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特別編 その4

ギャル系JS理穂乃ちゃんの幸せな末路 第一話

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 「『まあ嬉しい! これで、お城の舞踏会ぶとうかいに参加できるわ!』」
  
 秋の学芸会。6年1組の出し物は、舞台演劇に決定した。そして演目は、童話「シンデレラ」。
 本番の日に向け、6年1組の教室内の仮設ステージでは、稽古けいこが始まっていた。たった今、物語の主役であるシンデレラのセリフを、熱のこもった演技で読み上げたのは、頭の上にお姫様のティアラを載せ、装飾が輝く青いドレスに身を包んだ、春日井かすがい雪乃ユキノという名の少女だ。
  
 「『ああ、憧れの舞踏会……!』」
 「はいカット! ゆきっぺ、おつかれ様ー」
 「えへへ。わたしの演技、どうだった? 笑美エミちゃん」
 「いいよいいよー。ゆきっぺ、意外と演技とかできるんだね。女優さんみたいだったよ」
 「女優かぁ。それもいいかも……!」
 
 仮設ステージから降りる雪乃を、笑美がねぎらう。そしてすかさず、雪乃に緩美ユルミがドリンクを手渡した。
 雪乃、笑美、緩美は、普段からよく遊ぶ友達同士で、いわゆる仲良しの女子グループというやつだ。

 「ごくごく……ぷはっ!」
 「雪乃ちゃん、おいしい? わたしが作ったフルーツジュース」
 「うんっ! 甘くておいしいよ! 緩美ちゃん、ありがとう!」
 「良かった。……雪乃ちゃん、いつも夕方遅くまで教室に残って、演技の練習がんばってるから、わたしも何か力になりたいって、ずっと思ってたの」
 「ありゃ、一人で練習してるとこ見られてたんだ……。ちょっぴり、恥ずかしいね」
 「ううん、全然恥ずかしくなんかない……! 舞台リーダーの雪乃ちゃんがこんなにがんばってるから、笑美ちゃんも亜矢アヤちゃんも実穂ミホちゃんも、健也ケンヤくんや風太フウタくんや他のみんなだって、一生懸命がんばろうって気持ちになってるの……!」
 
 使命感と責任。
 クラス演劇「シンデレラ」のヒロインに抜擢ばってきされると同時に、雪乃は『舞台リーダー』にも選ばれた。『舞台リーダー』とは、舞台上での演技や演者に関する事由じゆの責任者のことで、つまりは総合的なリーダーである。使命感に燃えた雪乃は、その役職を背負いながら、みんなの見本となれるように演劇と真摯しんしに向き合い、今日までひたすら努力を重ねてきた。そして、その姿は雪乃の女友達だけでなく、学芸会にはあまり熱くならないタイプの男子たちの心まで動かした。

 「雪乃の努力は、みんな知ってる。何も恥ずかしがることはねぇさ」
 
 と、雪乃に対してカッコいいセリフを言ったのは風太……ではなく、健也。風太の友達の三雲健也が、ステージの裏からスッと現れた。

 「お前は舞台リーダーとして、立派にやってるよ」
 「ありがとう、健也く……わあぁっ!? 何その格好!?」
 
 王冠にマント、そしてカボチャパンツ。まるで王子様のような格好をしている理由は、健也の「シンデレラ」で演じる役柄が、文字通り「素敵な王子様」だからだ。

 「おれの格好のことは何も言うな。とにかく、今の雪乃は誰が見ても恥ずかしくない姿だと……」
 「今の健也くんはとっても恥ずかしい姿だけどね」
 「うるせぇなっ! 衣装担当チームが勝手に着せたんだよ! 本番では、もうちょっとカッコいい服にしてもらう予定だ」
 
 健也はほっぺたを赤くしながら、そばにあった椅子イスに、ドカッと腰を降ろした。
 不機嫌ふきげんになる王子様。雪乃と緩美は顔を見合わせて笑い、笑美はこっそりと王子様の写真を撮ろうとした。

