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第二章 風が運んできたものは?

小さくて大きな変化

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 部屋に到着し、小さくノックを二回すると、中から人の気配がする。
 優しくドアを開けると、そこには矢島先輩が優雅にお茶を飲んでいた。

「お? ヒナちゃん、お疲れ様!」

「お疲れ様です。先日はありがとうございました」

「いやいや、私たちこそ、ごめんなさい急にいなくなって」

 原因までは聞かないでおこう。なんとなくだけど、理解できてしまう。

「あれ? 一関先輩は?」

 いつもなら、部屋に入ると開口一番に意味不明な言葉を投げかけてくれる人がいない。
 私の疑問に対し、一瞬体をビクっとさせた先輩は、お茶をすすり口笛を吹き始めた。

「さ、覚はねぇ、ちょっと具合が悪いみたいで、今日はお休みなんだぁ」

 アハハ……と、渇いた笑いをする矢島先輩。それだけ強烈、ではなく、強力だったのだろうか? 何がとは言わない。 

 ソファーに腰を降ろし、今日の活動内容を決めようとしていると、不意にドアが開いた。

「すみません! 遅くなりました‼」

 どうやら、今日の話題の人物が現れたようで、お茶を飲んでいた先輩も固まっている。

「え、えっと、誰?」

「誰って、僕ですよ。僕」

 ぎこちなく笑ってアピールしてみると、先輩はポンと手を叩いた。
 
「もしかして、イオくん?」

「なんで疑問形なんですか、そうですよ伊織ですよ」

「おぉ! やっぱり、初めからそうだと思っていたんだよね! どうしたの? その、えっと前髪」

「もしかして、変ですか?」

 一気に心配そうな表情に変わってしまう。
 
「変⁉ 変なわけないじゃん、カッコよくて驚いているんだよ。凄いじゃん! まさか、こんな隠し技をもっているとは、やるなお主」

 何故か悪代官のような口調で話しだした先輩、どうやら、驚いてはいるようだが、純粋に彼を誉めてくれた。

「そうですか? ありがとうございます。なんか、変わろうって思いまして、できることからって、思ったら、美容室に行ってました」

 生き生きと話し出した良かった。少しづつだけど、自信につながっている。
 扉から陰になっている位置に座っている私に気が付いていないようで、今日は私から声をかけることにした。
 ちょっと、いや、なんだかくすぐったい感じがするが、深呼吸を心の中で一回行い、言葉を出していく。

「お疲れ、い、くん……」

 私の声に反応し、こちらを向くと、少し固まる。
 あら? まだ名前で呼ぶのは早かったかしら?

「え、えぇっと、ひひひ、陽さん、お疲れ様です」

 今までの自信がある態度から一変、急にしどろもどろになり、挨拶を返してくれた。

「んん? えぇぇぇ! ズルい、ズル過ぎる!」

 私たちのやり取りを見ていた矢島先輩が、唐突に声を発した。

「ねぇ、なんで二人とも急に下の名前で呼び合っているの? ちょっとぉ、それなら、私たちも下の名前で呼んでよ!」

 ぷんぷんと不機嫌になる先輩、確かに今まで苗字で呼び合っていたのが、週があけて変わっていると驚くであろう。
 
「す、すみません、えっと、特別な意味はないのですが、不快にさせて申し訳ないです」

 謝る伊織くん、私も立ち上がって先輩に近づき、頭を下げた。

「ごめんなさい、でも、すねないでくださいよ告先輩」

 私がこういうと、今まで怒っていた人の顔に笑顔が戻る。
 単純な性格と言えばそうだろうけど、そんな素直なところも先輩の大きな魅力の一つでもあると思えた。

「よっしOK……? ん? でも、待って? なんで急に?」

 ぼそぼそと何かを呟きだした告先輩、あのときの出来事は、私たちだけの秘密。
 その秘密を共有できたからこそ、小さな変化ではあるが、一歩踏み出せたと思う。

 未だに、隣では私を横目でチラチラと確認してきては、目をあわせてくれない彼、でも、その顔の前には遮るものは何も無かった。

「ま、いっか、それより、本日の活動なんだけど」

 途中で考えると事やめ、やっと研究会らしい活動が開始された。
 内容は『吊り橋効果』についての具体的な検証で、本当に、これで恋は成立するのかという、議題であった。
 
 正直、これを真面目に考えてどうなるのかわからない。
 だけど、目の前で真剣に資料を広げて説明を始めてくれる先輩がいるので、耳を傾けることにした。

 しばらく『吊り橋効果』なるものに対し、色々と説明や先輩の意見を聞いてみたが、思ったよりも楽しかった。
 自分の知らない世界の知識を得るというのは、嫌いではない。
 えっと、学園の勉強に限り得意不得意はもちろん存在する。

「おもしろかったです」

「そう? よかった。 今度、誰からか相談を受けたときは、是非ともチャレンジしてみたいわね」

 ルンルン♪ と、上機嫌で片付けにはいり、帰宅の準備を始める。
 研究会は部活動と違い、あまり予算が無いため、電気代などの節約のため、帰宅時刻が設けられている。
 
 事前に申請すれば、延長も可能だが普段はあまり行ってはいない。
 
「それじゃぁ気をつけてね!」

 地元組の先輩は、自転車に乗って駅とは反対方向へ走っていく。
 私たちも駅を目指して歩き始めた。

 百メートルほど歩くと、伊織くんが声をかけてきた。

「その、ありがとう」

「何が? 主語が無いとわからないだけど」

 本当にお礼を言われる理由がパッと思い浮かばない。 彼は、私の何に対しお礼を述べているのだろう?

「名前で呼んでくれて……」

 私から二歩半ほど離れて、隣を歩いていた彼が頬を染めながら伝えてくる。
 感謝されることなのか? そう思っていると、半歩ぶんこちらに寄って顔を向けてくれた。

 その顔は、くしゃりと歪み、瞳は潤んでいる。
 
「受け入れてくれた感じがしたんだ。僕が勝手に名前を呼びたいって思って呼んだら、放課後になって陽さんも返してくれた」
  
 まだ呼びなれない下の名前が聞えるたびに、くすぐったい気持ちになる。
 なんだか、不思議……もっと、自然になれる日はすぐにくるのだろうけど、この不思議を感じられる期間は少ししかない。

 当たり前が、当たり前でなくなるとき、次の当たり前が現れる。
 その僅かな狭間を今、私たちは歩んでいた。

 いつもより、近く感じた駅までの距離、別れてから電車が到着するまでの間に聴いた曲は、私にしては珍しく、夜の歌だった。

 

 
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