冥府の徒花

四葩

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第七幕

第37話 【鬼胎】

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「こんな言葉を知っていますか? 〝禍福かふくあざなえる縄の如し〟」

 燃え盛る黒い業火の中、美しい白髪の鬼は、穏やかな微笑をたたえて言った。

「災いとさいわいは交互におとずれる、という意味の故事です。現代風に言うなら、止まない雨はない、明けない夜はない、などが近いでしょうが、残念ながら冥府に雨は降りませんし、日が昇ることもありませんけれどね」

 黒炎の中でひときわ激しく燃え立つ火柱を見上げ、陀津羅だつらは愉快そうに笑った。

「まるで貴方の対極にある言葉だと思いまして、ふと頭に浮かんだんです」

 ひたすら暗い闇の底のようなほむらの中には、どれほど目を凝らそうと何も無い。それでも陀津羅は、恋しい人の面影でも見るような眼差しを注いでいた。

「人に産まれてしいたげられ、鬼にされてにえになるとは。どれほどの不運を背負えば、そんな運命さだめになるのでしょうか。けれど、こんな姿でさえ美しいなんて……本当に貴方らしいですよ」

 優しく呟かれたその言葉に、ごう、と焔が大きく揺れた。



 帝釈天のひきいる天界軍が攻め込んできたのは、羅睺羅らごらの忠告からほんの数週間後のことだった。
 突如、閻魔庁上空に現れた金色こんじきの雲から、無数の光の矢とつるぎが降り注ぎ、疾風と雷電が渦を巻いて閻魔殿を襲った。
 閻魔の迅速な対応と五方神の協力で壊滅は免れたものの、神殿と獄卒への被害は甚大だった。鬼たちは崩れた建物に巻き込まれて重軽傷を負い、天人の矢や剣に貫かれた者には死傷者が出た。
 獄卒のほとんどは鬼神ではなく、ただの鬼である。人間より数倍は頑丈で力も強く、寿命も長いが、神格を持つ天人には太刀打ちできないのだ。
 ひとしきり攻撃を加えた後、帝釈天は上空から鷹揚おうように閻魔殿を見下ろし、こう言い放った。

夕立ゆうだちを引き渡せ。さすれば早々に立ち去ろう。出さぬというのなら、閻魔庁一帯を焦土と化す」

 唐突な帝釈天の要求に、獄卒らは訳が分からず混乱に陥った。あわや身内で暴動かと思われたが、閻魔と羅睺羅のとりなしで帝釈天の妄執が原因だと知れ渡り、獄卒らのいきどおりが夕立へ集中する事態は避けられた。
 奇襲により出遅れたものの、閻魔庁の反撃は帝釈天の予想よりも激しく、結局、天界軍は一時撤退を余儀なくされたのだった。

「我らは閻魔殿を中心に四方の警戒にあたる。二度と奇襲などさせんぞ」
「これでも俺たち、守護神だからね。安心してよ!」
「負傷者を開けた場所へ集めて下さい! 瓦礫の下敷きになっている者には手を貸して、急いで救出を! 倒壊の恐れがある場所は、細心の注意を払うように!」
「すぐに浄土から救護班が来ますから、皆さん気をしっかりお持ちください!」

 五方神に守備を任せ、陀津羅が指示を飛ばし、羅睺羅が皆を鼓舞する中、夕立はひときわ大きな瓦礫の下敷きになっている者たちの救出に当たっていた。

「おい、大丈夫か!? すぐ助けるからな!」
「痛い……痛いよぉ……」
「うう……苦しい……」
「頑張れ! もう少しだ!」
「助けて……」
「待ってろ! お前ら全員、必ず出してやるから!」
「死にたくない……」
「どうして……こんな目に……」
「──ッ」