 「とにかくだ、とにかく!」
 「ぷふっ……。くすくす……」
 「聞こえてるぞ、笑い声。おれの服装のことはいいんだよ。話を聞けってば! 雪乃っ!」
 「はいはい、なぁに? 健也くん王子様」
 「とにかく、今はお前がリーダーに立ってるおかげで、クラスが一つにまとまりかけてる。みんなで同じ目標に向かうための、良い空気ができあがってるんだ。おれとしても、この空気を本番まで維持していきたい」
 「うん、そうだね。とってもいい雰囲気」
 「だから、お前の身に何かあっちゃいけないんだよ。練習は大事だけど、あまり無理はするな。分かったか?」
 「分かったよ。大丈夫、無理はしないから」
 
 からになったドリンクを緩美が受け取ると、今度は笑美がタオルを雪乃に渡す。まるで、映画の主演女優を迎えるスタッフのような、手際てぎわの良さ。
 あまりにも良すぎる待遇たいぐうに、雪乃は少しだけ申し訳なくなって、健也に心境を語った。

 「な、なんか、悪いね……! わたしのために、こんなにいろいろしてもらって」
 「堂々としてりゃいいんだよ。みんな、自分なりに何ができるかを考えて、お前を支えようとしてるんだ。まあ、はちょっとやりすぎだけど」
 「ん? アイツ?」
 「アイツはな、緩美と一緒にフルーツジュースを作り、笑美と一緒にタオルを買いに行き……おれには演技指導をしてきやがるんだ。『シンデレラの王子様なんだから、もっとしっかり役に入り込めよ!』って、熱血スパルタ指導だぜ」
 「えっ!? そ、そんなことしてたなんて、わたし全然知らなかった!」
 「お前が一人で練習してる裏での話だからな。まあ、アイツは裏で支えるのがカッコいいと思ってるみたいだし、知らないフリをしといてやれよ」
 「そんなっ、嫌だよっ! わたし、ちゃんとお礼が言いたいっ! もうっ、いつも変なところでカッコつけるんだから……!」
 「だったら、学芸会が無事に終わってからにしよう。打ち上げ会をする予定だから、そこで『お疲れ様』と『ありがとう』をみんなで言い合うんだ。それまでは、我慢がまん
 「うんっ!」

 うわさ。いつもカッコつけてばかりのアイツに、雪乃はため息をついた。そして、誰にも見られないくらい小さく、ふふふと笑った。

 「風太くん……」

 そんな雪乃が見つめる先に。教室の掃除用具ロッカーのそばで、風太は何やら忙しそうに作業をしていた。

 *
 
 「風太ぁ~。何を作ってるんだ~?」
 「おう勘太カンタか。やっと完成したぜ」

 ダンボール箱を、切ったり貼ったり。銀色の折り紙やアルミホイルで、ペタペタと包み込んだり。自分の腕に巻いたり腰に巻いたりして、ついに完成した。
 デザインから製作まで全て風太が手掛けた、西洋せいよう甲冑かっちゅう

 「うわっ! ヨロイだ!」
 「へっへっへ。カッコいいだろ、勘太」
 「お前、そんなの作ってたのか。でも、何のために?」
 「そりゃあ、おれの役のためだよ」
 「役? 風太って何役だっけ?」

 演劇「シンデレラ」では、6年1組の全ての生徒に、役が割り振られている。健也が演じる「王子様」役から、勘太が演じる「ネズミ」役まで、出演シーン数やセリフ量は様々だが、全員に一度は出番がある。

 「……で、風太は何役?」
 「おれは、『王子様の護衛ごえい兵士B』だよ。だから、ヨロイを着るんだ」
 「へぇ、健也の護衛か。セリフは?」
 「えっと……シンデレラが舞踏会から去った翌日、王子様がガラスの靴の持ち主を探すシーンで、おれのセリフは、『お前はニセモノだ。立ち去れ』ってヤツ」
 「ん? どういうシーンだ?」
 「ガラスの靴が足に合わないニセモノのシンデレラたちを、おれが追い返すんだよ。兵士Bとしてな」
 「な、なんか……地味な役だな。セリフも1個だけか」
 「うるさいな。『チューチュー』しかセリフがない勘太ネズミに言われたくないよ」
 「チューっ!? ネズミを馬鹿にすんなチューっ!」

