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8章
79【鬼畜と手練と小気】※
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「ァ゙っ、あ……うぅ……っ、く……」
結局、抗議も抵抗も出来ず、朝夷の指示によって丹生の最も苦手な行為が始まって数十分。
もう口は塞がれておらず、弱々しい呻きを漏らし、体を小刻みに震わせて耐えていた。陸奥の舌が内部へ押し入るたびに、丹生はぎゅっと眉根を寄せて唇を噛む。
辛そうな丹生を見下ろして、朝夷は優しく問う。
「ねぇ、璃津はなんでアレやられるの、そんなに嫌なの? 俺にも全然させてくれないよね」
「っ……きもち、わるいし……恥ずかし……っう、ぐ……っ」
「陸奥のテクニックでも駄目?」
丹生は陸奥のプライドをおもんぱかって答えを躊躇う。それを察した陸奥は、喉の奥で笑いながら顔を上げた。
「俺の事はお気になさらず。素直に答えて下さって構いませんよ」
「……やっぱり、好きじゃない……」
「そっかぁ。じゃ、趣向を変えてちょっとしたゲームをしよう」
朝夷は衣桁にかけてあった腰紐を取り、丹生に目隠しをほどこした。丹生は体に力が入らず、抵抗する気力も無くされるがままだ。
「これから俺のと陸奥のを咥えて、どっちが良いか選んで。〝アタリ〟が引けたら、お仕置きは終わりにしてあげる」
「……どっちも嫌だっつったら……?」
「2本突っ込む事になるね。それが良いならそうするけど?」
丹生は心底ぞっとして首を横に振る。この鬼畜どもなら本当にやりかねない。
「凄いこと思いつきますね。やっぱり兄さんのほうがドSですよ」
「違うぞ、陸奥。これはお仕置きなんだって。ああ、手を使われるとすぐバレるから、後ろで縛っといてくれ」
「そこまでやります?」
「この子を甘く見るなよ。なんせエースエージェントだからね。縄抜け出来ないようにしっかり頼む」
「分かりましたよ。まったく、容赦ないなぁ」
真っ暗な視界の中、丹生はそんなやり取りを聞きながら疑問に思っていた。
これまで、朝夷があからさまに怒りや嫉妬を見せた事は一度も無かった。更科との関係を匂わせた時ですら、滾る憎悪を呑み込んで笑っていた。ここに来て急に逢坂の件を持ち出すなんて、一体なんなんだ、と困惑する。
ぐい、と腕を引かれて体を起こされ、丹生の思考も引き戻された。
「じゃあ始めるよ」
顎を持ち上げられ、唇にそれが押し付けられる。丹生は溜め息をつきながらしぶしぶ口を開いた。
こんなのはゲームにもならない、と思っていた。手など使わなくても分かるからだ。視界が塞がれた今は、逆に嗅覚、触覚、聴覚に集中できる。
まずは匂い。明らかに2人とも違う香水をつけているし、ボディソープも違う。奥まで含めば太さや長さの差も分かるし、体臭の違いもよく分かる。
次に触覚。手の感触や大きさ、体温が違う。より明確に違うのは触れ方だ。本人は気付いていないらしいが、朝夷は必ず丹生の髪に指を差し入れ、耳の後ろや後頭部へ触れる癖がある。
そして呼吸。どれだけ押し殺そうと、漏れる吐息で歴然だ。丹生が本気で舌技を駆使すれば、朝夷からは必ず反応が出る。陸奥は慣れていそうだから無反応かもしれないと思ったが、案外、色気のある息を吐いた。
丹生はだんだん面白くなってきた。この事態を逆手に取り、朝夷をからかう案を思いついたのだ。
陸奥のものだと分かっていながら丁寧に舌を這わせ、喉の奥まで受け入れ、普段はしないほど熱心に口淫を続けた。思わず、といったふうに肩へ手が置かれ、堪えきれない吐息が聞こえる。
限界が近い事を悟り、一層、激しく責め立てる。肩に置かれた手に力が入り、口内に熱く苦いものが放たれた。全て飲み込み、搾り取ってやると、陸奥の艶やかな息遣いが聞こえた。
してやったり、と丹生が無意識に口角を吊り上げた時、突然、髪を強く後ろへ引かれて布団へ倒された。耳元で低く怒気を孕んだ朝夷の声が囁く。
「お前、分かってやってたね。どういうつもり?」
「ええ? なに言ってんだよ。分かるワケないだろ、何も見えねぇのに」
