5 / 93
未知との出会い
出会い
しおりを挟む
青年が息を吹き返した。それに安堵して、さくらから力が抜ける。
その後すぐに、青年は意識を取り戻す。しかし、青年の口から発せられる言葉を、さくらは理解が出来なかった。
それは非肉にも、この場所が日本とは違う事の証明になった。
さくらは青年に声をかけながらも、周囲を見渡す。力が抜けている上に、老体には辛い応急処置をしたため、目の前がクラクラとしている。だが、そんな視界の中に、二つの影が飛び込んで来た。
見た事もない二本足の生物。あれが何者なのかなど、考えを巡らせる余裕は、今のさくらにはない。
ただその姿を見た時、さくらは幼い頃を思い出した。
さくらは、戦前の生まれである。終戦直後は、今でいう中学生くらいの歳である。そしてさくらは東京の生まれで有り、空襲の恐ろしさを、嫌という程に理解している。
ただし、戦時中は両親が健在であり、さくらは守られる存在であった。
さくらにとって、生きる為の戦いは、戦後にあった。
戦時中に両親を失い、一人で生きていかなければならない。そんな子供は、さくらだけではない。幾らでもいた。
さくらは、ある程度の年齢であったが故に、生き残れる手段を見つける事は出来た。
しかし、両親を亡くした幼い子の中には、日々の食事もままならず、餓死寸前の様にガリガリと体が細くなり、路上で倒れている子供達は少なくなかった。
やがて、そんな子供達は児童施設へと、強制的に連行されていく。ただ、そこでの暮らしでさえ、充分であるとは言い難い。
さくらの戦いは、そこから始まった。
同じ年齢位の子供達を集めて組織を作り、統制を図って仕事を探す。仕事と言っても、子供が出来る仕事など多くはない。そしてお金は、紙くず以下の価値も無い。
物資がない。そして働いた収入に、如何ほどの価値があるだろか。大人でさえも、生きるのに必死な時代なのだ。
国からの配給だけでは、生きてはいけない。そんな時代では、交換できる生活に必要性が高い物に、価値が有る。
配給された衣類を持って農村に赴き、一握りの米を貰って帰る。それで、腹の足しになる訳ではない。しかし、そんな事でもしない限りは、生活が出来ない。
さくらと仲間達は、GHQの軍人達に群がり、気まぐれに配るお菓子を搔き集めた。腹を満たす為ではない、大人達が持つ生活必需品と交換する為だ。
そうでもしないと、飢えて死ぬ。
中には、窃盗を繰り返して捕まる子供も多くいた。国の組織に捕まるならましだろう。怖いのは闇市を取り仕切っていた者達に、捕まる事である。
制裁という名の暴行を加えられ、あっさりと命を落とし、居なかった事にされる。例え命が助かっても、奴隷の様な過酷な労働を強いられる。
では、農家の連中は豊かな暮らしをしていたのか?
都会で家を失い、路上生活を余儀なくされていた者達よりも、幾ばくかはましであっただけだろう。農家に盗みに入り捕まれば、当然ながら手痛い制裁が待ち受けている。
農家でさえ、生き残るためには必死にならなければ、いけなかったのだ。
そんな子供達を、さくらは多く見て来た。だから目の前に立つ、ガリガリに痩せた二匹が、在りし日の子供達とダブって見えた。
さくらは重い体を動かして、リュックの中を弄る。そして、水の入ったペットボトルと、弁当箱を取り出すと、弁当箱の蓋を開けて見せた。
「お腹が空いてるんだろ? お食べ!」
よく見れば、人間と違うのは理解できる。
それでも、怯える様に震えながらも、立ち去る事すら出来ずにいる二匹を、さくらは放置する事はできなかった。
「大丈夫! 毒じゃないよ、いいからお食べ!」
そう言って、さくらはゆっくりと立ち上がる。
見れば二匹の内、少しだけ体が大きい方が、小さい方を守る様にして背に庇っている。二匹とも足が震えている。こちらが、怖いのだ。
だから極力、怖がらせないように優し気なトーンで、話しかけながら二匹に近づく。
「※※※※※※!」
青年は、自分を助けてくれたさくらを、止めようとした。
何故なら、ゴブリンは、人間の意志が通じない害獣だからである。
またゴブリンが人間を恐れる様に、人間もまたゴブリンの住処には近づかない。それは成体のゴブリンが、群れで狩りを行うからである。
例えそれが子供だとて、不用意に近づけば、命を落としかねない。
ただその時、青年はさくらの心を感じ取った。
あの老婆は、ゴブリンの存在を理解していない。危険性をわかっていない。あの優しい老婆は、自分だけじゃない、腹を空かせたゴブリンの子供も、助けようとしているのだ。
ゴブリンに害意が無い事はわかっている。しかし彼らに近づくのは、あまりにも危険な行為であろう。
ただ青年が、力づくでさくらを止めようとしなかったのには、訳が有る。
無論、まだ体が充分に動かせないのは、大きな要因だ。それ以上に、ゴブリンの子供達からは、害意どころか、驚いている感情が伝わってくるのだ。
恐らく、自分が意識を取り戻した所を、見ていたのだろう。
そしてゴブリン達は、さくらの行動にも驚いている様子である。
ゴブリン達は匂いから、さくらの持つ物が、食べ物だと理解したのだろう。そして今は、さくらの持つ食べ物に興味を惹かれている様子だ。
そして、それを差し出そうとしてくるさくらに、感謝している様子さえ伺える。
何者なんだ、あのゴブリンは?