 勘太は風太に噛みつき、風太は手作りの剣で勘太を叩いた。
 今はじゃれ合って遊んでいるが、風太と勘太にも、自分の役に真剣に取り組もうという気持ちは充分にある。「兵士B」だろうが「ネズミ」だろうが、練習が始まれば、手を抜いた演技をするつもりはない。

 「はあ、はあ……。疲れたチュー……!」
 
 遊び疲れた勘太は息を切らし、教室の床に座り込んだ。
 
 「……!」

 一方の風太は、勘太には構わず、どこか遠くを見ていた。勘太とのじゃれ合いの途中、急に何かに気づいたように振り向き、そのままそちらをじっと見つめている。

 「おーい、どうしたチュー? 風太」
 「いや、何も……」
 「なんだよ、いきなりボーッとして。気になるチューね」
 「うーん。実は最近、誰かに見られてる気がするんだ。学校にいる間だけ、ずっと」
 「常に視線を感じるってやつ? 気のせいじゃねーの?」
 「気のせい……ならいいけど」
 
 数日前より、風太は知らない誰かに見張られているような気味の悪い感覚に悩まされていた。しかしそれは、学校から出ればフッと消えてしまうもので、日常生活にも特に支障はないので、深くは考えないようにしていた。少なくとも、ストーカーのたぐいではない、と。

 「忘れちまうチューよ、風太」
 「ああ、そうするよ。今は演劇に集中しよう」
 「衣装担当チームのところへ行って、手伝いでもするチュー?」
 「そうだな。それがいい。衣装作りを手伝おう」
 「よーしっ! 女子が着る服のスカートを、こっそり短めにするチューよっ! 風太と勘太のエロエロコンビで!」
 「おいっ! エロはお前だけだろっ!」
 
 と、風太が勘太にゲンコツを食らわせた時。教室内の仮設ステージ(雪乃や健也が話していた場所)の方では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
 まず最初に聞こえてきたのは、「ガラガラガラ……!!」と、誰かが勢いよく教室の扉を開ける音だ。
 
 「「な、何だ……?」」
 
 風太と勘太は、物音がした方へと振り向いた。

 *

 「待って!」
 「……」
  
 スクールバッグを持った女子生徒が一人、6年1組の教室を出ようとしている。しかしその背中に向かって、雪乃は言葉をかけていた。どうにかして、その場に留まらせるために。

 「えっと……! か、帰るのっ!?」
 「……」
 「用事でもあるのっ!? これから、全員で舞台練習をするつもりなんだけど……!」
 「……」

 返事はない。女子生徒は、雪乃にずっと背中を向けたまま、言葉すら発さなかった。
 それでも雪乃は、話を続けようとした。健也、緩美、笑美などの周囲の人間は、教室を出ようとする女子生徒と雪乃の様子を、黙ったまま見つめていた。ピリピリと、異様なほどの緊張感が漂う。

 「も、もしかして、具合でも悪い……!? それなら、今日は無理でも、また元気になったら、練習に参加してっ! お願いっ!」
 「……キョーミないから」

 女子生徒が、初めて口を開いた。雪乃とは正反対の、とても冷たい声だ。
 そして女子生徒は、そのまま教室を出ていってしまった。教室の中は、先ほどとは一転して、どんよりと重たい空気に包まれている。引き止めることができなかった雪乃は、とても悔しそうな表情を浮かべて、うつむいていた。

 「理穂乃リホノちゃん……」

 * * *

 翌日。給食の時間。
 風太と健也は、机同士をくっつけ、男子二人で作戦会議をすることにした。雪乃は給食を食べながら台本を読み込んでいるため、男子の会議には近づいてこない。

