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マウレツェッペ

1-1 ゲーム廃人への道のり

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「お兄ちゃん! ヘイトが上がった! タゲ取って!」

「はいはい、強化魔法あと三分」

 興奮気味の少女の声と、何処かのんびりした青年の声が交差するマンションの一室で、隣り合うパソコンに座りお互い視線を合わせず会話する兄妹が、マウスとキーボードを器用に操作してモニター上のモンスターを駆逐して行く。

 モニターに映し出されるのは、最近流行りの高解像度の3Dゲーム等では無く、サービスを開始され二十年は経とうかと言う老舗MMORPGゲームである。

「アンデッドが湧く階層だから、インテリジェンス装備に変更しておいて良かったよ!

「防御は紙だし魔法攻撃力が上がっちゃうから、狙い撃ちされてるけどね……」

「むう……」

 ピピピッピピピッ

 時間を知らせる目覚まし時計のアラームが、部屋の中に鳴り響きゲームの終了を告げる。

「ムサシ時間だよ」

「え~! 乗って来たところなのに~」

 モニターの中では、モンスターを惹きつけていた兄の操るタンカー役のキャラクターが、帰還魔法を使いダンジョンから姿を消す。取り残された魔法使いも慌てて後を追う様に帰還魔法を使用してダンジョンから姿を消す。

「お兄ちゃん! 妹をあんな危ないダンジョンに置き去りって、酷いんじゃないかな! ムサシは魔法少女なんだから、盾役のお兄ちゃんが居ないとすぐ死んじゃうんだよ!」

 プンプンと頬を膨らませながら怒っている少女の名前はムサシ、小学五年生の平均的な身長より若干低いが、愛らしい顔付きとアニメで人気の魔法少女を真似たツーテールに結わえた髪型も相まって、インターネット上の知識をふんだんに詰め込んだあざとい仕草で近所の評判はすこぶる良いが、クラスメイトからは若干浮いた存在であり、現在は不登校気味である。

「酷いお兄ちゃんは可愛い妹の為に、晩御飯を作らなきゃいけないからね、最初からそう言う約束だったろ?」

 兄は自分のキャラクターを最寄りの安全地帯に移動させて、手際良くゲームからログアウトする。

「一食二食食べなくても平気だよ! レベルを上げる為ならムサシはペットボトルだって辞さない覚悟だね!」

 二台並んだパソコンデスクの傍らでエプロンを身に着けていた兄は、温厚そうな顔付きに似合わぬ黒い微笑みをたたえながら、ムサシの背後に回り込みコメカミを拳で挟み込んだ。

「お兄ちゃんはそう言う冗談は嫌いだな」

 兄の名前は小次郎、地元高校の二年生だ。成績優秀で運動神経も良く元来面倒見の良い性格なので、クラスメイトからも近所からも評判が良い、不登校気味の妹の面倒を見ながら母子家庭である母親を助ける孝行息子と言う事で、近所の商店街では通っている。

 身長は妹とは違って平均的な百七十センチ程で、清潔感を損なわない程度に切り揃えられた頭髪と、気弱そうな表情で他人の印象に残りにくいと評されているが、目立つ事の苦手な小次郎にとっては密かに喜ぶべき評価だった。

「いだだだ! お兄ちゃんごめんなさい! ムサシはボトラーにはなりません!」

 妹の不登校の要因は若干成長の遅い身長と、女の子であるのにも関わらず「ムサシ」と言うキラキラネーム、それと恵まれた容姿によるやっかみが複合的ないじめの原因だと恐縮するムサシの担任教師に、母親の代理でムサシの小学校に相談に行った先で告げられた。


 本人に過失がない事が唯一の救いであったが、小次郎がムサシの学校復帰の為に家庭で出来る対応策は「コミュニケーション訓練」と「成長を促す食事」だった。

「お兄ちゃん今日はお肉が嬉しいな!」

 ムサシは良く食べるが偏食気味なので、小次郎は色々と苦労をしながらバランスの良い食事を考えながら調理をしている。小次郎の凝り性から来るムサシ成長促進料理は、レパートリーも増えて野菜嫌いなムサシもそれ程ストレスを感じずに食べている様だ。

