158 / 466
6章【虎から逃げて、鰐に会う】
6
しおりを挟む女性職員の案内を受けて通された男たち──監査士を見て、桃枝はすぐに表情を険しいものに変える。
「すみません、出迎えが遅れてしまいました。……案内、ご苦労。飲み物の用意を頼む」
「は、はいっ。急いでっ」
監査士に挨拶をしつつ、桃枝はすぐさま女性職員に指示を出す。叱られているわけでもないのに、女性職員は委縮しながら返事をした。可哀想に、涙目だ。
女性職員が去った後、監査士の内の一人が桃枝に向けて名刺を差し出した。
「桃枝管理課長ですか? 先ほど、管理係長から二階の会議室にいると聴きまして」
「はい、そうです。挨拶まで遅れてしまい、すみません」
流れるように、名刺交換をしている。意味もなく一歩だけ、山吹は桃枝たちから身を引いた。
案内を受けて連れられた監査士は、三人。一人は五十代頃の壮年男性で、おそらくこの中で最も偉い人物なのだろう。もう二人は、三十代頃の青年なのだから。
その内の、片方。ニコニコと笑みを浮かべている青年に、なぜか山吹は意識を引っ張られてしまう。
完璧な、営業スマイル。若しくは、愛想笑いだろうか。どちらにせよ、どことなく親近感のようなものが湧いてくる出で立ちだ。
黒い髪は長く、後ろで緩く一本に結ばれている。桃枝の部下になった場合、最初の面談で『その頭はなんだ』と言われるのは必至だろう。
「それにしても、早いですね。到着予定時刻は確か九時だったと思うのですが」
壮年男性と名刺交換を終えた桃枝は、不思議そうに壁掛け時計を見た。朝礼は八時半で、今は朝礼から十分しか経っていない。桃枝の指摘通り、確かに早い到着だ。
桃枝の名刺を受け取った壮年男性は、投げられた疑問に対して苦笑を浮かべた。
「面目ないです。実は、うちの黒法師が……」
黒法師、と。壮年男性の口から出た名前に、山吹はピクリと指先を跳ねさせてしまう。
いったい、どちらが黒法師だろうか。山吹は黙ったまま、事の成り行きを見守る。
そしてその答えは、すぐに分かった。
「僕が『早く行きましょう』って打診して、無理矢理早く着くようスケジューリングしたんよ」
黒髪で、長髪の男。山吹が親近感のようなものを抱いた男こそが、黒法師だった。
にこやかに手を挙げて、言葉だけは申し訳なさそうに。しかし欠片も悪びれた様子も見せずに答えた男は、すぐに桃枝へと近付いた。
「思えばまだ、君の名刺は貰ったことがあらへんね。ってことは、僕の名刺も渡してないってことか。ほな、交換しよか」
「おい、黒法師。いくら知り合いでも、もう少し礼節と言うかマナーと言うか、もっとそれらしい対応をだな」
「なんや、嫉妬? 仕事はちゃんとするんやから、ちょっとくらいええやん」
「しっ、嫉妬っ? 気味の悪い冗談はよしてくれ……!」
もう一人の監査士に叱られても、どこ吹く風。黒法師と呼ばれた麗人は、すぐに桃枝を振り返る。
すると、なぜだろう。黒法師は桃枝との挨拶もそこそこに、話題から離れていた山吹までをも振り返った。
「君にも、はい。僕の名刺、一応渡しとこうかな」
まさか、自分にも名刺を渡されるとは。突然のことに驚きつつ、山吹は慌てて四人に近付く。
「えっ、あっ。す、すみません。ボク、名刺は持ち歩いていなくて……」
「そうなん? けど、ええよ。今、名前と顔を覚えるから。君、名前は?」
「えっと、山吹緋花です。管理課の職員で……あっ、名刺。頂戴いたします」
こうした社交的な挨拶は、あまり経験がない。そばに桃枝がいることもあり、おかしな真似はできないというプレッシャーもあった。
それでもなんとか名刺を受け取り、山吹は桃枝の隣に立つ。この空気感に耐性がないからか、思わず『このまま桃枝の背後に隠れたい』と咄嗟に思ってしまった山吹は、緩く首を横に振った。
20
お気に入りに追加
80
あなたにおすすめの小説
壁穴奴隷No.19 麻袋の男
猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。
麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は?
シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。
前編・後編+後日談の全3話
SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。
※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。
※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
食事届いたけど配達員のほうを食べました
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか?
そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。
少年ペット契約
眠りん
BL
※少年売買契約のスピンオフ作品です。
↑上記作品を知らなくても読めます。
小山内文和は貧乏な家庭に育ち、教育上よろしくない環境にいながらも、幸せな生活を送っていた。
趣味は布団でゴロゴロする事。
ある日学校から帰ってくると、部屋はもぬけの殻、両親はいなくなっており、借金取りにやってきたヤクザの組員に人身売買で売られる事になってしまった。
文和を購入したのは堂島雪夜。四十二歳の優しい雰囲気のおじさんだ。
文和は雪夜の養子となり、学校に通ったり、本当の子供のように愛された。
文和同様人身売買で買われて、堂島の元で育ったアラサー家政婦の金井栞も、サバサバした性格だが、文和に親切だ。
三年程を堂島の家で、呑気に雪夜や栞とゴロゴロした生活を送っていたのだが、ある日雪夜が人身売買の罪で逮捕されてしまった。
文和はゴロゴロ生活を守る為、雪夜が出所するまでの間、ペットにしてくれる人を探す事にした。
※前作と違い、エロは最初の頃少しだけで、あとはほぼないです。
※前作がシリアスで暗かったので、今回は明るめでやってます。
新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~
焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。
美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。
スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。
これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語…
※DLsite様でCG集販売の予定あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる