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59話 お年玉
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元旦
「あけましておめでとうございます~」
中光家にレオと大翔がやってきた。レオは黒ニットと黒パンツにベージュのオーバーサイズのカーディガンを羽織っている。大翔は赤いニットに白いデニムパンツ、靴下も赤色。ソファー前に座って、ローテーブルに乗ったお雑煮を見てレオはびっくりしている。
「具がない…?!」
お茶碗に入っているのは、醤油の出汁に浸かった丸い餅が1つ。
大翔は餅を伸ばして食べながら聞いた。
「具?なんで具いるの?」
「殻付きのエビ、カマボコ、しいたけ、にんじん、ネギ。地域によって違うとは聞いていたけどまさか具無しがあるとは…」
「へ~。30キロ離れてるだけで全然違うんですね。湊の家で食べたときも同じでしたよ。金粉乗ってたけど」
「あ~…金粉乗せてそう、美鈴」
ダイニングテーブルに父親の剛が1人で座る。星のイラストが描かれた瓶ビールを置きながら。
「レオ君、車だから飲めないのかな?」
「その前に俺まだ19歳です。5月ですよ、20歳になるの」
レオは自分で言って(20歳…………)という響きの重さにウッとなった。
大翔は黒の袴のロンパースを履いた弟の翠に手を伸ばしている。翠はハイハイして大翔に近づく。
ドンドンドン
2階から足音と新年の挨拶の声が聞こえる。
「あけおめ~。うっわ!!!!レオ様来てる!やだ私すっぴん…まぁいっか」
千鶴がレッサーパンダの着ぐるみを着て階段を降りてきた。
「えっ…、それパジャマ?可愛い……やば……」
レオはじーーっと千鶴を見た。大翔はそんな彼を横目で見た。
千鶴は苦い顔で「新年早々…やめてくれ……キラキラ刺さる…レオ様ってキラキラしてない時ないの?」と言った。
大翔は「ないよ。」と言い、千鶴は「お兄ちゃん不死身かよ、なんで生きれてんの?」と返した。大翔は「そのパジャマ脱いだら?」と睨んだ。
レオは(後ろ姿も可愛い…何あの尻尾…)とレッサーパンダを見つめた。千鶴はまだ正気のうちに着替えた。
リビングには母の祥子、父の剛、妹の千鶴が座っている。
「あ、遅くなったけどNYのお土産」
そういって大翔はお茶碗が並ぶテーブルに紙袋を並べた。ソファーに座っているレオの膝では翠が遊んでいる。
「本当に遅い。それ2ヶ月前でしょ。いいな~~2人分のファーストクラスの飛行機に、高級ホテルを無料でさぁ…。私もカスピーに呼ばれたかった………」
レオが翠を縦抱きして立ち上がった。翠はますます大翔に似てきて、まるで大翔のぬいぐるみを持っているかのようだ。
「飛行機はビジネスクラスだった。ホテルはキレイだったけど。金ないんかケチなんか分からん」
「あと、祥子さんにお年玉あります~」と言ってやってきた、翠を抱っこしていない手に何かを持って。
剛と祥子はアハハハと笑った。
「お年玉もらうなんて何年ぶりかしら~」
レオは祥子名義の通帳を置いて、見てください、と言った。家族は凍りついた。もしかして本当にお年玉なのか?と。…祥子はそっと通帳を開いた。剛も覗き込んだ。
「え!!!!!!!!!!」
バタンと閉じた。
「え……?????」
「翔子からです。慰謝料、養育費、出産祝ですよ」
「なに?そんなにすごいの?」と言って、通帳を開いた千鶴は「ぎゃっ!」と言った。
「じつはNYに行った目的、それの部分大きいんです。もちろんアートフェアのためにいったし、観光もしたけど。…楽しかったね♡」
大翔はつられて笑い「うん」と言った。
「前々から祥子さんに金払えよって言ってたんですけど無視するから。カスピと4人でご飯食べてる時に女同士のケンカしてる動画を見せたんです。どう思う?って。そしたら翔子めっちゃキレて。カスピーに見せんなって。まじウケた。ざまーみろアホ」
大翔は暗い顔をした。
「俺はめちゃくちゃ怖かったよ…。怒鳴るみたいに話す先輩、切れ散らかす翔子、なだめるカスピ…。全部英語だし分からんし…」
「よく言うわ。あの状況でご飯食べ続けてたやん」
「ご飯食べるしかやることなくて…」
「というわけでカスピも巻き込んで翔子からもらったお金です。少ないけど…」
「少ないって…大金じゃない…信じられないわ…」
「カスピの上乗せ期待したんですけどね。上乗せしてそれなのか不明ですが。常識の範囲なら慰謝料、養育費、出産祝は税金かからないし確定申告もいらないそうです。常識の範囲がよくわかりませんけど」
レオはA4用紙を1枚取り出してテーブルの上に置いた。
「翔子に合意書も書いてもらいました。でも、税務者がさぐりに来て、贈与税払えって言われる可能性もあるんじゃないかなぁて心配です。そうなると半分は税金の支払いになります」
「は????????????????」
中光家は沈黙した。
「嘘よね?贈与税って治外法権な金額を取るわけ???半分も減るの???そんな理不尽ありえるの???」
「これが現実です。俺は毎年2000万くらい納税してます。死にそうです」
大翔が「にせんまん……?」とレオの方を見た。
祥子は引き下がらない。
「…………黙ってればバレなくない?」
レオも引き下がれない。
「6年か7年バレなければ時効らしいです。まぁなんかあったら連絡ください。税務者とバチバチにやりあったことあるけど、話通じないんで。払えって言われたら払うしかないです」
祥子の顔が暗くなった。
「ノア・カスピってセレブなんじゃないの…?もっとさぁ…何億円をドーンってくれてもいいんじゃないかしら…」
剛も落ち込んできた。「でも、もし1億もらっても税金払えって言われたら手元に残るの5000万か…税金って恐ろしいな…………」
大金をもらったというのに、ノア・カスピと翔子は、金が無いもしくはケチという扱いをされた。
新年早々、レオは講師モードになった。
「念のため税金を引いた分のお金は消費せずに投資に回しましょう。2000万を運用するとして利回り5%でも来年には100万増えます。複利運用すれば15年で2000万も増えます!倍ですよ、倍。翠にお金残せます。俺、おすすめ銘柄ピックアップしますし、ポートフォリオ一緒に考えましょう。投資信託でもー……利回りはマイナスになることもー………長期目線でー………………」
大翔は頑張って話を聞いていたが前半の方でもう諦めた。
初詣。
人がにぎわう中、レオと大翔が手を合わせている。その作業が終わり2人は雪が薄っすら積もる階段を下りた。
「大翔は何をお願いした?」
「お願い?七夕じゃあるまいし。1年のお礼を言うんじゃないんですか?名前と住所いってから」
「何だそれ?ここは私利私欲の溜まり場じゃないのか?」
「先輩は何お願いしたんですか?」
「大翔が最後までさせてくれますよーに」
「…………………………………………。」
「……………冗談だよ」
大翔はNYに行った日を思い出した。彼は夏休みの間、何かに急かされるかのように、毎日、毎日、レオの絵を描いた。
そのモデルはいつも白のソファーの上にいて、テーブルに置いたパソコンを触っていた。ブルーライトカットのメガネがとても似合っている。細い縁に丸みのあるメガネはかっこいい彼を優しく見せてくれる。
彼は簡単なご飯を1日3食用意し、掃除を完璧にこなし、仕事もする、すごいモデルだった。
花が集まったようなカラフルで、盛り上がりのあるマチエールのキャンバスに、黒か白で彼のラインを描いた。
それは目だけだったり、指だけだったり、全身だったり。性別も人種もわからない、残像のような線で。最初は何か分からないが、よく見ると分かる。雑草の中に紛れ込んだおもちゃを探すような絵だった。
それを見たノア・カスピは、本当に大翔の絵を購入してアートフェアで展示した。さらには2人分の飛行機とホテルまで手配してくれた。
アートフェアではカスピが登壇し、自身のアートコレクションの説明をした。
すると、いきなり大翔が呼ばれて登壇した。レオもついてきて、通訳してくれたが、大翔の声と脚は震えっぱなしだった。レオも美術用語が分かるか緊張していたが、インタビューはそんな込み入った難しい話ではなかった。
『この人物にモデルはいますか?』
「(どうしよ?素直に言うべき?嘘つく理由ないもんな…)はい…。こ、恋人を描きました…」
どこからともなく、ヒュ~と言う声が聞こえる。
『素晴らしいですね。恋人は今どこに?』
「(なんなの?何が目的なん?…………???)はい、今…隣にいる人ですけど…」
レオが「I'm right here. 」と言って大翔の腰を持つと、会場は弾けるようにwooow!!と声を上げた。
(何…?何がしたいの?ノア・カスピ…?)