あの老婆もだ?
青年は、心の中で呟いていた。
そしてさくらは、ある程度の所まで近づくと、弁当箱を包んでいた布を、あぜ道の上に広げる。その上にペットボトルと弁当箱を置く。そして、おにぎりを一つ掴んで齧り、安全である事を見せる。齧ったおにぎりは、弁当箱に戻して、ゆっくりと青年の近くまで下がる。
下がった所で、柔らかな笑みを浮かべて、もう一度声をかけた。
「食べな。食べても平気な物だから、安心して食べな。全部、食べちゃってもいいんだ」
二匹のゴブリンは、さくらと弁当箱を交互に見る。そして、さくらの様子をちらちらと見ながら、ゆっくりと弁当箱に近づく。
弁当箱まで手が届く距離まで近づくと、ゴブリン達はもう一度さくらを見る。そして、しずかに口を開いた。
「ギ、ギ?」
「ガ、ガ?」
食べてもいいかと、問いかけているのか。子供らしく可愛らしい声で、ゴブリン達は話しかける。
さくらには、彼らの言葉がわからない。だが、言いたい事は伝わったのだろう。笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと頷く。
「いいよ、食べな。焦らず、ゆっくりと食べるんだよ」
さくらが頷いた瞬間、ゴブリン達は弁当箱の中身を、手づかみで貪り始めた。余程、腹が減っていたのだろう。夢中になって食べている。
流石に口いっぱいに頬張り過ぎたのか、やや体の大きい方のゴブリンが、胸を詰まらせた様に苦しそうにする。
それを見た体の小さい方のゴブリンは、心配そうな瞳で体の大きい方のゴブリンの体を擦っている。
「水を飲みな! それ、そこにあるだろ! それだよ!」
さくらは指で、ペットボトルの存在を、ゴブリン達に教える。さくらの仕草で気が付いたのか、大きい方のゴブリンは、ペットボトルを掴んだ。
恐らく、中に水が入っている事は、理解したのだろう。だが、飲み方がわからない様子で、苦しそうにしながら困っている姿が窺える。
「ほら、そこに手を当てて、捻るんだよ。こう、こうだよ」
さくらは、ペットボトルの蓋を開ける仕草をし、飲み方を伝える。
真剣な眼差しで、体の大きな方のゴブリンは、さくらの仕草を見て真似る。直ぐにペットボトルの蓋が開き、水でつかえをを流しこむ。
そして、体の大きい方のゴブリンは、小さい方のゴブリンにも飲むようにと、ペットボトルを渡した。
その様子を嬉しそうにして見ると、さくらは青年へと視線を向ける。
「ほら、心配する事はないんだよ。良い子じゃないか」
「※※※※※※※※※※※※」
「すまないね。やっぱり、あんたの言葉はわからないよ」
少し寂し気な表情を浮かべて、さくらは青年の言葉に答えた。
さくらは何となく、青年がこちらの意志を読み取っている気がしていた。先ほど青年は、呼びかけて止めた。それも、焦ったような口調だったのに。
それは、伝えようとした事が、必要ないと判断したのか、杞憂だと考えたのか、どちらかなのだろう。
寧ろ、青年が伝えようとしている事が、理解出来ない。さくらは、それを寂しく感じていた。
対して、ゴブリン達が伝えようとしている事は、とてもわかり易い。言わずもがな、表情を見れば直ぐにわかる。多分、さくらでなくとも。
ゴブリン達は、一つの弁当を二匹で分け合いながら、嬉しそうにして食べている。
また二匹は兄妹なのか、小さい方のゴブリンは、大きい方のゴブリンに甘える様な仕草もする。
弁当を食べる所を見守りながら、さくらは自分の息も整えている。そんなさくらを、彼らは時折見ると、ペコリと頭を下げるのだ。
動作を付けて指示をすれば、ちゃんと理解する。彼らには、それだけの知能が有る。
さくらにはゴブリン達が、人間の子供としか思えなくなっていた。
丁度、ゴブリン達が弁当を綺麗に平らげた所で、腰を下ろして休んでいたさくらは、再び立ち上がる。そして、ゴブリン達に向かって歩き出した。
今度は、一歩ずつ慎重に歩みを進めるのではなく、普通の速度で近づく。
そんなさくらを視界に捉えながらも、ゴブリン達は先ほどとは打って変わり、怯える様子は欠片も感じない。
そして目の前まで近づくと、徐に手を伸ばして、優しくゴブリン達の頭を撫でた。最初は大きい方、次は小さい方と、順に頭を撫でる。
