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風太と美晴と菊水安樹
キミだけの天使
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翌日。
風太が長い眠りから覚めたのは、お昼を過ぎたころだった。ちょうど安樹が、小説を1冊読み終わったタイミング。
「ん~~~んっ……! よく……寝たなぁ……」
「おはよ、風太」
「おっ……! おはよう……安樹……! 気持ちの……いい……朝だな……! って……もう……昼……か……。はは……」
「元気そうだね」
まさに全快。昨日とは打って変わって、寝起きの風太はとても元気な笑顔を見せた。さらに、もう体も充分に動かせるようで、起き上がってぐーーっとノビをしている。
「あ……! おれ……、パジャマを……着てる……な……。良かった……。もう……ハダカじゃない……!」
胸に「HAPPY♡DREAM」と書かれた、パステルカラーの女児用パジャマ。服全体に、☆柄が散りばめられている。言ってしまえば、もう少し低い年齢の女の子が着るようなパジャマだ。
普段の風太なら、「うわっ!? おれにこんな恥ずかしい服着せるなよっ!」とでも文句を言うところだが、今の彼女には“自分が全裸ではない”という喜びの方が大きかった。
「安樹が……着させて……くれたのか……? ちょっと……不満は……あるけど……ありがとう……!」
「いや、それはボクじゃない。美晴だよ。キミが今着ているパジャマは、全部美晴が着させたのさ」
「そうか……! じゃあ……、美晴に……お礼を……言わないと……な……。あいつは……どこにいる……?」
「美晴はもう、ここを出ていったよ。『今日は風太くんに会えない』ってさ。気持ちの整理がつくまで、待ってほしいって」
「ん……? どういう……意味だ……? おれ……、あいつに……何か……したか……?」
「したのはボク。キミは気にしなくていいよ。ははは」
「安樹……? んー……?」
風太は目を細め、安樹の顔をよーく見た。すると、そいつのほっぺたに、真っ赤な手のひらの跡があることを発見した。
「お前……その顔の……」
「気にしないで。ビンタされただけ」
「えっ……!? 美晴に……か……!? 何が……あった……!?」
「昨日の夜、ちょっとやりすぎちゃって。でも、今はすごく反省してるし、美晴も許してくれた。何も問題はない。OK?」
「いや……、問題……ありそう……だけど……」
「まあ、とりあえず忘れてよ。別の話をしよう別の話っ! ねっ、風太っ!」
「何を……ごまかして……」
「聞かないでくれっ!!!! ごめん風太っ!!!!」
「わぁっ……!? お、大声……出すな……よ……! もういい……分かった……。聞かないで……おくから……、まず……落ち着け……」
「そうだ、今はそれでいい。いずれ美晴が話してくれるさ……」
「……?」
風太は首をかしげ、安樹はホッと胸を撫で下ろした。
『風太』に美晴のパンツをはかせて無理やりおしっこさせた、などと言えるはずもない。あの後、美晴は「風太くんごめんなさい……! 風太くんごめんなさい……!」と、泣いて謝りながら布団の中で一夜を過ごしたという話もあるが、それは風太に言わないでおこうと、安樹は心に決めた。
「ところでさ、風太」
「うん……?」
「体の調子はどうだい? キミはもう一度、その美晴の体で生活することになったけど」
「調子……か……。悪くは……ないけど……、少しだけ……違和感……が……あるな……。元の……男の体には……なかったものが……、この……女の体には……あるから……」
風太はそう言いながら、自分の胸を見降ろした。
お椀みたいな形をした、柔らかい二つのふくらみ。体を動かすと、パジャマに素肌が擦れ、胸にある双丘の存在感が手で触れなくても伝わってくる。その度に、自分がもう女子であるということを、強く思い知らされる。男子だったころ、そこにあったのは平坦な胸板だった。
「入れ替わった直後だから、強く意識してしまうんだろうね。そのうち馴れて……いや、馴れたらダメか」
「そうだ……。この……違和感……は……、あっても……良いもの……だと……思う……。自分が……男だって……ことを……忘れない……ための……。おれが……おれで……ある……証拠……だ……!」
