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混沌へ

111.最後の会話

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 部屋に二つ置かれたグラス。



 いつも夜、一緒に酒を飲みながら愚痴をこぼした。



 ジンはグラスを眺めてから、ゆっくりと目を閉じた。





 湯浴みを済ませて、腰にタオルだけを巻いた状態でヒロキは部屋をうろついていた。

 彼は開いている窓を見つけると顔を顰めた。



「俺の部屋に来るってことは…もちろん手土産があるんでしょうね?」

 ヒロキは部屋に侵入していたジンを見つけると、腕を組んで何かを期待するように見ていた。



「王族関係のツテでな。機嫌を取られた時に貰った。間違いなく良いものだ。」

 ジンは持参してきた袋から、一本の酒瓶を取り出した。

 かなりものの良い酒だ。

 普通の騎士ならまず手は出せない。



 ヒロキは目を輝かせて酒瓶を取った。



「やりますねー。流石団長。」

 ヒロキは部屋に置かれたグラスを二つ並べた。



「上を着ろ。体を冷やす。」

 ジンは勝手にクローゼットを漁り、てきとうな上着を投げた。



「ちょっと!!今手が塞がっているんで…」

 ヒロキは瓶を開けようと苦戦していた。

 どうやら手が濡れているため滑るようだ。



「…俺が開けるから、お前は服を着ろ。」

 ジンは溜息をついて酒瓶をヒロキから奪った。



 ヒロキは口を尖らせたが、酒が注がれる様子を見ていると納得したように上着を着た。



「いい匂いですね…お伴があればいいんですけどね…」

 ヒロキは更に期待するようにジンを見た。



 ジンは溜息をついた。



「…ほら…これでいいだろ。」

 ジンは持参した袋から濃い味付けの干し肉を出した。



「さっすがわかっていますね!!」

 ヒロキは手を叩いて喜んだ。



「お前は下も履け。」

 ジンは未だに下半身はタオルを巻いたままのヒロキに言った。



「団長殿が俺の部屋に侵入する変態だから着替える暇が無かったんですよ。」

 ヒロキは顔を顰めてジンを見た。



「別に不快だからではなくお前が風邪をひくからだ。」

 ジンはまた勝手にクローゼットを漁って適当に服を取り出してヒロキに投げつけた。



「はいはい。…っと、着替えて来るので、俺が来るまで勝手に始めないでくださいね。」

 ヒロキはグラスに注がれた酒と、干し肉を指さして言った。



「わかっている。早く着替えろよ。」

 ジンは干し肉をかじりながら言った。



「お酒はストップお酒はストップ!!」

 ヒロキはそう叫びながら着替えに行った。



 ジンは机に並べられた二つのグラスと同じように、机を挟んで並ぶ二つの椅子の片方に腰を掛けた。



 ジンはグラスを持ち上げたが、ヒロキにまだ飲むなと言われているのを思い出して笑った。





 カタン



 グラスを置いた。



 ジンは目を開けた。

 グラスは空だ。



 部屋にもジンだけだ。



「…もう一度…」

 ジンはグラスを再び持ち上げた。

 空のグラスを向かいに傾けた。



 向いの椅子には誰もいない。





 