 「『青坂あおさか理穂乃リホノ。性別は女。小学6年生。数ヶ月前に、隣町の小学校から、この学校に転校してきた』」
 「もぐもぐ……。知ってるよ。その情報は」
 「『髪型は、茶髪の緩いウェーブがかかった髪を、ワンサイドアップにして大きなリボンで留めている。派手なピンク色やハート柄を好み、服装は主にキャミソール、ミニスカートなどの、露出が多いもの。ブレスレットやシュシュなどのアクセサリーを常に身に着け、メイクやネイルもばっちり決めて、まるでギャル系のファッション雑誌に載ってるモデルの子みたい』」
 「もぐもぐ……。見た目の情報はいらないよ。見れば分かるし」
 「『学校にはあまり来ず、隣町のギャル友達とよく遊んでいるので、大人からは不良だと思われてる。たまに学校に現れるけど、基本的に誰が話しかけても無視。見た目がちょっと怖いので、臆病な子たちは話しかけることもできない。母親と二人暮らし』、だってさ」
 「もぐもぐ……ゴクン。どうしてそんなに、理穂乃のことを知ってるんだよ。健也」
 「亜矢アヤに、プロフィール帳を貸してもらったんだ。あいつの情報力を舐めるなよ、風太」
 「亜矢か……。確かに、あいつはすごい」
 「ちなみに、風太のプロフィールも載ってるぞ。聞きたいか? えーと、『幼なじみのYちゃんのことが大好きで……』」
 「おいやめろっ!! そのページは破っとけ!!」

 健也はプロフィール帳をパタンと閉じ、机の上に置いた。
 
 「まあ、問題は理穂乃についてだよ。風太」
 「そうだ。そのための会議だ」
 「演劇には、クラスの全員が出る。もちろん、理穂乃もだ」
 「あいつの役は?」
 「『私が本物のシンデレラよ!』と言いながら、ガラスの靴を履こうとするけど履けず、兵士B(風太の役)に追い返される女性C」
 「セリフはその一言か」
 「ああ。そんなに重要な役じゃないけど、雪乃が放っておかないだろうな。あいつは今、舞台リーダーとしての使命に燃えてるから。全員揃っての演劇を望んでる」
 「おれも雪乃と同じ気持ちだ」
 「おれもそうさ。6年1組は、一人も欠けてほしくない」
 「あまり雪乃に負担はかけられない。だから、おれたちで何とかしよう」
 「理穂乃を説得……か。話を聞いてもらえるかどうか、だな」
 「小細工はナシ。正直な気持ちをぶつければ、きっと理穂乃も心を開いてくれるハズだ。何よりも誠実に、まっすぐど真ん中の……」
 「「直球勝負!」」

 作戦会議を開いたものの、二人で導き出した結論は、「理穂乃がみんなと打ち解けられるようにする」という、とても単純なものだった。信頼を得るにはこの方法しかないと、風太と健也は互いに理解し、うなずき合った。

 * * *

 そして数日後。その時は来た。

 「……」

 前回と同じく、全員での舞台練習が始まる前に、理穂乃は席から立ち上がり、教室を出ようとした。当然、雪乃はそれを引き留めようと仮設ステージを降りたが、今回は雪乃よりも先に、健也が理穂乃の前に立ち塞がった。

 「どこに行くんだ? 理穂乃」
 「……」
 「遊びに行くなら、おれもついていっていいかな? おれはお前にキョーミがあるんだ」
 「……」
 
 理穂乃は目を鋭くとがらせ、健也の顔をじっとにらんだ。
 健也は涼しい顔をしながら、理穂乃に白い歯を見せてにっこりと笑っている。まさに王子様のような、爽やかスマイル。緩美あたりならそのスマイルでキュンとするのだが、理穂乃が相手だとそんなに簡単には行かない様子だった。

 「……」
 「それとも、用事でもあるのか? 親におつかいでも頼まれたか? おれで良ければ手伝わせてくれよ」
 「……」
 「ごめん、みんな。王子様抜きで、舞台練習を進めておいてくれ。おれは今から理穂乃とどっか行くからさ。ほら、行こうぜ理穂乃」
 「はぁ……。うざっ」