 方々から上がる負傷者たちの呻きに、夕立は唇を噛み締めた。無惨に崩れた閻魔殿、怪我を負って苦しむ者、矢や剣に貫かれて息絶えた者。すべて己の名のもとに起きた惨劇に巻き込まれた犠牲者だ。
 夕立は自責の念に呑まれそうになるのを振り切り、夢中で瓦礫を掘り返した。ようやく一人の腕を掴み、引きずり出そうとしていた、その時。

「夕立! 危ない!」

 陀津羅の叫び声が響いた直後、夕立の体が強く後方へ引かれた。掴んでいた者から手が離れ、すぐ側の壁が崩れ落ちて瓦礫の山を更に大きく埋めた。絶望に見開かれた獄卒と目が合ったのは一瞬で、もう呻き声すら聞こえない。

「っ……」
「落ち着け、夕立」
「はな……離せ閻魔ッ! まだ助けてないやつらが──」
「ならん、近づくな。ぬしまで埋もれては本末転倒じゃ」

 未だ崩れ続けるその場所へ腕を伸ばす夕立を抑えながら、閻魔は低く呻いた。為す術もなく埋まる鬼たちを目の当たりにして、夕立は地面に額を打ち付けた。

「ゔぁ゙ァ゙ア゙ァ゙ア゙ア゙ア゙────!!!!!!!!!!!!」

 血を吐くような夕立の号哭に、閻魔は苦しげに眉根を寄せる。と、そこへ伽羅きゃらの白煙と共に釈迦如来が姿を現した。

「哀れな子よ、今は少しお休みなさい」

 そう呟くと、叫び続ける夕立の頭部へ手をかざす。ふっ、と眠るように意識を失った夕立を陀津羅に託し、釈迦は微笑を浮かべて閻魔を見やった。

「閻魔王、わたくしと共に来て下さいますね」
「……ああ」

 短く答えて釈迦の後へ続く閻魔に、陀津羅が追いすがるように叫ぶ。

「ま、待ってください! こんな時に行ってしまわれるのですか……!?」

 閻魔は陀津羅を振り返り、苦く微笑んだ。

「すまぬ。夕立を頼んだぞ」

 柔らかな声音を残して、閻魔は釈迦と共にふわりと姿を消した。瓦礫の山の中、夕立を抱えた陀津羅は、これから起こることが何であろうと、自分にとって紛れもなく絶望なのだと確信した。

「陀津羅さまー!」
「ご無事ですか、陀津羅様!」

 駆けつけてきた丑生うしお月出ひたちの姿に、陀津羅の思考は現実に引き戻される。

「……ええ。貴方たちも無事で良かった」

 ほっとしたように笑顔を見せかけた丑生らは、陀津羅の腕の中の夕立に気づくと再び顔色を変えた。

「……夕立様!? そんな、まさか……」
「安心なさい、気を失っているだけですよ」
「よ……良かったぁー……」

 今度こそ安堵した丑生はどっと脱力し、月出は表情を引き締めて陀津羅に手を貸す。

「閻魔殿の北側は被害が少ないので、急ごしらえですが医務室を作ってきました。そこへお運びしましょう」
「北殿なら、いくつか使われていない部屋がありますね。そちらへお願いします。この混乱では、個室のほうが良いでしょうから」
「分かりました、お手伝いします!」

 その頃、衆合地獄では玉藻たまもが厚い雲に覆われた空を見上げていた。

「どうかなさいましたか、玉藻様」
「……今、夕立様の声が聞こえたような気がしたのだけれど……」
「さあ……私には何も聞こえませんでしたが」
「何かしら……胸騒ぎがするの、酷く厭な感じよ。あの方の身に、何かあったのかもしれないわ……」
「しかし、そのような連絡はございませんし、今のところ、いつもと変わりないように見えますわ。総会が近くなっておりますから、少々お疲れなのでは?」
「……そうね……」

 紅葉もみじが首を傾げる横で、玉藻は虫の知らせのような不安を拭えずにいた。この手の勘は必ず当たる玉藻だが、今回ばかりは気のせいであってほしいと願いながら仕事に戻るのだった。
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