此岸の華

百尾野狐子

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清音

此岸の華

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「だから、悪かったって何度も言ってるじゃないか~。人間なんだから、一度や二度、ミスする事もあるだろ?」
「…一度や二度じゃないから怒っているんだろうが?俺にも仕事があるんだぞ?死にそうな声で一大事だと言うから急いで帰国してみたら…トリプルブッキング?!知った事か!そもそも俺は霊能者なんて仕事は認めていない。父さん、貴方の本業は何ですか?」
「…神社の宮司、かな?」
テヘペロっと茶目っ気たっぷりに小首を傾げて舌を出すこの男の名は橘志音たちばなしおと、今年で五十二歳になったはず。
その筋では有名な霊能者である父親は、全国津々浦々へ、時には海外にまで足を伸ばすグローバルな霊能者を自負していた。
「だったら少しは、あの寂れた社をなんとかしろ。こんなボロ神社じゃ、ご利益が期待出来なくて参拝客なんか来ないぞ?」
「あ~、まぁ、別に来なくて良いんじゃない?うちに来ても本当にご利益無いし?」
「あんたなぁ…」
「参拝には来ないけど、呪いにだけは来るんだから、怖い世の中だよね~」
父親の言う通り、丑の刻参りに訪れる人間は科学が発達している現代においても跡を絶たない。
境内の橘の御神木に藁人形を五寸釘で打ち付けて行くのだが、木が傷むから止めて欲しいのが正直なところだ。
中には本気の呪詛がかかっていて、処理をするのが面倒な事この上ない。
この神社は橘神社と言って、かなり古くから在る神社だが、近所の住民も滅多に訪れない忘却の神社だ。
清音きよねも今はフリーターなんだし、時間が余ってるんだろ?僕の代わりにサクッと依頼、片付けてきてくれよ」
父親は昔ながらのちゃぶ台に並んだ、今夜の晩御飯のおかずである肉じゃがにそっと手を伸ばした。
俺はその手を叩き落とし、掛けている銀縁メガネを指で押しながら微笑んでやった。
俺の微笑みは、顔が整い過ぎて怖いのだそうだ。父親によく悪魔の微笑みと称される。
途端に視線を逸らして誤魔化すように笑った父親を見て、わざとらしく溜め息を吐いてみせた。
「誰がフリーターだ?時間が余ってる?人を暇人扱いするなっ。フリーターじゃなくて、フリーランスと言え。あんたが本業をうっちゃってくれてるお陰で、溜まりに溜まった事務仕事が山のように有るんだが?」
「あ~…、ねぇ~?書類って、何故か溜まるんだよねぇ?」
「あんたが処理しないから溜まるんだろ?本家から、わざわざ海外にいる俺に連絡が来るんだが?」
「え~?本家も暇だなぁ…そんな事で国際電話かけちゃうの?勿体無い…」
「…反省の色無しのようだな…」
「あ!いや!してる!反省してます!ごめんなさい!」
清兄きよにい、その辺で勘弁してあげたら?お父さん、悪気があってしてるわけじゃないんだから」
水音みね~!僕の味方は君だけだよ~」
障子を開けて居間に入って来たこの美少年は俺の弟だ。
身長170.5センチ。体重55キロ。足のサイズは25センチ。木目が細かく、透けるような白さの肌。黒目勝ちの瞳は珍しいオッドアイで左は漆黒だが右は赤みが強い紅茶色をしている。鼻筋は綺麗に通り、唇は程よい厚みがあって、口付けたくなるほど蠱惑的だ。髪は漆黒で後ろは襟足で整えられているが、前髪が綺麗な目を隠すようにわざと長めに伸ばされている。
しなやかな肢体は薄く、水音を見て性別に確信を持てる人間はいないかもしれない。
