祓魔師 短編集

のーまじん

文字の大きさ
上 下
22 / 44
1412

吟遊詩人

しおりを挟む
 まだ日差しは弱いと言っても、春の夕方。
 太陽はまだ高く、明るく辺りを照らしている。
 ドンレミ村の土手に座り、一人の老人がリュートを弾いている。
 穏やかで、のどかな田舎風景の絵画のように見えるこの場面。
 しかし、感じる人には薄暗く不気味な雰囲気に、それ以上、前進することが出来なくなったに違いない。

 老人の奏でるリュートに合わせて向こう岸には、贖宥状で罪を逃れてもまだ、天国に拒絶された騎士やら兵士の亡霊が集まり、老人の物悲しいリュートの響きに聞き入っている。
 その世界に入り込んでしまえば、それはそれなりに幻想的で、興味深い光景ではあるが、客観的にそれを見るとなると、例えるなら、「耳なし芳一」の墓場で琵琶を弾いているのを目撃したような、不可解さと恐怖を感じてしまうのかもしれない。

 老人が奏でる曲は「シチリアーナ」題名は知らなくとも、その旋律を耳にすれば、RPGやファンタジー映画で聴いたような懐かしさを感じるはずだ。
 16世紀にリュートの練習曲として有名だったこの曲は、シチリア島を起源とする舞曲で、近いところでは、20世紀のイタリアの作曲家レスピーギが16世紀の練習曲から「シチリアーナ」という題名で美しい曲に仕立てた。

 騎士として世界をめぐる人達は、吟遊詩人としての顔ももつ。
 そうして、旅をしながら、各所の貴族の屋敷に厄介になっていたらしい。

 日本でいうところの、虚無僧(こむそう)と言ったところか。

 彼らが、シチリア島を起源とする曲をヨーロッパに広めたとしたならば、やはり、シチリアとは騎士とゆかりが深い土地柄なのかもしれない。

 それは、はるか昔、十字軍が華々しく活躍した頃の勇猛な騎士道を死霊達に思い起こさせた。

 老人は爪弾く。

 まだ、年若き頃の自分と仲間達の胸踊る武勇伝を。
 しかし、さすがに増える陰の気に、リュート弾く手を止めて周りを見渡した。
 今日は、いつもとは毛色の違う客人が来たようだ。
 老人はうっすらと白く濁りだした右目を正確にギョーム・ド・ノガレの方向に向け、その禍々(まがまが)しさに上着を脱いで緑色のローブ姿になった。
 それから、髪を結わえた紐をほどき、肩まである白身の強いロマンスグレーの髪を解き放ち、胸のポケットから、手帳サイズの黒革の本を取り出した。

 通称「黒本」、若い読者なら、グリモアールと言った方が通りが良いのかもしれない。

 彼の手にしているその本の名前は…私には分からない。が、後にイギリスのオカルティスト、マグレガー・メイザースによって英訳され、有名になる。

 「術士アブラメリンの聖なる魔術の書」

 のヘブライ語版の原形、らしきものだ。

 この本は1893年にパリのアリスナル図書館からフランス語訳の写本として発見さる、14世紀から15世紀のアブラハムと言う魔術師の著書である。

 アブラメリンとは、アブラハムの師匠でエジプトで知り合った人物らしい。

 まあ、この本については興味のある方は各自で検索してもらうこととして、老人はその黒本を媒介に守護天使ミカエルを呼び出すことが出来る。

 自らが写本をし、端から端まで完全に暗記したその本を開き、特定のヘブライ文字を指でなぞりながら、自らの心の清らかな部分に住む天使を呼び出す。

 彼の場合、文字をなぞり、指に本の力をためてから、リュートの音色にそれを変えて空間に解き放つ。

 暖かな音色が、風や水の流れる音を含みながら波紋として広がり、マース川の中央で、沈みかけた夕日の光の塊となってほんの一瞬、辺りを明るく輝かせた。天使が一瞬、水面に降臨した。

 それだけだが、それだけで、辺りの穢れた雰囲気は見える範囲の全ての空間を浄化していった。

 お気に召さないのですね?

老人は、見えない「ナニか」の場所を正確に見据えながら、愛情に近い敬愛の情を向けて心の中で、彼のマドンナに囁いた。
 しかし、それは答える言葉もなく、ただ、老人をみつめていた。


 太陽が完全に沈むほんの一瞬、夕日の赤い光に包まれた老人の髪や髭が、濃い緑(あお)に見えて、昔話を思い起こさせる。

 青髭とは、緑(あお)髭。自然界であり得ない緑の髪や髭は、キリスト教がくる前の土着の神の姿で、その神とは、豊穣の神だと言う。

 この老人との関係は、よく分からない。ただ、思い出しただけなのだが。

 老人は全てが終わると、ローブを来て、脇に置いていた手袋を丁寧にはめた。
 そして、静かに村の教会へと帰っていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

よもやまばなし

満景美月(みかげみづき)
歴史・時代
堅実な源蔵さんと美形だがちょっとお調子者の京助さんのお話。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

姫様、江戸を斬る 黒猫玉の御家騒動記

あこや(亜胡夜カイ)
歴史・時代
旧題:黒猫・玉、江戸を駆ける。~美弥姫初恋顛末~ つやつやの毛並みと緑の目がご自慢の黒猫・玉の飼い主は大名家の美弥姫様。この姫様、見目麗しいのにとんだはねかえりで新陰流・免許皆伝の腕前を誇る変わり者。その姫様が恋をしたらしい。もうすぐお輿入れだというのに。──男装の美弥姫が江戸の町を徘徊中、出会った二人の若侍、律と若。二人のお家騒動に自ら首を突っ込んだ姫の身に危険が迫る。そして初恋の行方は── 花のお江戸で美猫と姫様が大活躍!外題は~みやひめはつこいのてんまつ~ 第6回歴史・時代小説大賞で大賞を頂きました!皆さまよりの応援、お励ましに心より御礼申し上げます。 有難うございました。 ~お知らせ~現在、書籍化進行中でございます。21/9/16をもちまして、非公開とさせて頂きます。書籍化に関わる詳細は、以降近況ボードでご報告予定です。どうぞよろしくお願い致します。

大奥~牡丹の綻び~

翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。 大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。 映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。 リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。 時は17代将軍の治世。 公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。 京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。 ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。 祖母の死 鷹司家の断絶 実父の突然の死 嫁姑争い 姉妹間の軋轢 壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。 2023.01.13 修正加筆のため一括非公開 2023.04.20 修正加筆 完成 2023.04.23 推敲完成 再公開 2023.08.09 「小説家になろう」にも投稿開始。

胡蝶の姫

黒蜜きな粉
歴史・時代
悪夢を見る 悩む私に、主人が夢を買い取る姫の噂を聞かせてくる

処理中です...