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一章 出会い編

でも結婚してください

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「『初めまして』……ね」
 アンセル様は口の中で小さく何か呟いて、ふん、と鼻を鳴らした。その声は尊大そうな口調と裏腹に、思ったより高いテノール。
「顔をあげて、そこに座れ」
 ええと、アンセル様私より年下……よね?すごく偉そうな口調だけど。顔をあげてアンセル様が顎でしゃくった先にある、アンセル様の向かいのソファーに恐る恐る座った。
「失礼します……」
 端正な顔立ちに、月の光みたいな輝くばかりの銀髪。冬の空のような冷たさのある碧い目。
 どこかの国の王子様、と言われても納得するような容姿と圧倒的な存在感。
 年下なのにこわ、怖いんですけど。
 でもアンセル様は黙って無表情に見つめてくるだけだし、ここにきた目的を果たさないと!
 私はおずおずと口を開いた。
 まずは当たり障りない挨拶から。
「本日はお天気も良くて、いいお日柄ですね。手紙でも申し上げましたが、せっかく縁談の申し出頂きましたのに、こちらの都合でお断りしてしまい、大変申し訳」
「そんな前置きはいらない。要件は?僕は忙しい」
 ソファーに座って悠然と足を組んでいるアンセル様は、とても18歳とは思えない貫禄がある。
 何この人。王様?くらいの。
 事業を成功なさっているくらいだから、ご自身のお父様くらいの年齢の方とも日々交渉されているだろうし、当然と言えば当然なのだけれど。私みたいな、狭い世界で暮らしていた小娘とは格が違う。
「は、はい……」
 頷いて本題に入ろうと口を開いたところで、メイドたちがお茶の準備を終えて、頭を下げる。
「では我々はこれで。邪魔な爺たちは退散しますので、ご安心くださいませ。
 あとは若いお二人で」
(うわーん!
 退散しないで、ビリー!
 若いお二人だけにしないでー!)
「ありがとう、ビリー」
 表面上は笑顔を保っていたけれど、内心は私は大号泣。
 さっきみたいに和やかな会話で、場を和ませて欲しかった!
 ぱたん、と扉が閉まって、本当に二人きりになる。
(え?扉、閉めた?)
 未婚女性とアンセル様の二人きりなのに!
 ともかくお願いしなければ。
「あの、私が今日お会いしたかったのはですね。
 私と結婚していただきたいからなんです!」
 はぁー。
 なんとか言った。
 一仕事終えて、ほっと安堵のため息をつく。アンセル様は顔色一つ変えていない。
「僕にはすでにウェッダーバーン公爵家のグエンドール嬢との縁談が進んでいる」
(やっぱり……!)
 アンセル様ともなれば当然だ。
 むしろ私なんかに縁談の申し入れなさったのが、本当に奇跡に近い。というか本当に理由が分からない。
 グエンドール様と言えば、お家柄は当然のことご本人もお美しい上に、気立ても良くて評判だ。私よりも、そちらとの縁談のほうが誰がどう見ても数段いい。
「僕が申し入れた婚約を断ってきたのは、君だ」
「はい……。その通りです」
 ですよね。
 当然です。おっしゃる通りです。
「大変お恥ずかしいのですが、父が多額の借金を残しました。そのため、金策に走るのに必死で結婚のことを考える余裕がなくお断りしました。
 ですが、金貸しに急に明日までに残りの借金を返済しろと迫られまして」
「つまり、僕にその借金を肩代わりしろと?ウェッダーバーン公爵家との縁談を蹴って?」
 アンセル様は肘掛にひじをついて顎をのせ、目を細めた。
(さすがアンセル様!話がお早い!はっきり言うとその通りです!)
「自分の都合が悪くなったら、『やっぱり結婚してください』とは、虫がよすぎないか?」
「はい。おっしゃる通りです」
 厚かましいお願いなのは、十分分かっている。
 一度お断りした相手に頭を下げに行くのも、ものすごく嫌だ。
 でも私は伯爵だ。領民も使用人にも、私の事情など関係ない。守る義務がある。
 私のちっぽけなプライドをかなぐり捨てて守れるなら、いくらでも捨てる。
 だから私はソファーから立ち上がると、アンセル様に頭を下げた。
「このようなことをお願いできる立場ではないのは、十分理解しています。でも私は守りたいものがあるんです。それにはアンセル様のお力が必要なのです。
 どうかお力をお貸しください。私には頼れる方はもう、アンセル様しかいないのです」
「君が頼れるのは、僕だけ?」
 顔を上げると、ぴくっとアンセル様の眉が動いた。
 なぜその言葉に反応したのかは分からないが、少し心を動かされたようだ。
(よ、よし。もう一押し!)
「はい、そうです。
 私にできることは、何でもいたします」
「何でも……ね」
 アンセル様は面白そうに右の口角を上げて、ぼそりと呟いた。
 あの、もちろん常識の範囲内でお願いしたいですけど。
 肩もみとか屋敷の掃除とか。
 虫の駆除とかはお断りしたいです。

「じゃあ、僕と結婚したいと言え」

 え?
 い、いや。恥ずかしいのでお断りしたいのですが。
 そんなこと言ったら「そうか。じゃあこの話は終わりだ」とさっさと席を立ってしまいそうだ。
 だから正直に言えるはずは当然なく。
(なんで男に産まれたわけでもないのに、プロポーズなんかしないといけないのよ!)
 と正直思うのだけれど……。頬が熱くなって、鏡を見なくても顔が真っ赤になったのが分かった。
「私、プリシラ・ド・リッジウェルは、アンセル・ド・パリスター様と、……結婚したいです」
 言った……。
 だけどアンセル様の要求は、そこで終わらなかった。
 一世一代の私のプロポーズにも、顔色一つ変えていない。尊大な態度のままでアンセル様は言った。

「そうか。じゃあ僕にキスを。
 結婚したいと誓え。証明しろ」
 
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