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二章 スピード婚と結婚生活

仮面舞踏会と元婚約者

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 いよいよ仮面舞踏会の日がやってきた。
 私は指折り数えながら、ワクワクしていた。

 夕方仕事を早めに切り上げて帰宅したアンセル様が着替えてから、一緒に馬車で主催者の屋敷へ向かった。
「いいか?絶対に僕の傍から離れるなよ」
「はい。アンセル様」
 馬車の中でアンセル様は、これで十回目にはなる忠告を私にした。私を案じての言葉なのは分かっているので、そのたびに神妙な顔で、頷く。
「話しかけられても無視しろ」
「はい。アンセル様」
(それは感じが悪いんじゃ……)
 と思いながらもそれも頷く。
 アンセル様と離れることはないだろうから、話しかけられた時の相手はお任せすればいいだろう。幼少期しか貴族と話したことはほぼないため、上手く話せる自信がないのも事実だ。
「髪の色を変えたから、君だと分かるものもそういないだろうがな」
 アンセル様の計らいで、私の髪は染粉によってこの国によくいる栗色に染められている。お父様たちやウォルトと同じように、アンセル様もなぜか私をあまり貴族たちと接触させることをよしとしないようだった。
(礼儀作法とかは自信あるんだけど)
 だから人前に出すことが恥ずかしいというわけではないと思うんだけど。
 お父様もそうだったけど、アンセル様に理由を聞いてもはぐらかされてしまっている。
 私が考え込んでいると、
「君は何でも似合うな」
 アンセル様が不意に顔を背けてぶっきらぼうに言った。
「あ、ありがとうございます」
(急に褒めるのやめてほしい。びっくりするから)
 私が着ているのは、今日の舞踏会のために新調したドレスだった。濃紺の落ち着いたデザインだ。リボンなどの装飾は少ないけど、生地は高価なものだしところどころに宝石がふんだんに使われているので、一目で手のかかったドレスであることが分かる。持っているドレスから選ぶつもりだったのだけれど、
「僕に恥をかかせるな」
 と言って強引に作ってくれた。もちろんアンセル様が気を使って、そう言ってくれたのは分かっている。
 アンセル様の衣装は、私と同じような色味の濃紺のフロックコートに、そろいのスマート。クラヴァットは鮮やかな赤だ。
 落ち着いた服はいつもより大人びて見せて、この服を着たアンセル様が部屋に迎えに来た時に、私は思わず一瞬息が止まった。
「僕から離れるなよ」
 またアンセル様が忠告を始めたので、私は内心苦笑いしたが、表面では神妙な顔を作った。


 馬車を先に降りたアンセル様の手を取って、私も馬車を降りる。
「わぁ……!」
 会場の中は、色とりどりのドレスを身に着けた女性たちで華やかだ。皆仮面をつけているため誰なのかは分からない。だけどアンセル様にはなんとなくどこの誰だか分かるそうだ。分かっても口に出さないのが仮面舞踏会のマナーだから、口には出さないそうだけど。
 顔の半分が隠れているのに分かるなんてすごい。もっとも私は数年顔を合わせていない人がほとんどなので、仮面がなくても分からない人ばかりだったと思う。
 会場の前の方では、楽団が優雅な音楽を奏でている。高い天井に反響して、美しい。
(楽団の音楽って素敵!)
 私は楽団の音楽を聴くのも初めてだった。複数の楽器が重なった音とは、こんなに美しい繊細なハーモニーが奏でられるのだ、と私は初めて知った。
 その音楽に合わせて、会場の中央でダンスが行われていた。
「アンセル様、楽団の演奏ってすごいですね!たくさんの人がダンスしている姿も綺麗ですね!」
 興奮気味の私に、アンセル様は苦笑した。

「踊るか?」
「はい!」
 私が勢いよく頷くと、跪いたアンセル様が手を差し出した。
「僕と踊ってくださいますか?レディ?」
 おとぎ話から抜け出てきた王子様のような容姿のアンセル様がそんな仕草をすると、本物の王子様のようだった。
(冷たいときは本当に理不尽なほど冷たいのに、どうして不意にこんなことするの……!)
 私は思わずめまいがしそうになりながらも、アンセル様の手にそっと自分の手を重ねた。
「喜んでお受けいたします」
(かりそめの妻なんだから、甘やかさなくていいのに)
 勘違い、しそうになるから。
 
 アンセル様と私は手を取り合って、ダンスの輪の中に入った。
「僕は得意じゃないから、リードは期待しないでくれ」
 とアンセル様は言っていたけれど、リードはかなり上手だった。
 ダンスが上手く踊れるかどうかは男性のリード次第だけれど、男性たちの中でもアンセル様のリードは飛びぬけて上手かった。かりそめとは言え、妻の欲目も入っているとは思う。
 パートナーがいるにも関わらず、女性の多くがアンセル様にちらちら目を奪われているのが分かった。
(お相手の男性たちイライラしてるわね……)
 それはたいていが妻かそれなりに親交のあるお相手なのだろうから、いい気はしないだろう。
 アンセル様に目を奪われるのは分からないでもないのだけれど。仮面で半分隠れているとはいえ、アンセル様の綺麗なお顔立ちは目元を隠しただけでは隠しきれない。顔以外を見てもすらっと背が高くて細身だし。

 ちくっ

(あれ?)

 心の奥に、抜けないとげが刺さったような、はっきりとは言えない痛みを感じたのだけれど、多分気のせいだろう。
「どうかしたか?」
 ほんの少し動きを止めた私に、アンセル様が気づかわし気な顔をした。
「少し躓きそうになっただけです」
 私は首を振って、なんでもないと微笑んだ。
「少し休むか」
 ちょうど曲が終わるところだったので、アンセル様は輪の中から私を連れ出した。
 会場の隅のソファーに私を座らせ、
「すまないな。思いのほか楽しくて調子に乗って君に無理をさせた」
「アンセル様のリードがお上手で、私も楽しかったです。アンセル様もそう思ってくださって嬉しいです」
 私が微笑むと、アンセル様は顔を背けてしまった。
「飲み物を取ってくる。君は座って待っておけ。
 いいか。誰に話しかけられても無視しろ」
 アンセル様はまたも私に忠告した。私が頷くと、満足そうに笑って飲み物や食べ物の並んだテーブルに向かった。
 私が足を痛めかけていると思っているのだろうから、ご自分だけで行くことにしたのだろう。
 とはいっても、アンセル様がお戻りになるまでそんなに時間はかからないだろうから、その間に話しかけられることなんて、そうそうないだろうけれど。私アンセル様のように、目を引く容姿ではないし。
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