その後、彼らと食事をして分かったが、大翔のアートは、レオとの関係を分かってこそ、魅力が最大限に引き出されるらしい。随分と半返しキス動画に感動したようだ。その流れで翔子の暴行動画の話になり、レオと翔子の怒鳴り合いが始まった。
止めても無視する彼氏と奥さんをどうすることもできなかった2人は、スマホの翻訳画面で会話をし始めた。
“彼は時々、とても怒ります”
“私の妻もよく怒ります。時間が過ぎるのを待つしかありません”
顔を合わせて笑い合った。カスピは広いおでこをポリポリかいて気まずそうだった。
“あなたはとても翔子に似ていて美しいです”
弟の翠も俺と似てるよ、と言いたかったが、上手く言葉が出ないのでやめた。 カスピが続けてた画面を見せた。
“あなたの絵と翔子のメイクも似ています。どちらも愛を語りかけています”
愛………?俺の絵にも翔子のメイクにも、そんなものは感じたことないが。そうしているうちに英語の怒鳴り合いは小さな声になり、自分達が日本人と思い出したのか日本語で話し合っていた。
そんな食事会もなんとか無事終わり、NYにあるホテルについた。
その前に小さな店で必要なものを買う。天上まで商品が積み上げられ、食べ物や日用品が狭い店内に敷き詰められている。
ふと雑誌を目にした大翔は嫌な気分になった。
(うっわ~…元カノのモデルさんだ…)
とある雑誌の表紙を飾っているのは、自分の彼氏の元彼女だった。黒髪のアジア人が胸が見えそうな、なんかすげえ服を着てこちらを見ていた。大翔の心臓は、登壇したときよりもドキドキした。
2人はカスピが用意してくれた部屋についた。
「でっか~」
クイーンサイズの大きなベッドの横に、それまた大きな窓。白いカーテンの前には小さいテーブル2つと1人掛けソファーが1つある。豪華すぎず地味すぎない、ちょうどいい部屋だった。
「NYってなんかもっと…先輩の実家みたいなギラついたイメージだったんですけど、すごい生活感ありますね。さっきのコンビニなんて普通に猫歩いてましたし」
「Bodegaってコンビニの分類なんかな…ネズミ被害がひどいから猫飼うのが当たり前らしいよ。あれ、ハンガーどこだ?」
(…ハンガー探してる。さすがにこのホテルは初めてか。そりゃそうだ。あー、ヤバい。元カノの残像をNYで見るなんて…ここなら大丈夫だと思ったのに…)
「明日のメトロポリタン美術館楽しみだね。200万点って何個?」
そう言いながらお風呂にお湯を貯めるレオ。大翔は後ろから彼を抱きしめた。自らの不安を消すかのように。お出かけする時の彼は高校時代から変わらない香水とワックスの匂いがする。付き合う前、ただの先輩と後輩だった時を思い出す。
「大翔さあ…背伸びたよね?」
「ついに170センチ台になりました」
「ヤバ、抜かされそう」
「よく言うよ185センチが…」
大翔はレオの耳の上に唇を当て、ハムハムと2回挟んだ。
「…先輩、この広さだと2人でお湯つかれないですよね」
「シャワーだけにしよ」
レオが振り向いて、大翔のYシャツのボタンを外した。
大翔は自己暗示をかけた。
(できる…できる…おれはできる…先輩と付き合って1年以上経ったし、うん、もう十分待ってもらったし…できる…できる…)
ベッドの上。荒く呼吸するレオが大翔を見下ろしている。
「ほんとにいいの?気持ち悪くないの?」
「…う…ッ………ん…きもちい…です…」
それは本心だった。最初は違和感を感じた入り口は、レオが毎回触っているうちに、大翔の欲望を大きくした。
「…わかった」
サイドテーブルに手を伸ばし、小さな四角の袋こ端っこを開けた。それをつけているのをみている間、また大翔の心は騒ぎ出した。
(手慣れてる…………………………………………………。あ~~!!!!出てけ出てけ元カノの残像!!!!!!あっちいけ!!!)
「大翔…好き」
レオが舌を絡ませてきた。それに夢中になっていると、いきなり下の方から、こじ開けられる感覚があった。
「うわっ…………、」
大翔は寒気がした。扉が開かれた。レオに抱かれた女達が手招きしている。
(うわ、うわ、うわ、わわわわ な、なんか、入ってきた…)
「~~~~!!!やだ!!!」
大翔は無意識に起き上がって両手でレオを押した。いつもは何しても動かないレオは簡単に離れた。大翔とレオはベッドの上で座って向かい合った。
「あ…………ごめんなさい……………俺………なんでこんな……気持ち悪いんだろ………ごめんなさい…ほんと…」
俺はいつまでイヤイヤ言ってるんだろう?イヤイヤ期か?もう、このまま押さえつけて無理やりやってくれれば、強制的に気が晴れるかもしれない。レオは、嫌だ、嫌だ、と言われると余計に興奮する特異体質だから。
しかし、彼の反応は予想と違った。俯いたまま何も話さず、黙ってゴムを外して袋の中に捨てた。
「大翔……もう…いいよ」
「え?」
「無理しなくていい。俺このままでも幸せだし」
「え…いや…だって…」
「気持ち悪いのに毎日一緒にいてくれてありがとう…」
レオが大翔をギュッと抱きしめた。いつものような力強さはなく、優しいハグ。市立美術館の横にあるバラの庭でされたハグと似ていると思った。ふわっとした、いつでも逃げられるハグだ。
「いや…気持ちいいんですけど………」
「…触ってくれる?」
「………はい」
大翔は言われた通り右手を伸ばした。声が漏れるレオの顔を見ながら、優しくベッドに押し倒した。
俺の作品に愛がある?こんな慰め合うだけの関係しかできないのに、どこに愛なんてあるんだろう?
体はスッキリしても、頭の中はスッキリしなかった。 胸の中はとくに暗い渦が巻いていた。
時は戻って初詣。
「あれ?あの人…美術の先生じゃね?」
「え?どれ?」
「ほらあれ、顔見えないけどイケメンオーラでてる男と歩いてる、あ、もう行っちゃったわ」
「今、一瞬見えたけど大場先生ぽかったです。あ、先輩、甘酒飲みたいです、あっちにある」
大きな樽から杓子で紙コップにそそがれた甘酒を買って、大きな木の下で口をつけた。
「あったか………おいし~。ほんとに飲まないんですか?」
「いや…むり…炊き出しスタイルのものは…」
「中光家のご飯は食べれるようになったのに…まだまだですね」
大翔は飲み終わった紙コップをクシャッと潰した。その時、顔に影が落ちたのを感じて前を見ると、ベージュのキラキラした髪が見えた。
人が行き交う中、レオは大翔の下唇をチュッと吸った。
「ほんとだ、おいしい」
「っっっっっくりしたぁ……人前でするなんて」
「そういえば手繋いで歩いたことなくない?」
レオが大翔の手を握って、オーバーサイズのコートのポケットの中に入れた。
「手あったか」
「コップ持ってた方なので」
やたらと背が高い木々が生い茂る中を2人は歩き出した。
八王子家。
新年の挨拶にやってきた2人は経子と話している。ペイン霧も自宅にいるが、筆が乗っているからと、挨拶はしないように彼女に言われた。
「え?やだやだ、むりむり、本気で言ってんの?」
シャンデリアの光が降り注ぐリビングで黒のソファーに座って足を組むレオが、ワイングラスで水を飲みながら拒否している。
(久しぶりに実家にいる先輩みたけど、似合うなぁ…この派手なインテリアと…さすが実家…)
「あなたしか事務出来る人がいないのよ。ミオの産休のために準備していた人が、大晦日に川に飛び込んでケガしちゃったんだから」
「道頓堀かよ。こんな田舎で川に飛び込むな。本気で嫌なんだけど。俺も仕事あるし、9時から19時まで拘束なんてありえない。大翔にご飯つくれないじゃん。これ以上痩せたらどーすんだよ!身長ばっか伸びて体重増えないのに」
「私があなたの仕事内容を知らないとでも思ってるの?他の人にできるだけ任せて、自分は何もしないように仕組んでるじゃない。その気になればあなたが仕事しなくても仕事は回るでしょう。それにしばらくこっちに帰ってきてほしいのよ。里帰りしてるミオのお世話をしてほしくて。私も霧さんも忙しくて、この家で暇なのあなただけなのよ。」
「やば。大翔、帰ろ…ここにいたらやばい」
「レオ~お願いよ~♡」
お腹を大きくしたミオが壁に寄りかかりこちらを見ていた。
レオはオエッと喉を狭めた。
「切迫早産で動けないの。こっちは2人もお腹に抱えてるんだから。ご飯とお掃除と赤ちゃんの部屋作りよろしく。出産後は1ヶ月だけでいいから。合計3ヶ月!今、骨折してる人も3ヶ月後に戻って来る予定だから。ちょうどいいでしょ?それに大翔くんも忙しいでしょう?1人でゆっくり描きたいよね?NYのギャラリーと契約したなんてすごいわ~。それに比べてこの弟は毎日だらだらと…。あのアトリエはあんたが買ったけど大翔くんの物なんだからちょっとは遠慮しなさいよ」