 提案に応じるつもりはなさそうだ。理穂乃は溜め息を付き、健也がいない方向へと振り返り、歩みを進めていった。しかし健也はスマイルを絶やさず、理穂乃の横にピッタリとついて歩き出した。

 「理穂乃、見てくれよ。これ」
 「……」
 「おれが持ってる物、何か分かるか? キレイだろ?」
 「……!」

 健也の腕の中には、丁寧に畳まれたオレンジ色のドレスがあった。
 
 「理穂乃の衣装だよ。お前がいない間に、みんなで作ったんだ。サイズが合ってるかどうか分からないからさ、一回だけ着てみてくれないか?」
 「……」
 「きっと似合うと思うぜ。着替える場所は、3階の女子更衣室な。緩美と亜矢があっちで待ってるから、衣装について何か困ったことがあったらあいつらに相談して……」
 「……うるさい」
 「え?」

 バシッ。
 健也が持っていた物は、理穂乃によって叩き落とされた。丁寧に畳まれていた新品のドレスはバサッと広がり、ホコリまみれの汚い床に散らかった。
 そのドレスを一着作るのに、みんながどれだけ苦労をしたか、もちろん健也は知っている。

 「理穂乃?」
 「キョーミないって、前にも言ったでしょ。……健也くん、だっけ? あんたもうざくてキモいから、あたしにまとわりつかないで」
 「……!」

 一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、健也の瞳孔が開いた。ほんの一瞬だけ、奥歯がギリリと強く噛まれた。ほんの一瞬だけ、右手のコブシがぎゅっと握られた。怒りの感情が昂ぶった。
 しかし、健也はすぐに冷静になった。ここで感情的になったところで、理穂乃がみんなと打ち解けられるようにはならないと、即座にさとったからだ。健也は、もう一度笑顔を作り直した。

 「は……はははっ、キツいこと言うなぁ。でもおれはメンタル強いから、何を言われても気にしないぜ。安心しろよ」
 「ほんとキモい。どっか行ってよ」
 「お前の衣装、少し汚れちゃったな。でも大丈夫だ。これくらい、すぐキレイにできるから。ちゃんとキレイになったら、着てくれるよな?」
 「はあ? 何言ってるの?」
 「みんな、理穂乃を待ってる。お前の居場所は、間違いなくここなんだよ。とりあえず今日は、一緒に演劇やろうぜ」
 「何? なんなの? 『一緒』とか、『みんな』とか、『居場所』とか……! あー、もうっ! そういうのがキモいって言ってるのに!!」

 理穂乃は足を置いた。床に広がったドレスの上に。

 「お、おいっ! やめろよっ!」
 「あたしが何しようが、あたしの勝手でしょ!? なんであんたらの言うこと聞かなきゃいけないの? なんであんたらとからまなきゃいけないワケ? 別にいいでしょ!? 一人でいても!!」
 「頼むっ! やめてくれっ!」
 「はぁっ、はぁっ……! こんな服、作ってくれなんて頼んでない! 勝手なことするのはやめてっ! ほんとに、恩着せがましくて、気持ち悪いっ!」
 
 上履うわばきでグリグリと踏み潰し、ドレスの背中側にくっきりと足跡を残した。払えば落ちる程度だった汚れは、もう取り返しのつかないレベルにまで変わった。そして、息をハァハァと切らしながら、ようやく理穂乃は足をどけた。

 「どうして、こんな……」

 健也はすぐにしゃがみ込み、その汚れたドレスを拾い上げようとした。しかし、震える手で拾うことはできても、立ち上がることはできなかった。
 落胆、失望、憤怒。そして悔しいという気持ちが、健也を立ち上がらせなかった。理穂乃に今からどんな言葉をかけるべきなのか、もう考えることさえできない。ただ失意のままに、グッと歯を喰い縛って、右手のコブシを床に打ちつけるだけ。

