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1巻
1-2
しおりを挟む「ここに爺さんが住んでいてくれて、俺は助かったよ。……俺を見つけた時のことを、詳しく聞いてもいいか?」
「ああ。お前さんを見つけた場所は、ここからもっと森の奥に行ったところでな。薬草を採取していたら、その子が急に駆け出して、追っていった先にお前さんが倒れていたというわけじゃよ。だからお前さんが落ちて来た瞬間は見ておらんし、見つけた時には世界を越えた魔力の歪みのようなものは感じられんかった」
そう言いながら爺さんは、俺の足元に座っている子狼の頭を撫でた。
つまり、俺を見つけたのはまったくの偶然で、なぜあの場所に落ちたかという手掛かりは何もないということか。……まあ落ちた時の状況を思えば、日本に戻る方法などないだろうとは思っているが。
「そうだったのか……。お前が俺を見つけてくれたんだね。ありがとう、おかげで命拾いしたよ」
しゃがんで子狼と目線を合わせてから、お礼を言って頭を抱いて撫でる。
「ウォンッ!」
パタパタと嬉しそうに振られる尻尾に、笑みを浮かべた。
「お前さんたちは、多分何かで引かれ合ったんじゃろう。そこらへんも、お前さんがここの子たちとすぐに親しくなれたことと関係があるのかもしれんな。恐らくその子も望むじゃろうから、魔法を身につけたら契約を交わしてお前さんの従魔にするといい」
「え? この子は爺さんの従魔じゃないのか?」
ここにいるもふもふの子たちは、すでにオースト爺さんの従魔か、あるいは将来そうなる予定なのかと思っていた。
「ああ、その子はさっきお前さんが抱きついたエリルの娘でな。エリルは儂の従魔じゃが、従魔の子には自分で将来を選ばせることにしておるのじゃ。儂と契約するもよし、野に還るもよし、契約せずにここにいるのもよしじゃ。その子はまだ子供だから将来が決まっておらんし、名前もない。魔獣の名は、契約の時に主がつけるのじゃ。だから、お前さんが考えてやるがよい」
「おおっ! もちろん俺は大歓迎だけど、お前はそれでいいのか?」
「ウォンウォンッ!!」
抱き込んでいた子狼の頭をいったん放し、目を覗き込んで尋ねる。
けれどすぐに、逆に飛びつかれて顔を舐められ、押し倒されそうになった。
「そうか! 俺と契約してくれるのか! これからよろしくな! じゃあいい名前を考えておかなきゃな!」
「ほっほっほっ。その縁がお前さんを生かしたんじゃろうて。だが契約も魔法じゃ。魔力を扱えるようになってから契約をするのだぞ。さっきみたいに本能で魔法を使っても、倒れるだけじゃからな」
「魔法? さっき俺が気を失ったのは、魔法を使ったのが原因なのか?」
ステータス! って叫んで倒れたんだよな?
あの時、確かに何かが身体の中から出てきた感じがした。あれが魔力で、ステータス確認の魔法が発現されそうになったということか?
「そうじゃ。この世界の魔法は、己の望む現象のイメージに魔力を込めることで発現する。あの時お前さんは無意識に、考えていたことに自分の魔力を込めたんじゃろうて」
じゃあ俺は、『ステータス』の魔法を作ろうとしてたんだな。
うわ、初めての魔法を知らないうちに使ってしまったとは……。しかも失敗して、気絶までしているし。
「自分の魔力を意識せずに動かせば、暴走してしまう危険性があるのじゃ。そうなった場合、大怪我ですめばいいが、運が悪ければ死ぬこともある。だから、アリトが自分自身の魔力をきちんと把握することができるようになるまでは、魔法を使おうとしてはならぬぞ」
暴走すると死ぬ危険性まであるのか! そんなリスクを冒してまで『ステータス』を把握する必要はないな。
「わかった。肝に銘じておくよ」
「ああ。一つ一つ、無理なくやることじゃよ。まずは、この世界のことを覚えるのが先だの。魔法は幼子と同じく、初歩の初歩から訓練じゃな。ある程度普通に暮らせるようなって、街に出たいと望むなら、その手配をするからの」
