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混沌へ

122.願い事

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 日が沈み、暗くなるころにはアシの言った通り、休める場所についた。

 ただ、ミラが想像していたような場所ではなかった。



 石造りの要塞のような建物で、威圧的な塀。



 アシはミラを抱えて、塀の前にいる見張りに話しかけた。



 ミラは体調が悪くて抵抗する気も起きず、生きていくためにはアシの力が必要だと割り切り、彼に逆らわなかった。



「イシュ・ガイン将軍直下のアシ・ニーラだ。緊急事態だ、すぐに治療を受けさせろ。」

 アシが言い終える前に、彼を確認すると見張りは姿勢を正し、礼をした。

 どうやらアシは皇国軍の中で結構いい立場にいるようだ。



「ニーラ隊長。帝国に向かっているはずでは…」



「緊急事態だ。すぐに国境に兵を出せ。」

 アシは手短に帝国が向かって来ていることと、警備の強化が必要なことを告げた。

 それを聞き見張り達は慌てて動き出した。

 勿論アシの抱えられたミラは建物の中に運ばれた。



 久しぶりのように感じるベッドに横たわり、ミラは少し安心していた。



 帝国よりも暑かったが、日が沈むにつれて周りは冷えてきて、温度差に更に体調が悪くなりそうだった。



 実際、今も体調は悪い。

 断続的に吐き気が襲ってきて、何度馬の上で吐きそうになったことか。



「下手なことを考えるな。彼女は皇族に渡す。」

 アシはミラを興味深そうに見て来る兵士たちを睨みながら言った。



「ガイン将軍とバラ将軍は帰ってこられないのですか?」



「ああ。それよりも、彼女を休ませてから馬車で落ち着いて向かわせたい。」

 アシはミラの顔に布をかけた。

 どうやら鑑目を隠すためのようだ。



「わかりました。準備を急ぎますが、アシ様は…?」



「俺も彼女と皇都に向かう。早く宮殿に行かないと…」

 アシは声に笑みを含ませていた。



 ミラは、とにかく水と栄養価の高いドリンクを摂り、快適な気温の部屋で寝かされた。



 グルルルル



「…大丈夫か?」

 ミラの盛大なお腹の音に、興味が無さそうだったアシもさすがに気遣った。



「…お腹…すいた…」

 ミラは恥ずかしかったが、人間の欲求には敵わない。



「まあ、疲れたんだろうな。まともな食事も摂っていなかっただろうし、何か用意してやる。」

 アシは仕方なさそうに立ち上がり、部屋から出て行った。



 ミラの足首には鎖が繋がれており、逃げられないようになっている。

 そもそも逃げる体力も無いミラはアシを黙って見送った。



 ミラは布団をかぶり、丸まった。

「ライガ…会いたい。」

 ミラは心から言った。



 ライガに会いたくてしかたない。



 逃げることのできない歯がゆさもあるが、今は生き続けることに集中している。



 ずっと王城で過ごしたミラは、異国で逃げ切る力も経験も無かった。

 それはすぐにわかる。



 もう少し世間知らずなら、もしかしたら無鉄砲に逃げ出していたかもしれない。



 ミヤビの死に触れたことや、ヒロキの死を知ったことが大きかった。



 彼らを見ていると、生きていくことの大切さがわかった。

 どんな形であっても生きていて欲しかったと悔やむジンを見ていると、生き延びることの大切さがわかる。



 ミラもライガに会いたくて仕方ないが、死んだら会えなくなる。

 それは会えなくて苦しい以前の問題だった。



「生きて…会いたい。」





 