 「別に、あたしを殴りたかったら殴れば?」
 「……!」

 挑発……ではない。理穂乃はその覚悟のうえで、この行為におよんだのだ。
  
 「いや、おれは……女は殴らない……」
 「あっそ。じゃあ、あたし行くから」
 「……」
 
 引き留めなければ。何か声をかけなければ、理穂乃が行ってしまう。
 それが分かっていても、健也は口を開くことができなかった。怒りに任せた聞くに耐えない暴言が溢れてしまいそうで、それを口の中に収めるために、健也は必死に無言を貫いた。
 健也を置き去りにして、理穂乃はさらに歩き出した。しかし数歩進んだところで、また目の前に立ち塞がる存在が現れた。

 「ダメだよ! 行っちゃダメっ!!」

 雪乃だ。シンデレラのドレスから着替えもせずに、理穂乃の前に立っている。決意を宿やどした丸い瞳で、真っ直ぐに理穂乃を見つめている。
 理穂乃はその顔を見て、また呆れたように溜め息をついた。

 「はぁ……。あんた、またあたしを……」
 「演劇、やろうよっ! みんなでやったら、きっと楽しいよっ! お願いだから、もうどこにも行かないでっ!!」
 「メンドーだし、キョーミもない。ってか、あたしはパスでよくない? 何の問題があるの?」
 「も、問題は、ないけど……。でも、きっと仲良くなれるよ! みんな、舞台を成功させるために、力を合わせてがんばってるんだから!」
 「このクラスの連中と、仲良くならなきゃいけないの? 馴れ合いがそんなに大事? 無理やりでもしなきゃダメ?」
 「だって、一人よりみんなといる方が……」
 「あたし、他の学校の子とは遊んでるよ。それでいいでしょ?」
 「わ、わたしたちも、理穂乃ちゃんとは仲良くなりたいの!」
 「じゃあ、ごめんね。あたしはこのクラスの連中が大ッ嫌いなの。綺麗事ばっかり吐いて、洗脳でもされてるみたいで、気色悪い。……雪乃、だっけ? あんたもキモいから、もうあたしのことはほっといて」
 「違うよ……! そ、そんなこと言っちゃ、ダメだよ……」

 雪乃は女子の中でも身長が低い方で、体も軽い。だから、標準的な女子の体型である理穂乃にとって、雪乃は壁にすらならなかった。雪乃の言葉を無視して歩くだけで、理穂乃は前に進むことができた。
 
 「邪魔。どいて」
 「いやっ!」
 「もう……! ほんとに、こいつら面倒臭い……!」
 「え、ちょ、ちょっと、待って……!」

 無理に通ろうとする理穂乃の腕に、雪乃はしがみついた。当然、理穂乃にとっては障害物でしかないので、払い除けられる。しかし運悪く、そのタイミングで、理穂乃のネイルが雪乃の衣装に引っかかってしまった。

 「「あっ!?」」

 ビリッ!!
 布が裂ける音がした。

 「衣装が……!」

 シンデレラのドレスの、袖口のあたり。キレイすぎるくらいに、縦に裂けてしまっている。練習による生地の劣化もあるだろうが、大きな原因が理穂乃の派手なネイルであることは、まず間違いない。

 「破れちゃった……」

 ポツリと、雪乃はつぶやいた。
 愕然がくぜんとしていて、瞳からは光が消えている。

 「邪魔するからでしょ!? あ、あたしのせいにしないでよね!」

 予想外の事故。雪乃が何か反応を見せる前に、理穂乃は自分の言いたいことだけを全て言い、その場から立ち去った。ツカツカと早歩きで、分かりやすいくらいに慌てていた。

 * *

 「あーもう、ほんとうざい……!」

 3階の階段を降り、理穂乃は2階の階段へとさしかかった。右手にはキラキラしたビーズでデコられたスマホを持ち、何やらしきりにタップやスワイプを繰り返しているが、おそらく画面には集中していない。

 「マジ最悪……! なんであたしが悪いみたいに」
 「待て」

 理穂乃のスマホを動かす手が止まった。突然、右手を誰かに掴まれたからだ。
 理穂乃が振り返ると、そこには一人の少年がいた。血走った目で、こちらに向けて殺気を放っている。