 朝陽が差してきて眩しくても、寝ても寝たりなくて布団に丸まっていた。

 隣のベッドで寝ているアランも同じように丸まっている。



 こうなったら意地でも目を開けない。



 意地と欲求の利害が一致して惰眠をむさぼる。



 部屋の外から足音が聞こえる。



 聞こえているが、聞こえない。



 リランは一瞬片目を開いた。アランと目が合った。



 お互い頷き合って、目を閉じた。



 ガンガンガン

 扉を乱暴に叩く音が響く。



 それでも目を閉じて、なけなしの集中力で睡眠に専念する。



 ガゴン



 扉が乱暴に開かれた。

 この部屋には鍵が付いていない。何度も乱暴に開かれた部屋は、キリがないということで鍵の取り付けを断られた。

 そのことをリランとアラン二人でごねたがジンに一蹴された。



「起きなさい!!」

 ミヤビが鬼の形相をして居る。その横でマルコムは怒られているリランとアランを楽しそうに見ている。



 いやいやしながら、布団をはぎ取られ、ベッドから引きずり出される。



 まだ寝ていたいけれど、抵抗する気力ももったいなくて結局は、なされるがままになる。



 顔を洗うために長い髪をまとめないといけない。

 リランは赤い髪留め、アランは黒い髪留めで髪を結う。



 お互いの顔を見て鏡ごっこをしているとまたミヤビに怒られる。

 それをマルコムは愉快そうに見ている。

 他人が怒られているところを見て笑っている彼は、相当性格がひん曲がっていると思っていた。



「リラン鼻くそ出てる。」



「アランよだれの跡がある。」

 お互いを指さして笑っているとミヤビが濡れたタオルを顔に押し付ける。



 乱暴だけど冷たくて目が覚める。





 ガゴン



 扉が開かれた。



 向いのベッドには誰もいない。

 さっきまで見ていたのは、限りなく最近の昔の光景だ。

 そうだ、リランは、今は部屋で一人だ。



「…起きな。」

 廊下には、今はマルコムが一人で立っていた。



 彼も一人だ。



「…ああ。」

 リランはごねることも布団にまた丸まることもせず、ベッドから下りた。







 

 サンズは毛が太い。

 髪の毛もだが髭もだ。

 そしてすぐに伸びてくる。

 毎日剃っていないと、直ぐにボーボーになる。

 いっそ整えて伸ばせばいいのだろうが、整えるのも一苦労だ。



 だいたいサンズは髭を伸ばすのは趣味じゃない。



 鏡の前で苦戦していると、背後ににやけた顔のアレックスが見える。



「いいんじゃね?いっそのこと伸ばせばさ。似合うぞ。」

 アレックスは自分の顎をこすりながら言った。



 アレックスは金髪なのもあるが、若干髭が伸びにくい体質の様でサンズのように髭剃りで苦労はしていない。



「伸ばしたくないんだよ。…だってよ、もっと外見がごつくなるだろ。」

 サンズは自分が厳つい風貌をしているのはよくわかっている。それは仕方ない。

 だが、それを自分で加速させることはしたくなかったのだ。

 筋肉はいいが髭はダメだ。



 それはサンズの美的センスだ。

 というよりも、サンズは骨格からして太めだが、もし騎士でなければヒロキのように細めの体型に憧れるのだ。



 強さを求めないのなら優雅さを求めているだろう。



「今更だな。じゃあ、眉毛も剃れば?」

 アレックスは眉毛を指した。



「それは怖い風貌になる。」



「マルコムが羨ましがっていたぞ。お前の外見が強そうで怖くて、とても警戒されそうだと。自分は顔が可愛らしいから舐められて喧嘩を売られることが多いって言っていた。…なあ、あいつ全然褒めていないよな?」

