冥府の徒花

四葩

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第四幕

第20話【警告】

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「ふぁ……あー……」
「先日から酷くお疲れのご様子ですが、あまり休まれていらっしゃらないのでは?」
「ああ、ちと読み物をしておってな」

 本日分の審理を終え、大きく欠伸をして額に手をやる閻魔に、陀津羅が心配そうな声をかけた。笑って答えてはいるが、やはり疲労が滲んでいるように見える。
 陀津羅はちらりと周囲に視線を巡らせ、人気ひとけが無いのを確認すると溜め息をついた。夕立は視察から直帰すると言って、少し前から席を外している。

「彼がいる間は上手くつくろっておられましたが、かなり無理をなさっていますね」
「この程度、どうということはない。あやつは過去を思い出しつつある。よりにもよって、己が死ぬ直前のものをな。今は片時も目を離せんのじゃ」
「しかし、どうなさるおつもりです? 思い出すに任せるわけにもいかないでしょう」

 陀津羅の言葉に、閻魔は頬杖をついて紫煙を吐いた。

「分かっておるがのう……。実を言うと、しものわしも参っておるのじゃ。はてさて、いつ、どこから切り出したものかとな……。何百年も後回しにしてきたツケが、ここまで厄介になるとは思いもせなんだわ」
「仕方ありませんよ。簡単に切り出せるような話であれば、彼もあのような運命さだめを負わずに済んだでしょう。難しい問題です」
「まあ、それもそうなのじゃが……」

 と、珍しく苦い顔で言葉を濁す閻魔に、陀津羅は首を傾げる。

「他になにか気にかかることでも? 私にお手伝いできるなら……」
「いや、こればかりは誰にもどうにもならん。あれの呼び起こされた欲は、思うたより根がふこうての。ひとたび夜になれば、あやつとの対話はほとんど不可能になる。それもあって、なかなか切り出せぬというわけなのじゃ」
「……そう……ですか……。貴方が眠れないのも、致し方ございませんね」

 陀津羅はしとねで乱れる夕立の姿を想像しかけ、打ち消すように目を閉じて眉根を寄せた。

「ふぅ……。あやつがもう少し落ち着いてからにしようと思うておるのじゃが、なかなか思うようにいかんものよ。わしも所詮、この程度ということかのう」

 紫煙と共に溜め息をつく閻魔の言葉に、陀津羅はぞわりと殺気を立ちのぼらせ、唸るような声を出した。

「……いいえ、王も彼も被害者です。すべては帝釈天のとが……。貴方がたの苦悩は、何もかもあの狂神が元凶なのですから……」
「確かにそれは否定できんな。ともかく、わしも尽力するゆえ、今しばらく耐えよ。決して早まるでないぞ、陀津羅」
「……はい、承知しております」

 閻魔に念を押され、低く答えた陀津羅のこぶしは、関節が白くなるほど固く握りしめられていた。
 その頃、夕立は衆合地獄の高級割烹店で、真砂と共に盃を傾けていた。やや手狭だが静かな個室になっており、ほんのり灯る杏色の照明が落ち着いた雰囲気を醸し出す、小洒落た店だ。運ばれてくる料理も美味で、夕立は清酒を嘗めつつ舌鼓を打っていた。

「どうよ、ここ。なかなかだろ?」
「おう。メシも酒も美味いぜ。流石、スケコマシは上等な店知ってやがるな」
「すげぇ久々に聞いたぞ、そんな単語……。ったく、お前はいつもひと言余計なんだよなー。珍しくデートしてくれるっつーから、女将に頼み込んで予約もぎ取ったんだぜ?」
「デートじゃねぇだろ。ま、礼は言っといてやるが」
「ははっ。お前のそういうとこが、可愛くなくて可愛いんだよなぁ。憎めないやつだよ、ホント」
「気色悪ぃこと言うな、意味わかんねぇし」

 相変わらずの仏頂面で言う夕立に、笑いながら真砂は問うた。

「で、今日はどうしたんだ? 誘っといて言うのもなんだが、やけにあっさりオーケーしてくれたからびっくりしたぞ。いつもは渋々って感じのくせに」
「どうもしてねぇよ。ただの気分だ」

 実はこの二人、顔を合わせれば小競りあいばかりしているが、付き合いはそこそこ長く、たまにこうして食事をする程度には仲が良い。

「ま、言いたくないなら聞かないけど。近頃のお前、ちょっと危なっかしいからな。またみょうなやからに絡まれないよう、気をつけろよ」
「……今の俺は、そんなに危うく見えるか?」
「見えるなぁ。もともとお前はバランスが悪いんだ。今や下心まみれの連中にとっちゃ、隙だらけの子兎同然、てなもんだな」
「そうか……」

 夕立は静かに目を伏せて煙管を咥える。その姿に、真砂は思わず息を呑んだ。まるで紫煙を色香と錯覚するほど、艷麗な雰囲気が立ちのぼっている。そこに憂愁の影が落ち、美しい顔立ちを更に際立たせていた。
 真砂とてある程度、夕立の特異体質については知っている。しかし、ここ最近の彼からは、今までに無いほどの妖気と蠱惑がほとばしっている。定期的に欲の発散をしているはずだが、およそ間に合っていないようだ。危なっかしいと言ったが、これはそんな生易しいものじゃない。異常だ、と真砂は思った。

