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パラサイト

セクメト

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 空から…恐怖の大王が降ってくる……


  それは、大気に乗ってやってくる虫や細菌の話なのだろうか?

  私は、地下室にあった『砂金』のブックカバーを思い出す。

  翅を広げ飛び立つ蝉…

  温暖化により、生息域が変わる生物…




  「そう言えば…太陽が膨張すると言う説が近年、発表されたのは知ってるか?」
太田が『私』に話しかける。
「ジェームズ・ジーンズ氏の説でしたか?」
『私』は、そう呟きながら、1924年英国の数学者が発表した説を眉を潜めて疑っていた。

「ああ、太陽は膨張し、アルプスの氷河を溶かし、やがて、全てを砂漠に変えて行く…。
  エジプトを…そうしたようにね。」 
太田の話を、『私』はおとぎ話のように聞いていた。
  
  しかし、それは子供に聞かせるような、穏やかな話ではない。
  ヒエログリフは語る。

  かつて、エジプトの大地が水と植物に溢れ、蓮の神ネフィルトゥムが包んでいたことを。

  しかし、近年(いま)ではその面影もなく、砂の中に埋もれてしまった。

  太田は話を続ける…

  「ネフィルトゥムと言う蓮の神は蓮の蕾に包まれたタマオシコガネの化身だ。」

  タマオシコガネ…それはスカラベの事だ。
  
「温暖で肥沃な大地と豊かな水の楽園だったのだよ。  それが…砂漠となったのが、人の仕業であれ、自然の流れであれ、生きるために生物は動き出す。」

  太田の言葉に『私』は怪しげな夢想をしながら沈黙していた。

  彼は、古代の神話を思い出していた。
  スカラベの化身のネフィルトゥムの母は、セクメト。
  破壊神であり、伝染病を司る。

  母子神は、その能力でラーの敵対者を討ち滅ぼす。
  伝染病……

  ネフィルトゥム神の信仰は、メンフィスを中心に地域的に広まった…
  それは、かつて、その土地に伝染病の流行があった事を想像させた。

  敵対者を伝染病で襲う、太陽神の伝説が『私』の心を揺らした。

  やがて、エジプトの首都も北のテーベへと移り、
  時はながれ、女王クレオパトラと共に、さらに北へ…
  ローマへと文明は流れる…

  衰退するエジプトは砂に埋もれ…
  しかし、彼らの文化は、華やかな街の中に安置される…


  ワシントンの記念塔が1ドル札と共に思い浮かんだ。

  美しい白い大理石の石で作られたその塔は初代大統領ジョージ・ワシントンの功績を今に伝える。

  天を貫くような近代に作られたオベリスクである……

  

  そして…20世紀末、
  アフリカの小さな蚊は、単独では決して叶わない大陸横断飛行にジェット機に搭乗する事で成功し、
  北の都会の片隅で越冬をする。

  

  
  「やっと…材料を揃えたの。より強く、耐久性のある宿主を作るために…
  仲間を探し、ここへ導くまでに三千年を使ったわ…
  でも、間に合ってよかった(^-^)」


レイの言葉に我にかえる。
  レイは、静かに温室の扉を開いた。

  すると、待ち構えていたようにムシが室内に飛び込んでくる。

  甲虫らしい小さなムシは、迷うことなく大輪の花へと飛んで行く…

  ここにきて…自分が、この花の強烈な匂いに反応していない事に気がついた。
  後続で入ってくる甲虫が、私の体に当たる。
  やはり、シデムシのようだった…

  それらは少しずつ私の体を包み…北城のあの言葉を思い出させた。

  ≪我、アルカディアにあり≫

  私は…もう、死んでいるのだろうか?
 
  1ドル札の裏にある、プロビデンスの目が、エジプトのお守りの目に見えてくる。

  その目から、涙がながれ、それが疫病神セクメトに変化する。

  そして、やがて、草柳レイにかわり、私の頬をその白く細い手で包み込んだ。
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