「買った?もらったんじゃないんですか?また嘘ついたの俺に?」
「いや、あいつは意識朦朧としてるだけ。気にしなくていいから………?ミオ………?」
ミオは白目をむいて口から泡を出して壁に寄りかかっていた。そして真後ろに傾いた。
「お前マジで何やってんの????バカすぎるだろ!!!!!なんでふざけてんの??????アホなの??」
レオが走ってミオを抱えて事なきを得た。
「………え?また気絶した?最近すごい気絶すんのよ…先生はよくあることで大丈夫っていうんだけど」
「大丈夫じゃないだろ!!!今、人生で一番速く走ったわ。ほんと、はぁ~~~~………びっくりした………陽太は何してんだよ………」
「ハワイにお正月旅行いってる人の付き添いでカメラマンしてる。依頼主はどんだけ金あんのよ。ハワイ羨ましい。殴りたくなるわ。いや、でも仕事だし…」
「それ陽太が望んでることな訳?知ってんの今の現状?………あれ??お母さん????」
大翔が経子の腰を撫でていた。
「…………ミオを助けようとしたら…………ぎっくり腰に……………なった………………」
「Shut up! I'm trying to concentra……….woooooooow!!!!!!!」
集中してるから黙れ!と大きな声を出しながら階段を降りようとしたペイン霧が足を踏み外して一番下まで転げ落ちた。
八王子家、波乱の元旦が幕を開けたー…。
1月上旬。冬休みが終わると歯科医院は落ち着きを見せる。そんな中、ピークを終えたレオは疲れ果てていた。
朝6時に起きて、パジャマのままトイレ掃除。その後、部屋着に着替えて、各部屋のシーツとパジャマと昨日の部屋着を洗濯する。ベッドメイキングする。朝ご飯を作る。食器を洗う。リビングとキッチンの掃除をする。昨日干した仕事着にアイロンをかけて畳んで衣装部屋に収納。
8時に仕事着に着替えて、実家の隣にある職場に行く。9時から19時までフルタイムで歯医者の仕事。昼休み2時間の間に部屋着に着替えて夜ご飯の仕込みをする。干したシーツとパジャマを畳んで衣装部屋に収納する。
夜、帰宅して玄関掃除してから部屋着に着替え、仕事着の洗濯をする。ご飯作る。食べて食器とシンクを洗う。洗濯物を干す。お風呂と洗面所を洗う。入浴後もお風呂を洗い最後は拭き上げる。パジャマに着替える。自分の仕事を少しだけする。いつの間にか寝てる。
レオはベッドの上に倒れ込んだ。
(死ぬ…………)
レオは朝から晩まで走った。大翔はレオをキレイ好きだと思っているが、経子からしたらとんでもない話。これだけ頑張ってもダメ出しをされる。ミオも妊娠してイライラしてる。ペイン霧はいつもニコニコしてるけど時々キレるし何考えてんのか分からん。ヘルパーを雇えばいいのに他人には任せたくないという。
経子がやっていた家事を全てやり、3人の世話もして、冬休みで忙しい歯医者の仕事をする。レオはとても車で30分かけて大翔のとこに行く気力がなかった。
(大翔のとこに帰りたい…なんも家事してないのにやたら褒められる毎日に戻りたい…大翔の落としたゴミ拾いながら部屋を歩きたい…大翔の絵みてボケーとしたい…ここは地獄だ………)
そんな考えをしていると大翔から電話がきた。
「今、ちょっとだけ出れませんか?」
白のパジャマ姿のレオが、あわてて門まで走るとそこには夢にまで見た大翔が1人で雪が少し降り積もる中、立っていた。
「なんで?!この時間バスあったけ?!」
「今日は実家帰ってて。今はオトンの買い物についてきてここで降ろしてもらったんです。今、買い物してるんであと10分くらいー…」
話し終える前にレオは大翔を肩を抱きしめて胸の中に埋めた。
「大翔の匂い懐かしい…1週間ぶり…もう限界つらい…家族みんなうるせーし…」
「先輩の匂いも懐かしいです。お仕事おつかれさまです」
見つめ合ってからキスをした。薄っすら雪のつもる地面、大翔の足の裏がしっかりとついている。身長が伸びたので背伸びをしなくてもキスができるようになった。レオも屈まずに顔を下げるだけでよくなった。2人の軽いキスはいつの間にか深いキスに変わり、荒くなって白い息がお互いを包んだ。
「大翔、ほっぺ冷たっ。このまま泊まってよ。お願い」
「え???今から??だめでしょ!経子さんに怒られますよ…………」
「家のことに巻き込みたくないと思ってたけどほんと無理、みんなワガママで無理、ストレス最高値、まじでお願い俺を助けると思って…」
普段から垂れてる目が、より一層垂れて疲れていることが目に見えてわかる。こんな素敵な恋人からキスする距離で目を見つめられお願いされて断れる人がいるだろうか?
大翔は父親に泊まることを電話した。
レオ部屋。
「本当にあいさつなしで入っていいんですか?」
その答えはなく代わりに唇が重なった。レオの手が下の方に伸びて大翔は目をギュッと閉じて体を反応させた。
「………嘘でしょ?そればやばいって…」
「声出さないでね」
大翔はキスされながら押されてベッドに腰掛けた。付き合う前、このベッドで一緒に寝た日を思い出した。大翔が八王子レオにキスしそうになり我慢して唇を噛んだ日。今ではその唇は吸われている。
「ん……、っ……」
大翔の口から音が漏れる。レオは悔しそうな顔をした。
「あ~…なんもないし指挿れれない…てかシャワーも親起きるからできないし…」
11月のNYのホテルの日を最後に、レオ自身の侵入の試みはなかった。しかし、彼の指だけは変わらずに侵入を許され続けている。
レオはキスしながらそっと大翔をベッドに押し倒した。彼の手が下の方に伸びる。
「…………ちょ、先輩、本気?まじでそこは…」
レオは話を聞かず、手を上下に動かした。
お互いに敏感な部分に触れると、確かに気持ちがいいし、終われば性欲は解消される。でも、お互いの表面に触れ合うだけでは満足できない。いつか触りたいと思っていた美しいマチエールは、それだけでは満足できなくなっていた。もっと奥まで知ってほしい、知りたい。絡みついて離れずに、もっと、もっと一つになりたい、愛して欲しい。
そんなことを思いながら大翔はレオの背中に手を回した。
しばらく経ってから。寝息が聞こえる。大翔は手をウェットティッシュで拭きながら横になっているレオを見た。
「先輩…寝ましたか?」
大きな男から返事はなく、赤ちゃんのようなしっとりした顔で目をつぶって、布団に包まっていた。
(服…どーしよ。このまま寝てもいいのかな?俺は全然いいけど、いつもパジャマにこだわってるし、この人…)
レオの部屋にたくさんあった観葉植物は大翔のアトリエに移動されたので、この部屋は大きなベッドと1人掛けソファーとテーブルのみ。ベッドの上にあった大翔の絵が3枚はリビングに移動した。より一層、ホテルのような空間になっている。
(衣装部屋いってみるか…)
経子がぎっくり腰、霧が足首捻挫した元旦。大翔はその場に留まりレオの家事を手伝っていた。レオはアトリエでも、大翔の実家でも、ゆっくりしているようで、でもいつの間にか片付けと掃除をしている。彼が歩くときれいになるので、すぐに分かった。
きれい好きだとは思っていたが、八王子家ではこれまでに見たことのない猛スピードで手順よく片付けている。この家で厳しく訓練されてきた人間なのだと痛感した。
経子が腰を温めていたので、冷やしたほうが良いと言うと驚かれた。自分の父を近くで見ていて自然とつけた知識だが、常識だと思っていたので大翔の方が驚いた。
大翔も家事を手伝ったが、やり方が違うらしく、経子が這いつくばって違いを指摘してきた。それを見てレオは「大翔に命令すんな」と怒り2人は口論になった。
(俺がいると余計に大変になる…)と気づいたので3日目以降、今日まで一度も八王子家にやってこなかった。家の間取りは全てわかった。2階にはトイレ、両親の寝室、霧のアトリエ、レオの部屋、ミオの部屋、ゲストルームがある。
(まさかこんな夜中に誰も起きないだろう)と、堂々と廊下を歩くと、ある部屋の扉が開いた。
「……………?うわ!!!!ん?大翔くん??びっくりした…来てたの」
それはミオだった。大翔は心臓はトランポリンをし始め、体中から冷や汗がでた。
「あっ……ごめんなさい……勝手に…さっき来て…パジャマ取りに行こうと思って…」