ゴブリン達は、嬉しそうに眼を細め、手から伝わる体温を感じていた。
「弁当を全部食べてくれて、ありがとうね。美味しかったかい?」
「ギイ、ギイ!」
「ガ、ガ、ガア!」
さくらの言葉に反応して、ゴブリン達は何かを伝えようと声を上げる。それも満面の笑みで、体中を使って、嬉しさを表現するかの様に。
さくらの表情は、孫を見るかの様に綻んでいた。
一方青年は、目を皿のようにして、その光景を見ていた。
ゴブリンに食料を与えて懐かせるなど、聞いたことがない。ゴブリンは害獣であって、子供とて油断してはいけない。それがこの世界の、常識だからだ。
しかもゴブリン達からは、信愛に近い感情すら伝わってくる。
これも、奇跡の一つなのか? 自分の命が助けられた様に、あの老婆が奇跡を起こしているのか?
もしかしたら、あの老婆は本当に神の使いなのか?
青年は、理解出来ない現象を目の当たりして、熟慮を重ねていた。だが、そんな青年に向かって、さくらから声がかかる。
「そろそろ、体は動かせそうかい? 流石にあたしじゃ、あんたを担いで病院に運ぶ事なんて出来ないよ。言ってる事は、伝わってるかい? 病院だよ、病院。あんたは、さっきまで瀕死の重傷だったんだ。不思議な力で治ったから、ハイ終わりって訳にはいかないんだよ。わかるかい?」
言葉は理解出来なくても、青年にはさくらの感情が、薄っすらと読み取れる。
自分を心配してかけてくれた言葉、そして未だ自分の体を心配している。
青年は、さくらを心配させない様に、ゆっくりと立ち上がろうとする。やはり血が足りないのだろう、立ち上がろうとした時に、少しふらついた。
そんな青年を支えたのは、さくらではなく、大きい方のゴブリンであった。
これは、青年を更に驚かせた。
老婆に心を許しただけでなく、ただそこにいただけの、自分にも心を許し、且つ手助けをしてくれたのだ。
そして青年の口から、思わず言葉が漏れ出た。
「※、※※※※※」
「ギイ。ギ、ギイ!」
その会話は、さくらにも理解が出来た。ありがとう、どういたしまして、だろう。
「大助かりだよ。あんたらは、ほんとに良い子達だ」
そう言って、ゴブリン達の頭を撫でると、さくらは青年に肩を貸す。
「これで歩けるかい?」
「※※※※※※」
青年は言葉と共に、大きく首を縦に振る。
「そうかい。じゃあ、願っておくれ。そのネックレスにさ。まだ欠片が服のどっかに引っ掛かってんだろ?」
「※※※※※※?」
次の言葉を理解出来ず、青年は首を傾げた。
「仕方ないねぇ。じゃあ、あたしが願おうかね」
そう言うと、さくらは目を閉じる。そして青年の懐から、淡い光が漏れだして消える。
服についた欠片が、最後の力を振り絞ったのだろう。
やがて、さくらの眼前には、白い霧が現れる。
さくらが青年に肩を貸し、ゴブリン二匹が後ろからそれをさ支える様な恰好となり、一同は白い霧の中へと歩みを進める。
さくらにとっては、来た道を戻るだけ。寧ろ、体感的には行きよりも、早かったかもしれない。
白い霧を抜けると、そこには信川村の景色が広がっていた。
その後すぐに、青年は意識を取り戻す。しかし、青年の口から発せられる言葉を、さくらは理解が出来なかった。
それは非肉にも、この場所が日本とは違う事の証明になった。
さくらは青年に声をかけながらも、周囲を見渡す。力が抜けている上に、老体には辛い応急処置をしたため、目の前がクラクラとしている。だが、そんな視界の中に、二つの影が飛び込んで来た。
見た事もない二本足の生物。あれが何者なのかなど、考えを巡らせる余裕は、今のさくらにはない。
ただその姿を見た時、さくらは幼い頃を思い出した。
さくらは、戦前の生まれである。終戦直後は、今でいう中学生くらいの歳である。そしてさくらは東京の生まれで有り、空襲の恐ろしさを、嫌という程に理解している。
ただし、戦時中は両親が健在であり、さくらは守られる存在であった。
さくらにとって、生きる為の戦いは、戦後にあった。
戦時中に両親を失い、一人で生きていかなければならない。そんな子供は、さくらだけではない。幾らでもいた。
