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本編
21.香味
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幸い、と言おうかその日の朝目覚めた時の紅児の格好は、意識を失った時と同じだった。
しかしがっちりと逞しい腕の中に捕えられていることには少し閉口した。こっそり出ていくということが不可能だったから、紅児は仕方なく赤い髪の主に声をかけた。
「紅夏様、起きてください……」
「ああ、起きたか」
声をかけた途端にしっとりとしたテナーが耳元をくすぐり、紅児はぴきーんと固まった。
「紅、紅夏様……」
「そなたはよく寝るのだな。まぁ、人はそんなものかもしれぬが……」
顔がみるみる熱を持つのを紅児は感じた。紅夏の声は甘く、首の後ろを震わせる威力があった。それが背骨を辿り腰に到達すると、甘い痺れが広がる。
朝から耳元でそんな魅力的な声を出さないでほしかった。
「紅児、そなた休みはないのか?」
「あ、あああありません!」
「そうか……」
その声にいくばくかの落胆を感じて紅児は微かに身を震わせた。
(休みがあったら一体どうするつもりなの!?)
自意識過剰と言われてもいい。それぐらい今の紅児は紅夏を意識していた。
2週間後に春の大祭がある。それまで養父はいるらしいので、その後村に帰るという日に休みを取るつもりだった。だから他の日にわざわざ休みを取るという発想自体が紅児にはなかった。
「そなた昨夜我が言ったことは覚えておるな?」
「……は、はい!」
まだ体をがっちりと捕えられた状態で言われ、紅児は反射的に答えた。
(昨夜……昨夜……)
しかしいつどうしてここで寝たのかも定かではない。紅児は目を泳がせた。
ここで「何でしたっけ?」等と言おうものならとても危険なことが起こりそうな気がする。必死で考えていると更にきつく抱きしめられた。
「……覚えておらぬのか」
ただでさえ体が反応してしまうテナーに不穏なものが混じる。ここで覚えていると嘘をついた方がいいのか、それとも正直に覚えていないと答えた方がいいのか紅児にはわからなかった。
どうしよう、どうしようと焦っていると耳元で嘆息された。
「……ではもう1度言おう」
(えええええ。なんか嫌な予感がするので言わなくていいです。言わなくていいですーーー!!)
「紅児、そなた我の妻になれ」
そういえばそんなとんでもないことを言われて紅児は寝てしまったのだった。また意識を失ってしまいたかったが、すでによく寝た手前そんな都合のいいことが起こるはずもなく、紅児は朝から泣きそうになった。
「返事は急がぬ。……だが花嫁様が決めたならそなたを連れていく」
「え……」
(決定事項なのそれ?)
返事は急がないというのとそれは矛盾していないだろうか。しかももし花嫁が早めに誰に嫁ぐか決めた場合、紅児は未成年のまま紅夏に嫁ぐということになるのか。
「あの……私、まだ成人してないのですが……」
かろうじてそう言うと、紅夏は一旦体を離した。そしてじっくり紅児を眺め、今度は首筋に顔を埋めた。
「紅、紅夏様!?」
クン、と紅夏は紅児の香りを嗅ぐ。
「……女の匂いはするが、それでも未成年なのか?」
紅児は頭が真っ白になった。
パーンッ!
「し、信じられない!」
咄嗟に手が出て、紅児は紅夏の頬を派手に引っ叩いた。
「紅児?」
不思議そうな面持ちで伸ばされる腕を避け、床から降りると急いで部屋から出た。大部屋に駆け戻ると、驚いた顔の侍女たちに迎えられた。
「どうしたの?」
「もしかして……ひどいことを?」
「ああ、なんてこと!」
「大丈夫、どこか痛いところはない? 恥ずかしがることはないのよ?」
みなに心配されて、紅児はやっと自分の頬が濡れていることに気付いた。どうしてか王都に来てから泣いてばかりである。
「……いえ、大丈夫、大丈夫です……」
仕事を休んでもかまわないとみなに諭されたが、休んだところですることもない。せいぜい昨夜から紅夏にされたことや言われたことで頭をぐるぐるさせるだけである。それならば仕事をしていた方が気が紛れるし、もしかしたら誰かに意見を聞くことができるかもしれないと紅児は思う。
もうあまり時間がなかったのでばたばたと支度を済ませ食堂に行く。
その日も紅夏の姿はそこここで見かけたし、声もかけられそうになったが侍女たちが守ってくれた。だから紅児は少し冷静になって紅夏が言ったことを考えることができた。
(女の匂いって何かしら?)