「ああ今日はムサシの好物を作るかな? それよりも出来るまで時間があるから、お風呂を済ませておいで」

「は~い」

 バタバタとお風呂に駆け出して行くムサシが浴室のドアを閉める音を聞いた後に、小次郎はムサシの脱ぎ散らかした洋服を拾い集めながら小次郎が溜息を吐く。よく出来たお兄ちゃんの誤算は、引き篭もり気味のムサシのコミュニケーション訓練として選んだ手段が、ネットゲームだった事だった。

 ムサシは乾いたスポンジの様に、MMORPGのネットリテラシーを吸収し、数多いるネット紳士達のアイドルになって自分の価値をゲーム上で見出したのだった。

 平均年齢四十歳オーバーであるゲーム上級者のランキングに、小学生ながらにしてその名を連ね、ネトゲ廃人としての徳を積み、学校に行かない事に喜びを見つけてしまった。

「十歳にしてネトゲ廃人か……」

 心配性の兄小次郎は、妹の将来に一抹の不安を抱きつつも、ムサシの廃ペースなゲームに付き合っている状態だった。

「お兄ちゃん! シャンプーが無い……お兄ちゃん?」

 ムサシが浴室から顔だけを出しポカンとしている。

「お兄ちゃんはムサシのスパッツを握りしめてどうしたのかな? ムサシのスパッツに並々ならぬ興味があって、スパッツをモグモグしたいお年頃なのかな?」

 老舗オンラインゲームの紳士な社会人達に毒されて万事この調子なのだ。小次郎はまた一つ大きな溜息を吐き、握りしめたスパッツを洗濯機に放り込む。

「お兄ちゃんが並々ならぬ興味を抱いているのは、ムサシのお行儀の悪さだね……脱いだ服は洗濯機に入れなさいって、何度言っても聞き入れてくれないムサシにはペナルティが必要な様だね?」

 兄妹の間で取り決めてあるペナルティとは、ムサシが一番嫌がるゲーム時間の短縮である。

「えー! 次からキチンとするからあ!」

 浴室の入り口でふくれっ面を作るムサシに、買い置き棚から取り出したシャンプーを手渡して、ムサシの濡れた頭髪に手を置いた。

「濡れ鼠で文句を言ってる子は、また風邪でゲームが出来なくなるかな?」

「きゃあ!」

 数ヶ月前にインフルエンザを患い、二週間のゲーム禁止を言い渡された事を思い出し、ムサシは慌てて浴槽に飛び込んだ。

 浴室のドアを閉めて小次郎は慣れた手付きで調理を始める。

 ムサシが物心付いた頃から「子供の為なら家庭を犠牲にする」が信条の母親にネグレクトされて、ここ数年の大半を二人きりで過ごして来た小次郎は、調理の腕も主婦並みに上達していた。

「お金を振り込んでくれるだけ幸せなのかな……」

 お風呂を上がったムサシの長い髪の毛をドライヤーで乾かして食事をさせる。ムサシがご飯粒を飛ばしながら話す内容はいつも通りゲームの話だ。

 小次郎はいつの日か、クラスメイトの事を楽しそうに話すムサシを夢見ながらも、優しく相槌を打つ。

「やっぱり盾役はお兄ちゃんじゃないと! 剥がしのポイントがね! 違うんだよ!」

「うんうん……御飯を飲み込んでから喋ろうなムサシ、お兄ちゃんはお風呂に入って来るよ、茶碗は自分で洗えるかな?」

「任せておいてよ! だから早く上がってねお兄ちゃん! 今日中にLV七十の大台に乗るんだからね」

 ムサシがいつに無くテンションが高いのは、ゲームキャラクターのレベルアップ間近だからだろう。

「LV七十迄長かったよ! 魔法書は用意してあるのに使えないなんて苦行は今日で最後だよ!」

 目を輝かせ何時もより若干機敏に動くムサシを横目に見ながら、部屋の隅で座り込んで声を殺して泣いているムサシを思い出す。

「あの頃よりはずっと良いか……」

 脱衣所でTシャツを脱ぎながら小次郎は呟いた。
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