 どこの国も国境には警備を置いている。

 それはわかっている。



 だが、その警備の規模をはるかに上回る戦力を投入させるとどうなるかは簡単にわかる。

 夜の暗い中なら尚更だ。



 夜空の下で、蠢く集団がある。



 サンズは集団の先頭で目を凝らしていた。



「…?」

 サンズは周りを見渡した。



「どうされました?」

 彼の横にいる騎士が訊いた。



「…思ったよりも多いな…それに、警戒状態だ。」

 サンズは目の前に見える黒い影を指した。



 そこには、サンズが率いている騎士たちよりは少ないが、迎え撃つように待ち構える敵兵達がいた。



「…どうされますか?」



「…突っ切るに決まっているだろ。」

 サンズは剣を掲げた。



 月明かりに反射した武器の光が後ろにいる騎士たちまで届いた。



「行くぞ!!」

 サンズは叫ぶと馬を走らせた。



 彼の言葉に続くように騎士たちが剣を掲げ、馬を走らせ突進を始めた。



 数で大きく上回っているのもあるが、騎士団の帯びている熱気は異常なほど攻撃的で、どこまでも狂暴だった。



 先頭のサンズが唯一、それを持っていなかった。

 だが、突破するためには、自分も彼等と同じように攻撃的で狂暴な騎士にならなければならない。





『優し過ぎないこととか…』



『…俺の後始末…いつもやらせて悪かった。』



『また…頼む。』



 サンズを攻撃的で狂暴にする言葉たちだ。



 唯一無二の親友で命の恩人、尊敬していた存在が残した言葉。

 他にもたくさん彼の言葉はあるが、今際の言葉が一番残る。



 サンズはわかっていた。

 自分はアレックスのようにはなれない。

 騎士としても人としても、アレックスには敵わない。



 追い続ける背中を追い越せないのは悲しいことではない。

 追い付けなくても追い続けられるのは、とても幸せなことだ。



 追い付くと空しいという者もいるが、一番辛いのは



 追い付けないまま背中が消えることだ。



 彼は死ぬべき存在ではなかった。



 今もまだ、サンズの横にいるはずだった。

 一緒に、共に戦うはずだった。



 頼もしい背中を、サンズに向けてくれるはずだった。

「かかれええええ!!」

 サンズは近づく黒い影の集団に向けて剣を構えた。







 



 辺りが暗くなり、国境の山地付近に入った。

 皇国側が見られるくらいの標高の高いところまで進んでから休むという目標でライガたちは進んでいた。



 確かに集団で動くには道は険しく、狭い。



 崖崩れを起こしそうなところもあり、中々不安定な地形だった。



 集中力が切れることは無く、張りつめた空気でライガたちは進んだ。

 ライガ、リラン、ジン以外は少し気を緩める瞬間はあったが、道案内も含め、基本的に張りつめていた。



「サンズは、皇国で死ぬつもりだ。」

 ジンは、自分と王達とのやり取りを話し始めた。



 精鋭に対して狂信的になっている騎士と、王族に対して反旗を翻しかねない騎士をまとめて皇国に連れて行くこと、帝国の立て直しには騎士団の不安要素があっては進まないこともだ。