王城に来てから知らない単語ばかり耳にする。
そう言われた時、処女ではないだろうと言われたように思えた。
本当は紅夏に問いただした方がいいのだろうが、また昨夜のようなことになってもかなわないので侍女頭である陳に相談することにした。
紅児から陳に声をかけると、彼女はほっとした表情をした。
おそらく昨夜のことはすでに耳に入っているのだろう。
「……女の匂い? そう言われたの?」
「はい、意味は全くわからないのですがなんだかとても嫌なかんじがして……」
陳は少し考えるような顔をした。
そして前後の話を問われたので覚えている限りで話すと、陳は額に手を当てた。頭が痛くなったようである。
「……思い当たるところはあるけれど、本当にそうなのかはわからないから白雲様に確認してみましょう」
(眷族だったらわかるものなのかしら?)
異存はないので紅児は頷いた。
結局その日はもやもやしながら仕事を終え、みなに守られるようにして就寝時間まで過ごした。
(本当は自分でどうにかしなければいけないのに……)
いろんな人の手を煩わせている自分が情けないと紅児は思う。
朝カッとならないで、冷静にどういう意味かと紅夏に聞き返せばこんな時間までぐだぐだと考えることはなかったかもしれない。
(勝手に騒ぎ立てて……バカみたい……)
暗くなった部屋の中で紅児は耳を塞いだ。
明日になったら自分で聞こうと紅児は思う。
どうしていきなり「妻になれ」なのか。紅児のどこが紅夏の琴線に触れたのか。そして「女の匂い」という言葉の意味も。
しかし事はそれほど簡単にはすまなかったようだ。
紅児が紅夏の部屋に連れ込まれたという話は侍女たちによって四神宮中に広まっていたし、紅夏からの不穏な発言は、その時すでに花嫁に知られてしまっていたのである。
しかしがっちりと逞しい腕の中に捕えられていることには少し閉口した。こっそり出ていくということが不可能だったから、紅児は仕方なく赤い髪の主に声をかけた。
「紅夏様、起きてください……」
「ああ、起きたか」
声をかけた途端にしっとりとしたテナーが耳元をくすぐり、紅児はぴきーんと固まった。
「紅、紅夏様……」
「そなたはよく寝るのだな。まぁ、人はそんなものかもしれぬが……」
顔がみるみる熱を持つのを紅児は感じた。紅夏の声は甘く、首の後ろを震わせる威力があった。それが背骨を辿り腰に到達すると、甘い痺れが広がる。
朝から耳元でそんな魅力的な声を出さないでほしかった。
「紅児、そなた休みはないのか?」
「あ、あああありません!」
「そうか……」
その声にいくばくかの落胆を感じて紅児は微かに身を震わせた。
(休みがあったら一体どうするつもりなの!?)
自意識過剰と言われてもいい。それぐらい今の紅児は紅夏を意識していた。
2週間後に春の大祭がある。それまで養父はいるらしいので、その後村に帰るという日に休みを取るつもりだった。だから他の日にわざわざ休みを取るという発想自体が紅児にはなかった。
「そなた昨夜我が言ったことは覚えておるな?」
「……は、はい!」
まだ体をがっちりと捕えられた状態で言われ、紅児は反射的に答えた。
(昨夜……昨夜……)
しかしいつどうしてここで寝たのかも定かではない。紅児は目を泳がせた。
ここで「何でしたっけ?」等と言おうものならとても危険なことが起こりそうな気がする。必死で考えていると更にきつく抱きしめられた。
「……覚えておらぬのか」
ただでさえ体が反応してしまうテナーに不穏なものが混じる。ここで覚えていると嘘をついた方がいいのか、それとも正直に覚えていないと答えた方がいいのか紅児にはわからなかった。
どうしよう、どうしようと焦っていると耳元で嘆息された。
「……ではもう1度言おう」
(えええええ。なんか嫌な予感がするので言わなくていいです。言わなくていいですーーー!!)
