マチエール

カマンベール

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40話 いつまでも

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黒のタンクトップにベージュのオーバーサイズのカーディガンを着たレオが部室に入った。今日は2.3年生はおらず部員は40人ほど。賑やかだった部室内はシン…と静まり返った。

遅れて淳も部室に入り、ホワイトボードの前に椅子を置いて座った。レオは立ったままペンの蓋を開ける。

(なんでこんなに静かなんだ?視聴覚室ではキャーキャー盛り上がってたのに) 

大翔は一番後ろの席に座っている。隣は初音、千鶴が並んだ。2人の顔を見ると真剣な顔でシャーペンを握り、ノートを開いていた。

レオが真っ白な黒板に文字を書きながら話し始める。

「インスタグラムだけではなくSNS全般において共通することは、フォロワー数はバニティメトリクス。大切なのは、本当にあなたに興味を持ってくれている人を確実に増やすこと。投稿のインプレッション数が大事。SNSは戦場と同じ。ライバルは山のようにいるから、ただ可愛い写真や動画をアップするだけでは埋もれてしまいます。今日は具体的に実践と分析をしてフォロワー数を増やす方法を教えます。鳩田、題材になりそうなアカウントあった?」

「うんとね~。あるある、プチプラメイクを投稿してる…1年の…山下 美子ちゃん!」

「はっはい!」

「フォロワー数は1番増えてるけど、インプレッション数が低いので、一投稿ずつ確認していこうね❤️」鳩田がニコッと笑った。 

1時間半後。

「今日教えたことは次回の講座の土台になるので、必ず復習して覚えるように。それでは今日は以上で終了です。解散!」

そういってレオと鳩田は、さっさと帰っていった。大翔は頭から煙が出そうだった。

(てきとーに楽しーかっこいー動画撮って上げてると思ったら、そんな深いこと考えてんの…?俺無理だわ…インスタやんの…) 

周りを見ると皆、魂が抜けていた。題材にされた生徒は泣いていて、慰められていた。

(八王子レオ…恐ろしい…鳩田淳もなんだかんだ言ってインフルエンサーなんだな…八王子レオの言う事すべて理解して補足できるんだもん………)


「はっちゃん…写真部はいつもこーなの?」

「や…高文展が終わってから…それまでは…4月に1回顔合わせして終わり、5月は高文展に出す写真を各自撮っておくよーに言われただけ…」

千鶴も口を開いた。

「高文展が終わったら、じゃあ今から本格始動します…て。俺の仕事を手伝えるくらい成長した人だけが写真部にいられます。2年になる前にテストして不合格の場合は退部です、って…。あぁ…少数精鋭…2.3年生合わせて10人もいない理由が分かった…」

(先生は何も言わないのか…なんでシャツ渡すの放課後じゃないのか分かった気がする…そんな余裕なかった…)

今日は写真部の講座に参加するから、たくさん会えると思ったのに。話もできるかな、と。しかし実際は謎の横文字を聞いて見て、眠気を我慢するので精一杯だった。

レオも説明するのに忙しくしていて目も合わなかった。突然、当てられて皆の前で答えろと言われるのではないかと緊張しっぱなしだ。

「レオ様ってヒートアップすると、英語の発音が流暢になってきて、そのうち全部、英語で話す時もあるからね。聞き取れんて。ハトジュンが勘で翻訳してくれるけど。お兄ちゃん帰らないの?」

「日本生まれ日本育ちのくせに…。俺せっかくだし美術部で絵描いてから帰る」


すぐ隣にある美術部の扉を開けると、先客がいた。

「(珍しいな)こんにちは~…」

くるっと振り返ったその人は、ついさっきまでホワイトボードの前で長々と話していた人物だった。

「先輩?帰ったんじゃ?」

「大翔と話したかったし」

ニコッと笑うレオの顔を直視してしまった大翔は背中から冷や汗が出た。

(俺、ここの部屋で…抱きしめられて、噛んで…うわぁ~~…………正気でいられない………いや、でも……もっとヤバいことこの人にしちゃったし……あぁ~~~~~~~………)

レオは立ち上がって、机を撫でた

「ここにいた時にお前に首噛まれたなぁ」

大翔はビクッとした。(触れてほしくない話題を…!)

レオは手を前にチョイチョイとして手招きをした。大翔は素直にそれに従い、椅子に座っている彼の前に立った。

「あのさ…」

「はい」

「まだ首に噛み跡残ってるの?」

「まあ、少しだけ」

「見せてよ」

「嫌ですよ」

「なんで?」

「なんでって…恥ずかしいじゃないですか」

「何が恥ずかしいの?ボタンとってよ」

「嫌ですって、俺もう絵描きますから…」

大翔は呆れた顔をして、一席離れて椅子に座り、机の上にリュックを置いた。

「初音ちゃんには自分から見せてたじゃん」

レオが立ちがあり、大翔の真横に立った。冷たい表情で彼を見下ろしている。

「俺にも見せてよ、自分で脱いで、見せて」

(なんか機嫌悪い?)