「あの人が生きて帰るつもりがないのはわかっていました。…だって、俺はあの人の可愛がられていたし…騎士であるのはあの人のお陰だから…」

 リランは少し照れくさそうに言った。



「アレックスが守った帝国騎士団と、王城と王族を守るためには、皇国と騎士団の不安要素をぶつけて痛み分けでもしないといけないと…言っていた。」

 ジンはすこしだけ悲しそうに笑った。



「結局はサンズさんも俺達と同じですね…。義務と責任感で抑えているけど、皇国が憎くて仕方ない。そして、一番自分が許せない。」

 リランはジンを見た。

 ジンは頷いた。



 ジンはまだ、憎しみの影を見せているが、リランは違った。

 手を下したものを殺したからかもしれないが、今、一番冷静であるのはリランであった。



「…ライガは後悔していないのか?」

 リランはふとライガに訊いた。



「え?」

 ライガは何を聞かれているのかわからなかった。



「俺達を裏切ったことだ。いわば、それが発端だった。」

 リランは責めるわけでもなく淡々と事実を述べるように言った。



 ジンは無言になった。

 どうやらそれに関してはジンも思うところがあるようだ。

 他の騎士たちもそうだった。



 裏切ったのは、ミラと一緒にいるためだ。





『後悔することも、謝ることも許さない…』

 マルコムがライガに敗れた時に言ったことだ。



 その通りだった。



 後悔なんかしていないし、これに関しては謝るつもりもない。



「後悔していない。ミラと逃げたことは、絶対に間違いじゃない。」

 ライガは断言した。



「…クソ野郎だな…」

 リランは呆れたように笑った。



「…マルコムと戦った時に言われた。後悔するな…ってな。謝ることも許さないって言われた。」

 ライガは、今この場にいない、決別した友の言葉を言った。



「マルコムは本当にお前を尊敬していたんだな。いや、強い奴を尊敬するから当然だけど、それだけじゃないんだな。」

 リランは少し寂しそうだった。



「…あいつに期待するなリラン。」

 ジンは冷たく言った。



「兄さ…団長はマルコムにいて欲しくないんですか?」

 ライガはリランを見て、ジンを団長と呼んだ。

 兄弟を失ったリランに対しての気遣いのつもりだったが、リランは呆れたようにライガを見ていた。



「いて欲しいに決まっているが…お前分からないのか?」

 ジンは呆れたようにライガを見ていた。



「はい…?」



「マルコムの選択は、俺達が望んでいるものだ。」

 ジンはライガを見て言った。



「裏切ることですか?」



「お前が言うなよ。」

 リランはライガの言葉に冷たく言った。



「全て捨てて逃げることだ。お前はミラと、俺はヒロキと…それを目指しただろ?」

 ジンの言葉は確かに腑に落ちた。

 ライガはミラと逃げることを選んで、今の状況は別としてその選択を後悔なんてしていない。



 マルコムとあの白髪の青年がどういう経緯で共に行くことになったのかは分からない。



「ただ、あいつのお陰で帝国内の皇国兵は抑えられた…一族も皆殺しにされたのは驚いたが…」

 ジンは苦い顔をしていた。



「マルコムには、尊敬することや協力する想いはあっても…心の支えが無かった。激情を抑えられなかったのは、当然だったかもしれない…」

 リランは悔やむような顔をしていた。



「…あいつも認めていたし…」

 リランは皮肉そうに笑っていた。



 夜が深くなってきた。

 夜の山道は流石に進むのに苦労する。



 暗くなり始めてから数時間続けて登り、ようやく切り開いた場所についた。



「ここなら、皇国の領地を見れます。少しですが…ただ、これ以上進むよりも、休んだ方がいいです。」

 先頭の騎士が馬を止めた。



 正直ライガは問答無用で進みたかった。

 だが、後ろの馬車の馬の様子や、慣れない山道を進んだ騎士たちの疲労の色を見ると、休むのが最適な気がしていた。



「まだ、余裕はある。」

 ジンはライガの思っていることが分かるのか、馬から降りてライガの元に寄った。



「確実に行動するためには、一人では無理だろ。」

 リランもライガの思っていることが分かるのか、馬から降りていた。



 ライガも降りて共に休もうと思ったが、馬から降りたいのに降りることを自分が許さないのだ。



 早くミラを助けて、彼女とまた共に過ごしたい。



 その想いが強すぎるのだ。



「死んだらどうにもならない。」

 ジンは俯いて言った。



「生きていれば、会うこともできる。」

 ジンはライガと目を合わせずに顔をあげて、顔を見せないように逸らしながら離れて行った。



 リランも俯いていた。



 ジンの言葉は重かった。



「…そうだ。」

 ライガはゆっくりと馬から降りて、休む準備に取り掛かる騎士たちの手伝いを始めた。



 ミラに会うには、生きていなければいけない。



 彼女に会いたいのも、共に過ごしたいのも、生きていることが前提だ。





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