「何から何まで、ありがとう。お世話になります。自分にできることはやりますから、ここに置いてください。よろしくお願いします」
俺は居ずまいを正してオースト爺さんと向き合い、もう一度深々と頭を下げた。
この世界に望んで落ちたわけではないし、正直にいえば災難だったと思う。
でも、こうやって親切な人に出会えて命を拾った俺は、ある意味では運が良かったのだ。
「……ここにいる魔獣は撫でてもいいが、近寄ってきた者だけにしておけ。嫌がることだけはするんじゃないぞ。人を襲うようなことはせぬが、危険がないわけではないからの」
「ああ、わかった! 少しずつ慣れてもらうようにするよ!」
ここにはもふもふがいっぱいいて、俺にとっては天国だから、置いてもらえるなら嬉しい限りだ。
街も気にはなるけれど、この世界のことを何も知らない今は、近づくのは怖いと思う。
異世界に落ちて、強制的に姿まで変化させられたことにまだ納得してはいない。
けれど、オースト爺さんに助けてもらって、とりあえずここで生きていこうと思えた。
今は、ただそれだけでいいだろう。
第二話 アーレンティアという世界
この森でオースト爺さんと、爺さんの従魔たちと一緒に暮らし始めて、二月くらい経った。
今の俺は、魔力の扱いを教わりながら、生活に役立つちょっとしたものを作ったり、爺さんの研究小屋へ顔を出して薬草のことを教わったりしている。
また、こちらの世界の技術や道具をより便利にできないか、爺さんと二人で話し合ってもいた。
たとえば、爺さんは村で買ってきたパンを魔力で覆い、劣化を遅らせている。これを発展させれば、ラノベでお馴染の入れた物の時間が止まるアイテムボックスを作れるかもしれない。そんな話を俺がすると、爺さんは興味津々で乗ってきて、二人で研究しているところだ。
こちらに来てからの二ヵ月間、俺は様々なことを教わった。
まずこの世界、アーレンティアのことだ。
現在、確認されている大陸は、今俺がいるところと、海を挟んで南に存在するもう一つだけらしい。
南の大陸は比較的狭く、ほぼ山や森に覆われていて、あまり人は住んでいないという。
また、俺がいる大陸の東には小さな島がいくつもあり、小国を形成しているとのことだ。
オースト爺さんの家があるのは、大陸中央付近にあるどこの国にも属さない魔境で『死の森』と呼ばれている森の中だが、同じ大陸にはいくつもの国があって、王がいたり皇帝がいたり、都市連合になっていたりする。
そこに暮らしているのは、割合の多い順に、人族、獣人、魔人、ドワーフ、エルフ、妖精族や精霊族だ。
ちなみにオースト爺さんはエルフだった。よーく見ると、耳が少しだけ長く、先が尖っているんだよな。
エルフは全員細身で美形なのかと聞いたところ、儂を見ろと言われた。
爺さんは別に太くはないが、体型は普通の中肉中背だ。顔も凄く美形というわけではない。
ただ、髪を整えて黒の燕尾服でも着せると、品のある貴族に見えそうではある。
オースト爺さんは、エルフでも美形とは限らないと言いたかったらしいが、まあ、外見なんて個人差があるのは当然だとも言っていたから、女性のエルフに会うのを楽しみにしておこう。
それから、森や山などの人里離れた場所には、普通の獣はもちろん、魔物や魔獣などがいる。
獣が汚染された魔素を取り込むと、『魔物』になるそうだ。それ以外にも、汚染された魔素が集まる場所から自然と生まれることもあるらしい。
魔素の汚染というのは、いわゆる穢れみたいなものだ。
この世界では、死ねば魔素へと還る。ただし、死んだ時に強い恨みや悔恨などを持って生に執着しすぎていると、汚染された魔素となってその土地を汚してしまうそうだ。
一方、魔獣は穢れに関係なく、魔素の濃い場所から生まれる。
