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第三章 フリーユの街編

32 宿娘の失恋(カレン視点)

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「……もうっ! なんなのよ、あいつ!」

明け方。

アレクの延々と続いた妹自慢話から解放されたカレンは、苛立ちを隠そうともせずに宿の廊下を大股で歩いていた。

普段から怒りっぽいカレンではあるが、ここまで不機嫌になるのは珍しいことだった。
単に寝不足だからではない。

もちろん、寝たいのに寝させてもらえなかったことによるストレスはあるにはある。

ただ、1日くらいの徹夜でどうにかなってしまうほど、カレンはやわな鍛え方をしていない。宿屋の仕事は多岐に渡るし少女であろうと力仕事も普通にやるので、年齢のわりに無駄に体力を持ち合わせているのだ。

ではなぜここまで不機嫌なのかといえば、ひとえにあの男のせいである。

アレクだ。

全ての元凶はアレクにあった。

カレンは愚痴る。
「なんでっ! わたしが頑張ってこんな恥ずかしい格好したというのに! あんなに時間があってせいぜいチラ見するだけ! なんで襲ってこないのよ! わたしに魅力がないっていうの!?」 

そもそも昨晩カレンがアレクの部屋を訪れたのは、なにもアレクの妹の話を根掘り葉掘り聞きたかったわけではない。
あくまでそれは口実で、本来の目的はぶっちゃけて言えば夜這いであった。

カレンはアレクに特別な感情を抱いていたのだ。

アレクと出会ったのは昨日の今日であり、たった1日で好きになるのは変な話かも知れない。
しかし好きになってしまったのだ。

初めはいけ好かないやつだと思った。ママから突然臨時で雇ったと言われても、料理の「りょ」の字も知らなそうな平凡な青年が両親の形見である厨房に土足で入っていると思ったら我慢ならなかった。

だからカレンは勝負をして恥をかかせようとした。自分より年下の女の子に手も足も出ないで完敗すれば、恥ずかしくなってすぐに出ていくだろうと思った。

違った。

カレンの思惑は完璧に覆された。予想に反して、アレクに全く歯が立たなかったのだ。

理由はすぐに判明する。

アレクは料理スキルを持つ歴としたプロの料理人だったのだ。

敵わないわけよ、とカレンは諦観を滲ませて独りごちる。


たとえ__


本職に敵わないのは道理だった。

アレクのことが気になり出したのは、この直後からだったと思う。

アレクは一見、弱そうで頼りなく見える。事実、初対面のときそう思ったからアレクに対して高圧的に接することができた。

しかし実際は違ったのだ。

アレクはカレンの数段階上の能力を持っていた。
だと言うのにアレクは力を誇示することなく、誰に対しても謙虚に振る舞い続けるのだ。

そのありようは、まさしくカレンの憧れそのものだ。

生まれながらにスキルを保持していたカレンは、幼い頃から他の子より出来ることが多かった。
家事全般は当然のこと、スキルの恩恵で身体能力は同年代と比べれて高い。

自分が特別な存在だと認識していなかった当時のカレンは、他の子が自分と同じようにできないことが不思議でならなかった。

ある日、よく遊ぶ友達に聞いてみたことがあった。
『どうして、そんなこともできないの?』
『カレンちゃんと一緒にしないで』
『簡単だよ? こうやるんだよ?』
『そんな風にできない……』
『なんで? わたしにも出来るんだから、あなたにも出来るよ』
『……特別なカレンちゃんと一緒にしないでよ!』
たった一人の友達だった彼女は怒ってどっか行ってしまった。

このことがきっかけでカレンは自分が選ばれた存在だと知った。他の子とは違うのだと知った。

それからだ。

カレンがわがまま少女になり、たびたび両親を困らせるようになったのは。

そして数年後。
両親を亡くしたことで、わがまま少女は傍若無人少女へとクラスチェンジしたのであるが、また別のお話。

兎にも角にも。
カレンはアレクのような存在に憧れていたのだ。

今更、この性格を改める気はない。

だけど、たまに後悔することがあるのだ。あのとき、彼女にもう少し優しく接していれば、多様性を受け入れられていれば、今のカレンは違ったのだろうか、と。

今の自分に、アレクのように振る舞うのは不可能だ。
アレクがいる場所は、カレンがいる場所の正反対の位置だから。
カレンにはできなかったことだから。

だからこそ。

カレンは、アレクに憧れたのだ。自分が至れない場所にいるアレクが、とても愛おしい。

でも、そんな一見、何もかも充実していそうなアレクにも、問題を抱えていることを知った。
レッドさんとアレクが会話している時に、偶然聞いたものだった。

『病気の妹がいるんです』

アレクがポツリと漏らした言葉。
それは、カレンを動揺させるのに十分な威力を持っていた。
驚きのあまり思わず声を上げてしまったほどだ。

だって、そんな風には見えなかったから。
アレクは肉親が大変な状態であることを、おくびにも出していなかったから。

だから、カレンは聞きたくなった。

あなたはどうしてそんなに強くいられるの?
妹が大変な時に、どうしてお店の手伝いを引き受けてくれたの?
妹のそばにいたくないの?
妹は、アレクにとってどうでもいいような人なの?

カレンはすぐにでも聞きたかった。レッドさんと話すのが終わって、すぐ、カレンはアレクに話しかけた。

でも、断られた。

モヤモヤを抱えたままでいると。

ママがやってきて、カレンに突拍子もないことを言い出した。

『カレン、アレクのことは好きかい?』

意味がわからなかった。
半ば困惑したまま頷くと、ママは任せろと言ってアレクと話し始めた。

暫くして、どう言うわけかカレンはアレクの婚約者になった、らしい。

と言うのは、ママから聞かされた話でアレクから直接聞いた話ではないので確証はない。
ママとアレクが話し合って決まったらしいのだ。

『文句ないだろ?』ママは、嬉しそうに笑う。
それからね、とママは小言で言う。
『アレクは奥手だからね、カレンが婚約者じゃないと否定するかもしれない。ありゃ、照れ隠しさね。真に受けるんじゃないよ。もしそんなことを言ってきたら、こっちから夜這いをかけちまいな! アレクは嫌でもカレンを婚約者だと認めるだろうよ! ハハハ!』

と、言うから。
夜這いをかけたのだ。

……結果がこれだ。
まったく相手にされなかった。

当然傷ついた。
でも、それ以上に。

「違うっ! そうじゃないっ! わたしがっ、こんなにっ、心が痛いのはっ……!」

つーと涙が頬を垂れる。胸が締め付けられる。

カレンは思い出す。

アレクが楽しそうに話していた妹のこと。終始優しそうな顔をしていた。
初めてみた顔だった。
なんて楽しそうに、愛おしそうに話すんだろうと思った。

最後まで話を聞いて、否応にも、思い知らされた。

アレクにはすでに心に決めた人がいるんだ、と。

だって、その顔には見覚えがあったから。
名前がついているから。

アレクが思いを寄せている相手は、カレンでも、シフォンとか言ういけ好かない犬っころでもない。

「アレクは、アリスが好き……」

あの顔は、妹に向ける顔ではない。
カレンがアレクに向けるのと同じ。

恋慕の顔だった。

「……っ」
顔に力を入れていないと、どうしようもなく涙が溢れそうだった。













 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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