大翔はイライラしてきた。昼間は、いきなり1年の教室にやってきて服脱いで渡して帰って…。放課後は目も合わさず。

縫いでって何だそれ。 

(そんなに見たいのなら、先輩が俺を脱がせば……、それは言わんほうが良いな)

アザを見せれば黙るなら、さっさと見せてしまおう。大翔はモソモソと第3ボタンまで外し、左の首襟を下げた。

レオは腰を曲げて顔をぐっと彼の首に近づけた。思わず大翔はビクッとしてしまう。

「薄くなってきた。もーすぐで治るか。次は跡が残らないように優しくするね」

「次はないですよ?!」

アハハとレオは笑い、何事もなかったように近くの机に腰を下ろした。

大翔はモヤモヤした。こいつはなんで頑なに触ってこないんだ。レオの両手はポケットに収まっている。今の感じなら普通にナデナデしてもおかしくないのに。


レオはボソッと下を見ながらつぶやいた。

「俺にあんな事しといてよく平気で話せるね…」

大翔はボタンを留めながら、心臓が止まった気がした。

(あんな事って…あの事?目覚ましてたの?それを今ごろ言う?)

「おれは中休みに教室行くくらい会いたかったのに…」

(ん?)

「さっきなんで一番後ろにいたわけ?何も見えないじゃん。お前の寝癖しか見えてないよ。昨日も会ってないのに、この仕打ちはひどくない?」

(何の話?)

「千鶴とはっちゃんが一番後ろにいたから、そこに座っただけで深い意味はないですが…?」

「お前はなんで初音ちゃんの横に座ってんの?」

「なんで?席が空いてたからですよ?」

「千鶴ちゃんの横も空いてたじゃん」  

「そうですけど、入口から近いのは、はっちゃんの横ですし。わざわざ回って千鶴の横に行かなくても…」

「ふーん」


(そんなどうでもいいこと考えてたの?はっちゃんが何したっていうんだ)


「先輩こそ何なんですか?昼休み、皆の前で服脱いで下着姿になって恥ずかしくないんですか?」

レオの脳内にはイメージ画像が浮かんだ。

首をスリスリする猫
高い位置におしっこする犬

レオは思考を止めた。そして答えずに話した。

「…………大翔は皆の前で話すの苦手だから、今日、当てなかったよ」

「…………その点はありがとうございます。あの…俺もう絵描きますんで」

大翔はスケッチブックを開き、鉛筆を紙に当てた。

「先輩はまだそこにいるんですか?」

「いる。音楽聴いていい?」

「どうぞ(どんな歌聴くんだろう)」  

レオのスマホからヤバいヤバい聴こえてきた。

(この人、好きな曲しか聴かないんだった…)

空が青い、放課後の美術室

スケッチブックにアイディアを描く大翔と、机に突っ伏して音楽を聴くレオの2人は何回も同じ歌を聴いた。


♫一緒に行こうか 誰も見捨てたりしないから 君が望むまで いつまでも いつまでも

「先輩まだいますか?いつまでいます?」

「大翔が帰ったら帰る」

「じゃあ…モデルのお願いしてもいいですか?」

「え?良いけど…初めてだな。いつも盗撮ならぬ盗描き?してたのに」

「先輩は好きにしててください。俺が勝手に動くので」  

レオは突っ伏しまま「このままでいいの?」と聞いた。

「いいです。先輩、何してもかっこいいですから」

大翔は近づいたり離れたりして、カリカリと鉛筆を走らせた。

外からは運動不足の元気な声が聞こえてくる。校内の道沿いの草木からは紫陽花が顔をのぞかせる。実に気持ちのいい爽やかな6月だ。

「先輩」

「はーい」

レオは目を閉じてウトウトしている。

「なんで俺のこと触らなくなったんですか?」

大翔は紙から目を離さず、手を止めず。突然、核心をついた質問をした。

「ハハッ気づいてた?」

大翔の渾身の質問をレオは軽く受け流した。

「とっくに気づいてました」

「んー。反省してるから色々と。触ってほしかった?」

レオはひょいっと起きて、大翔の横の椅子に座り、ズルズルと椅子をくっつけ、大翔の顔を見ながらニヤニヤ笑った。

近づくな!と言われるだろうなーと思いながら。

大翔は手を止めて、スケッチブックを見ながら返事をした。

「そうですね…」

予想外の返事にレオは「え」としかいえなかった。

大翔はこちらをゆっくりみて、目を見ながらはっきりと答えた。

「前みたいにいっぱい触って欲しいです」

レオは目を開いたまま大翔としばらく見つめあった。

なんだ?なんだこいつは?ペイン霧美術館に泊まった時から本格的におかしくなってしまった。

俺が一晩中、お経や幽霊の声を流したから…大翔が何かに取り憑かれてしまったのか…?だから、俺のベッドの上に乗ってきて…?あれも悪霊の仕業なのか?


「大翔、お前…お祓いに…」

ブーブー

レオの声をかき消すように、スマホから通話が音で知らされた。

そこには、ペイン霧、と表示されている。

「もしもし、うん。明日大丈夫。6時にアザミね。わかった。え?大翔?あ…今、横にいるから…うん、まって」

レオは大翔の方を向いた。

「明日、アザミに家族で食べに行くんだけど…お父さんが大翔も来ないかって」

大翔の顔は明るくなった。

絵本作家のペイン霧に、本人に、会える!  
 
笑顔で「はい!」と返事をした。
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