生まれた場所によって姿も特性も様々で、人を襲う種族もいるが、賢くて知恵がある。だから、人々と従魔契約を結ぶことができ、そうなれば意思疎通も可能なのだ。
ちなみに、この家にいっぱいいるもふもふたちはみんな魔獣である。
オースト爺さんから聞いた限りでは、この世界の技術・文化レベルは、地球でいうヨーロッパの産業革命の頃くらいだろうと感じた。やはり、科学や機械はあまり発展していないようだ。
この世界では、水はどこでも魔法で出せるし、夜の灯りも魔法で確保できる。魔法のおかげでそれほど不自由なく暮らせるから、あまり科学や技術が発展しないのだろう。
お風呂もないが、全身の汚れをキレイにする魔法はあった。心配だったトイレも、その魔法でいつでも清潔だ。おかげで俺も、生活のストレスはあまり感じずに暮らしている。
一日の長さは、体感的には日本と同じくらい。
一週間が六日で、一月が五週で三十日。十二ヵ月で一年三百六十日だ。一応、暦はあったが、時計はなかった。
けれど、太陽が二つあるという点を除けば、日の出と日の入りは地球と同じくあったので大体の時間経過はわかるし、食事の時間は腹時計で把握できる。
四季はあるものの、太陽が二つある影響なのか、気候は一定ではないらしい。
「爺さん、ご飯ができたぞ」
「おお、今行くぞ。今日は何を作ったんじゃ? 楽しみだのう」
家の隣に建つオースト爺さん用の作業小屋へと顔を出し、足元をうろつく『白』とともに家へ戻る。
俺を見つけて懐いてくれた白銀の狼系の魔獣の子に、従魔の契約を結ぶまでの間、とりあえず『白』という仮の呼び名をつけた。
白はフェンリルという種族で、上級魔獣らしい。賢いからこちらの言葉を理解できるし、ちゃんと反応も示してくれる。契約を結べば、念話によって直接会話することが可能になるそうだから、とても楽しみだ。
「この間爺さんが採ってきたハーブが乾燥したから、今日はそのハーブを利かせた鳥肉のソテーと、スープとパンだ。パンもちゃんと温めてあるぞ」
「おお、美味そうじゃ」
食卓に並んだ料理を見て、オースト爺さんはゴクリと唾を呑んだ。
「爺さん、ちゃんと手を洗ったか?」
待ちきれないとばかりに、そそくさとテーブルについた爺さんに苦笑し、向かい側に座って尋ねる。
「ああ、浄化の魔法をかけたぞ。では食べよう。いただきます、じゃ」
「いただきます」
『いただきます』は食材への感謝の気持ちを伝える挨拶だ、と教えたら、爺さんも言うようになった。
浄化魔法は、汚れを落としたり、トイレの汚物を分解したりする魔法だ。
この世界には基本的に共通の魔法などないが、浄化魔法や種火の魔法をはじめとした『生活魔法』と呼ばれているものにだけは、名称がついている。生活魔法は日常生活に必要なことを発現させる魔法であるため、誰が使っても魔法の効果は大体同じなのだそうだ。
ただその中で、浄化魔法だけは用途の幅が広い。お風呂や洗濯の代わり、トイレの時にも使う。
もちろん、汚れを落とすといっても、イメージ次第で発現する効果は異なる。日本にあった漂白剤のことを爺さんに説明して、色素を分解するイメージで浄化を掛けてもらうと、洋服が輝くほど白くなった。いつもの浄化では目立つ汚れが落ちるだけだったから、その浄化との違いを見て、やっぱり魔法はイメージが重要だと実感したものだ。
「おうおう。今日も美味しいのう。アリトが来てから食事が楽しみになったわい」
「爺さんは適当に焼いたり煮たりして、味付けは塩を振るだけだものな」
この家で爺さんが初めて出してくれたものは、ハーブティーだった。恐る恐る口にしたら、香りは少し独特だったけれど、普通に美味しかったので、味覚は同じだと安心したのだ。
ただ、その日の夕食として振る舞われた爺さんの料理は、適当に塩で味付けして焼いただけの焦げた肉と硬いパンで、ちょっと味が物足りなかったんだよな。
だから、それ以降は俺が料理をしている。
