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オーディション

マルガリータ

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 「それでは、失礼して、私だけ頂くとしよう。」
音無はそう言ってテーブルのシェイカーをとると蓋を開けて、慣れた手つきで酒と氷をいれはじめた。

 し、シェーク!?

 秋吉は、音無の大胆さに驚いた。
 多分、条件は同じはずなのに、この男の大胆さは何だ?
 まるで本当の自分の家のように勝手に家のものを扱い、カメラの…監督の前でカクテルを作り始めるとは!

 普通なら、ウイスキーが何かを格好よく作るくらいが関の山だと思うのだが、音無は、ピンと背中を伸ばして本職のように両手でシェイカーを上下に振りだした。

 も、持ってゆかれる。

 秋吉の脳裏に焦りが走る。
 馬鹿馬鹿しいが、確かに、シェイカーを振られては、台詞は氷の砕ける音にかき消されるし、こちらの出番はない。
 それに比べて奴の存在感はどうだ?
 この間に、死体の冷凍保存なんて、おかしな設定の修正を考えているのだろう。
 
では、俺はどう攻めればいい?
激しく揺れるシェイカーの音を聞きながら、秋吉も必死で次の台詞を考える。
 が、極度の緊張のせいか考えがまとまらない。

 やがて、シェイカーの動きは緩やかになり、部屋は静寂に包まれた。

 「マルガリータだ。美しいだろ?要らないと言われたけれど、一人飲みは寂しいから、君の分も作ってしまったよ。」
音無はそう言って、カクテルグラスの口を塩で飾る、スノースタイルを施した淡い桜色のカクテルグラスを秋吉の前に置いた。

 「マルガリータ。このお酒はね、このカクテルの考案者の若くして亡くなった恋人の名前なんだ。今日の会話にピッタリだと思わないか?」
音無は、自分に酔うようにグラスを姿勢よく目先に持ってきて、亡くなった恋人に敬意をはらうように一気に飲み干した。

 それから、何も言わない秋吉に微笑みかけて、嬉しそうにこう言った。
 「ああ、やっと、私の話を聞いてくれる気持ちになったようだね。」

 秋吉は、椅子にもたれ掛かり、しびれる感覚に混乱していた。
 どうしたのだろう?
 金縛りのように意識があるけど動けないのだ。
 不安にかられて、秋吉は、さすがに、オーディションどころでは無くなりかけていたが、音無はそんな事に気づきもしないで、話をはじめる。

 仕方ない。誰だって、これが最後とオーディションを受けるのだ。
 それが、主役の最終に残れたとしたら、親が危篤でも、秋吉だって演じ続けるに違いない。
 嬉しそうに独壇場どくだんじょうで話しかける音無を秋吉は無感情に見つめた。

 同じ立場なら、やはり、音無と同じことをする。

 秋吉は、胸を締め付ける敗北感のなか、圧巻の音無の演技を見つめた。

 「冷凍保存をしてから、私はどうしたら、彼女を感じて生きて行けるかを考えていたんだ。確かに、保存状態は完璧だけれど、このままでは、あの人に触れることも思い出に酔う事も難しいからね。だから、彼女を永遠に見つめていられる方法を考えたんだ。昔から、考えるのは好きだったし、これで、私は器用なほうでね。」
音無はほろ酔い気分で目を細める。
 秋吉は、話を聞きながら、冷静さを取り戻しはじめた。

 諦めるのは、まだ早い。
 シェイカーを振るったのは、数分間だ。その短い間に作られた話なら、話の穴が必ず出てくるはずだ。
 気分も少し良くなってきたし、一過性のストレスによるパニック状態なのかもしれない。
 時間を稼いで、体が動くば、逆転のチャンスもあるかもしれない。

 「色々考えたんだ。内蔵を取り出してミイラにしてみようか、とか。でも、今の技術では、美しいミイラは作れないからね。くさいのも忍びないし。だから、思いきって違う姿に変えることにしたのさ。そう、もう分かったよね?彼女の体を糧にシルクを作ろうと思い立ったのさ。それなら、こうして、ずっと彼女に抱かれていられるだろ?」
音無は自分のスーツの二の腕を軽く掴んで、居もしない女性を抱き締めた。
 秋吉は、微かに動いたまぶたを開いた。

 この仕事をしていると、役にのめり込む人間を見かけることは良くあるが、周りの人間に恐怖感を植え付けるほど、のめり込む人間は、そうそう出会うことはない。
 秋吉は、背中に鳥肌がたつのを感じながら、なぜ、今まで彼が、業界で埋もれていたのか不思議に感じた。

 「当時、遺伝子の改良の研究が盛んでね、私も肉食で品質の良い絹糸を作る繭蛾を作ることにしたのだよ。それで、サンプルを採取するために、全国の山をめぐったのさ。」
音無は、物言わぬ秋吉に微笑みかける。
「私は、昔から、夢中になると注意力が散漫になってしまう。その日も、うっかり立ち入り禁止の茂みに入ろうとして、彼女に止められたんだ。快活で、シトラスのような胸を締め付けるような、明るい、かわいい声で『あぶないですよ。』って、私を呼び止めてくれた。」
音無は、そこで一度言葉を区切り、思い出の甘さに酔うと、話を続けた。
「彼女は高校生で、家族や友人とキャンプに来ていると言ってたよ。私がかいこの話をすると、尊敬の眼差しで見つめてくれて、私を『先生』と、読んでくれて、山の虫について、色々教えてくれたんだ。郷土愛の強い子だって思ったね。私は、この子は、この町で幸せになる子だと直感したよ。ああ、いい忘れたけれど、そこは、私のマルガリータの郷土ふるさとでもあるんだ。だからかな?その少女も、あのひとのような、とても綺麗な瞳をしていたよ。黒目がちで、光の加減で、あおい虹彩が浮かぶんだ。その輝きを見つめていたら、ああ、今、この少女は生きているんだ。って、胸があつくなってね。ほら、冷凍保存されたら、もう、そう言うの、見られないから。彼女との思い出はそれだけなんだ。きっと、昔だったら、それだけで終わってしまった、そんな話なんだ。」
音無は、もう、秋吉の事など忘れてしまったように、目を閉じて一人の世界に酔っているようだ。
 秋吉は、その様子を観察しながら、ここに来て、このオーディションの不気味さに気がついた。