水音自身は、自分の中性的な容姿がコンプレックスのようだが、俺は美しいと思っている。
「今夜はお父さんのリクエストで、肉じゃがとブリの照り焼きだよ。お味噌汁はナメコと豆腐にしちゃった。今日安かったんだよ、ナメコ。ね?清兄」
「ああ…」
水音に笑い掛けられ、俺は渋々怒りを収めた。
水音はお盆に乗せたご飯茶碗や汁椀を手際よくちゃぶ台に配置しながら、家でしか見せない穏やかな微笑みを浮かべていた。
基本、水音は俺達家族の前でしか話さないし表情を見せない。
17歳なので、本来なら高校生として学校に通い、勉強や友情や恋愛に忙しく、程度の差はあれ青春を謳歌している年齢だ。
だが、特殊な事情のある水音は、学校に通っていない。九歳までは日本の小学校に在籍していたが、殆ど不登校で家に引きこもる生活を送ってきた。
「帰国早々に家事をしてくれてありがとう~。ナメコと豆腐の味噌汁か~。美味しそうだね。このブリの照り具合、絶妙だね!料理の腕が上がったんじゃない?」
父親はデレデレと笑み崩れ、子供のように手を合わせて食事の挨拶待ちをしている。
水音が俺の隣に座って、父親に倣って手を合わせながら俺を見る。
いつも不思議なんだが、何故食事の挨拶をする前に俺を見るんだ?一応、家長は父親の筈なんだが…。
「…はい、頂きます」
「頂きます!」
俺のゴーサインで箸を手に取った父親と水音は、仲良く話しながら食事を始めた。
俺は内心で嘆息し、箸を手にして水音特製の味噌汁を口にした。
「うん、美味い」
俺の呟きに水音は嬉しそうな顔をした。
「清兄は何か食べたい物ある?久し振りの日本なんだし、何でも言って?」
「…水音が作るのは何でも美味いからな…」
水音は俺と共に海外を渡り歩いているが、その土地の物で器用に色々な料理を作ってくれる。
「清兄はいつもそれだから…たまにはメニューを決めてくれると助かるのに…」
水音は苦笑しながら白米を口に入れた。
咀嚼する顔を見て、ついその可愛さに見惚れてしまった。
「…夫婦の会話みたいだねぇ…」
父親が面白そうな顔をしながら俺を意味深に見たので、目で牽制して黙らせた。
父親は一瞬苦笑を浮かべ、話題転換にまた依頼の話を始めた。
「トリプルブッキングの件だけど、とある学校の理事長から依頼が来て、ここ一年程続いている学校内の怪現象を調査して、必要ならお祓いして欲しいって話なんだ」
「どこの学校だ?」
「私立秀栄学院」
「秀栄?」
私立秀栄学院は山奥にある名門全寮制男子校だ。古き良き明治の時代から続き、良家の御令息が多く通い、偏差値が高い事で有名だが、その内情を知る部外者は少ない。
「…本家から回ってきた依頼か?」
「流石、清音。よく分かったね~」
「秀栄出身者が多いからな、橘家は…。理事長は、その伝手を使ったか…」
橘家は古の時代から脈々と続いてきた、古文書にも載らない、禁忌を生業にして繁栄してきた家だ。
時の権力者の繁栄の影には常に橘の存在があったが、敢えて不確かな幻のような存在に橘家は自らを置き、決して歴史の表舞台にも裏舞台にも存在を現す事はしなかった。
俺の父親はその橘家の本家筋の人間で、超能力や霊能力に長けた本家筋の中でも指折りの能力を持つ男だ。だが、権力や富には無頓着な男で、縛られるのを嫌う自由人だった。
「…その依頼…僕が代わるよ…」
水音は持っていた箸を置いて、父親と俺を交互に見た。
「実は…帰国する前から…夢を見てたんだ」
「夢…?」
父親が珍しく真面目な顔をして水音を見返した。
「学院の敷地内に一面曼珠沙華が咲き乱れる場所があって、知らない少年がそこに立っている夢…彼は泣いてた…カナしいって…」