使う食材は、ほぼ『死の森』で採れる肉と野菜代わりの野草で、主食は爺さんが近くの村でまとめて買ったパンだ。
まあ、それはいい。問題なのは、調味料だ。
この家に元々あった調味料は、塩と黒糖のようなもの、それに胡椒に似た香辛料だけだった。
街へ行けばもう少し調味料の種類はあるそうだが、基本は塩と砂糖と香草だけらしい。
そこで俺は、爺さんに森に生えている様々な種類の野草を採ってきてもらうことにした。その野草を一つ一つ、匂いと味を確かめ、調味料として使える物を選別しているのだ。
「この世界では、基本は焼いて煮るだけじゃぞ。お前さんみたいに、蒸したり浸け込んだりという調理法は聞いたこともないわい。それに野草を組み合わせて味付けに使うなんて、普通はやらんぞ」
「ただの塩味より、よっぽど美味いだろ。今度森で果物を見つけたら、また違う味付けの料理を作るよ」
祖母に一人で何でもできるようにと仕込まれたから、自炊をしていたし、料理は一通り作れる。
台所には竈の他にコンロの魔道具があり、魔物から稀に採れる魔力結晶を燃料にしていて、火力の調節もできた。だから、魔法を使えない俺が料理をするのにも何の問題もない。
調理法が変わっているとは言うものの、爺さんも俺の作る料理を気に入ってくれたようだ。
「ほっほっほっ。楽しみじゃわい。森へ行く時は、ちゃんと皆を連れていくのじゃぞ」
「ああ、ありがとう。まあ、森といってもこの家の近くまでだしな。まだ魔力を上手く扱えないし、魔法も使えないから」
爺さんの従魔のもふもふたちとも、仲良くしている。
俺たちが食べている肉は、全て彼らが仕留めてきた魔物や魔獣のものだ。
人を襲うような種類の魔物や魔獣を、食べる分だけ毎日狩ってくる。
その獲物をすぐに血抜きして解体し、食べられる内臓は生で、肉は少し炙ってもふもふたちに出してみたら、皆、大喜びで食べていた。
解体はオースト爺さんに教わりながらやったのだが、魔物や魔獣はかなり大型だったため、結局一人では解体できなかった。そこらへんは、従魔の皆に魔法を使って協力してもらっている。
おかげですっかり仲良くなり、今ではもふもふし放題だ!
もちろん、料理ばかりでなく、ちゃんと魔法を使うための訓練も毎日している。
自分の持つ魔力の感知は、すぐにできた。最初にステータスと叫んだ時の感覚が残っていて、それを手がかりにしたのだ。
今は、子供が最初に取り組む訓練法を爺さんから教えてもらい、実践している。
座って目を閉じ、自分の体内の魔力の流れを完全に把握し、循環させるという方法だ。
地味な訓練だが、成果は出ている。たとえば、竈で調理する時は、魔法で火をつけて火加減を操作することもできるようになった。
燃えやすい葉を用意し、体内の魔力を操作して集め、人差し指から火花を散らすイメージで放出する。一度火がつけば、操作は容易かった。強火は空気を送り込んで火を大きくするイメージで魔法を使い、弱火は逆に空気が薄くなるイメージだ。
難しいのは、何もない状態から魔力で現象を発現すること。
たとえば、手のひらに火を出すとなると、自分の魔力を操作して空気中の魔素に干渉し、火を出すイメージを伝えて変換する、という過程をたどらねばならない。
その時に火の大きさ、温度、形状など、全て確実にイメージ通りのものに変換する必要があり、これが非常に難しい。
魔力の操作に慣れるためにも、家事をやりながら訓練するという今の生活は意外と効率がいい気がしている。
とりあえず今は魔力操作を完璧にして、白と契約をする! のが目標だ。
第三話 魔物がいるということ
俺の目の前には、粗目の布と鍋、そして木の実の山がある。
木の実は、オリーブを二回り大きくしたような見た目だ。爺さんが採ってきた物の中にあったのを見つけて「これは」と思い、追加で大量に採ってきてもらった。
今日はこの木の実の油を搾って、トンカツを作りたいと思います! 豚肉じゃなくて、豚肉と似た味の魔物肉だけどな!