「あー心臓止まるかと思った…レオはパジャマ一つ用意できないわけ?」
「(先輩…あんなに頑張ってるのに小言を言われて…)違います、僕が勝手に…」
「…………うっ…何…急に…気持ち悪い…………」
「え????大丈夫ですか???」
「うわ…ぁ……………」
「えっミオさん、えっ、どうしよ」
大翔はミオを支えながら彼女を部屋に連れ戻した。
「落ち着きました…?」
ベッドで横になるミオは大翔に布団をかけてもらった。ミオの部屋も物はなくホテルのようだった。ベッドの横で立ちながらミオを見ている。
「うん。びっくりした。妊娠する謎の体調不良ばっかり……うっ………ぐすん………」
(泣いてしまった……………)
「…………。陽太さん帰ってきましたか?」
「帰ってきたけど…私らの家にいる…こっちにはこない…お母さんが怖いって…」
「(気持ちめちゃくちゃわかる)ミオさんの部屋って一番奥なんですね。トイレに一番遠くて大変じゃないですか?夜中でもトイレに行きたいだろうに。ゲストルームで寝た方がトイレの隣だし良くないですか?」
「なんで頻尿って知ってるの…?」
「そういう時期ですよね。その吐き気も後期つわりですよね?オカンも苦しんでたけど、臨月になって赤ちゃんが下がったら吐き気は落ち着いてました」
「あーそうだった、家に赤ちゃんいるんだったね。すごいね…夫より知識あるよ………う…ううう………」
「ちょうど保健体育で詳しく習った時期で。オカンの悩み全部書いてあったので、すんなり覚えただけですよ。陽太さんもミオさんのこと心配してますよ」
「えーすごい。レオは大翔くんの事アホって言ってたけど超頭いいじゃん…」
「あいつ…。……この前みたいに階段降りるのも、もうやってないですよね?僕もあの時は心臓止まるかと思いました。」
「え?普通に朝昼晩とご飯食べに階段降りるよ?」
「なんで……?切迫早産で、自宅で安静にと指示があったのでは……?」
「なんで…?なんでとは…?リビング以外のどこでご飯食べるの…?」
「普通に自分の部屋で」
「???そんなん汚いじゃん」
「え?なに?まじで何言ってるんですか?まず階段降りる時ってお腹で足元見えてないですよね?めっちゃ危ないですよ?てか誰も止めないんですか?先輩は一体何やってんの???部屋に持ってけよご飯」
「こっわ…大翔くん…めっちゃ怒るやん…………」
ミオは声を上げて泣き出した。大翔はしまった、言い過ぎたと反省したが、この考えは譲れなかった。
「じゃあリビングに布団に敷いたらどうですか?オカンそうしてましたよ」
「なにそれ?そんな事して許されるの…?」
大翔とミオの話し合いは続いた。次第にミオは大翔に何でも話した。腰が痛い、腹も痛い、重い、眠い、産むの怖い、帝王切開かな、ベビールームどうしよ、内祝いだるい、面白いドラマみたい、脚むくんでつらい、腹デカすぎ…など色んな話を。大翔は木製の背もたれ付きの椅子に座って、ベッドの横でずっと話を聞いていた。
6時。いつものようにアラームなしで、レオがパチっと目覚める。
「…大翔?」
トイレに行ったのかと思いながら起きて、シーツを取り外した。
すると
どん!!!!と大きい音がした。
「え?!なに?!」
慌てて廊下に出ると、同じ音を聞いた霧と経子もいた。
「今の音、ミオの部屋じゃない?!」
あの危なっかしい妊婦に何かあったのか?!慌ててそちらに向かうと扉からミオの声が聞こえた。
「~~~?~~~www 気持ちよかったぁ~。ありがと♡」
レオが勢いよく扉を開けるとそこには、床に膝をついて、両肘をベッドに置いている男と、布団の中からそれを見ているミオがいた。
「でもミオさんに喜んでもらえて良かった………………え??????」
大翔が振り返ると、見たことない顔をした3人の鬼がいた。
30分後。
「ぐす……俺…本当に悪いことして…本当に………ごめんなさい……謝って済む問題じゃないけど………うっ……ぐす………申し訳ありません…………」
引き続きミオの部屋。ミオはベッドの上に座り、脚を床に下ろしている。少し離れた場所で大翔がひざに両手を置いて正座をしながら泣きじゃくっている。3人のパジャマを着た大人がそれをゴミのように見ていた。
「大翔くん泣いちゃったじゃん!!!!!!!怒りすぎだよ!!!!レオやりすぎ!!!!!」
レオは肩で息をしていて握った拳は震えていた。後ろの壁には穴が3つ空いていた。ベッドの前に脚が1本折れた木製の椅子がある。
ミオは「大丈夫だよ」と言って大翔の背中を片手で撫でた。
「あ………………………????…まっ………た大翔に触ってる…………。ダメだ無理。え????なに???え???は????何なの…え???あっ……おえっ……気持ち悪……。やば、吐きそう」
そういってズルズル後ろに下がって開いた扉から部屋を出ていった。ガン!ボコ!ゴン!ドン!ガシャーン!!!バリーン!!!と何かが壊された音がした。
霧が英語を話しながらレオを追いかけた。部屋には大翔、経子、ミオが残った。
(終わった……本当に終わった…死にたい……の前に殺される今確実に……………)
経子が腕を組んで頬に片手を当てて深いため息をした。
「ここまで我を忘れて怒るレオは初めて見たわ。それも私の家によくもまぁ…やってくれたわね。覚悟しときなさいよレオ…」
「私、妊娠してなかったら殺されてたよね?あっぶねー。セーフ」
「ふー…。大翔君、もう泣かなくていいから。怖かったのね。かわいそうに。話をまとめると、レオの顔見に来たら、泊まるように言われたのね。レオが寝たあとにパジャマを探していたらミオと会って辛そうだったから介抱したと。この部屋でミオの話をずっと聞きながら、ミオの脚を揉んでたら、いつの間にか2人とも寝てて、椅子に座っていた大翔くんは床に落ちて目覚めたと…」
「本当にお腹大きすぎて脚揉めないんだって、自分で。大翔くん、自分のお母さんの脚も揉んでたからか、めちゃくちゃ気持ちよかった…」
「どこから指摘すればいいのか分からないわ…。レオにはあれだけ女を連れ込むなと言ったのに。連れ込んだことないけど。どうせならパジャマくらいちゃんと用意しなさいよ。どんな理由でも、ミオの部屋に一晩2人きりでいたのは良くないわね。陽太さんが聞いても嫌な気持ちになるでしょう」
「てか、話聞くのも脚揉むのも陽太のやることじゃない?あ、すごいムカついてきた。実家でゆっくりしなよ、とか言ってるけど、あいつお母さんが怖くてこっち来ないんだよ。いまごろ独身気分を謳歌してるんじゃない?私だけが辛い思いして…?あ、ダメ、まじで今、頭からなんかキレる音した」
「それもそうね。陽太さんとも話し合う必要があるわね。明日はお休みだから、彼を呼んでじっくりと話し合いましょう。私の事を怖がっているというのも聞き捨てならないわ。まだまだ彼とは会話が足りないようね」
「大翔くん…なんか…本当にごめんね…?私、毎日体調悪くて、話し相手もいなくて。レオもイライラしてるし、それもムカついて。可愛い高校生に優しくされて嬉しくなって調子乗っちゃって…」
大翔はずっと床を見て泣くだけで返事をしなかった。
「ふー………。ルーティンが崩れると良くないわね。私はもう身支度して出勤に備えるわ。大翔くんも落ち着いたら帰りなさい。ミオは体調に気をつけて。レオは仕事休ませないわよ。霧さん上手く話し合ってるかしら…」
そういって経子は廊下を出た。同時に廊下の被害状況を確認して「何よこれ!全部壊してるじゃない!!あっのクソガキ…!!!」と怒りの声を上げながら去っていった。
「お母さんがクソガキなんていうの初めて聞いた…レオ何やったの?陽太呼んで片付けさせよ。大翔くんはもう帰ってゆっくりして。また2人きりだとキーキー言われるから…」
ミオはスマホで電話かけながら大翔にバイバイと手を振った。大翔は謝りながらミオの部屋を出た。涙が止まらない。
二階の長い廊下は悲惨なことになっていた。壁の片方の鏡張りは全て割られ、もう片方の壁に埋め込まれたショーケースも割られてヒビが入っている。中身のワインは無事だった。床の黒いタイルも一部が割られていて、そこを歩くと危険だ。
1階に降りると、リビングのシャンデリアの下でペイン霧が電話をし終えるとこだった。大翔はペコっと頭を下げる。経子とレオは見当たらなかった。
「……大翔くん、ちょっと2人で話そうか」
電話を終えたペイン霧がこちらを見て微笑んでいた。
「あけましておめでとうございます~」