丹生は笑みをこぼしながらとぼけてみせる。朝夷は怒りを抑え込むように深く息を吐き、問うた。
「……じゃあ、どっちが良いか言ってみて。よく考えて答えたほうが身のためだよ……」
「ひとつ聞くけど、もし分かってて答えたとして、お前を選ばなかったらどうするんだ? お前こそ、よく考えてそんなこと聞いてんだろうな?」
「……っ」
急所を突かれたような朝夷の気配に、丹生はますます笑みを深くした。脇から陸奥の楽しそうな声が聞こえる。
「おお、怖い。さすが璃津さん。この状況で兄さんをやり込めるとは、恐れ入ります。しかもあの舌使い、吉原中を探してもそうそう居ないほどの技巧でしたよ」
「俺の事なめてたのは長門のほうだったな。とりあえず手ぇほどけ。話しはそれからだ」
「……分かった……」
意気消沈した答えの後に手が自由になり、目隠しを外すと陽光に目が眩む。布団の脇にはしょぼくれた朝夷が座っており、陸奥がスラックスと下着を返してくれた。
元通り服を着直すと、叱られた大型犬のような頭をわしゃわしゃと撫でてやる。まだ眉尻と肩を落としている朝夷の正面に屈みこみ、両手で頬を挟んでむにむにと揉んだ。
口付けようとしたが、陸奥のものを飲んだ事を思い出して辞めた。代わりに額へ唇を押し当てると、ぎゅっと抱きしめられる。
「陸奥さん、悪いんだけど水かなんか貰えると有り難い」
「ええ、もちろん。すみません、我慢できなくて。吐き出して下さって良かったのに」
「良いの、良いの。わざとだし、妙な事に巻き込んじゃったお詫び」
「むしろ楽しかったですよ。役得です」
「はは……さすが吉原の帝王……」
陸奥は水差しから洒落た江戸切子のグラスに水をつぎ、手渡してくれた。これまた高そうだな、と思いながら一気に飲み干し、改めて朝夷へ口付けた。
「どうしたんだよ、お前。脈絡が無いのは知ってるけど、さすがに突拍子が無さすぎて汲み取れねぇよ。なんで急に怒り出した?」
朝夷は眉根を寄せて唇を噛み、重たい口を開いた。
「……璃津は、俺を聖人君子だとでも思ってるの? 急にじゃないよ、ずっと我慢してた……」
「だけどこの12年、一度もそんなの言った事なかったろ」
「言えなかっただけさ……。本当はいつも嫉妬してたし、お前に触れた奴ら全員、殺したいほど憎んでた……。だって俺にはお前だけなのに、お前には星の数ほど選択肢があるんだから……。もし飽きられたらと思うと、気が狂いそうなんだよ……」
確かに、朝夷は物理的に丹生以外とは関係を持てない。これは非常に特殊で難解な問題だ。
丹生は小さく息を吐き、朝夷の頬をむぎゅっと両手で挟んだ。
「お前の事情は理解してるし、不公平に思うのも分かる。でもお前、イントレ禁止された時に言ってなかったか? 俺たちは体を繋げなくても離れやしないって。あれは本音じゃなかったのかよ」
「ちがッ……違うよ……。不公平だなんて思ってないし、お前に言った事は全て本音だ……。ただ……どうしても……」
朝夷は苦しげに眉をひそめて目を伏せ、口ごもった。呑んだ言葉を代わりに言ってやる。
「怖い?」
「……うん……。ごめん……俺は臆病で、何もかも怖くて、本当に情けな──」
丹生はそっと口付けて塞ぎ、それ以上、言わせまいとした。空気を読んで気配を消しているものの、すぐ傍には陸奥が居るのだ。自分にしか見せない弱々しい姿や言葉を、他人の前でさらけ出させるのは良くない気がした。
丹生は唇を触れ合わせたまま囁く。
「お前の感じてる恐怖は、大切な相手が居るヤツならみんな感じてる。お前はどこもおかしくないよ。これからは、言いたい事は何だって言えばいい。ちゃんと聞くから。仕事上どうしても必要なら仕方ないけど、最低限にするからさ。だって俺たち、そういう関係になったんだろ?」
朝夷は泣きそうな顔で微笑み、丹生の細やかな気遣いに感謝しつつ、小さく頷いた。
「ま、俺もちょっと意地悪だったのは確かだしな。お前が嫉妬してるのを知ってて、わざと煽ったりもしたし。何でも受け入れてくれるお前を見るのが、堪らなく好きなんだよ。もしかすると、俺が1番鬼畜なのかもな」
からりと笑って言う丹生に、ようやく場が落ち着いたのを見計らった陸奥が笑み混じりの声を上げた。
「それはまた、良いご趣味でいらっしゃる。貴方たちは本当にお似合いですよ。恋人じゃないと仰っていましたが、どうやらそれも過去の話のようですね」
「あー、まぁね……。なんか改めて聞かれると小っ恥ずかしいな」
首に手を当てて苦笑する丹生を後ろから抱きしめ、朝夷はいつもの元気を取り戻して宣言する。
「正真正銘、恋人になったんだぞ。どうだ、羨ましいだろ」
「ええ、とても。いずれそうなるだろうと思っていましたが、意外と早かったですね。何かきっかけでも?」
挑発には一切、乗らず、優雅に微笑む陸奥に、朝夷はむうと頬を片方膨らませた。
「なんだよ、相変わらず余裕ぶって。つまんない奴」
「こら、弟を虐めるなよ、みっともない。あー、きっかけはまぁ、拉致された事かな。もう長門に会えないかもって思ったら、今までの駆け引きが馬鹿らしくなってさ」
「拉致!? え、璃津さんがですか!?」
陸奥は珍しく驚いて目を見開き、声を張った。人間味のある表情をすると年相応に見えるな、と丹生は思った。
朝夷は苦い顔で嘆息し、例の事件について簡単に説明した。
「……それは大変な目に遭われましたね。よくぞご無事で」
「君らのお姉様のおかげだよ。まぁ、きっかけ作ったのも君らの身内なんだけど」
苦笑する丹生に、陸奥は目元を暗くして低く囁いた。
「ああ……周防さんか。まだそんな事をしているなんて、つくづく身の程を知らない男だ。馬鹿は死んでも治らないと言いますが、本当かどうか試してみたくなりますね」
鬱陶しげで冷淡な声音を聞き、丹生は先ほど聞いた幼少期の話を思い出して、これが例の先祖返りかと思った。
「辞めとけ、陸奥。君子危うきに近寄らずだぞ。下手に手を出すと、お前まで巻き込まれる」
「俺は構いません。あんな男にしてやられるほど、馬鹿じゃありませんから」
「それは分かってるけど、さっき話した通りだ。あの人は本人じゃなく、周囲に害を及ぼす。お前にも守りたいものがあるだろう。悪い事は言わない、放っておけ」
陸奥は眉間に皺を寄せ、ほんの少しだけ悲しげな声音で呟いた。
「……その中には貴方も入っているんですよ、兄さん……」
朝夷は困ったように笑っており、丹生は2人を見て、良い兄弟だな、と胸が温かくなるのを感じた。
結局、抗議も抵抗も出来ず、朝夷の指示によって丹生の最も苦手な行為が始まって数十分。
もう口は塞がれておらず、弱々しい呻きを漏らし、体を小刻みに震わせて耐えていた。陸奥の舌が内部へ押し入るたびに、丹生はぎゅっと眉根を寄せて唇を噛む。
辛そうな丹生を見下ろして、朝夷は優しく問う。
「ねぇ、璃津はなんでアレやられるの、そんなに嫌なの? 俺にも全然させてくれないよね」
「っ……きもち、わるいし……恥ずかし……っう、ぐ……っ」
「陸奥のテクニックでも駄目?」
丹生は陸奥のプライドをおもんぱかって答えを躊躇う。それを察した陸奥は、喉の奥で笑いながら顔を上げた。
「俺の事はお気になさらず。素直に答えて下さって構いませんよ」
「……やっぱり、好きじゃない……」
「そっかぁ。じゃ、趣向を変えてちょっとしたゲームをしよう」
朝夷は衣桁にかけてあった腰紐を取り、丹生に目隠しをほどこした。丹生は体に力が入らず、抵抗する気力も無くされるがままだ。
「これから俺のと陸奥のを咥えて、どっちが良いか選んで。〝アタリ〟が引けたら、お仕置きは終わりにしてあげる」
「……どっちも嫌だっつったら……?」
「2本突っ込む事になるね。それが良いならそうするけど?」
丹生は心底ぞっとして首を横に振る。この鬼畜どもなら本当にやりかねない。
「凄いこと思いつきますね。やっぱり兄さんのほうがドSですよ」
「違うぞ、陸奥。これはお仕置きなんだって。ああ、手を使われるとすぐバレるから、後ろで縛っといてくれ」
「そこまでやります?」
「この子を甘く見るなよ。なんせエースエージェントだからね。縄抜け出来ないようにしっかり頼む」
「分かりましたよ。まったく、容赦ないなぁ」
真っ暗な視界の中、丹生はそんなやり取りを聞きながら疑問に思っていた。
これまで、朝夷があからさまに怒りや嫉妬を見せた事は一度も無かった。更科との関係を匂わせた時ですら、滾る憎悪を呑み込んで笑っていた。ここに来て急に逢坂の件を持ち出すなんて、一体なんなんだ、と困惑する。
