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悪霊

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  「面白いけど…それじゃ、完結出来ちゃうよ。」
山臥は、私の『悪霊』エピソードを聞き終わると、からかうように笑いかける。
「そうでもないでしょ?なにしろ、解決編一歩手前で休載だもん。
  乱歩が密室殺人を嘘にしたくても、正月号で煽った出版社は許してくれなくて、揉めたんじゃない?」
「それ、違ってたらどうするの?」
山臥は困った人を見るように私を見る。
「誰かが、どこかで否定するわ…多分、みんな、この謎は知りたいと思うし、事情を聞いた人もわりといると思うから。皆、勝手に調べるわよ。でも、私には調べられないし、いいのよ。」
私は、1月に休載した乱歩を思った。

  推理小説で、一番の山場、解決編前に休載なんて、関係者は大変だったと思う。
  では、何故、休載したのか?

「目茶苦茶だな…」
「あら、わりと筋は通るのよ。
  乱歩は2月号で小説家の話を書き始めるわ…。」


  1月号の売り上げに意気揚々の編集長に、私の乱歩の2月号の原稿が届く。
  嬉しそうに読み始めた編集長の手が小刻みに震えだし、真夏の嵐を避けるように、編集長をよく知る古株達がさりげなく部屋を出て行く。

  が、乱歩の担当さんは逃げるわけにはいかない。
  黙って、嵐が去るのを待つしかない。

  「なんだ…これは。」
編集長は、担当に怒りを殺して小声で聞いた。
「『悪霊』の原稿です。」
と、しか、担当には答える言葉はない。
「そんなことは、わかってるっ。わかっているが、なんだ、これはっ!
  犯人が小説家で、手紙を持ってきたN某が探偵?
  密室殺人なんて嘘っぱちって、ふざけたことを、読者が許すわけないだろうがっ!!」


  どうも、私の乱歩は、大胆にも小説家を犯人に仕立てあげたようだ。
  激怒の編集長に呼ばれるまま、江戸川乱歩も社に呼ばれる。

  集まる偉い人の前でも、私の乱歩は平然としていた。

  「別に、小説家が、犯人でもおかしくはないでしょ?『人間椅子』は、この手法で評価を得ました。」

  1925年9月号に掲載された『人間椅子』は、現在でも語られる人気作だ。
「エログロナンセンス…それも良いですが、今回は、本格ミステリーで売ってるんですよ?
  ご覧なさい!この、ファンレターの山を!皆さん、土蔵の密室殺人の解決を望んでいるのですよ。
  江戸川乱歩、2年ぶりの本格ミステリー!しかも、密室殺人を!!」
編集長の声が、段々高くなる。
「しかし、俺ははじめから、密室殺人を書くなんて言ってませんよ。
  それに、手紙の受けては岩井坦。岩井と言えば、俺のファンなら、俺の探偵経歴を思い出して納得してくれる。」
飄々とする私の乱歩に、出版社の偉い人が静かなため息をつく。

  乱歩…平井太郎は、過去に岩井探偵事務所で、探偵をした経験があるのだ。

  「仕方がありませんね。どちらにしても、密室殺人の答えは必要です。
  なにしろ、こちらは、正月の目玉で先生に連載を頼みましたから。
  密室殺人なんて、無かったでは、読者を納得させられませんし、雑誌の名前を傷つけます。
  1ヶ月、お休みを差し上げますから、密室殺人を解決してください。」


  これは、鶴の一声だった。
  さしもの乱歩もこれ以上のゴネは通じない…
  かくして、2ヶ月の休載。そして、4月号での連載中止となるのだ。
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