「紅児、そなた我の妻になれ」
そういえばそんなとんでもないことを言われて紅児は寝てしまったのだった。また意識を失ってしまいたかったが、すでによく寝た手前そんな都合のいいことが起こるはずもなく、紅児は朝から泣きそうになった。
「返事は急がぬ。……だが花嫁様が決めたならそなたを連れていく」
「え……」
(決定事項なのそれ?)
返事は急がないというのとそれは矛盾していないだろうか。しかももし花嫁が早めに誰に嫁ぐか決めた場合、紅児は未成年のまま紅夏に嫁ぐということになるのか。
「あの……私、まだ成人してないのですが……」
かろうじてそう言うと、紅夏は一旦体を離した。そしてじっくり紅児を眺め、今度は首筋に顔を埋めた。
「紅、紅夏様!?」
クン、と紅夏は紅児の香りを嗅ぐ。
「……女の匂いはするが、それでも未成年なのか?」
紅児は頭が真っ白になった。
パーンッ!
「し、信じられない!」
咄嗟に手が出て、紅児は紅夏の頬を派手に引っ叩いた。
「紅児?」
不思議そうな面持ちで伸ばされる腕を避け、床から降りると急いで部屋から出た。大部屋に駆け戻ると、驚いた顔の侍女たちに迎えられた。
「どうしたの?」
「もしかして……ひどいことを?」
「ああ、なんてこと!」
「大丈夫、どこか痛いところはない? 恥ずかしがることはないのよ?」
みなに心配されて、紅児はやっと自分の頬が濡れていることに気付いた。どうしてか王都に来てから泣いてばかりである。
「……いえ、大丈夫、大丈夫です……」
仕事を休んでもかまわないとみなに諭されたが、休んだところですることもない。せいぜい昨夜から紅夏にされたことや言われたことで頭をぐるぐるさせるだけである。それならば仕事をしていた方が気が紛れるし、もしかしたら誰かに意見を聞くことができるかもしれないと紅児は思う。
もうあまり時間がなかったのでばたばたと支度を済ませ食堂に行く。
その日も紅夏の姿はそこここで見かけたし、声もかけられそうになったが侍女たちが守ってくれた。だから紅児は少し冷静になって紅夏が言ったことを考えることができた。
(女の匂いって何かしら?)
王城に来てから知らない単語ばかり耳にする。
そう言われた時、処女ではないだろうと言われたように思えた。
本当は紅夏に問いただした方がいいのだろうが、また昨夜のようなことになってもかなわないので侍女頭である陳に相談することにした。
紅児から陳に声をかけると、彼女はほっとした表情をした。
おそらく昨夜のことはすでに耳に入っているのだろう。
「……女の匂い? そう言われたの?」
「はい、意味は全くわからないのですがなんだかとても嫌なかんじがして……」
陳は少し考えるような顔をした。
そして前後の話を問われたので覚えている限りで話すと、陳は額に手を当てた。頭が痛くなったようである。
「……思い当たるところはあるけれど、本当にそうなのかはわからないから白雲様に確認してみましょう」
(眷族だったらわかるものなのかしら?)
異存はないので紅児は頷いた。
結局その日はもやもやしながら仕事を終え、みなに守られるようにして就寝時間まで過ごした。
(本当は自分でどうにかしなければいけないのに……)
いろんな人の手を煩わせている自分が情けないと紅児は思う。
朝カッとならないで、冷静にどういう意味かと紅夏に聞き返せばこんな時間までぐだぐだと考えることはなかったかもしれない。
(勝手に騒ぎ立てて……バカみたい……)
暗くなった部屋の中で紅児は耳を塞いだ。
明日になったら自分で聞こうと紅児は思う。
どうしていきなり「妻になれ」なのか。紅児のどこが紅夏の琴線に触れたのか。そして「女の匂い」という言葉の意味も。
しかし事はそれほど簡単にはすまなかったようだ。
紅児が紅夏の部屋に連れ込まれたという話は侍女たちによって四神宮中に広まっていたし、紅夏からの不穏な発言は、その時すでに花嫁に知られてしまっていたのである。
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