じ朝が続いていくと思っていた。その日がもしかしたら最後の幸せな日、もしくは最悪の日になるとは、思っていなかった。
 鉄さびのような血の臭い。
 大きな切り傷。
 そこここに響く、人々の悲鳴。

 ああ、それは私の記憶だ。
 手が届かないように深い深い水底に沈めた、隠された記憶。
 ほんの一瞬の、自分が傷ついたほうがましだというほどの苦しい出来事のために、弱い私は愛しい日々を封じた。それは、私が今まで生きてきた人生の中で確かに一番の宝物だったのに。



 
 私とセルは、二人で会うようになっていた。初めは強引な彼に戸惑っていたが、年下だけれど、頼りになって優しいセルに、私はだんだんと惹かれていった。
 何度目かのデートの日。
 町はずれにある原っぱで、私たちは花輪を作ったりして遊んでいた。
 春にしては寒い日だったからか、私たちの他には誰もいなかった。
 作った花輪を、セルの頭にのせる。

「きれいね」
「君のほうがきれいだけどね」
「もう、セルったら」

 真面目な顔でそんなことを言うセルの肩を、私はぽかぽかとこぶしで叩く。
 誰もいなくてよかった。私の顔は夕日よりも真っ赤になっていただろうから。

「冗談では言わない」
「だからたちが悪いのよっ。……外は寒いわね。どこかお店に入りましょう」

 私は身震いして、腕をさすった。

「待って。もう少し僕に時間をくれないか」

 ジャケットを脱ぐと、私に羽織らせた。

「いいけれど……」

 セルはどこからか取り出した腕輪を、私の腕にそっとはめた。太いシルバーの土台に、アクアマリンがはまっている。セルの目の色のような。

「僕が成人したら、結婚してください」
「は、はい……お受けします」

 私は震える声でうなづいた。
 答えに、セルはほっとした顔をした。予想はついていたと思うけれど、やはり多少は緊張していたのだろう。

「ぼくには、きみがはめて」

 手渡されたそれは、私とお揃いのもの。石だけが違って、アメジストだ。私の瞳の色。
 震える手で、セルの手にそっとはめた。

「プリシラ。これでやっと君は僕のものになった」
「セル……」

 セルがそっと私に口づけた。
 触れるだけの、優しいキス。
 しばらくしてから唇が離れると、物足りないような気持ちになった。同時にそんな自分をはしたないと思った。
 セルは私を痛いくらいに力強く抱きしめた。
 耳元で囁く。

「指輪は結婚式ではめよう」

 胸がいっぱいになった私は、声が出せなくて、こくこくとうなづくのがやっとだった。

「好き。あなたが好きよ。セル」

 そっと囁くと、セルの力がもっと強くなった。

「僕のほうが好きだと思うけどね」
「どちらのほうが好きかっていうやりとりは不毛すぎるからおいておくとして。……痛いわ」
「す、すまない!」

 セルは私から手を離した。

「腕輪、外さないでね?」

 私がいたずらっぽく言うと、セルも言い返してきた。

「君もね」

 彼は私を誰かにとられないかと、いつも心配している。そんな必要ないのに。それよりも、セルのほうがいつも女性にちらちら見られているので、心配だ。

「お腹が空いたわ。そろそろ食事にしない? 旦那様」

 いたずらっぽく彼をのぞき込むと、セルは微笑んで私の手を取った。

「かしこまりました。奥様」
「セル。早く大人になって。そして私を迎えにきて」
「了解」

 セルが成人するまであと数年。
 そしたら、いよいよ私たちは……。


「美味しかったわね」
「味が良かったし、接客もよかった。また行こう」
「ええ」

 食事が終わって、私たちは買い物に行こうと大通りに向かった。

「?」

 普段よりも、街の喧騒が大きい気がした。
 喧噪、というよりは。

「悲鳴……。プリシラ! ここを離れよう」

 ざわめきの正体にいち早く気づいたセルが、私の手をひく。

「……!」

 いつもは元気な露店の呼び声だとか、楽しそうな人たちでにぎわう広場。それが今日は、折り重なるように倒れている人。水たまりのような血だまりが広がっていた。
 数名の男たちが、逃げ回る人たちを剣で切り付けているようだった。
 武器がなければひとたまりもないだろう。
 もちろん普段、こんなに治安は悪くない。
 
(人身売買? 快楽的な犯行?)
「ひどい……! ど、どうして!?」
「僕らにできることは何もない。近衛騎士に連絡しよう。この騒ぎではそのうち到着するだろうが、君に何かあってからでは遅い」

 状況が理解できず混乱する私に、冷静に答えるセル。
 確かに私たちも武器はないし、そもそも剣は扱えない。セルは貴族の子息として、一応は使えるだろうけれど。
 けれど、そのときにはもう遅くて。

「桃色の髪? お前は売れそうだな。殺さないでおいてやる。来い!」

 男たちの一人に見つかってしまった。

「いや……!」

 セルに握られているのと別の手を、男に引っ張られる。
 私は嫌がって身をよじった。

「くそっ。プリシラから手を離せ!」

 セルが男の手をつかんで、振り払おうとする。

「面倒だな。もったいないが」

 ちっと男が舌打ちをした。剣を振りかざす。
 さっと顔色を変えて、セルが私に覆いかぶさる。

「セ、セル!」

 セルに抱きすくめられて、何がおこっているのか全く分からない。
 
ザク!

 切れる音がして、同時に

「うっ……!」

 セルが大きくうめく。ゆっくりと彼は倒れていって、うつぶせになった。ジャケットはぱっくり大きな切り傷があって、血が流れていた。

(私をかばったせいで、そのせいでセルが……!)
「セル……セル! ごめんなさい!」
「ちが、違う……! プリシラ、僕は大丈夫だから……」

 歪んだ表情で、セルが私の手を握る。
 だんだんと彼の声と顔が遠ざかっていって、私の記憶はそこで途切れた。
 
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