 「何? 誰なの?」
 「二瀬風太。健也と雪乃の友達だ」
 「ああ、さっきの二人の……。ってことは、また説教でもしにきたワケ? クラスみんなで仲良くしましょう、って」
 「違う」
 「怒ってんのよね? じゃあ、殴りたいの? あたしは先生にチクったりしないから、好きなだけ殴れば?」
 「そんなことはしない。お前は女だからな」
 「じゃあ、何しに来たの? あたしの腕を掴んで」
 
 本当は怒りだってある。左手のコブシだって、さっきからずっと震えてる。友達を傷付けた相手になら、人を殴ることさえ風太はできる。
 でも、相手が理穂乃だから、風太はその手を振るわないと決めていた。

 「雪乃に謝れ……! それを言いに来た!」

 風太は声に力を込めた。しかし、理穂乃はその言葉も予想通りだと言わんばかりに、鼻でフッと笑った。

 「衣装のこと? 別に、わざとじゃないから」
 「謝る気はないのか?」
 「あるよ。ごめんって言っといてくれる? そしてもう二度と、あたしには関わらないでって、伝えといてね」
 「お前の口から、直接言えよ。6年1組の教室に戻って」
 「こんなことになって、戻れるわけないでしょ。あんた、あたしの状況分かってるの? あのクラスの全員にケンカ売ったのよ?」
 「それでも、だ。雪乃に直接謝らない限り、おれはお前を許さないぞ」
 「はぁ……。ほんと、面倒臭いヤツばっかり……!」
 
 理穂乃は、自分の肩にかけたバッグの中をあさり、黒い財布を取り出した。そして、一万円札を1枚抜き取り、風太の前に差し出した。

 「これで足りる? 足りなかったら言って」
 「おい、どういうつもりだ」
 「衣装が2つ分。弁償すればいいのよね? 余ったお金は慰謝料ってことで、返さなくていいから」
 「お金の話はしてないだろ! しっかり雪乃に謝れって言ってるんだ!」
 「それができないから、こうやって解決してるんでしょ!? 大人はみんなこうしてるの! だから、黙って持っていってよ!! ほんと、ガキ臭いのばっかり……!!」
 「何が大人だ!! 何がガキ臭いだよ!! 言葉で謝れないほうが、よっぽど子供だろうが!! 子供のくせに大人ぶるなっ!!」
 「うるさいっ! ほんと、うるさいし、キモいし、うざいし……! 何なのあんた!? あたしの何を知ってるの!?」
 「お前のことは知らないけど、何が正しいかくらいは知ってる! お前が雪乃にやったことは、絶対に間違ってる!! だから謝れっ!!」
 「嫌だって言ってるでしょ!? いい加減に、手を放してっ……!」
 
 風太と理穂乃。少年と少女の揉め事は、階段のそばで起こっている。口論こうろんだけなら心配はないが、例えば……掴まれた腕を振り払うために、少女が多少暴れたりなんかすれば、つまづき、転び、階段の下へと転落する危険性は充分にある。

 「あっ……!?」
 
 理穂乃の後ろには、もう足場がない。
 足を踏み外し、体がふわりと浮いた。あとコンマ数秒で理穂乃は落下し、床に叩きつけられる。腕の骨が折れるか、脚の骨が折れるか……自分勝手を繰り返した少女は、ついに罰を受ける。

 「理穂乃っ!!」

 しかし咄嗟とっさに、風太は理穂乃を抱きかかえた。
 そして、自分の体が下敷したじきになるように、理穂乃との体の位置を逆転せた。風太の心の中にある、「理穂乃とはまだ分かり合えるかもしれない」という根拠のない希望が、身体をその行動に移させたのだ。

 「「……!」」
 
 階段から落ち、二人は同時に気を失った。

 * * *

 「あっ……! 風太くん……が……、女の子と……一緒に……倒れてる……!」
 
 正体不明。謎の存在が、倒れている二人を最初に見つけた。
 そいつは黒髪が不気味に長く、まるでホラー映画に出てくる幽霊のような風貌ふうぼうをしている。風太と理穂乃を死体だと判断し、霊界にでも連れて行こうとしているのか、それとも……。
 
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