中光家にレオと大翔がやってきた。レオは黒ニットと黒パンツにベージュのオーバーサイズのカーディガンを羽織っている。大翔は赤いニットに白いデニムパンツ、靴下も赤色。ソファー前に座って、ローテーブルに乗ったお雑煮を見てレオはびっくりしている。
「具がない…?!」
お茶碗に入っているのは、醤油の出汁に浸かった丸い餅が1つ。
大翔は餅を伸ばして食べながら聞いた。
「具?なんで具いるの?」
「殻付きのエビ、カマボコ、しいたけ、にんじん、ネギ。地域によって違うとは聞いていたけどまさか具無しがあるとは…」
「へ~。30キロ離れてるだけで全然違うんですね。湊の家で食べたときも同じでしたよ。金粉乗ってたけど」
「あ~…金粉乗せてそう、美鈴」
ダイニングテーブルに父親の剛が1人で座る。星のイラストが描かれた瓶ビールを置きながら。
「レオ君、車だから飲めないのかな?」
「その前に俺まだ19歳です。5月ですよ、20歳になるの」
レオは自分で言って(20歳…………)という響きの重さにウッとなった。
大翔は黒の袴のロンパースを履いた弟の翠に手を伸ばしている。翠はハイハイして大翔に近づく。
ドンドンドン
2階から足音と新年の挨拶の声が聞こえる。
「あけおめ~。うっわ!!!!レオ様来てる!やだ私すっぴん…まぁいっか」
千鶴がレッサーパンダの着ぐるみを着て階段を降りてきた。
「えっ…、それパジャマ?可愛い……やば……」
レオはじーーっと千鶴を見た。大翔はそんな彼を横目で見た。
千鶴は苦い顔で「新年早々…やめてくれ……キラキラ刺さる…レオ様ってキラキラしてない時ないの?」と言った。
大翔は「ないよ。」と言い、千鶴は「お兄ちゃん不死身かよ、なんで生きれてんの?」と返した。大翔は「そのパジャマ脱いだら?」と睨んだ。
レオは(後ろ姿も可愛い…何あの尻尾…)とレッサーパンダを見つめた。千鶴はまだ正気のうちに着替えた。
リビングには母の祥子、父の剛、妹の千鶴が座っている。
「あ、遅くなったけどNYのお土産」
そういって大翔はお茶碗が並ぶテーブルに紙袋を並べた。ソファーに座っているレオの膝では翠が遊んでいる。
「本当に遅い。それ2ヶ月前でしょ。いいな~~2人分のファーストクラスの飛行機に、高級ホテルを無料でさぁ…。私もカスピーに呼ばれたかった………」
レオが翠を縦抱きして立ち上がった。翠はますます大翔に似てきて、まるで大翔のぬいぐるみを持っているかのようだ。
「飛行機はビジネスクラスだった。ホテルはキレイだったけど。金ないんかケチなんか分からん」
「あと、祥子さんにお年玉あります~」と言ってやってきた、翠を抱っこしていない手に何かを持って。
剛と祥子はアハハハと笑った。
「お年玉もらうなんて何年ぶりかしら~」
レオは祥子名義の通帳を置いて、見てください、と言った。家族は凍りついた。もしかして本当にお年玉なのか?と。…祥子はそっと通帳を開いた。剛も覗き込んだ。
「え!!!!!!!!!!」
バタンと閉じた。
「え……?????」
「翔子からです。慰謝料、養育費、出産祝ですよ」
「なに?そんなにすごいの?」と言って、通帳を開いた千鶴は「ぎゃっ!」と言った。
「じつはNYに行った目的、それの部分大きいんです。もちろんアートフェアのためにいったし、観光もしたけど。…楽しかったね♡」
大翔はつられて笑い「うん」と言った。
「前々から祥子さんに金払えよって言ってたんですけど無視するから。カスピと4人でご飯食べてる時に女同士のケンカしてる動画を見せたんです。どう思う?って。そしたら翔子めっちゃキレて。カスピーに見せんなって。まじウケた。ざまーみろアホ」
大翔は暗い顔をした。
「俺はめちゃくちゃ怖かったよ…。怒鳴るみたいに話す先輩、切れ散らかす翔子、なだめるカスピ…。全部英語だし分からんし…」
「よく言うわ。あの状況でご飯食べ続けてたやん」
「ご飯食べるしかやることなくて…」
「というわけでカスピも巻き込んで翔子からもらったお金です。少ないけど…」
「少ないって…大金じゃない…信じられないわ…」
「カスピの上乗せ期待したんですけどね。上乗せしてそれなのか不明ですが。常識の範囲なら慰謝料、養育費、出産祝は税金かからないし確定申告もいらないそうです。常識の範囲がよくわかりませんけど」
レオはA4用紙を1枚取り出してテーブルの上に置いた。
「翔子に合意書も書いてもらいました。でも、税務者がさぐりに来て、贈与税払えって言われる可能性もあるんじゃないかなぁて心配です。そうなると半分は税金の支払いになります」
「は????????????????」
中光家は沈黙した。
「嘘よね?贈与税って治外法権な金額を取るわけ???半分も減るの???そんな理不尽ありえるの???」
「これが現実です。俺は毎年2000万くらい納税してます。死にそうです」
大翔が「にせんまん……?」とレオの方を見た。
祥子は引き下がらない。
「…………黙ってればバレなくない?」
レオも引き下がれない。
「6年か7年バレなければ時効らしいです。まぁなんかあったら連絡ください。税務者とバチバチにやりあったことあるけど、話通じないんで。払えって言われたら払うしかないです」
祥子の顔が暗くなった。
「ノア・カスピってセレブなんじゃないの…?もっとさぁ…何億円をドーンってくれてもいいんじゃないかしら…」
剛も落ち込んできた。「でも、もし1億もらっても税金払えって言われたら手元に残るの5000万か…税金って恐ろしいな…………」
大金をもらったというのに、ノア・カスピと翔子は、金が無いもしくはケチという扱いをされた。
新年早々、レオは講師モードになった。
「念のため税金を引いた分のお金は消費せずに投資に回しましょう。2000万を運用するとして利回り5%でも来年には100万増えます。複利運用すれば15年で2000万も増えます!倍ですよ、倍。翠にお金残せます。俺、おすすめ銘柄ピックアップしますし、ポートフォリオ一緒に考えましょう。投資信託でもー……利回りはマイナスになることもー………長期目線でー………………」
大翔は頑張って話を聞いていたが前半の方でもう諦めた。
初詣。
人がにぎわう中、レオと大翔が手を合わせている。その作業が終わり2人は雪が薄っすら積もる階段を下りた。
「大翔は何をお願いした?」
「お願い?七夕じゃあるまいし。1年のお礼を言うんじゃないんですか?名前と住所いってから」
「何だそれ?ここは私利私欲の溜まり場じゃないのか?」
「先輩は何お願いしたんですか?」
「大翔が最後までさせてくれますよーに」
「…………………………………………。」
「……………冗談だよ」
大翔はNYに行った日を思い出した。彼は夏休みの間、何かに急かされるかのように、毎日、毎日、レオの絵を描いた。
そのモデルはいつも白のソファーの上にいて、テーブルに置いたパソコンを触っていた。ブルーライトカットのメガネがとても似合っている。細い縁に丸みのあるメガネはかっこいい彼を優しく見せてくれる。
彼は簡単なご飯を1日3食用意し、掃除を完璧にこなし、仕事もする、すごいモデルだった。
花が集まったようなカラフルで、盛り上がりのあるマチエールのキャンバスに、黒か白で彼のラインを描いた。
それは目だけだったり、指だけだったり、全身だったり。性別も人種もわからない、残像のような線で。最初は何か分からないが、よく見ると分かる。雑草の中に紛れ込んだおもちゃを探すような絵だった。
それを見たノア・カスピは、本当に大翔の絵を購入してアートフェアで展示した。さらには2人分の飛行機とホテルまで手配してくれた。
アートフェアではカスピが登壇し、自身のアートコレクションの説明をした。
すると、いきなり大翔が呼ばれて登壇した。レオもついてきて、通訳してくれたが、大翔の声と脚は震えっぱなしだった。レオも美術用語が分かるか緊張していたが、インタビューはそんな込み入った難しい話ではなかった。
『この人物にモデルはいますか?』
「(どうしよ?素直に言うべき?嘘つく理由ないもんな…)はい…。こ、恋人を描きました…」
どこからともなく、ヒュ~と言う声が聞こえる。
『素晴らしいですね。恋人は今どこに?』
「(なんなの?何が目的なん?…………???)はい、今…隣にいる人ですけど…」
レオが「I'm right here. 」と言って大翔の腰を持つと、会場は弾けるようにwooow!!と声を上げた。
(何…?何がしたいの?ノア・カスピ…?)
