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CAPÍTULO2

Episodio9. ケラス・ティーバ2

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 ケラスが士官学校に入る頃、キンギイ・ヘンフィールは海軍の工廠資材部部長ホリドゥス海軍大佐の配下にあった。クーデターを起こした右翼ファチャの残党を捉えるという手柄を立てた彼は、なぜか軍令部ではなく技術者や工員ばかりを仕切る軍需部への配属を希望したのだ。
 ケラスがキンギイの護衛武官に選ばれた時、キンギイは工廠の総務部の副官にまで昇進していた。病気がちで業務が滞る部長の代わりを務めるこの上官に、ケラスは聞いてみたことがある。

「キンギイ少佐はなぜ軍需工場をお選びになったのですか」

 ケラスは戦術や兵器について学びはしたが、技術的なことはさっぱりだった。敬愛するキンギイがこの職場を望むなら、大学へ進学すれば良かったと悔やんだくらいだ。
 キンギイは男らしい顔を和らげて答える。

「俺の同郷の馴染みに外国を見て来た奴がいる。そいつが言ったんだよ。
 人と人が一対一で剣や銃を持って戦う時代は終わる、とね。
 これからの時代は金や技術が物をいう。未来を想像して生きないと取り残されるってね」
「工廠の技術革新が勝利する未来に繋がるんですね!」

 ケラスはキンギイの言葉に興奮した。そして、前世を知ってからはそれは概ね正しいと理解した。前世は生活の端々まで様々な技術が使われ、それが便利さと富をもたらしていた。
 ケラスはキンギイにそのことを教えた同郷の人物が気になった。

「同郷の方とはもしかして、トリ中尉の事ですか?」

 キンギイの執務机の前に立つ麗人をちらりと見ながら聞いてみた。長身で細身のトリは男性ながら美しい相貌をしている。背中で一つに結ばれた長髪がさらさらと流れたり、切れ長の目がふと伏し目がちになったりする瞬間、ケラスの胸は熱を持った。

———胃の中の蝶が羽ばたく。

 ケラスはトリのことでときめく度、自分の顔が赤くなっていないか気にしなければならなかった。これが恋心に違いない。ケラスはキンギイに対する想いが英雄視からの憧であったことを確信する。やっぱり兄のガジョの勘違いだったのだ。
 乙女心に揺れるケラスに向けてトリは微笑んだ。

「確かに私は少佐と幼少期をともにしましたが、私ではありません」

 トリは口数の少ない男だ。それが、自分には答えてくれることにケラスは舞い上がりそうだった。トリ・カルマは、首都に屋敷を構える有数の大家だ。しかし彼は、キンギイの家が治める辺境のヘンフィール領で幼少期を過ごした。それは彼の不遇の生い立ちに関係するのだが、ケラスは全く気にすることはなかった。それによってトリは無用な気遣いの必要が無く、彼も明るいケラスを気に入っていた。

「ホリドゥス海軍大佐の部下、セレノの事ですよ」

 トリが出した人物の名前にケラスの顔が曇る。
 この総務部でセレノ・ローロという工員はたびたび目撃された。
 ホリドゥス海軍大佐の配下で資材部のくせに、とケラスは不信感を抱いていた。
セレノは、中肉中背のわりに軟弱な印象の男だ。
 腰の位置が高く手足が長いせいでそう見えるのかもしれない。
 そして、かなり若く見えた。兄たち達と年が近いなんて信じられない。
 黒目がちの目は庇護を求める小動物のようだと思った。
 痩躯だが剣術に長けたトリと違い、セレノが見た目通りの弱い男であることもケラスを苛立たせた。
 ケラスは女ながらに体を鍛えて軍人としてふさわしい姿になるよう一途に訓練してきた身だ。男のくせにひ弱なセレノの怠惰を見過ごすことが出来なかった。
 更に尊敬する二人の上官と仲が良いのも面白くない。
 彼らは三人揃うと、故郷を懐古してはおのおのの世界に没入するようだった。
 そして、普段は表情を見せないトリまでも柔らかい雰囲気になることにケラスは心を乱されるのだ。

「私はセレノという工員を信用できません」

 ケラスはきっぱりと言った。
 セレノはいつか上官たちの足手まといになるに決まっている。
 キンギイが苦笑してケラスを見ていた。

「やつは君に何か悪い事をしたのか?随分嫌われたものだな」

 トリは何も言わなかったがキンギイと同じように口元を動かした。
 それがケラスを更に苛立たせる。

「失礼ながら、お二人があの男を気に掛ける理由がわかりません」

 ケラスは士官学校で多少辛酸をなめたものの、人生で暗い道を通ったことがない。しかし、皆にケラスのような順風満帆な道が用意されているわけではないことは分かっていた。ケラスより十年は長く生きたこの三人には勿論ケラスの知らない世界があっただろう。だが、セレノもそうだということが気に食わないのだ。
 それは可愛い嫉妬なのだと、キンギイとトリの二人は分かっていた。
 キンギイは一つ咳払いをした。

「ケラス、君も私がクーデターの残党狩りに成功したのは私一人の力だと思っているのか」
「少佐の功績に間違いありません」

 迷いなくケラスが答える。キンギイの目がケラスを見据えた。そうすると、途端に威圧的になる。

「奴らを捕縛できたのはセレノの情報があったからだ。あいつはガルシア領に先に潜入して残党を見逃さなかった」
「まさか!あのひ弱な男にそんなことが…」

 ケラスは途中で口を噤んだ。
 キンギイが本気で怒っていることに気付いたからだ。

「貴女はセレノを良くは知らないでしょう?」

 トリが場を宥める様に優しく言った。それは委縮したケラスの心を素直にさせる。

「セレノは確かに頼りなく見えるだろう。しかし、あいつは有能な軍人だ。
 そして、軍の中では密かに『運び屋』と呼ばれている存在だ。
 鉄や金属だけじゃなく、どんな物も情報も人さえも用意することが出来る」

 キンギイの言葉はにわかに信じがたかったが、ケラスは反論しなかった。

「セレノは軍産の『大陸の剥奪者』だと言われています」 

 トリがそう言ったことに少しだけ笑えた。
 軍人なのに泥棒と並び称されるなんて。
 しかし、トリは複雑な表情をしてケラスに忠告した。

「ケラス、貴女は下手にセレノの正体を暴こうとしない方が良いでしょう」
「え?」

 ケラスはその意味を図りかねて頭を傾げる。
 見ればキンギイも深刻そうな顔をしていた。

「あいつは資材部に籍を置いて身を隠しているようだが、奴への命令系統がいまいちよく分かっていない。ホリドゥス部長の指示には従っているが、での上官は彼ではないようだ」

 どうやらセレノはこの二人に秘密にしていることがあるらしい。
 しかしケラスはこの件について深く考えることは無かった。
 元来、物事を難しく考えることが苦手なたちなのだ。
 セレノに対して、正体不明の怪しい奴、という項目が一つ増えたぐらいだった。
 それから転生について確信する今日まで、セレノと顔を合わすことはたびたびあったし、一緒に組んで仕事をすることもあった。
 軟弱な印象は変わらないが、もうかつてほど敵意は抱かない。
 それから、気づいたことがある。

———セレノは勘が鋭い。

 自分のように反射神経が良いのかもしれない。
 たまにある不思議な現象にケラスはそう結論づけ、工廠の仲間たちと仲良くやってきたのだった。
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