「予知夢かい?」
「…多分」
水音は父親の言葉に首を傾げながら微笑んだ。
「僕は呼ばれているんだと思う…」
水音と父親に視線を向けられて、俺は咀嚼していたブリを飲み込んだ。
「清兄…駄目?」
水音の問いに俺は迷わず頷いた。
「駄目だ。そろそろお前は周期に入る頃だ。能力も体調も不安定になるし、何より、馬鹿親父の尻拭いをお前がする必要は塵ほども無い」
「馬鹿呼ばわりは酷いなぁ~」
「馬鹿じゃなければ何だ?間抜けか?阿呆か?」
「清兄…でも、お父さんも困っているし、何より学校の生徒が可哀想だ…僕が心配なら清兄がサポートしてくれれば、きっと早く依頼は片付けられるし、父さんの信用も守れるし、本家の面目も立つ」
水音は綺麗な瞳を潤ませて、すがるように俺の顔を見つめた。
頼むから、そんな瞳で見るな。
「…俺にとって一番大事なのは水音だ。危険に晒す事は出来ない。まだ向こうにやり残した事もあるし、飛行機のチケットが取れ次第ドイツに帰るからな」
「清兄…」
水音が哀しそうな瞳をして俺を見るが、俺は意見を曲げる事は出来ない。
俺は水音を護らなければならない立場の人間だ。
「え~…、清音ぇ、ケチケチするなよ、たまにはその能力を使って、困っている人を助けてやろうって思わないのか?」
「間に合ってる。この話しはおしまいだ。飯が不味くなる」
俺の一言で、それ以上依頼の話しは出来なくなった。食卓は水を打ったように静かになり、美味かった食事の味を低下させた。
本来ならば、水音が命令すれば、俺は従わなければならない立場だ。だが水音は決して自分の立場を振りかざさない。
水音は橘家総本家のトップだ。
生まれた瞬間から神子みことして敬われ、実の親から切り離されて育てられた。
水音が三歳の時、俺は彼の筆頭審神者さにわに選ばれた。
当時受験生だった俺は、水音に将来の選択肢を与えられるように自分の進路を変更して医師の道を選んだ。
水音の希望で、戸籍上では本家筋の親戚、つまり三従兄弟みいとこでしかなかった俺達は義兄弟になった。
外の世界を知らずに育った水音にとっては、それは良くも悪くも彼に多くの経験をもたらした。
外の世界は水音にとっては生き難く、彼の心身を傷付ける事も多い。
だが、水音は俺の傍を離れたがらなかった。
神子として祀られ、外の世界を知らずに生きる事の怖さを水音は知っていたのだ。
無知が多くの犠牲を生む事を知り、自分を取り巻く環境が決して全て善では無い事を知っていた。
一人で外の世界で生きる事は不可能だが、俺が傍らにいれば問題は無くなる。
水音には生まれながらにして多くの神憑り的な能力が備わっていた。
テレパシー、予知、千里眼、サイコメトリー、エンパス。
水音がいれば、あらゆる厄災も未然に防ぐ事が出来、望む富を手に入れる事が可能だ。
だが、力が大き過ぎて水音は自分の力を上手くまだ制御出来ない。
人や動物、あらゆる生物の思念が水音の中に流れ込んできて、彼を疲弊させる。
彼は知り過ぎてしまうのだ。
水音の心身が休まるのは俺が傍にいる時だけだった。
何故なら俺の思念だけ、水音は読む事が出来ないのだ。
無論、ある程度の思念の制御は橘の人間なら皆訓練している。
俺も幼少時に訓練させられたし、人より上手いと自負もしている。
だが、俺以外の人間は、どれ程上手く思念の制御が出来ても、水音には読み取れてしまうのだ。
俺だけは別らしく、俺の思念は水音に全く流れ込まない上に、他の思念も遮断するらしい。
俺が傍にいれば、水音は力の制御が出来て、読みたい時に読め、使いたい時に力が使えるのだ。
「…ご馳走さま。美味かった。食器は置いといてくれ。後片付けは俺がやる」