「フフッ、ずいぶん前向きなことを言えるようになったね。初めて出会ったころとは、まるで違う顔をしてるよ。今のキミは」
「安樹と……おれが……初めて……出会った……ころ……?」
「そうさ。あの時のキミは、どこか不安げで悲しげで……今にも泣いてしまいそうな顔だった。心に闇を抱えていて、生きるのが辛そうな少女だった」
「でも……、おれは……変われた……。お前に……救われたんだ……! 安樹が……いなかったら……、美晴と……仲直り……なんて……絶対……できなかったし……、おれは……今も……ひとりぼっち……だった……ハズだ……! 全部……お前の……おかげだ……!」
「ははは。嬉しいこと言ってくれるね」
安樹は笑ったが、それは心からの笑顔ではなかった。嬉しいと言いながら、喜びの感情を込めていない。ただの乾いた笑いを、口から出しただけ。
(ボクは……)
本当は、風太に変わってほしくなかったのかもしれない。救われてほしくなかったのかもしれない。ただ、同じ境遇にいる女として、傷の舐め合いがしたかっただけ……なのかもしれない。
安樹は、もう風太が自分と同じ空気を纏っていないことに、やっと気が付いた。
「ねぇ、風太。話があるんだ」
バカなことをしたもんだ。と、愚かな自分に自嘲する。救いたくなかった相手を、救ってしまったのだ。
それでもいいじゃないか。と、開き直る。救われた相手は、自分に心から感謝をしてくれている。「愛」や「性」は歪んでしまったかもしれないが、人としてお前は決して歪んでいないと、彼が教えてくれている。
そう思うことで、菊水安樹は口元に笑みを浮かべることができた。心にほんの少し、余裕が生まれた。
「ボク、しばらく学校を休もうと思う」
なんとか、風太に伝えられた。
「えっ……」
「学校を休む。不登校になるんだよ」
突然の知らせに、風太は戸惑っていた。それがなんだか可笑しくて、安樹はクスクスと笑った。
「安……樹……?」
「フフッ。キミに会えなくなるのは、少し寂しいけどね」
「ど、どうして……だ……!? どうして……急に……そんなこと……!」
「休むことを決めた理由なら、三つある。一番大きな理由を言うと……単純に、疲れたからさ」
「つ、疲れた……から……!?」
「そう。最近のボクは、がんばりすぎた。キミのために奔走したことはもちろん、6年3組の教室でみんなと一緒に授業を受けたり、プチ子っていう新しい友達を作ったり……元引きこもりとしては、そろそろ体力の限界だよ。だから、しばらく家でぐっすり眠りたいんだ」
「おれの……ために……。そうだ……、おれは……安樹に……たくさん……迷惑を……かけてたんだ……」
「フッ、反省はしなくていい。たしかに疲れたけど、それ以上に毎日が楽しかった。だからボクは、キミからもらった幸せな想い出を抱いて眠るつもりだよ。もう辛いことなんて何もない」
「安……樹……」
安樹が見せた澄ました笑顔に、風太はなんとなく安心を覚えた。不登校になると宣言してはいるが、気持ちは前向きで、そこに悲壮な感情はないようだ。
「そして、二つ目の理由は……自分を見つめ直す時間がほしくなったからさ」
「自分を……見つめ直す……?」
「風太は変わった。ボクの目の前で、大きく成長したんだ。今のキミは、『美晴』ではあっても、もう以前と同じ『美晴』ではない」
「よく……分からない……な……。おれは……おれ……だぞ……」
「フフッ、自分では気付かないものだよ。風太の成長を見届けて、雪乃には慄き、美晴には負けたんだ。ボクは」
「そんな……こと……」
「いいんだ。キミたち3人に影響を受け、ボクは自分の弱さを実感することができた。……はっきり言おう。いつまでも怠惰な臆病者のままじゃ、ボクはキミから置いてかれる」
「そっ、そんな……こと……絶対に……しない……! おれは……今のお前……でも……充分……だと……思ってる……!」
「風太、それは優しさじゃない。甘いだけなんだよ。自分はどんどん先に進んで行くくせに、キミは友達に甘すぎるんだ。ボクはね、キミを支える人、キミの隣に立つ人、キミと一緒に心から笑っていられる人に、なりたいんだよ。そのために必要なのは、弱さも甘えも捨てることだ」
「難しい……こと……言うなよ……。よく……分からない……ってば……」