 アレックスは言いながら考え込んでサンズに訊いた。



「ああ。言われている側だからよくわかる。」

 サンズは後ろのアレックスを、鏡を見ながら軽く殴った。



「いてえ!!殴るならマルコムにしろよ。」

 アレックスは軽く殴られただけなのに大騒ぎをした。



「もちろんだ。」

 サンズは顔を洗って、剃った髭を確認した。

 剃り残しは無い。



「よし!!」

 サンズは後ろにいるアレックスに洗面台を譲った。



 アレックスは洗面台に着くとサンズと同じように髭を見た。だが、まだ剃る段階じゃないようで彼は顔を洗い始めた。



「お前髪伸びたな…俺が切ってやろうか?」

 サンズはアレックスの後ろ髪を見て言った。



 アレックスの襟足は長くなっており、小さく結べるほどだ。



「絶対に嫌だ。それなら自分で切る。」

 アレックスは顔を上げてサンズを睨んだ。



「…何だよ。この前の裁縫のこと怒っているのか?大丈夫だって、髪を切るのとは違うから…」



「お前はそろそろ自分の不器用さを理解しろ!!」

 アレックスは顔をタオルで拭きながらサンズに怒鳴った。



「不器用って…好きなことだからいいだろ!!」



「なら俺を対象とするなよ。自分の服を縫え!!自分の髪を切れ!!」

 アレックスは自分の腕を指して言った。



「それはつまらん!!」

 サンズは断言した。



「俺は先輩だぞ!!もう少し敬え!!」

 アレックスは大人げなく怒鳴った。



「先輩の後ろ髪うざいので切ります!!」

 サンズはアレックスに対抗して大声で言った。



「ふざけるな!!」

 アレックスは持っていたタオルを、サンズの顔にぶつけた。



 洗面所で騒いでいると、身支度に出始めた騎士たちがこちらを見てくる。



 視線からして、大人げないぞおっさんどもと思われているのは確実だ。



 アレックスもサンズも気まずくなって、そそくさと洗面所を離れた。



「お前のせいで俺は大人げないおっさんだと思われているんだ。」

 アレックスはサンズを睨んだ。



「それはこっちのセリフだ。」

 サンズもアレックスを睨んだ。



 つい最近までの、決して戻らない日常だ。
 
 サンズは一人洗面所で立っていた。 







 王城の外の、帝都でも町から外れた場所に位置する墓地がある。



 そこに王と王子、それに大量の騎士団が整列している。

 彼らの前には沢山の棺があった。



 騎士団の先頭にはサンズがいる。

 その後ろにリランとマルコム、ジンとライガが並んでいる。



「…偉大な騎士たち、その犠牲を我々は忘れてはいけない。」

 王は棺を背にして、後ろに並ぶ騎士たちを見渡した。



「我々は…尊敬すべき偉大な友、相棒、家族、仲間を失った。その痛みは永遠に消えることは無い。そして、それは消えてはならないものだ。」



 墓地には騎士たちだけでなく、それを見物する町の者達もいた。

 王の話が終わり、埋葬される前の最期の棺との対面の時間となった。



 各々が、仲のいい騎士から順に回って行った。



 ライガは、ヒロキの棺から回った。

 ヒロキの棺にはジンが先にいた。

「団長…」

 ジンの横に並び、彼を待った。

 ジンはなにやら彼は話しかけている。

「…お前のお陰で、俺は解放された。」

 ジンはライガを見てからヒロキに言った。



「お前は自分のために行動していると言っていたが…俺のために生きていて欲しかった。」

 ジンは目を細めて言った。



 ヒロキが言っていたことだ。自分は自分のために行動すると。



「…大切だった。…後で行くから待っていろよ。」

 ジンは棺に囁くように言った。

 ジンは言い終えるとライガの肩を叩いた。

 どうやらジンは他の棺にも話に回るようだ。



 ライガはヒロキの棺を見た。



「…最後に俺に負けたのは…指導の為だったんですよね…だって、本気なら敵わないですから…」

 ライガはヒロキの棺を撫でた。



「…ミラもあなたのことをいい人だと言っていました。ただ、ミラがあんなに気安い顔をして居るのは、正直嫉妬しました。」



「ありがとうございました…」



「団長を…守ってください。」

 ライガはジンの背中を見て、ヒロキにそっと囁いた。



 後ろを見ると、かなり並んでいた。どうやらヒロキに挨拶をしたい騎士は他にもいるようだ。

 ライガは慌てて次に行った。



 次は、ミヤビの棺に向かった。

 彼女の棺の前には沢山の騎士がいた。彼女の人気の高さが伺える。



 ライガが来ると、睨まれたが、しぶしぶと言った様子で道を開いた。

 どうやらミヤビの意志を尊重しているようだ。



 ライガはミヤビの棺に寄った。傍にはマルコムがいた。丁度彼が去ろうとしていたようだ。

「マルコムも…ミヤビに?」



「いや。後ろがうるさいから、棺を叩くだけした。」

 マルコムは拳を握って見せた。

 強がりではなく、本当に棺を叩いただけなのだろう。

 ミヤビの死に関して、やはりマルコムは頑なだ。