俺がいては、食卓の空気が重いままだろう。早めに食事を切り上げて立ち上がった。
「清兄…?」
「馬鹿親父の溜め込んだ書類を片付けてくる。水音は食事が終わったら風呂に入って先に寝てろ。父さんは、トリプルブッキングの件を何とかしろ。日にちをずらせば何とかなる筈だ。危険度が高い依頼から取り掛かれ。本家が何か言ってきたら俺に振れ」
「了解でーす」
父親の軽い返事に疲労を覚えたが、俺は溜め息を飲み込んで居間を後にした。


神社の境内の敷地内に在る築数百年以上のこの家は、あちこちすきま風が入る。
一階の突き当たりの部屋は仕事部屋になっていて、この家の中で一番近代的だ。
事務机が三つあり、それぞれにパソコンが置かれ、防犯カメラのモニターやプリンター、コピー機と全て揃っている。
書類棚には綺麗にファイリングされた書類や関係書物が並んでいた。
「…前回俺達が帰国して整理した時のままだな…」
恐らく父親は、届いた封書や書類をこの部屋に置くだけ置いて、後は放置していたのだろう。
「まったく…」
溜め息を吐き、封書や書類が山積みになっている机の椅子に座った。
一つ一つ開けながら、必要な物と不要な物を分けて処理を始めた。
集中してやれば、こんな仕事は二時間もあれば終わる。
自分で言うのも難だが、俺は有能だ。大抵の事は難なく出来る。
持って生まれた力は大きく、隠しながら生きるのは不便だったが、それも制御出来るようになれば大した手間も不便も無い。
水音に出逢うまでは人生は簡単で、面白味に欠けていた。
水音が誕生した時に、能力の大きさから自分が審神者候補になったと聞かされたが、その時は特に何とも思わなかった。生まれたのは男で、何故男の自分が審神者の候補になるのか少し不思議に思っただけだった。他人事だったのだ。
三歳になった水音に直接逢って、筆頭審神者になった時、初めてそれがどういう意味があったのか理解した。
本来、橘家のトップは巫女と呼ばれ一族の中で最も能力の高い女性がなる決まりがあった。
その巫女の更に上の地位に在るのが神子だった。
神子が生まれた時代の橘家は、繁栄を約束され、一族の存続を確かにしてくれる存在として崇められた。
水音は生まれた瞬間に神子となったが、本人が望んだわけでは無かった。生まれたての赤ん坊が、神子として崇められたい等と思う筈はない。
「…十二月で水音も十八歳か…」
ふと、点けたパソコンのモニターの日付けに目が行き、もう十月に入っている事を実感した。
法律上、水音も望めば自分が選んだ相手と結婚出来る年齢だ。
自由人の父親の血が流れているからか、自分自身が橘一族の一員である自覚はあるが、俺には水音が置かれた立場を素直に受け入れる事が出来なかった。
水音が本当に現状に満足しているなら、俺は自分の立場を受け入れられるが、そうでないなら解放してやりたい。
男として生まれ、男として育った水音。
神子として崇められる要因は類い稀な能力と、他者と違う処が一つだけあったからだ。
その違いを無くすための手立ては既にある。その為に俺は医者になった。
水音の審神者になってもう直ぐ十五年、彼を家族として、兄として護り続けて十三年経つ。
長いようで短い時間を、水音と共に過ごしてきた。それは幸福と不幸、苦痛と安楽の両方をもたらし、俺にとって水音が唯一無二の存在である事を突き付ける。
願うは水音の幸せだけだ。
「本家も本腰を入れて口出ししてくるだろう…」
パソコンで管理するようにした出納帳を最後にもう一度確認して、必要なデータを橘本家へ送信して事務処理を終わらせた。