実が大きすぎて俺の力だけで搾るのは難しいので、もふもふの皆さんに協力してもらい、俺は魔法で補助することにした。
この森で採れる食材は美味しい。最初は魔物や魔獣の肉を食べるのは少し抵抗があったが、猪肉とか鹿肉のようなものだと思って口にすると、あまりの美味しさに驚いた。肉自体の味が濃く、日本で食べた国産の牛肉よりも美味しいのだ。
だが、近くに川も海もないから、魚は手に入らない。
だから、一日三回のおかずは肉、肉、肉。森で採れる野草と芋もあるとはいえ、いくら美味しくてもさすがに飽きる。
そんな状況では、揚げ物が食べたいと思っても、動物性油で肉を揚げた物を食べる気になれなかった。そのため、植物油を作ろうと準備していたのだ。植物油があれば、調味料にも使うことができるしな。
「よし、やるぞー!」
まず、大きな粗目の布を広げ、次に中央に木の実を並べる。ガッツリいっぱい置いたら、布で木の実をくるんで準備は完了だ。
「エリル、この布の端をしっかりと咬んでくれ。歯を魔力で強化しておいてな」
自分の魔力を身体に纏い、周囲の魔素を自分の魔力へ変換しながら肉体を強化する、身体強化魔法だ。
これは実は凄く難しい。少しでも制御を失えば、体内の魔力が暴発するのだ。もちろん、魔獣である皆は、本能で完全に制御することができるのだが。
「もう片方は、と。こうぐるぐると絞っていって……。よし、こっちはラルフ、お願いな」
ラルフはエリルの旦那で、白のお父さんだ。
エリルの白銀の毛並みは、光に当たると少し青く光る。毛並みの色も人と同じで、好かれている魔素の属性で変化するらしい。
ラルフは光に当たると白銀の毛並みが緑っぽく見える。雄だから体長はエリルよりも大きく、六メートルくらいで、身体もガッチリしていた。目つきも鋭く、一見すると近寄りがたい。
でも、野草を採りに行く時はいつも護衛してくれる、面倒見がいいお父さんなのだ。
「よし、じゃあ布の下に鍋を並べて、と。白、手伝ってくれるか? 俺が魔法を使うと、この布から油が落ちる。そうしたら風魔法を使って、鍋の中にちゃんと入るようにして欲しいんだ」
「ウォンッ!」
いつも隣にいる白に頼むと、パタパタと尻尾を振りながら嬉しそうにこちらを見上げてくる。可愛くて、つい辛抱できずにもふもふと撫でてしまった。
よし。準備はこれでできた。あとは魔力を練って……。
ゆっくり、ゆっくりと体の魔力を循環させていく。
「エリルは左回りに、ラルフは右回りに布を捻ってくれ」
布が絞られて負荷がかかり、中の実が割れていく。
そこにすかさず、風魔法を使った。上と下から風で挟み、押し潰して漉すイメージで魔力を操作する。
最近になってやっと、風を使った魔法なら安定してイメージ通りに発現できるようになってきたのだ。
やがて、徐々に布に油が滲み出てきた。
搾り出された油を白が風魔法で鍋へと誘導し、どんどん鍋の中に溜まっていく。
一方の俺は、次第に脂汗が出てきた。魔力操作の練度がまだ低いので、長時間操作し続けることは、かなりの負担となる。それでも集中を切らさずに、練っていた魔力を一気に出し切った。
「よし、無事に搾れたな。ありがとう、エリル、ラルフ、白。おかげでキレイな油ができたよ」
限界まで魔力操作を頑張った甲斐があって、五つの鍋の全てに緑がかった金色に輝く油が並々と入っていた。
「とりあえず休憩してから完成させるかー! よし、ちょっと疲れたからもふもふさせてくれ」
エリル、ラルフ、白の親子へと突撃して、もふもふまみれになる。
ふはー、癒されるなー。ここは本当に天国や。
三匹の身体に上って、彼らの足では届かない首筋や耳の後ろをがしがしと豪快に撫でてあげると、とても喜んでくれた。
「よし、休憩終わり! 魔力も回復してきたし、油を仕上げてしまおう。メインはトンカツだけど、付け合わせにさっぱりしたものも欲しいよな。生で食べられる野草を採りにいくか。エリル、ラルフ、白。森へ行くから付き合ってくれ」
今晩の献立はトンカツと生野菜、それに野菜スープにしよう。
普段、野草はまとめて採っているが、生野菜用は食べる時に森で採取しているのだ。
白たちを庭に残し、鍋を持って家に入る。すぐにキレイな布を用意して油を漉し、浄化してある瓶に慎重に詰めた。
そして、これからが本番だ。
回復してきた魔力を身体の中で循環させ、瓶の中の雑菌を取り除くイメージを固める。
はっきりしたイメージができたところで、ゆっくりと瓶に手を載せ、『浄化』と唱えた。
すると、手のひらから淡い光が広がって、瓶を覆う。浄化魔法、成功だ。
全ての瓶に浄化魔法を掛け、植物油が完成した。
「ふう、成功かな。一応あとで爺さんに見てもらおうか」
「浄化の魔法は難しい」とは爺さんから聞いていたが、確かに難しい。