その後、彼らと食事をして分かったが、大翔のアートは、レオとの関係を分かってこそ、魅力が最大限に引き出されるらしい。随分と半返しキス動画に感動したようだ。その流れで翔子の暴行動画の話になり、レオと翔子の怒鳴り合いが始まった。
止めても無視する彼氏と奥さんをどうすることもできなかった2人は、スマホの翻訳画面で会話をし始めた。
“彼は時々、とても怒ります”
“私の妻もよく怒ります。時間が過ぎるのを待つしかありません”
顔を合わせて笑い合った。カスピは広いおでこをポリポリかいて気まずそうだった。
“あなたはとても翔子に似ていて美しいです”
弟の翠も俺と似てるよ、と言いたかったが、上手く言葉が出ないのでやめた。 カスピが続けてた画面を見せた。
“あなたの絵と翔子のメイクも似ています。どちらも愛を語りかけています”
愛………?俺の絵にも翔子のメイクにも、そんなものは感じたことないが。そうしているうちに英語の怒鳴り合いは小さな声になり、自分達が日本人と思い出したのか日本語で話し合っていた。
そんな食事会もなんとか無事終わり、NYにあるホテルについた。
その前に小さな店で必要なものを買う。天上まで商品が積み上げられ、食べ物や日用品が狭い店内に敷き詰められている。
ふと雑誌を目にした大翔は嫌な気分になった。
(うっわ~…元カノのモデルさんだ…)
とある雑誌の表紙を飾っているのは、自分の彼氏の元彼女だった。黒髪のアジア人が胸が見えそうな、なんかすげえ服を着てこちらを見ていた。大翔の心臓は、登壇したときよりもドキドキした。
2人はカスピが用意してくれた部屋についた。
「でっか~」
クイーンサイズの大きなベッドの横に、それまた大きな窓。白いカーテンの前には小さいテーブル2つと1人掛けソファーが1つある。豪華すぎず地味すぎない、ちょうどいい部屋だった。
「NYってなんかもっと…先輩の実家みたいなギラついたイメージだったんですけど、すごい生活感ありますね。さっきのコンビニなんて普通に猫歩いてましたし」
「Bodegaってコンビニの分類なんかな…ネズミ被害がひどいから猫飼うのが当たり前らしいよ。あれ、ハンガーどこだ?」
(…ハンガー探してる。さすがにこのホテルは初めてか。そりゃそうだ。あー、ヤバい。元カノの残像をNYで見るなんて…ここなら大丈夫だと思ったのに…)
「明日のメトロポリタン美術館楽しみだね。200万点って何個?」
そう言いながらお風呂にお湯を貯めるレオ。大翔は後ろから彼を抱きしめた。自らの不安を消すかのように。お出かけする時の彼は高校時代から変わらない香水とワックスの匂いがする。付き合う前、ただの先輩と後輩だった時を思い出す。
「大翔さあ…背伸びたよね?」
「ついに170センチ台になりました」
「ヤバ、抜かされそう」
「よく言うよ185センチが…」
大翔はレオの耳の上に唇を当て、ハムハムと2回挟んだ。
「…先輩、この広さだと2人でお湯つかれないですよね」
「シャワーだけにしよ」
レオが振り向いて、大翔のYシャツのボタンを外した。
大翔は自己暗示をかけた。
(できる…できる…おれはできる…先輩と付き合って1年以上経ったし、うん、もう十分待ってもらったし…できる…できる…)
ベッドの上。荒く呼吸するレオが大翔を見下ろしている。
「ほんとにいいの?気持ち悪くないの?」
「…う…ッ………ん…きもちい…です…」
それは本心だった。最初は違和感を感じた入り口は、レオが毎回触っているうちに、大翔の欲望を大きくした。
「…わかった」
サイドテーブルに手を伸ばし、小さな四角の袋こ端っこを開けた。それをつけているのをみている間、また大翔の心は騒ぎ出した。
(手慣れてる…………………………………………………。あ~~!!!!出てけ出てけ元カノの残像!!!!!!あっちいけ!!!)
「大翔…好き」
レオが舌を絡ませてきた。それに夢中になっていると、いきなり下の方から、こじ開けられる感覚があった。
「うわっ…………、」
大翔は寒気がした。扉が開かれた。レオに抱かれた女達が手招きしている。
(うわ、うわ、うわ、わわわわ な、なんか、入ってきた…)
「~~~~!!!やだ!!!」
大翔は無意識に起き上がって両手でレオを押した。いつもは何しても動かないレオは簡単に離れた。大翔とレオはベッドの上で座って向かい合った。
「あ…………ごめんなさい……………俺………なんでこんな……気持ち悪いんだろ………ごめんなさい…ほんと…」
俺はいつまでイヤイヤ言ってるんだろう?イヤイヤ期か?もう、このまま押さえつけて無理やりやってくれれば、強制的に気が晴れるかもしれない。レオは、嫌だ、嫌だ、と言われると余計に興奮する特異体質だから。
しかし、彼の反応は予想と違った。俯いたまま何も話さず、黙ってゴムを外して袋の中に捨てた。
「大翔……もう…いいよ」
「え?」
「無理しなくていい。俺このままでも幸せだし」
「え…いや…だって…」
「気持ち悪いのに毎日一緒にいてくれてありがとう…」
レオが大翔をギュッと抱きしめた。いつものような力強さはなく、優しいハグ。市立美術館の横にあるバラの庭でされたハグと似ていると思った。ふわっとした、いつでも逃げられるハグだ。
「いや…気持ちいいんですけど………」
「…触ってくれる?」
「………はい」
大翔は言われた通り右手を伸ばした。声が漏れるレオの顔を見ながら、優しくベッドに押し倒した。
俺の作品に愛がある?こんな慰め合うだけの関係しかできないのに、どこに愛なんてあるんだろう?
体はスッキリしても、頭の中はスッキリしなかった。 胸の中はとくに暗い渦が巻いていた。
時は戻って初詣。
「あれ?あの人…美術の先生じゃね?」
「え?どれ?」
「ほらあれ、顔見えないけどイケメンオーラでてる男と歩いてる、あ、もう行っちゃったわ」
「今、一瞬見えたけど大場先生ぽかったです。あ、先輩、甘酒飲みたいです、あっちにある」
大きな樽から杓子で紙コップにそそがれた甘酒を買って、大きな木の下で口をつけた。
「あったか………おいし~。ほんとに飲まないんですか?」
「いや…むり…炊き出しスタイルのものは…」
「中光家のご飯は食べれるようになったのに…まだまだですね」
大翔は飲み終わった紙コップをクシャッと潰した。その時、顔に影が落ちたのを感じて前を見ると、ベージュのキラキラした髪が見えた。
人が行き交う中、レオは大翔の下唇をチュッと吸った。
「ほんとだ、おいしい」
「っっっっっくりしたぁ……人前でするなんて」
「そういえば手繋いで歩いたことなくない?」
レオが大翔の手を握って、オーバーサイズのコートのポケットの中に入れた。
「手あったか」
「コップ持ってた方なので」
やたらと背が高い木々が生い茂る中を2人は歩き出した。
八王子家。
新年の挨拶にやってきた2人は経子と話している。ペイン霧も自宅にいるが、筆が乗っているからと、挨拶はしないように彼女に言われた。
「え?やだやだ、むりむり、本気で言ってんの?」
シャンデリアの光が降り注ぐリビングで黒のソファーに座って足を組むレオが、ワイングラスで水を飲みながら拒否している。
(久しぶりに実家にいる先輩みたけど、似合うなぁ…この派手なインテリアと…さすが実家…)
「あなたしか事務出来る人がいないのよ。ミオの産休のために準備していた人が、大晦日に川に飛び込んでケガしちゃったんだから」
「道頓堀かよ。こんな田舎で川に飛び込むな。本気で嫌なんだけど。俺も仕事あるし、9時から19時まで拘束なんてありえない。大翔にご飯つくれないじゃん。これ以上痩せたらどーすんだよ!身長ばっか伸びて体重増えないのに」
「私があなたの仕事内容を知らないとでも思ってるの?他の人にできるだけ任せて、自分は何もしないように仕組んでるじゃない。その気になればあなたが仕事しなくても仕事は回るでしょう。それにしばらくこっちに帰ってきてほしいのよ。里帰りしてるミオのお世話をしてほしくて。私も霧さんも忙しくて、この家で暇なのあなただけなのよ。」
「やば。大翔、帰ろ…ここにいたらやばい」
「レオ~お願いよ~♡」
お腹を大きくしたミオが壁に寄りかかりこちらを見ていた。
レオはオエッと喉を狭めた。
「切迫早産で動けないの。こっちは2人もお腹に抱えてるんだから。ご飯とお掃除と赤ちゃんの部屋作りよろしく。出産後は1ヶ月だけでいいから。合計3ヶ月!今、骨折してる人も3ヶ月後に戻って来る予定だから。ちょうどいいでしょ?それに大翔くんも忙しいでしょう?1人でゆっくり描きたいよね?NYのギャラリーと契約したなんてすごいわ~。それに比べてこの弟は毎日だらだらと…。あのアトリエはあんたが買ったけど大翔くんの物なんだからちょっとは遠慮しなさいよ」