腕時計を見ると、既に夜の十時過ぎだった。
自分が思っているより、思考に沈み過ぎていたようだった。
「片付けて、風呂に入るか…」
溜め息混じりに呟きながら部屋を出ると、ギシギシと音が鳴る廊下の途中で風呂上がりの父親と出くわした。
「あ、終わった?ありがとね~。お疲れ~」
見た目は理知的で年齢不詳の美形だが、我が父親ながら、本当にいい加減で自由な男だ…。小言を言うのも疲れる…。
「…水音は?」
「後片付けは水音が全部やってくれてたよ。風呂に入って、もう部屋で休んでるはずだ」
「そうか」
俺は父親とすれ違いながら頷き、そのまま風呂に向かうつもりで歩き続けた。
「清音」
父親に呼ばれて肩越しに振り返ると、真面目な顔で俺を見ていた。
「何?」
「水音の審神者でいる事が苦痛かい?」
核心を突かれて俺は返事が出来なかった。
「今なら辞退できるよ」
「それは俺の本意じゃない…俺は水音の望む通りの人生を歩ませてやりたいだけだ」
「水音は神子だ。認めたくないんだろうけど…」
「自由人を自負する父さんらしくない発言だな?」
「抗える運命と抗えない運命があるんだよ、清音」
「分かってるよ」
「…水音はそれを受け入れているよ」
「…俺に覚悟が無いと言いたいのか?」
「違う?」
「俺は…俺ならどんな運命も捩じ伏せて従わせられる」
水音のためなら。
「…熱烈だなぁ」
父親は驚いた顔をしたが、直ぐに破顔して何度も頷いた。
「うんうん。そっかそっか!」
「…何だよ?」
「いや、うん…ねぇ、清音。何で水音が、君の思念だけ読めないか分かる?」
「さぁ…感応し難いからなのか…俺の制御が強いからか…?」
俺が首を傾げると、父親は意味深に微笑んだ。
「神子も人間だからだよ」
「は?」
「ふふふ、お休み~」
父親は面食らった俺を放って機嫌良く自室の襖を開けて入った。
神子も人間だって事くらい、言われなくても分かっている。
「…言うだけ言って…本当に…自由な男だな…」
俺は溜め息をまた吐き出し、踵を返して風呂場へと向かった。
久しぶりに肩まで漬かれる日本の風呂に入って、連日の強行スケジュールで蓄積されていた疲れを癒し、俺は用意されていた浴衣を着て自室がある二階に上がった。
襖を開けると既に敷かれた布団の上に、自室で寝ていたはずの水音が同じ柄の浴衣を着て座っていた。
「水音…どうした?」
後ろ手に襖を閉めながら、水音の少年にしては薄い背中を見て心がざわついた。
「清兄…ごめん…」
水音は苦しそうに息を吐き、潤んだ眼差しを隠す事もせずに俺を見上げてきた。
上気した頬。小刻みに震える体。握り締められた拳。もぞもぞと揺れる腰。
「…周期が来たか」
俺は水音に罪悪感を抱かせないように、殊更優しく微笑んだ。
天井の灯りの紐を二度引っ張って豆電球に切り替え、俺は水音の前で膝を突いてそっと細く尖った肩を掌で包んだ。
「…んっ」
敏感になっている今の水音には、そんな些細な接触でさえも愛撫に変わる。
俺は震える水音の唇にそっと唇を重ね、水音が俺の首に腕を回してくるのを待ってからゆっくりと布団の上に彼を押し倒した。
緩んだ唇は既に深い口付けの心地よさを知っていた。
水音にキスの仕方を教えたのは俺だ。
優しく上唇を吸い、音を立てて唇を離し、今度は水音の下唇を吸った。
柔らかな水音の唇は、何度吸ってもまた吸いたくなる。
「清兄…ん…もっと…」
焦れた水音が自分から舌を伸ばして俺の唇を舐めた。俺は唇を緩め、水音の舌を口腔に向かい入れて水音の好きにさせる。
水音は舌で歯列を撫で、俺の舌に自分の舌を擦り付けて鼻を鳴らす。
「ん…うん…んふっ…」