「……お前、しばらく陀津羅や俺以外と二人きりになるんじゃないぞ」
「言われなくてもならねぇよ」
「なるべく一人で行動するのも避けたほうが良い。というか避けろ。何があるか分からんからな」
「は? さっきからみょうに深刻ぶりやがって、いったい何があるってんだよ」

 胡乱な顔をする夕立に、余計なことを言ったと気づいた真砂は、誤魔化すように笑って頭をかいた。

「あー……いや、悪い。何でもないから気にすんな。ちと飲みすぎたかなー。これ空けたら帰るか」
「おい、まだメシの途中だろ。それにお前、酔うほど飲んでねぇじゃねぇか」
「な、なんか今日は回りが早いんだよ……。俺、先に会計済ませてくるから……」
「待て」

 ばつが悪そうに目を逸らし、そそくさと立ち上がりかけた真砂を見据えて、夕立は鋭い声を上げた。

「下手な誤魔化しは辞めろ。言いてぇことがあんならはっきり言え」
「──っ」

 見上げてくる赤い瞳にぞわりと扇情され、真砂は料理の並ぶ卓を夕立の側へ回り込んだ。体を跨ぐようにして目と鼻の先へ顔を寄せ、低く囁く。

「……お前に自覚は無いんだろうがな、そんなに色気を垂れ流されちゃあ、俺にだって限界があるっつーんだよ」
「なに、わけわかんねぇこと……。近ぇよ、離れろ……」

 と、真砂の肩を押そうとした手首がぱしりと掴まれる。予期せぬ行動とその力強さにたじろいだ。困った顔で身を引く夕立へ、真砂は更に体を寄せた。

「気をつけろと言ってるだろうが。たまには俺の忠告も聞け。じゃないと……」
「ッ……!」

 掴まれた手を引かれ、真砂の腕の中へ閉じ込められる。

「こういうことになるぜ。もっと自制の効かない奴らのほうが多いんだ。今のお前じゃ、ろくに抵抗もできんだろ」

 耳元に熱い吐息混じりの声が落ちる。首の後ろから耳朶みみたぶを指でなぞられると、ぞくぞくと欲が沸き起こった。

「……っ、やめろ……! なに考えてんだよ……」
「言って分からないならカラダに、ってやつさ。しかしすげぇな、たったこれだけで妖気が跳ね上がったぞ。やっぱり過敏になってるんだな。今、すげぇいやらしい顔してるぜ、お前」

 抱きしめてくる腕の熱さと、独特の色気を含む低い声音に、夕立の呼吸は徐々に早くなっていく。薄く開いた唇を親指の腹でなぞられ、たまらず強く目を閉じて顔を逸らせる。

「ん……っ、離せ……! 死にてぇのかよ……!」
「そうだなぁ。お前を抱いて死ぬのなら、それも悪くないかもな」
「ッざけんな……! は、ァ……ふっ」
「冗談だ、心配するな。この程度で俺は死なねぇよ。これでもそこそこ鍛えてるんだぜ。ま、そこらの獄卒程度じゃ、良くて失神、悪くすると死に至るかもしれんがな」
「……っ、分かった、から……もッ……離れろって……!」

 荒く息を吐く夕立に、真砂はふむ、と満足げに笑って腕をゆるめた。体を離し、くしゃりと夕立の頭を撫でる。

「ごめんな。別に意地悪したいわけじゃないんだぜ。俺はただ、お前が心配なだけさ」
「はァっ……ん、分かってる……」

 夕立は震える指で着流しの合わせを握りしめ、小さく頷いた。

「ああ、そうそう。忘れてた。お前にこれ渡そうと思ってたんだったわ」

 真砂は思い出したように懐から小さな布袋を取り出し、夕立へ差し出した。受け取った夕立はいぶかしみつつ、袋を開けて中身を出した。

「腕輪念珠? なんでこんなもん……」
「そいつは煙水晶けむりずいしょう黒瑪瑙くろめのうで組んである、邪気祓いの念珠だ。特に、煙水晶は精神安定にも効果があるからな。恐怖や不安を取り除いてくれる。ま、気持ち程度のお守りとでも思ってくれ」
「……わざわざ作ったのかよ」
「まぁな。言ったろ? お前を心配してるって。たまーに暴走しちまう時もあるが、ご愛嬌ってことで許してくれや」

 相変わらず人懐っこい笑みを向けてくる真砂に、夕立は困ったような微笑を返して念珠を左腕に通した。すると、それまで昂っていた熱が、冷たい石に吸い取られるように引いていく。夕立は驚いてまじまじと念珠を見つめた。
 ここまで効力が強いということは、純度の高い稀少な天然石を使い、きよめと念入れもかなりとくの高い者に頼んだはずだ。これだけ立派な物を用意するのは苦労しただろうに、真砂はそんなことはおくびにも出さずに笑っている。狡いやつだ、と夕立は思った。

「……ありがとな」
「どういたしまして。あー、お礼はカラダでいいぜ」
「台無しだわ。俺の誠意返せ、くそじじい」
「ははっ! よし! お前の妖気も落ち着いたみたいだし、いっちょ飲み直すか」
「おう」

 そうして仕切り直された晩餐は夜更けまで続き、夕立は久し振りに愁眉しゅうびを開いた気がしたのだった。
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