「買った?もらったんじゃないんですか?また嘘ついたの俺に?」
「いや、あいつは意識朦朧としてるだけ。気にしなくていいから………?ミオ………?」
ミオは白目をむいて口から泡を出して壁に寄りかかっていた。そして真後ろに傾いた。
「お前マジで何やってんの????バカすぎるだろ!!!!!なんでふざけてんの??????アホなの??」
レオが走ってミオを抱えて事なきを得た。
「………え?また気絶した?最近すごい気絶すんのよ…先生はよくあることで大丈夫っていうんだけど」
「大丈夫じゃないだろ!!!今、人生で一番速く走ったわ。ほんと、はぁ~~~~………びっくりした………陽太は何してんだよ………」
「ハワイにお正月旅行いってる人の付き添いでカメラマンしてる。依頼主はどんだけ金あんのよ。ハワイ羨ましい。殴りたくなるわ。いや、でも仕事だし…」
「それ陽太が望んでることな訳?知ってんの今の現状?………あれ??お母さん????」
大翔が経子の腰を撫でていた。
「…………ミオを助けようとしたら…………ぎっくり腰に……………なった………………」
「Shut up! I'm trying to concentra……….woooooooow!!!!!!!」
集中してるから黙れ!と大きな声を出しながら階段を降りようとしたペイン霧が足を踏み外して一番下まで転げ落ちた。
八王子家、波乱の元旦が幕を開けたー…。
1月上旬。冬休みが終わると歯科医院は落ち着きを見せる。そんな中、ピークを終えたレオは疲れ果てていた。
朝6時に起きて、パジャマのままトイレ掃除。その後、部屋着に着替えて、各部屋のシーツとパジャマと昨日の部屋着を洗濯する。ベッドメイキングする。朝ご飯を作る。食器を洗う。リビングとキッチンの掃除をする。昨日干した仕事着にアイロンをかけて畳んで衣装部屋に収納。
8時に仕事着に着替えて、実家の隣にある職場に行く。9時から19時までフルタイムで歯医者の仕事。昼休み2時間の間に部屋着に着替えて夜ご飯の仕込みをする。干したシーツとパジャマを畳んで衣装部屋に収納する。
夜、帰宅して玄関掃除してから部屋着に着替え、仕事着の洗濯をする。ご飯作る。食べて食器とシンクを洗う。洗濯物を干す。お風呂と洗面所を洗う。入浴後もお風呂を洗い最後は拭き上げる。パジャマに着替える。自分の仕事を少しだけする。いつの間にか寝てる。
レオはベッドの上に倒れ込んだ。
(死ぬ…………)
レオは朝から晩まで走った。大翔はレオをキレイ好きだと思っているが、経子からしたらとんでもない話。これだけ頑張ってもダメ出しをされる。ミオも妊娠してイライラしてる。ペイン霧はいつもニコニコしてるけど時々キレるし何考えてんのか分からん。ヘルパーを雇えばいいのに他人には任せたくないという。
経子がやっていた家事を全てやり、3人の世話もして、冬休みで忙しい歯医者の仕事をする。レオはとても車で30分かけて大翔のとこに行く気力がなかった。
(大翔のとこに帰りたい…なんも家事してないのにやたら褒められる毎日に戻りたい…大翔の落としたゴミ拾いながら部屋を歩きたい…大翔の絵みてボケーとしたい…ここは地獄だ………)
そんな考えをしていると大翔から電話がきた。
「今、ちょっとだけ出れませんか?」
白のパジャマ姿のレオが、あわてて門まで走るとそこには夢にまで見た大翔が1人で雪が少し降り積もる中、立っていた。
「なんで?!この時間バスあったけ?!」
「今日は実家帰ってて。今はオトンの買い物についてきてここで降ろしてもらったんです。今、買い物してるんであと10分くらいー…」
話し終える前にレオは大翔を肩を抱きしめて胸の中に埋めた。
「大翔の匂い懐かしい…1週間ぶり…もう限界つらい…家族みんなうるせーし…」
「先輩の匂いも懐かしいです。お仕事おつかれさまです」
見つめ合ってからキスをした。薄っすら雪のつもる地面、大翔の足の裏がしっかりとついている。身長が伸びたので背伸びをしなくてもキスができるようになった。レオも屈まずに顔を下げるだけでよくなった。2人の軽いキスはいつの間にか深いキスに変わり、荒くなって白い息がお互いを包んだ。
「大翔、ほっぺ冷たっ。このまま泊まってよ。お願い」
「え???今から??だめでしょ!経子さんに怒られますよ…………」
「家のことに巻き込みたくないと思ってたけどほんと無理、みんなワガママで無理、ストレス最高値、まじでお願い俺を助けると思って…」
普段から垂れてる目が、より一層垂れて疲れていることが目に見えてわかる。こんな素敵な恋人からキスする距離で目を見つめられお願いされて断れる人がいるだろうか?
大翔は父親に泊まることを電話した。
レオ部屋。
「本当にあいさつなしで入っていいんですか?」
その答えはなく代わりに唇が重なった。レオの手が下の方に伸びて大翔は目をギュッと閉じて体を反応させた。
「………嘘でしょ?そればやばいって…」
「声出さないでね」
大翔はキスされながら押されてベッドに腰掛けた。付き合う前、このベッドで一緒に寝た日を思い出した。大翔が八王子レオにキスしそうになり我慢して唇を噛んだ日。今ではその唇は吸われている。
「ん……、っ……」
大翔の口から音が漏れる。レオは悔しそうな顔をした。
「あ~…なんもないし指挿れれない…てかシャワーも親起きるからできないし…」
11月のNYのホテルの日を最後に、レオ自身の侵入の試みはなかった。しかし、彼の指だけは変わらずに侵入を許され続けている。
レオはキスしながらそっと大翔をベッドに押し倒した。彼の手が下の方に伸びる。
「…………ちょ、先輩、本気?まじでそこは…」
レオは話を聞かず、手を上下に動かした。
お互いに敏感な部分に触れると、確かに気持ちがいいし、終われば性欲は解消される。でも、お互いの表面に触れ合うだけでは満足できない。いつか触りたいと思っていた美しいマチエールは、それだけでは満足できなくなっていた。もっと奥まで知ってほしい、知りたい。絡みついて離れずに、もっと、もっと一つになりたい、愛して欲しい。
そんなことを思いながら大翔はレオの背中に手を回した。
しばらく経ってから。寝息が聞こえる。大翔は手をウェットティッシュで拭きながら横になっているレオを見た。
「先輩…寝ましたか?」
大きな男から返事はなく、赤ちゃんのようなしっとりした顔で目をつぶって、布団に包まっていた。
(服…どーしよ。このまま寝てもいいのかな?俺は全然いいけど、いつもパジャマにこだわってるし、この人…)
レオの部屋にたくさんあった観葉植物は大翔のアトリエに移動されたので、この部屋は大きなベッドと1人掛けソファーとテーブルのみ。ベッドの上にあった大翔の絵が3枚はリビングに移動した。より一層、ホテルのような空間になっている。
(衣装部屋いってみるか…)
経子がぎっくり腰、霧が足首捻挫した元旦。大翔はその場に留まりレオの家事を手伝っていた。レオはアトリエでも、大翔の実家でも、ゆっくりしているようで、でもいつの間にか片付けと掃除をしている。彼が歩くときれいになるので、すぐに分かった。
きれい好きだとは思っていたが、八王子家ではこれまでに見たことのない猛スピードで手順よく片付けている。この家で厳しく訓練されてきた人間なのだと痛感した。
経子が腰を温めていたので、冷やしたほうが良いと言うと驚かれた。自分の父を近くで見ていて自然とつけた知識だが、常識だと思っていたので大翔の方が驚いた。
大翔も家事を手伝ったが、やり方が違うらしく、経子が這いつくばって違いを指摘してきた。それを見てレオは「大翔に命令すんな」と怒り2人は口論になった。
(俺がいると余計に大変になる…)と気づいたので3日目以降、今日まで一度も八王子家にやってこなかった。家の間取りは全てわかった。2階にはトイレ、両親の寝室、霧のアトリエ、レオの部屋、ミオの部屋、ゲストルームがある。
(まさかこんな夜中に誰も起きないだろう)と、堂々と廊下を歩くと、ある部屋の扉が開いた。
「……………?うわ!!!!ん?大翔くん??びっくりした…来てたの」
それはミオだった。大翔は心臓はトランポリンをし始め、体中から冷や汗がでた。
「あっ……ごめんなさい……勝手に…さっき来て…パジャマ取りに行こうと思って…」