一生懸命に唇を貪る水音の快感を欲する淫らな顔を見て、俺の中心も熱を持ってくる。
疲れているせいか、いつもより自分の体が快感に弱くなっている事を自覚して唇を離した。
「あ…」
名残惜しそうに俺の唇を追う水音の可愛さに胸を締め付けられながら、俺はゆっくりと彼の細くしなやかな首筋に舌を這わせた。
「んっ、ん…」
気持ち良さ気に首を仰け反らせた水音の胸の突起を、浴衣の上から強めに爪で引っ掻くように撫でると、水音は肩をすぼめて唇を手で押さえた。
「舐めて欲しい?」
朱く染まった水音の耳殻を舐めながら低く囁くと、水音の目尻から涙が溢れた。
「…もう止めるか?」
「や、嫌…っ!止めちゃ嫌だ…っ」
水音は俺の肩を掴み、眉を寄せて俺の唇にまた唇を重ねてきた。
口付けに応えながら、浴衣の合わせから手を差し入れ、直に既に硬く尖った胸の先端に触れた。女のように柔らかなまろみの無い痩せた胸だが、触れる肌の滑らかさは何よりも心地よい。
指の腹で優しく何度も先端を撫でると、水音の太ももがもぞもぞと擦り合わせる動きを見せた。
唇をまた離し、顎を噛み、窪んだ鎖骨を甘噛みした後、ゆっくりと唾液をまぶすように胸の突起を口に含んだ。
「あ…っ…んん…っ!」
舌で弾いたり、舐め上げたりする度に硬く凝り、水音は胸を突き出すように快感に悶えた。
既に浴衣は着崩れて、黒いボクサーショーツが顕になっていた。
水音の中心も既に硬く立ち上がり、ショーツを押し上げて形が顕になっていた。
胸の突起を愛撫しながら、立ち上がった水音の中心を掌で包むと、彼は切な気に眉を寄せて喘いだ。
胸からうっすらと見える腹筋の筋に舌を這わせながらショーツ越しに水音の中心を咥えた。
「清兄…清兄…」
「大丈夫…素直に感じてて良いんだ…」
水音のショーツを下にずらし、立ち上がった中心を自由にした。張り出した先端を舌で舐めながら手でしごくと、水音は背中を弓形に反らした。
自分の口を手で押さえながら、自ら脚を広げて俺の口淫を甘受している様は堪らなく淫らだった。
「どうする?今日はどっちが良い?」
俺は水音の双丘のすぼまりと、睾丸の下にある秘裂
に指を這わせながら聞いた。
「あ…」
水音は首を横に振りながら、涙をまた溢した。
「言わないと、今日はどっちもお預けだ。水音は男なんだから、前だけで気持ち良くなれるしな?」
羞恥に涙を溢し、何も言えない水音を放置し、俺は既に先端から滲み出ている水音の中心を深く口に咥えて吸った。
「あ、あ、嫌、駄目…っ」
ガクガクと腰を震わせた水音は、堪えきれずに熱い精を俺の口腔に迸らせた。
俺は躊躇する事も無くそれを嚥下し、残滓も残さず吸ってから口を離した。
水音は脚を広げたまま、自分の顔を掌で覆い隠して泣いていた。
「泣かなくて良いんだよ…」
「清兄…」
「ん…?」
水音は涙を溢しながら、おずおずと俺の中心に手を伸ばした。
水音の手首を掴んで指先に口付け、俺は首を横に振って微笑んだ。
「…どうして?」
「俺の事は気にしなくて良い。ほら、もう少し出しておかないと、明日はもっと辛くなるぞ」
水音は物言いたげな眼差しで俺を見上げたが、結局何も言わず俺の首に腕を回して抱き付いた。
「両方…触って…」
水音は消え入りそうな声で囁き、俺は応えるように水音の二つの奥庭に指を這わせた。


何故水音が生まれて直ぐに神子となったのか。
それは彼が二形ふたなりとして生を受けたからだ。
古来から二形は神聖であり、神として崇められてきた。
ギリシャのキプロス島にあるアプロディトス像は世界的にも有名だが、この国の神の一柱である天照大御神も実は二形だったという説を唱えている書物もある。