 静かすぎる。

 もう、何時間、こんな寸劇をしていたのか、それなのに、誰も声もかけてこないし、人の気配を感じない。
 叫びあげたい気持ちになったが、声は出ない。
 音無は、相変わらず独壇場で喋り続けている。

 「でも、凄いね…。技術の進歩は。つい最近、私は、インターネットで、あの子の笑顔を見つけたんだ。随分大人になっていたけれど、直ぐにわかったよ。どんなに粗い画像でも、見間違みまちがえたりしない。だって、ほら、見つけた瞬間、胸がこんなに早く脈打つから。彼女は、まだ、独身なんだ。私にもチャンスはあると思わないか?」
音無は、秋吉に近づいて瞳を見つめた。
 秋吉は、無言のまま目を見開いて恐怖に震えた。

 殺される…

 奴を否定するような事を考えたら、きっと、酷い死に方をする。
 秋吉の本能が思考を止めた。
 音無は、秋吉に鼻が触りそうなほど近づいて、答えをその姿から探していたが、やがて、諦めて静かに離れた。

 「残念。秋吉くんにも分からないか。まあ、どちらにしても、アピールはしてみないとね。こんな気持ちは初めてのだから、どうしていいのか分からないけれど、でも、私も愚かではないから、彼女の好きなものをプレゼントするくらいのことは考えたんだ。調べたよ。でも、今まで私に寄り付いてくるような女と違って、あの子は、宝石やブランドの服には興味がないんだ。冒険やホラーの名作や、君の声が好きなんだ。」
音無はやるせない表情で、しばらく、無言で秋吉を見つめた。

 秋吉は、蛇に睨まれた蛙のように固まっていた。
 耳元で、激しく脈打つ音がした。
 もう、音無が何を話しているのかも、聞こえないほど。

 「彼女は、グループのblogに極たまに記事をあげるだけで、その記事も、最近は君の応援の記事が多くて。最近、こうして文章を書くようになって、良くわかったよ。彼女の書く君の文章だけ、ほのかに温かみのある事に。そう言うのって。」

  嫉妬けちゃうね。
 秋吉には、最後のこの一言だけが、胸に突き刺さった。動ける状態なら、きっと、力の限り叫んでしまったかもしれない。
 冷静に秋吉を見つめる音無の瞳は、冷たく、秋吉の体に絡み付く。

「ねえ、秋吉くん。どうしたら、彼女は私を好きになってくれると思う?一生懸命考えたけど、答えが浮かばないんだよ。だから、君を身にまとって、君と同じ声で話したら、どうかって思い付いたんだ。だから、」
音無はポケットから、黒いグロテスクなカプセルを取り出すと、秋吉の唇に押し当てた。

 「私の『シルク』になってくれるよね?」

音無がセバスチャンのあの声で秋吉の鼓膜を愛撫する。

 しびれるような、甘い恐怖が脊椎をゆっくりと降下して行くのを感じた。

 殺される。

 秋吉は、思わず目を閉じ、音無は、ゆっくりとそれでいて、強引に秋吉の顎に手をかけて、彼の口をゆっくりと開かせた。



 ♪お気に入りの更新がきました


 明るい女声の電子音に音無は反応して、秋吉から離れた。

 それから、大切なプレゼントを開くように、鞄からスマートフォンを取り出すと、しばらく操作をし、それから、スマートフォンを胸に抱いて天井を仰ぎ見た。

 瞬間に、部屋の雰囲気が明るく変わり、秋吉は少しだけ気を落ち着けた。

 「ああ。なんて事だ。」
音無は呟き、スマートフォンを胸に抱いたまま、嬉しそうに秋吉に近づいてきた。

 「秋吉くん。君は…君はなんて凄いんだ。私は、私は、こんなに嬉しい気持ちになったことは無いかもしれないよ。あの子が…、あの子が私を認識してくれたんだ!!君が修二郎に決まったら、私のサイン会に来てくれるって、私と握手をする為にわざわざ交通費を払って、私に会いに来てくれるって書いてあるんだ。」
音無は、感極まって秋吉を抱き締めた。

 秋吉は、自分の寿命が少し伸びたのを感じた。
 しかし、嬉しい気持ちにはなれなかった。

 それとは真逆に、音無は幸せの絶頂を味わっていた。
 「秋吉くん、勿論、協力してくれるよね?私の恋を。私も君の成功を応援するよ。だって、君は、あの子が大好きな声優さんなんだから。」
音無のその台詞に対する拒否権は、秋吉には無かった。
 どちらにしても、この辺りで記憶が途絶え、気がついたら、屋敷の客用のベッドで朝を迎えていたのだ。
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