さくらは、ある程度の年齢であったが故に、生き残れる手段を見つける事は出来た。
しかし、両親を亡くした幼い子の中には、日々の食事もままならず、餓死寸前の様にガリガリと体が細くなり、路上で倒れている子供達は少なくなかった。
やがて、そんな子供達は児童施設へと、強制的に連行されていく。ただ、そこでの暮らしでさえ、充分であるとは言い難い。
さくらの戦いは、そこから始まった。
同じ年齢位の子供達を集めて組織を作り、統制を図って仕事を探す。仕事と言っても、子供が出来る仕事など多くはない。そしてお金は、紙くず以下の価値も無い。
物資がない。そして働いた収入に、如何ほどの価値があるだろか。大人でさえも、生きるのに必死な時代なのだ。
国からの配給だけでは、生きてはいけない。そんな時代では、交換できる生活に必要性が高い物に、価値が有る。
配給された衣類を持って農村に赴き、一握りの米を貰って帰る。それで、腹の足しになる訳ではない。しかし、そんな事でもしない限りは、生活が出来ない。
さくらと仲間達は、GHQの軍人達に群がり、気まぐれに配るお菓子を搔き集めた。腹を満たす為ではない、大人達が持つ生活必需品と交換する為だ。
そうでもしないと、飢えて死ぬ。
中には、窃盗を繰り返して捕まる子供も多くいた。国の組織に捕まるならましだろう。怖いのは闇市を取り仕切っていた者達に、捕まる事である。
制裁という名の暴行を加えられ、あっさりと命を落とし、居なかった事にされる。例え命が助かっても、奴隷の様な過酷な労働を強いられる。
では、農家の連中は豊かな暮らしをしていたのか?
都会で家を失い、路上生活を余儀なくされていた者達よりも、幾ばくかはましであっただけだろう。農家に盗みに入り捕まれば、当然ながら手痛い制裁が待ち受けている。
農家でさえ、生き残るためには必死にならなければ、いけなかったのだ。
そんな子供達を、さくらは多く見て来た。だから目の前に立つ、ガリガリに痩せた二匹が、在りし日の子供達とダブって見えた。
さくらは重い体を動かして、リュックの中を弄る。そして、水の入ったペットボトルと、弁当箱を取り出すと、弁当箱の蓋を開けて見せた。
「お腹が空いてるんだろ? お食べ!」
よく見れば、人間と違うのは理解できる。
それでも、怯える様に震えながらも、立ち去る事すら出来ずにいる二匹を、さくらは放置する事はできなかった。
「大丈夫! 毒じゃないよ、いいからお食べ!」
そう言って、さくらはゆっくりと立ち上がる。
見れば二匹の内、少しだけ体が大きい方が、小さい方を守る様にして背に庇っている。二匹とも足が震えている。こちらが、怖いのだ。
だから極力、怖がらせないように優し気なトーンで、話しかけながら二匹に近づく。
「※※※※※※!」
青年は、自分を助けてくれたさくらを、止めようとした。
何故なら、ゴブリンは、人間の意志が通じない害獣だからである。
またゴブリンが人間を恐れる様に、人間もまたゴブリンの住処には近づかない。それは成体のゴブリンが、群れで狩りを行うからである。
例えそれが子供だとて、不用意に近づけば、命を落としかねない。
ただその時、青年はさくらの心を感じ取った。
あの老婆は、ゴブリンの存在を理解していない。危険性をわかっていない。あの優しい老婆は、自分だけじゃない、腹を空かせたゴブリンの子供も、助けようとしているのだ。
ゴブリンに害意が無い事はわかっている。しかし彼らに近づくのは、あまりにも危険な行為であろう。
ただ青年が、力づくでさくらを止めようとしなかったのには、訳が有る。
無論、まだ体が充分に動かせないのは、大きな要因だ。それ以上に、ゴブリンの子供達からは、害意どころか、驚いている感情が伝わってくるのだ。
恐らく、自分が意識を取り戻した所を、見ていたのだろう。
そしてゴブリン達は、さくらの行動にも驚いている様子である。
ゴブリン達は匂いから、さくらの持つ物が、食べ物だと理解したのだろう。そして今は、さくらの持つ食べ物に興味を惹かれている様子だ。
そして、それを差し出そうとしてくるさくらに、感謝している様子さえ伺える。
何者なんだ、あのゴブリンは?