多分、この世界の人には雑菌とか細菌の概念がなく、上手く想像できないためだと思う。
俺の場合はその分、イメージしやすいはずだが……実際に菌を目で見たことがあるわけではないから、やはり簡単にはいかないのだ。
やっと最近、狭い範囲や小さい物になら殺菌作用のある浄化魔法を成功させられるようになった。
ただ人間の身体全体だと、魔法をかける範囲が広い上に複雑な形をしているので難しく、大まかな汚れを落とすことしかできない。
でもトイレに行った時に、オースト爺さんを毎回呼ぶのも嫌だったから、何とか狭い範囲でも殺菌できるように頑張って覚えたのだ。
「さて、じゃあ次は森へ野草を採りにいくか。急がないと夕飯の支度が遅くなるからな」
家を出ると、庭で待っていてくれた白たち親子を連れて森へと入った。
◆ ◆ ◆
爺さんの家は、この森の北にある最寄りの村側から『死の森』へ入り、歩いて三日ほどの位置にある。もちろん、魔物や魔獣に襲われずに進めたら、の話だ。
爺さんの家からさらに森は南へ広がり、奥へ進むとドラゴンがいる火山に行き当たるという。
辺境の地で魔境と言われるだけあって、『死の森』に棲んでいるのは上位の魔物と魔獣がほとんどだが、当然、奥に行くほど強くて厄介になる。だから絶対に南には行くな、と爺さんに言われている。
これまで、森で野草を採集している時に、魔物に襲われたことは何度かあった。
魔獣には知性があるから、白たちのように強い存在がそばにいればほぼ寄ってこないのだが、魔物は気にせず襲ってくることが多いのだ。
初めて魔物に襲われた時、俺はただ腰を抜かしてへたり込んでいた。
日本では大学へ進学するまで田舎暮らしをしていたから、裏山で猪に追われた経験はある。だが、それとは比べ物にならないくらい、魔物の迫力は凄まじかった。濃密な魔力をともなった威圧に震え、気を失わないようにするだけで精一杯だったのだ。
けれどその時は、襲ってきた魔物を、一緒にいたエリルが一瞬で食いちぎってくれた。
そのあっけないほどの死と、噴き出す血を目の当たりにして、俺はただ茫然とするだけだった。
それから何度も同じようなことがあって、多少は慣れてきたのだが。
「生で美味しい野草は、確か西の方に群生していたよな。いつも行く場所より、ちょっとだけ奥に入らないといけないけど、白たちがいるし。パパッと採ってくるか」
少し探索範囲を広げる時はいつもは北へ行くのだが、今回向かうことにした西の群生地は、前に爺さんと採集に行った時に見つけた。
木々が生い茂る薄暗い森の中を、なるべく音を立てないよう、気配を殺して足元に注意しつつ歩く。
進みながら、目当ての野草を見つけたら採取しているが、やはりそれだけでは十分には集まらない。
普通に森の中を探すと、どうしても量を集めるのに時間がかかる。やはり群生地へ行かないとダメだな。
こうやって採取しながら森を歩いていると、日本でまだ子供の頃に、祖父と歩いた春の裏山を思い出す。あの時、山の歩き方を教わったっけ。
祖父は、田舎で暮らすのだから何でも自分でできなきゃならん、が口癖で、自分で作れるものは可能な限り作っていた。水田と畑を持っていて、野菜を作る農家だったから、ほぼ自給自足の暮らしだった。そんな祖父から、様々なことを学んだのだ。
思い出に浸っていると、突然ラルフが唸り声を上げた。
「ガウウッ!」
その声でハッとしてラルフの方に目を向けると、大きな蛇型の魔物が木の上から下りてくるところだった。太さ一メートルくらい、ここからでは尾が見えないが、体長は十メートル以上あるかもしれない。
その禍々しい魔力と威容に気圧されてしまった。
隣の白をちらりと見ると、俺を誘導するようにゆっくりと後ずさりしたので、俺も震えながらなんとか一緒に下がる。
「グルルルルッ」
今度はエリルの声だ。見れば、左手の木々の間に、大きな蜘蛛型の魔物がいる。恐らく蛇の魔物と戦闘している隙をついて、俺たちに攻撃を仕掛けるつもりだったのだろう。
エリルは蜘蛛の魔物を牽制しながら、ラルフの隣に移動していく。
それでも一瞬の隙を狙って襲ってきた蛇の魔物に対し、ラルフが飛び掛かった。
ラルフは蛇の魔物の首に咬みつくと、そこを起点に氷の魔法を展開し、傷口を凍らせる。
しかし蛇の魔物は太すぎて完全には凍りきらなかったため、すぐに決着とはいかなかった。
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「グルッ!」
ふいをつかれたのだろう。初めて聞くエリルの慌てたような声に、思わず俺はエリルの戦いに釘づけになる。
その時――
「ギャウンッ!!」
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