「だが、ボクは幸運さ。雪乃や美晴より先に、それに気付けた。だから学校を休んで、自分のペースで成長していこうと思うんだ。いつか風太には、立派になったボクの姿を見てほしい」
「じゃあ……、もう……お前とは……しばらく……会えないのか……?」
「ううん。いつでも電話して。会いたくなったら会いに来て。はい、ボクの携帯の電話番号」
「なんだよ……それ……! ちょっと……カッコいいなって……思ったのに……!」
風太はイラッとしながら、安樹の電話番号が書いてある紙を受け取った。
「あくまで努力目標さ。志は高く、だよ。もしボクが寂しくなった時は、ひざまくらをしてもらうからな」
「言ってる……こと……が……めちゃくちゃ……だ……。ひざまくら……は……甘え……なんじゃ……ないのか……?」
「甘えじゃないよ。友達同士の、普通のコミュニケーション♪」
「まあ……、いいけど……さ……」
結局、安樹との関係は、これからもあまり変わりなさそうだ。風太は肩をすくめて呆れの態度を示したが、安樹が「ふふんっ♪」と嬉しそうに笑うのにつられて、思わずぷふっと吹き出してしまった。
「さて、三つ目の理由を話そうか」
「なんだよ……。まだ……あるのか……?」
「ここからは真面目な話。ボクは不登校の子として、キミの『逃げ道』にもなりたいと思ってる」
「おれの……逃げ道……?」
安樹はキャスケット帽をとり、手ぐしで軽く髪を整えた後、もう一度帽子を深く被り直した。
「キミは、これから美晴へのイジメと戦うつもりなんだろう?」
「ああ……! おれが……やるんだ……!」
「キミは強くなった。それはボクも認めてる。だから、もう引き止めはしないけど……心配はしている」
「心配……?」
「これから先、何が起こるかは誰も分からないからね。イジメと呪いが最悪に重なって、キミは全てを失うかもしれない。自分の居場所を失って、人生の底に堕ちると、人は命を絶つことを考える」
「命……」
「ボクの経験上の話だけどね。だから、もしキミがそうなった時は、不登校のボクがいることを思い出してほしい」
「安樹……を……?」
「ボクに会いに来て。気が済むまで、慰めてあげるから。キミと一緒に戦うには、まだ体力が足りないけど、本当に辛いときの逃げ道にはなってあげられる。お願いだから、簡単に命を捨てる覚悟は決めないで」
「そういう……こと……か……。分かった……! 逃げるっていう……ことも……大事だって……覚えておく……! おれには……安樹が……ついてる……!」
「そうさ。ボクは、キミだけの天使になってみせるから!!」
「えっ……」
安樹は、言葉の勢いに任せて、「キミだけの天使になってみせるから!」と、ものすごく熱のこもった声で言った。
あまりにも真剣で迫力のある安樹のそのセリフに、風太は「うわっ。なんか、ミュージカルの演技みたいだなぁ」と心の中で思ってしまい、思わず、冷めた気持ちの状態で「えっ……」とマヌケな返答をしてしまった。
「……」
「……」
二人で、無言のまま見つめ合った。突然、誰かがおならでもしたかのような、緊張感が漂っている。
時計の秒針が進むごとに、安樹の顔は赤くなっていった。どんどん赤くなり、ワナワナと震えだし、最終的には頭から煙が吹き出した。
「恥ずかしいっ……!!! 恥ずかしいじゃないか、風太っ!! ボクに恥をかかせるなっ!!」
「ごめん……」
「今、なんでノッて来なかったの!? いつもカッコつけたことばっかり言ってるくせにっ!!!」
「れ、冷静に……なっちゃって……」
「冷静になるなバカっ! 風太のバカっ!! あーーーーっ、恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいーーーっ!!」
「勇気は……もらえた……よ……。あ、ありがとう……な……。天使……さん……」
「うわあぁ、バカにしてるっ!! 分かってるもんっ!! 今のは、自分でもちょっと恥ずかしいこと言ってるなって!! でも、風太ならノッてくれると思って!!!」
「う、うん……。いつも……なら……、すぐ……同じ……テンションに……なれたんだ……けど……、まだ……ちょっと……調子悪い……みたいで……さ……」
「くうぅっ……思わぬ裏切りだ!! 風太に裏切られたっ!! ボク、もう家に帰るっ!! 一生引きこもってやるーーーっ!!」
「あっ……! ま、待てっ……!」
風太に待てと言われたので、安樹は立ち止まった。それはもう、部屋を飛び出そうとする寸前だった。