あの老婆もだ?
青年は、心の中で呟いていた。
そしてさくらは、ある程度の所まで近づくと、弁当箱を包んでいた布を、あぜ道の上に広げる。その上にペットボトルと弁当箱を置く。そして、おにぎりを一つ掴んで齧り、安全である事を見せる。齧ったおにぎりは、弁当箱に戻して、ゆっくりと青年の近くまで下がる。
下がった所で、柔らかな笑みを浮かべて、もう一度声をかけた。
「食べな。食べても平気な物だから、安心して食べな。全部、食べちゃってもいいんだ」
二匹のゴブリンは、さくらと弁当箱を交互に見る。そして、さくらの様子をちらちらと見ながら、ゆっくりと弁当箱に近づく。
弁当箱まで手が届く距離まで近づくと、ゴブリン達はもう一度さくらを見る。そして、しずかに口を開いた。
「ギ、ギ?」
「ガ、ガ?」
食べてもいいかと、問いかけているのか。子供らしく可愛らしい声で、ゴブリン達は話しかける。
さくらには、彼らの言葉がわからない。だが、言いたい事は伝わったのだろう。笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと頷く。
「いいよ、食べな。焦らず、ゆっくりと食べるんだよ」
さくらが頷いた瞬間、ゴブリン達は弁当箱の中身を、手づかみで貪り始めた。余程、腹が減っていたのだろう。夢中になって食べている。
流石に口いっぱいに頬張り過ぎたのか、やや体の大きい方のゴブリンが、胸を詰まらせた様に苦しそうにする。
それを見た体の小さい方のゴブリンは、心配そうな瞳で体の大きい方のゴブリンの体を擦っている。
「水を飲みな! それ、そこにあるだろ! それだよ!」
さくらは指で、ペットボトルの存在を、ゴブリン達に教える。さくらの仕草で気が付いたのか、大きい方のゴブリンは、ペットボトルを掴んだ。
恐らく、中に水が入っている事は、理解したのだろう。だが、飲み方がわからない様子で、苦しそうにしながら困っている姿が窺える。
「ほら、そこに手を当てて、捻るんだよ。こう、こうだよ」
さくらは、ペットボトルの蓋を開ける仕草をし、飲み方を伝える。
真剣な眼差しで、体の大きな方のゴブリンは、さくらの仕草を見て真似る。直ぐにペットボトルの蓋が開き、水でつかえをを流しこむ。
そして、体の大きい方のゴブリンは、小さい方のゴブリンにも飲むようにと、ペットボトルを渡した。
その様子を嬉しそうにして見ると、さくらは青年へと視線を向ける。
「ほら、心配する事はないんだよ。良い子じゃないか」
「※※※※※※※※※※※※」
「すまないね。やっぱり、あんたの言葉はわからないよ」
少し寂し気な表情を浮かべて、さくらは青年の言葉に答えた。
さくらは何となく、青年がこちらの意志を読み取っている気がしていた。先ほど青年は、呼びかけて止めた。それも、焦ったような口調だったのに。
それは、伝えようとした事が、必要ないと判断したのか、杞憂だと考えたのか、どちらかなのだろう。
寧ろ、青年が伝えようとしている事が、理解出来ない。さくらは、それを寂しく感じていた。
対して、ゴブリン達が伝えようとしている事は、とてもわかり易い。言わずもがな、表情を見れば直ぐにわかる。多分、さくらでなくとも。
ゴブリン達は、一つの弁当を二匹で分け合いながら、嬉しそうにして食べている。
また二匹は兄妹なのか、小さい方のゴブリンは、大きい方のゴブリンに甘える様な仕草もする。
弁当を食べる所を見守りながら、さくらは自分の息も整えている。そんなさくらを、彼らは時折見ると、ペコリと頭を下げるのだ。
動作を付けて指示をすれば、ちゃんと理解する。彼らには、それだけの知能が有る。
さくらにはゴブリン達が、人間の子供としか思えなくなっていた。