ぐい、と腕を引かれて体を起こされ、丹生の思考も引き戻された。
「じゃあ始めるよ」
顎を持ち上げられ、唇にそれが押し付けられる。丹生は溜め息をつきながらしぶしぶ口を開いた。
こんなのはゲームにもならない、と思っていた。手など使わなくても分かるからだ。視界が塞がれた今は、逆に嗅覚、触覚、聴覚に集中できる。
まずは匂い。明らかに2人とも違う香水をつけているし、ボディソープも違う。奥まで含めば太さや長さの差も分かるし、体臭の違いもよく分かる。
次に触覚。手の感触や大きさ、体温が違う。より明確に違うのは触れ方だ。本人は気付いていないらしいが、朝夷は必ず丹生の髪に指を差し入れ、耳の後ろや後頭部へ触れる癖がある。
そして呼吸。どれだけ押し殺そうと、漏れる吐息で歴然だ。丹生が本気で舌技を駆使すれば、朝夷からは必ず反応が出る。陸奥は慣れていそうだから無反応かもしれないと思ったが、案外、色気のある息を吐いた。
丹生はだんだん面白くなってきた。この事態を逆手に取り、朝夷をからかう案を思いついたのだ。
陸奥のものだと分かっていながら丁寧に舌を這わせ、喉の奥まで受け入れ、普段はしないほど熱心に口淫を続けた。思わず、といったふうに肩へ手が置かれ、堪えきれない吐息が聞こえる。
限界が近い事を悟り、一層、激しく責め立てる。肩に置かれた手に力が入り、口内に熱く苦いものが放たれた。全て飲み込み、搾り取ってやると、陸奥の艶やかな息遣いが聞こえた。
してやったり、と丹生が無意識に口角を吊り上げた時、突然、髪を強く後ろへ引かれて布団へ倒された。耳元で低く怒気を孕んだ朝夷の声が囁く。
「お前、分かってやってたね。どういうつもり?」
「ええ? なに言ってんだよ。分かるワケないだろ、何も見えねぇのに」
丹生は笑みをこぼしながらとぼけてみせる。朝夷は怒りを抑え込むように深く息を吐き、問うた。
「……じゃあ、どっちが良いか言ってみて。よく考えて答えたほうが身のためだよ……」
「ひとつ聞くけど、もし分かってて答えたとして、お前を選ばなかったらどうするんだ? お前こそ、よく考えてそんなこと聞いてんだろうな?」
「……っ」
急所を突かれたような朝夷の気配に、丹生はますます笑みを深くした。脇から陸奥の楽しそうな声が聞こえる。
「おお、怖い。さすが璃津さん。この状況で兄さんをやり込めるとは、恐れ入ります。しかもあの舌使い、吉原中を探してもそうそう居ないほどの技巧でしたよ」
「俺の事なめてたのは長門のほうだったな。とりあえず手ぇほどけ。話しはそれからだ」
「……分かった……」
意気消沈した答えの後に手が自由になり、目隠しを外すと陽光に目が眩む。布団の脇にはしょぼくれた朝夷が座っており、陸奥がスラックスと下着を返してくれた。
元通り服を着直すと、叱られた大型犬のような頭をわしゃわしゃと撫でてやる。まだ眉尻と肩を落としている朝夷の正面に屈みこみ、両手で頬を挟んでむにむにと揉んだ。
口付けようとしたが、陸奥のものを飲んだ事を思い出して辞めた。代わりに額へ唇を押し当てると、ぎゅっと抱きしめられる。
「陸奥さん、悪いんだけど水かなんか貰えると有り難い」
「ええ、もちろん。すみません、我慢できなくて。吐き出して下さって良かったのに」
「良いの、良いの。わざとだし、妙な事に巻き込んじゃったお詫び」
「むしろ楽しかったですよ。役得です」
「はは……さすが吉原の帝王……」
陸奥は水差しから洒落た江戸切子のグラスに水をつぎ、手渡してくれた。これまた高そうだな、と思いながら一気に飲み干し、改めて朝夷へ口付けた。
「どうしたんだよ、お前。脈絡が無いのは知ってるけど、さすがに突拍子が無さすぎて汲み取れねぇよ。なんで急に怒り出した?」
朝夷は眉根を寄せて唇を噛み、重たい口を開いた。
「……璃津は、俺を聖人君子だとでも思ってるの? 急にじゃないよ、ずっと我慢してた……」
「だけどこの12年、一度もそんなの言った事なかったろ」