真偽のほどは分からないが、橘家も例外ではなく二形を異形として蔑むのでは無く、神聖な存在として崇めてきた。
事実、水音には神の如き力が備わっており、橘家は彼を神子として大切に扱った。
そして審神者はその神子を一番近くで護り、配偶者として支える役目も担っていた。
配偶者と言えば聞こえは良いが、ようは種馬だ。
能力の高い審神者の種と神子の卵を結びつけるのだ。より巨大な力を持つ存在を生み出す為に、神子は生まれたままの体でいる必要がある。
水音は男として生まれ、女性器を備えて生まれた神子だが、男である俺が審神者として選ばれた。何故なら、審神者候補の中で、最も強い能力を持っていたのが俺だったからだ。
心が女性であれば、それでも良いのかもしれないが、水音は心身共に男として生まれた。
女性器だけでなく、子宮と卵巣も備えた完全な両性具有者は稀な存在で、そういう意味でも水音は神子として崇められていた。
「…水音」
長旅の疲れもあり、三回立て続けに精を放った水音は疲れ果てて俺の腕の中で眠っている。
漆黒の髪を撫でながら、甘い水音の首筋に鼻先を埋めて強く体を抱き寄せた。
誰よりも何よりも愛しい存在。
誰よりも間近で水音を護り、育ててきた俺は、彼にとってかけがえのない存在だ。
そして俺にとっても、水音はいつの間にか生きる意味になっていた。
面白味の無い世界も、水音を通して見れば容易ではなく、不思議と刺激に満ちていた。
配偶者さえ自分の意志で選ぶ事が出来ない立場に、水音は納得しているのか、俺には分からない。
俺がこうして水音の体を抱くようになったのは、彼が遅い初潮を迎えた十五歳の時からだ。
そもそも二形は、子宮の中で成長して行く過程で男性ホルモンのバランス異常で出来ると言われている。
水音の体は二つの性を持ったまま成長したが、心理的な要因に左右されやすく、体調を崩しやすい体だった。
卵巣も子宮も備わっている水音は、排卵し、女性と同じように毎月血を流す。
ストレスの影響を受けやすい水音の体の生理周期は不安定だが、生理前になると性欲が高まり力が暴走しやすくなる。
初潮を迎えてから三ヶ月、水音は一人でそれに耐えていたが、疲弊した体と心が普段は寄せ付けない魔に取り込まれて生命を脅かした。
水音が自身の性に悩んでいる事は分かっていたが、センシティブな問題だったために、助ける手を出すのが遅れた結果だった。
悔やんでも悔やみきれないが、それ以来、周期が来る度に水音の射精を助け、性欲を満たす手助けを俺はしている。
手助けだから、体を繋げる事はしていない。
例え水音に求められても、流されるように体を繋げる事は絶対に出来ない。
「…お休み…水音…」
就寝のための言葉ではなく、愛の言葉を紡げたら、どれ程甘美で幸福を感じられるのだろうか。
水音の体の奥の奥まで俺の存在を刻み込めたら、どれ程の悦楽を得られるのだろうか。
「涅槃は遠いな…」
水音に対して煩悩だらけの自分を嗤う。
悩み多きこの世だからこそ、面白いのかもしれないが、まだまだ若輩な自分には時々堪える試練だ。
「ん…」
水音が寝返りを打った。背中を向けていた体を返し、美しい顔を俺の前に晒した。
無意識なのだろうが、しなやかな腕を俺の背中に回し、すがり付くように体を押し付けてくる。
水音の甘い体臭が、俺の理性の鍵を揺らす。
「…罪の無い顔をして…」
無垢な寝顔を見て苦笑が洩れた。
俺も水音の背中に腕を回して抱き締め、静かに目を閉じた。
睡魔は直ぐに俺を眠りの淵に誘った。
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