「あー心臓止まるかと思った…レオはパジャマ一つ用意できないわけ?」
「(先輩…あんなに頑張ってるのに小言を言われて…)違います、僕が勝手に…」
「…………うっ…何…急に…気持ち悪い…………」
「え????大丈夫ですか???」
「うわ…ぁ……………」
「えっミオさん、えっ、どうしよ」
大翔はミオを支えながら彼女を部屋に連れ戻した。
「落ち着きました…?」
ベッドで横になるミオは大翔に布団をかけてもらった。ミオの部屋も物はなくホテルのようだった。ベッドの横で立ちながらミオを見ている。
「うん。びっくりした。妊娠する謎の体調不良ばっかり……うっ………ぐすん………」
(泣いてしまった……………)
「…………。陽太さん帰ってきましたか?」
「帰ってきたけど…私らの家にいる…こっちにはこない…お母さんが怖いって…」
「(気持ちめちゃくちゃわかる)ミオさんの部屋って一番奥なんですね。トイレに一番遠くて大変じゃないですか?夜中でもトイレに行きたいだろうに。ゲストルームで寝た方がトイレの隣だし良くないですか?」
「なんで頻尿って知ってるの…?」
「そういう時期ですよね。その吐き気も後期つわりですよね?オカンも苦しんでたけど、臨月になって赤ちゃんが下がったら吐き気は落ち着いてました」
「あーそうだった、家に赤ちゃんいるんだったね。すごいね…夫より知識あるよ………う…ううう………」
「ちょうど保健体育で詳しく習った時期で。オカンの悩み全部書いてあったので、すんなり覚えただけですよ。陽太さんもミオさんのこと心配してますよ」
「えーすごい。レオは大翔くんの事アホって言ってたけど超頭いいじゃん…」
「あいつ…。……この前みたいに階段降りるのも、もうやってないですよね?僕もあの時は心臓止まるかと思いました。」
「え?普通に朝昼晩とご飯食べに階段降りるよ?」
「なんで……?切迫早産で、自宅で安静にと指示があったのでは……?」
「なんで…?なんでとは…?リビング以外のどこでご飯食べるの…?」
「普通に自分の部屋で」
「???そんなん汚いじゃん」
「え?なに?まじで何言ってるんですか?まず階段降りる時ってお腹で足元見えてないですよね?めっちゃ危ないですよ?てか誰も止めないんですか?先輩は一体何やってんの???部屋に持ってけよご飯」
「こっわ…大翔くん…めっちゃ怒るやん…………」
ミオは声を上げて泣き出した。大翔はしまった、言い過ぎたと反省したが、この考えは譲れなかった。
「じゃあリビングに布団に敷いたらどうですか?オカンそうしてましたよ」
「なにそれ?そんな事して許されるの…?」
大翔とミオの話し合いは続いた。次第にミオは大翔に何でも話した。腰が痛い、腹も痛い、重い、眠い、産むの怖い、帝王切開かな、ベビールームどうしよ、内祝いだるい、面白いドラマみたい、脚むくんでつらい、腹デカすぎ…など色んな話を。大翔は木製の背もたれ付きの椅子に座って、ベッドの横でずっと話を聞いていた。
6時。いつものようにアラームなしで、レオがパチっと目覚める。
「…大翔?」
トイレに行ったのかと思いながら起きて、シーツを取り外した。
すると
どん!!!!と大きい音がした。
「え?!なに?!」
慌てて廊下に出ると、同じ音を聞いた霧と経子もいた。
「今の音、ミオの部屋じゃない?!」
あの危なっかしい妊婦に何かあったのか?!慌ててそちらに向かうと扉からミオの声が聞こえた。
「~~~?~~~www 気持ちよかったぁ~。ありがと♡」
レオが勢いよく扉を開けるとそこには、床に膝をついて、両肘をベッドに置いている男と、布団の中からそれを見ているミオがいた。
「でもミオさんに喜んでもらえて良かった………………え??????」
大翔が振り返ると、見たことない顔をした3人の鬼がいた。
30分後。
「ぐす……俺…本当に悪いことして…本当に………ごめんなさい……謝って済む問題じゃないけど………うっ……ぐす………申し訳ありません…………」
引き続きミオの部屋。ミオはベッドの上に座り、脚を床に下ろしている。少し離れた場所で大翔がひざに両手を置いて正座をしながら泣きじゃくっている。3人のパジャマを着た大人がそれをゴミのように見ていた。
「大翔くん泣いちゃったじゃん!!!!!!!怒りすぎだよ!!!!レオやりすぎ!!!!!」
レオは肩で息をしていて握った拳は震えていた。後ろの壁には穴が3つ空いていた。ベッドの前に脚が1本折れた木製の椅子がある。
ミオは「大丈夫だよ」と言って大翔の背中を片手で撫でた。
「あ………………………????…まっ………た大翔に触ってる…………。ダメだ無理。え????なに???え???は????何なの…え???あっ……おえっ……気持ち悪……。やば、吐きそう」
そういってズルズル後ろに下がって開いた扉から部屋を出ていった。ガン!ボコ!ゴン!ドン!ガシャーン!!!バリーン!!!と何かが壊された音がした。
霧が英語を話しながらレオを追いかけた。部屋には大翔、経子、ミオが残った。
(終わった……本当に終わった…死にたい……の前に殺される今確実に……………)
経子が腕を組んで頬に片手を当てて深いため息をした。
「ここまで我を忘れて怒るレオは初めて見たわ。それも私の家によくもまぁ…やってくれたわね。覚悟しときなさいよレオ…」
「私、妊娠してなかったら殺されてたよね?あっぶねー。セーフ」
「ふー…。大翔君、もう泣かなくていいから。怖かったのね。かわいそうに。話をまとめると、レオの顔見に来たら、泊まるように言われたのね。レオが寝たあとにパジャマを探していたらミオと会って辛そうだったから介抱したと。この部屋でミオの話をずっと聞きながら、ミオの脚を揉んでたら、いつの間にか2人とも寝てて、椅子に座っていた大翔くんは床に落ちて目覚めたと…」
「本当にお腹大きすぎて脚揉めないんだって、自分で。大翔くん、自分のお母さんの脚も揉んでたからか、めちゃくちゃ気持ちよかった…」
「どこから指摘すればいいのか分からないわ…。レオにはあれだけ女を連れ込むなと言ったのに。連れ込んだことないけど。どうせならパジャマくらいちゃんと用意しなさいよ。どんな理由でも、ミオの部屋に一晩2人きりでいたのは良くないわね。陽太さんが聞いても嫌な気持ちになるでしょう」
「てか、話聞くのも脚揉むのも陽太のやることじゃない?あ、すごいムカついてきた。実家でゆっくりしなよ、とか言ってるけど、あいつお母さんが怖くてこっち来ないんだよ。いまごろ独身気分を謳歌してるんじゃない?私だけが辛い思いして…?あ、ダメ、まじで今、頭からなんかキレる音した」
「それもそうね。陽太さんとも話し合う必要があるわね。明日はお休みだから、彼を呼んでじっくりと話し合いましょう。私の事を怖がっているというのも聞き捨てならないわ。まだまだ彼とは会話が足りないようね」
「大翔くん…なんか…本当にごめんね…?私、毎日体調悪くて、話し相手もいなくて。レオもイライラしてるし、それもムカついて。可愛い高校生に優しくされて嬉しくなって調子乗っちゃって…」
大翔はずっと床を見て泣くだけで返事をしなかった。
「ふー………。ルーティンが崩れると良くないわね。私はもう身支度して出勤に備えるわ。大翔くんも落ち着いたら帰りなさい。ミオは体調に気をつけて。レオは仕事休ませないわよ。霧さん上手く話し合ってるかしら…」
そういって経子は廊下を出た。同時に廊下の被害状況を確認して「何よこれ!全部壊してるじゃない!!あっのクソガキ…!!!」と怒りの声を上げながら去っていった。
「お母さんがクソガキなんていうの初めて聞いた…レオ何やったの?陽太呼んで片付けさせよ。大翔くんはもう帰ってゆっくりして。また2人きりだとキーキー言われるから…」
ミオはスマホで電話かけながら大翔にバイバイと手を振った。大翔は謝りながらミオの部屋を出た。涙が止まらない。
二階の長い廊下は悲惨なことになっていた。壁の片方の鏡張りは全て割られ、もう片方の壁に埋め込まれたショーケースも割られてヒビが入っている。中身のワインは無事だった。床の黒いタイルも一部が割られていて、そこを歩くと危険だ。
1階に降りると、リビングのシャンデリアの下でペイン霧が電話をし終えるとこだった。大翔はペコっと頭を下げる。経子とレオは見当たらなかった。
「……大翔くん、ちょっと2人で話そうか」
電話を終えたペイン霧がこちらを見て微笑んでいた。
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