「言えなかっただけさ……。本当はいつも嫉妬してたし、お前に触れた奴ら全員、殺したいほど憎んでた……。だって俺にはお前だけなのに、お前には星の数ほど選択肢があるんだから……。もし飽きられたらと思うと、気が狂いそうなんだよ……」
確かに、朝夷は物理的に丹生以外とは関係を持てない。これは非常に特殊で難解な問題だ。
丹生は小さく息を吐き、朝夷の頬をむぎゅっと両手で挟んだ。
「お前の事情は理解してるし、不公平に思うのも分かる。でもお前、イントレ禁止された時に言ってなかったか? 俺たちは体を繋げなくても離れやしないって。あれは本音じゃなかったのかよ」
「ちがッ……違うよ……。不公平だなんて思ってないし、お前に言った事は全て本音だ……。ただ……どうしても……」
朝夷は苦しげに眉をひそめて目を伏せ、口ごもった。呑んだ言葉を代わりに言ってやる。
「怖い?」
「……うん……。ごめん……俺は臆病で、何もかも怖くて、本当に情けな──」
丹生はそっと口付けて塞ぎ、それ以上、言わせまいとした。空気を読んで気配を消しているものの、すぐ傍には陸奥が居るのだ。自分にしか見せない弱々しい姿や言葉を、他人の前でさらけ出させるのは良くない気がした。
丹生は唇を触れ合わせたまま囁く。
「お前の感じてる恐怖は、大切な相手が居るヤツならみんな感じてる。お前はどこもおかしくないよ。これからは、言いたい事は何だって言えばいい。ちゃんと聞くから。仕事上どうしても必要なら仕方ないけど、最低限にするからさ。だって俺たち、そういう関係になったんだろ?」
朝夷は泣きそうな顔で微笑み、丹生の細やかな気遣いに感謝しつつ、小さく頷いた。
「ま、俺もちょっと意地悪だったのは確かだしな。お前が嫉妬してるのを知ってて、わざと煽ったりもしたし。何でも受け入れてくれるお前を見るのが、堪らなく好きなんだよ。もしかすると、俺が1番鬼畜なのかもな」
からりと笑って言う丹生に、ようやく場が落ち着いたのを見計らった陸奥が笑み混じりの声を上げた。
「それはまた、良いご趣味でいらっしゃる。貴方たちは本当にお似合いですよ。恋人じゃないと仰っていましたが、どうやらそれも過去の話のようですね」
「あー、まぁね……。なんか改めて聞かれると小っ恥ずかしいな」
首に手を当てて苦笑する丹生を後ろから抱きしめ、朝夷はいつもの元気を取り戻して宣言する。
「正真正銘、恋人になったんだぞ。どうだ、羨ましいだろ」
「ええ、とても。いずれそうなるだろうと思っていましたが、意外と早かったですね。何かきっかけでも?」
挑発には一切、乗らず、優雅に微笑む陸奥に、朝夷はむうと頬を片方膨らませた。
「なんだよ、相変わらず余裕ぶって。つまんない奴」
「こら、弟を虐めるなよ、みっともない。あー、きっかけはまぁ、拉致された事かな。もう長門に会えないかもって思ったら、今までの駆け引きが馬鹿らしくなってさ」
「拉致!? え、璃津さんがですか!?」
陸奥は珍しく驚いて目を見開き、声を張った。人間味のある表情をすると年相応に見えるな、と丹生は思った。
朝夷は苦い顔で嘆息し、例の事件について簡単に説明した。
「……それは大変な目に遭われましたね。よくぞご無事で」
「君らのお姉様のおかげだよ。まぁ、きっかけ作ったのも君らの身内なんだけど」
苦笑する丹生に、陸奥は目元を暗くして低く囁いた。
「ああ……周防さんか。まだそんな事をしているなんて、つくづく身の程を知らない男だ。馬鹿は死んでも治らないと言いますが、本当かどうか試してみたくなりますね」
鬱陶しげで冷淡な声音を聞き、丹生は先ほど聞いた幼少期の話を思い出して、これが例の先祖返りかと思った。
「辞めとけ、陸奥。君子危うきに近寄らずだぞ。下手に手を出すと、お前まで巻き込まれる」
「俺は構いません。あんな男にしてやられるほど、馬鹿じゃありませんから」
「それは分かってるけど、さっき話した通りだ。あの人は本人じゃなく、周囲に害を及ぼす。お前にも守りたいものがあるだろう。悪い事は言わない、放っておけ」
陸奥は眉間に皺を寄せ、ほんの少しだけ悲しげな声音で呟いた。
「……その中には貴方も入っているんですよ、兄さん……」
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