貴方色に染まる

浅葱

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本編

67.合不来

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 中秋の行事の目玉ともいえる白虎と花嫁のお目見えが済んだ後も人々はなかなか前門の前から動かなかった。大分時間が経ってからやっとちらほらと動きだし、ほとんどは近くの食べ物屋の中へ消えていく。あぶれた者たちは屋台街まで移動し、そのまままっすぐ帰宅する者はほとんどいないようだった。
 紅児ホンアール紅夏ホンシャーに促され、やっと胸を押さえたまま個室に戻る。
 するとちょうどよく給仕がお茶とお茶菓子を持ってきた。

「四神と花嫁様からの”加護”でございます」

 満面の笑みで告げられたお皿の中身は、おそらく先程群衆に向かって投げられていたと思われる小さな月餅だった。
「わぁ……」

 感動して紅児は声を上げる。

「……あの……この店のお客様には全て……?」
「はい、全てのお客様にといただいております」

 疑問に思って聞くとすぐに答えが返ってきた。
 給仕が去った後も、紅児はなかなか月餅に手を伸ばすことができないでいた。なんだか食べるのがもったいなく思えた。

「……もしかして、この辺りの店では全部こうしていただけるのでしょうか……」
「おそらくそうだろう」
「すごい……」

 茫然と紅児は呟いた。
 月餅の下に紙が敷いてある。そっと手を伸ばし月餅を片手で取り上げその紙を見た。なにやら書いてある。

「これ、なんでしょうか?」
「……ふむ。店の名前ではないだろうか」
(店の名前?)

 この店の名前ではなさそうである。とすれば、おそらく月餅を作った店の名前だろうか。

「すごい……」

 紅児に流れる商人の血が騒いだ。
 村でも月餅は手に入ったがこんなに小さい物は見たことがないことから、おそらく特別に作ったのだろう。そしてそれを販売または提供した店の名前を包み紙に書きいれることによって後日も別のお菓子などの消費を促すねらいがある。
 これは明日花嫁に詳しく聞かなくてはと紅児は思った。
 そしてそんな彼女を紅夏がいつまでもほおっておくわけがない。

「……今宵は楽しめたか?」

 彼の声音に、紅児はビクリとする。文字通り空気に色がついたような感覚があった。

「あ、ハイ……」

 まずい、と紅児もさすがに思う。せっかく紅夏と2人でいるのに考えていたのは花嫁のことばかり。けっこう、いやかなり紅夏は嫉妬深い。

「あの……紅夏様……」
「なんだ?」

 クイ、と顎を持ち上げられる。そんな色をふんだんに含んだ眼差しを向けないでほしい。

「今日は……連れてきてくださって……ありがとうございまし……っ……!」

 もう黙れとばかりに唇を塞がれる。紅児は彼の着物の衿をぎゅっと握り、諦めたようにそっと目を閉じた。


 その夜、紅児はあまり寝かせてもらえなかった。
 それは、紅夏と一緒にいる時はできるだけ他のことに気をとられないようにした方がいいという教訓を紅児に与えた。

 そして中秋節の行事が終り、しばらくはまだ忙しいが平穏な日々が訪れる……はずだった。


 前門で民衆の前に姿を見せた後、白虎と花嫁は中秋の宴と称する少々堅苦しい宴会に出席した。それほど長くはいなかったようだが、それまでいろいろ準備をしていたこともあり翌日は疲れているはずである。なので四神宮に勤める者たちも昼までは休んでもいいと事前にお達しがあった。
 もちろん自主的に起きだして仕事をするのは自由である。
 紅児も少し甘えさせてもらって朝食の後ゆっくりさせてもらった。昼食前に花嫁の部屋を掃除しようと向かうと、何故かすでに黒月が部屋の前にいた。

(……え?)

 黒月が花嫁の部屋の前にいるということは……。

「……おはようございます、あの……」

 戸惑いながらも声をかけると、

「おはよう。昨夜はこちらでお休みになられたのだ」

 そう教えてくれた。紅児はほっとする。

「では、いつも通りにさせていただいても?」
「……まだ起きていらっしゃらないだろう」
「ありがとうございます」

 黒月との会話は必要最小限だ。余計な話をしなくて済む代わりに己で察しなければならないこともある。
 部屋に入り紅児はいつも通り他の部屋付きの侍女と共に部屋の掃除やいろいろ準備をした。あとは花嫁が起きてくるのを待つばかりである。そういえば延の姿がないことから、今日も皇太后のところに行っているのかもしれないと紅児は思った。
 そうしているうちに寝室の方から何やら話し声が聞こえてきた。どうやら花嫁が起きたようである。
 1人で眠ったわけではないらしい。
 それ以前にこの部屋で花嫁が朝を迎えたことなどあっただろうか。紅児は記憶を探ったが一度もなかったように思えた。
 いったいどうしたというのだろう。
 しばらくして部屋の扉が開く。
 食べ物のおいしそうな匂いがした。今日はこちらで朝食だか昼食をとられるらしい。
 卓の準備をし、お茶をすぐに入れられるように整えると寝室から玄武に抱かれた花嫁が現れた。

「……おはよう……」

 まだなんだか眠そうである。その気だるげな様子に紅児は思わず目を伏せた。
 なんというか、非常に色っぽいのである。
 普段の表情や言動は全く色気とは程遠いと思われるのだが、ふとした瞬間に色香を感じる。今朝はもう女の紅児でもくらくらしそうな色気だった。

(……何、これ……?)

 料理を運んできた侍女たちの後ろから侍女頭である陳が入ってき、はっとしたような表情をした。

「貴方たち、ここはいいから置いていきなさい。紅児、貴方も下がっていいわ」
「……はい

 どうしてなのかわからなかったが、陳の厳しい声にみな従った。花嫁の部屋を出た侍女たちは一様に頬を染めていた。

「……ねぇ、花嫁様って……」
「やっぱり……なんだか、ねぇ……」

 みなもじもじしながら四神宮を出ていく。やはりおかしいと思ったのは紅児だけではなかったようである。
 そういえば以前にもこのようなことがあった。きっとなのだろうが、心臓に悪いとも紅児は思う。
 思ったよりも早めに休憩時間になってしまったので、紅児は一旦大部屋に戻ることにした。最近あまり用意された部屋にいない気がする。
 たまには1人でのんびりしようと思っていたがそれはかなわなかった。大部屋の近くで紅夏に会ってしまった。

「あ……紅夏様……」

 紅児は思わず頬を染めた。そうして少し、ほっとした。
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