「何!? ボク、もう帰りたいんだけどっ!!」
「いや……、ちゃんと……お別れ……くらいは……言っておきたい……と……思って……! しばらく……学校では……会えない……なら……」
「そんなのいらないよっ! 今生の別れでもないのにっ!! じゃあ、またねっ!!」
「安樹……」
「ああ、恥ずかしい恥ずかしいっ!! ほら、風太からもお別れの言葉を言ってよ!! ほらほら、早く早くっ!!」
「あっ、う、うん……! 安樹……と……一緒にいる……時間は……とても……楽しかった……。これからも……ずっと……親友で……いたいと……」
「ああもうっ! 長い長いっ! 遅いんだよ!! どれだけ待ってればいいのっ!!」
「だ、だって……! この……美晴の声……だと……あまり……早く……しゃべれないんだよ……! 今だって……割と……早口……で……しゃべってるのに……!」
「チッ! じゃあ、もういいや。何も言わなくていいよ。そこでじっとしてて。目をつぶって」
「えっ……!? う、うん……」
安樹に言われるがまま、風太はその場でじっとしていた。何の疑問も抱かず、まったく抵抗もせずに、その指示に従っていた。ごく自然に、スッとまぶたを降ろす。
「はぁ……。ボクがこれからやること、誰にも言わないでね? 恥ずかしいついでなんだから」
視界は真っ暗だが、声は聞こえる。人の気配も、ほんのり感じる。
安樹が近くに立っている。次第に大きくなる足音に耳を傾けると、その距離がどんどん短くなっていくのが分かる。一歩ずつ、ゆっくりと……。
「美晴とか、雪乃とか……。キミの周りには、面倒くさい女の子がたくさんいるんだな。まぁ、ボクもその一人だから、覚悟しておいてね」
そして風太は、最後にこのセリフを、小さな吐息がかかるくらいの距離で聞いた。
「今はまだ……ほっぺたで我慢しておこうかな」
────────
────
──
* *
時刻は、そろそろ夕方の5時になるという頃。
場所は、とある大病院の入院患者のための部屋、308号室。窓ガラスを通り入ってきた夕陽が、その部屋全体を、鮮やかなオレンジ色に染め上げている。
「また来るね。お母さん」
返事はない。「お母さん」は、ベッドで静かに眠っている。
不安を抱えながらも、その少年は部屋を出た。彼の名前は『二瀬風太』……つまり、現在の戸木田美晴だ。そして、ベッドで眠っている女性の名は戸木田望来。美晴のお母さんである。
数日前、過労により倒れた望来は、この大病院に運び込まれた。幸い、意識はすぐに戻ったものの、検査の結果、今度は臓器に異常が見つかり、しばらくの入院を余儀なくされた。命に別状はないと診断されたことで、現在は望来も落ち着いて自分の病体と向き合えているが、無茶な生活を続けた反動は、未だ大きいようだ。
望来の娘、美晴は看病を続けた。リンゴを剥いてあげたり、キレイな花を持っていったり、娘として母親にできることは何でもやった。風太と入れ替わって他所の息子となってからは、望来の寝顔を見ながら、元気になれるようなメッセージを置き手紙に残した。
「風太くんにも、わたしのお母さんが入院してること、ちゃんと伝えた方がいいよね……」
学校で陰口を言われても、ひどい嫌がらせを受けても、母親の前では絶対に悲しい顔を見せないでおこうと、美晴は固く心に誓っている。その誓いは、きっと風太も賛同し、協力してくれるはずである。
「大丈夫。わたしはもう大丈夫だよ。お母さん」
もう独りじゃない。そう思うと、気持ちはいくらか楽になっていた。あとはお母さんが元気になって、無事に退院してくれれば……。
『戸木田望来って名前の女だ。病室を教えてくれ』
大人の男性の声。さっき通り過ぎたナースステーションで、受付の看護師に向かって、一人の男がそう言った。その男が口にした名前は……「戸木田望来」。
「えっ!?」
美晴は耳を疑った。その男が言ったのは、お母さんの名前だ。美晴にとって、この世の全てにおいて何より大切な、大好きなお母さんの名前を、その男は言ったのだ。
美晴は振り向き、看護師と話す謎の男の姿を確認した。
『とりあえず、見舞いってことでいいか。果物でも買ってくれば良かったな』
「わたしの……お父さん……!?」
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