 マルコムはライガがミヤビの棺に話しかける前に別の棺の元に向かっていた。



 ライガはミヤビの棺に手を置いた。



「…ミラを傷つけようとしたことは許せない…それは変わらない。」



「でも…ミヤビはいい同期だった。…友達として、本当に好きだったし、尊敬していた。」



 ライガはミヤビの棺に顔を寄せた。



「さよなら…」

 囁くように言うと、ライガはミヤビの棺から離れた。



 ライガは次にアランの棺に向かった。



 どうやらリランは他の棺に回らずアランの棺にくっついているようだ。



 アランもミヤビほどではないが、騎士たちが並んでいた。



 ライガは後ろに並び、周りを見渡した。

 サンズとジンは、精鋭以外の騎士を回っている。

 マルコムは精鋭だけ回っているようだ。



 あまりに犠牲が多すぎた。



 ライガは他にも知っている騎士は沢山いた。だが、自分は精鋭以外回るべきではないと思っている。



 気が付いたらライガに順番が回っていた。



 リランがライガを見ていた。

 特に責める視線でもなく、ただ見ているだけだった。



 ライガはアランの棺に近寄った。



「…お前、いつもあんなに声がでかくてうるさくて…」

 アランはリランと同じくライガの後輩だ。

 自分よりも年下で、こんな血なまぐさいことや悲劇には無縁だと思っていた。



「…寂しいと思う。俺は、会えなくてもいいからどこかで生きていて欲しかった…本当だ。お前がミラと俺のこと肯定的だって聞いた時は嬉しかった。」

 ライガは最後に会ったアランの様子を思い出した。



 彼はミラの目が潰されることに対して憤っていた。



「…ありがとう。」

 棺に囁いて、ライガは顔を上げた。

 リランが見ていた。

 アランと同じように無邪気だったリランはもういなかった。

 彼の目には今は憎しみは無い。だが、彼の目は一生虚ろな暗さを持ち続けるのだろうとライガはわかった。



「…不本意だが、アランも喜んでいると思う。」

 リランはアランの方を見てからライガを見た。



「…そうだな…」

 ライガは周りを見た。



「まだ、アレックスさんのところ行っていないだろ。」

 リランはアレックスの棺の方を指した。

 彼の棺にもたくさんの騎士たち、それだけでなく王と王子もいた。



 アランの時のように並んで順番を待った。



 これが彼等との最後になる。



 もっと前に最後を覚悟していたのに、その時と全然違った。



 どちらも一生の別れだ。

 一生会えない覚悟だった。



 もう、本当に彼等には会えない。



 ライガは目の前に来たアレックスの棺を見下ろした。



 アランとヒロキの死は見ていなかったが、ミヤビとアレックスは目の前で息を引き取った。



「…挨拶が大事だったんですね…」

 ライガはアレックスに語り掛けた。



 巻き込みたくないや、止められたくないのではなかった。



 きっと、精鋭でなくアシに助けを求めたのは止められると止まってしまうかもしれないという危機があったからなのかもしれない。



 じゃなければ、こんな頼もしい者達に助けを求めない理由が無い。



 後悔はしない。それはマルコムにも言った通りだ。ミラの手を引いて逃げてよかった。



「よく話してくれた武勇伝…どうして左手で剣を使っていた時のものが無かったんですか?」

 ライガはアレックスとの会話に戻った。



「…負けたままなのは、悔しいですね。…ヒロキさんは勝たせてくれましたよ。」

 ライガは口を尖らせて言った。



 後ろにはやはりまだまだ騎士が並んでいる。



「もう少し、話したかったです。」

 ライガは棺に囁いた。



「…ありがとうございました。」

 ライガは深く礼をして、アレックスから離れた。



 ライガの後の騎士が跪いてアレックスに話しかけている。

 その様子を横目で見てライガは待機しているマルコムとジンの元に行った。





 二人は何かを話していた様子だったが、ライガを確認すると話を止めた。



「…最後なんですね。」

 ライガは並ぶ棺達を見て言った。



「…そうだね。…もう、会うことは無い…」

 マルコムは遠い目で棺を見ていた。



「…」

 ジンは二人の様子を見ていた。

 彼の目は、やはりミラと同じ真っ黒な鑑目だった。

 ただ、真っ黒なのは同じなのに、ミラよりも深い黒な気がする。





 最後の別れの時間も終わり、棺は土に埋められていった。



 土がかかるたびに、完全な別れという実感が少しずつ湧きあがる。



 サンズは険しい顔をしていたが、涙をこらえていることはわかった。

 ジンは目を細めて何かを考えている様子だった。

 マルコムも眉を顰めて何かを考えている様子だった。

 リランは他の者に比べて素直に泣いていた。



 ヒロキ、ミヤビ、アラン、アレックスとは、もう二度と会えないのだ。



 ライガも涙が流れた。
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