丁度、ゴブリン達が弁当を綺麗に平らげた所で、腰を下ろして休んでいたさくらは、再び立ち上がる。そして、ゴブリン達に向かって歩き出した。
今度は、一歩ずつ慎重に歩みを進めるのではなく、普通の速度で近づく。
そんなさくらを視界に捉えながらも、ゴブリン達は先ほどとは打って変わり、怯える様子は欠片も感じない。
そして目の前まで近づくと、徐に手を伸ばして、優しくゴブリン達の頭を撫でた。最初は大きい方、次は小さい方と、順に頭を撫でる。
ゴブリン達は、嬉しそうに眼を細め、手から伝わる体温を感じていた。
「弁当を全部食べてくれて、ありがとうね。美味しかったかい?」
「ギイ、ギイ!」
「ガ、ガ、ガア!」
さくらの言葉に反応して、ゴブリン達は何かを伝えようと声を上げる。それも満面の笑みで、体中を使って、嬉しさを表現するかの様に。
さくらの表情は、孫を見るかの様に綻んでいた。
一方青年は、目を皿のようにして、その光景を見ていた。
ゴブリンに食料を与えて懐かせるなど、聞いたことがない。ゴブリンは害獣であって、子供とて油断してはいけない。それがこの世界の、常識だからだ。
しかもゴブリン達からは、信愛に近い感情すら伝わってくる。
これも、奇跡の一つなのか? 自分の命が助けられた様に、あの老婆が奇跡を起こしているのか?
もしかしたら、あの老婆は本当に神の使いなのか?
青年は、理解出来ない現象を目の当たりして、熟慮を重ねていた。だが、そんな青年に向かって、さくらから声がかかる。
「そろそろ、体は動かせそうかい? 流石にあたしじゃ、あんたを担いで病院に運ぶ事なんて出来ないよ。言ってる事は、伝わってるかい? 病院だよ、病院。あんたは、さっきまで瀕死の重傷だったんだ。不思議な力で治ったから、ハイ終わりって訳にはいかないんだよ。わかるかい?」
言葉は理解出来なくても、青年にはさくらの感情が、薄っすらと読み取れる。
自分を心配してかけてくれた言葉、そして未だ自分の体を心配している。
青年は、さくらを心配させない様に、ゆっくりと立ち上がろうとする。やはり血が足りないのだろう、立ち上がろうとした時に、少しふらついた。
そんな青年を支えたのは、さくらではなく、大きい方のゴブリンであった。
これは、青年を更に驚かせた。
老婆に心を許しただけでなく、ただそこにいただけの、自分にも心を許し、且つ手助けをしてくれたのだ。
そして青年の口から、思わず言葉が漏れ出た。
「※、※※※※※」
「ギイ。ギ、ギイ!」
その会話は、さくらにも理解が出来た。ありがとう、どういたしまして、だろう。
「大助かりだよ。あんたらは、ほんとに良い子達だ」
そう言って、ゴブリン達の頭を撫でると、さくらは青年に肩を貸す。
「これで歩けるかい?」
「※※※※※※」
青年は言葉と共に、大きく首を縦に振る。
「そうかい。じゃあ、願っておくれ。そのネックレスにさ。まだ欠片が服のどっかに引っ掛かってんだろ?」
「※※※※※※?」
次の言葉を理解出来ず、青年は首を傾げた。
「仕方ないねぇ。じゃあ、あたしが願おうかね」
そう言うと、さくらは目を閉じる。そして青年の懐から、淡い光が漏れだして消える。
服についた欠片が、最後の力を振り絞ったのだろう。
やがて、さくらの眼前には、白い霧が現れる。
さくらが青年に肩を貸し、ゴブリン二匹が後ろからそれをさ支える様な恰好となり、一同は白い霧の中へと歩みを進める。
さくらにとっては、来た道を戻るだけ。寧ろ、体感的には行きよりも、早かったかもしれない。
白い霧を抜けると、そこには信川村の景色が広がっていた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる