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第2章

第23話

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静寂に包まれた閑静な住宅街。
自宅から少しだけ離れたところにある
公園に私たちは来ていた。

正直もうすぐに家に帰って
自分の部屋のベッドで蹲って
涙を流したかった。

傷つく資格なんてないって
思って実際本人の口から
聞くまでは少しだけ大丈夫だと思ってたのに。


悪びれることすらなく
あっさりと言われて
私が傷つくんじゃないかなんて
慮ってくれるなんて微塵もなかった。

それが嘘つかれることよりも
悲しくて。

彼にとって私なんかどうでもいいのかなって。

ベンチに横並びなって座っているけれど
2人の間以上に
心が離れていることに今更気付く。

…いや初めから距離はもっと離れていたのかもしれない。

今は智さんの顔を見ることはできずに
ただ膝の上で組まれた自分の指を
じっと眺めることしかできなかった。

奥さんがいることを告白されてから
立ち尽くしてしまった私に
ここで話すより向こうに行こうと
言われてただ彼についてきた。

それからこのベンチに座ってから
数十分沈黙が続いていた。

そして智さんがようやくポツリと
話し出す。

「音羽ごめん黙ってて。でも聞いてほしい!俺は絢香とは別れるつもりでいて。」

こちらを振り向く気配がしたけれど
私は横を向くことができなかった。

そして智さんの言葉に
昔礼奈が言っていた言葉を思い出す。


[いやぁ。昨日不倫のドラマ観てたんだけどさ。男が安定の"妻とは別れるつもりでいる"発言があってさ。マジで一瞬で見るの萎えたわ!不倫男の常套句よね。実際別れるつもりなんてないのにね!]


あの時は私も同じように共感した。
それでもリアルにあるわけないって
笑って受け答えしたのだ。


それがまさか本当に言われるなんて。


自然と涙が溢れてくるのが
止められなかった。

答えない私に痺れを切らした
智さんは私の肩に触れて
自分に向けさせようとする。


その瞬間それまで大好きで
いつだって触れて欲しかった彼の手に
一気に嫌悪が増してきて
咄嗟に振り払ってしまう。


「いやっ!」


そのまま勢いに任せて立ち上がる。
だんだんと悲しみから怒りが立ち込めていく。


「私は!…私は智さんが結婚していたのならあの時告白なんてしなかった!智さんがフリーだって聞いたから…なのに!」


全部吐き出すように言ったものの
どんどんと萎んでいく。

智さんは少しだけ驚いたように
私を見上げた後言い終えたタイミングで
立ち上がって私を優しく抱きしめてくれる。

「ごめん。どうしても音羽には言えなかったんだ。君のことが好きだから。離したくないって思ったから。」


離したくないなんて嘘。


あの時真っ先に駆け寄ったのは
私ではなく奥さんにだった。

その時点で結果は同じだ。


その腕の中はいつだって
暖かくて優しくて
その声はいつだって
私を労わるように
真綿に包まれるように。

私は本当に大好きだった。


彼の背中に腕を回そうとして
ぎゅっと握りこぶしを作って
思いとどまる。

「……ごめんなさい。私は智さんとはこれ以上付き合えません。幸せでした。大好きでした。…さよなら!」


それだけ言い切ると彼の胸を
思い切り押してそんな私の行動に
判断が遅れた智さんを置いて
私はその場から逃げ出した。



その夜啖呵を切ったかのように
涙が次から次へと溢れ出て
夜中中枕を涙で濡らした。


そんな時間も経つのは早くて朝になる。

嫌でも今日も出勤しなくてはならない。
正社員と違って時間給だ。
1日でも長く多く入らなければ
お給金は少なくなる。
こんなことで休むのは論外だ。

と腫らした目を冷たいタオルで
抑えながら朝の準備に取り掛かった。

外は春の陽気に包まれた
雲ひとつない晴天だ。
私の心とは裏腹に。

昨日の出来事なのに
随分前のように感じるけれど
この目の腫れが昨日の事だと物語っている。


重い足取りで身支度をしてから
家を出てお店に向かった。



お店の裏口のドアを深呼吸してから
そのドアを開けて入ると
すでに出勤していた何人かが
私の登場に息を飲むのがわかった。

(…な…に?)


昨日のことはオーナーが
絢香さんの勘違いだと伝えたって
言っていたはずなのに。

「おはようございます。」


恐る恐るいつものように挨拶をするも
皆んな聞いてなかったかのように
ふいっと顔を背けてしまう。

その場にいるみんなに無視をされた。


(なんで?)


中にはヒソヒソと私を見ながら
小声で話している。
昨日まではいつものように
おはよう!ってみんな返してくれていたのに。

逃げ出したい気持ちにかられながらも
自分のロッカーで震える手で着替えた。


そうして針のむしろにされながらも
オーナーが来るまで待っていた。

しばらくしてからオーナーが
朝のミーティングをするために
オーナー室から出てくる。

それぞれ休憩を取っていた私たちは
オーナーのところに集まった。


「皆んなおはよう。今日も一日頑張りましょう。はじめに皆んなに報告がある。」


そう言ってオーナーはみんなを
見回した後最後に私を見ながら言った。


「昨日付で智が姉妹店に移動することになった。急な話で悪いが今いるもの達だけで回してほしい。次の店長については今吟味している。それまで店長不在になるが皆んなよろしく頼む。」


オーナーの言葉に耳を疑う。

(智さんが移動!?)


それは私だけではなく周りも
同じように動揺する。

そしてその視線は皆一斉に
私を睨みつけるように見てくるようになった。


"絶対山川さんのせいじゃない!"

"最悪!ただでさえ忙しいのに!智さんがいないと回しづらいのに!"

"不倫女!"

"オーナーと智さんの2人を見るために頑張ってるのに!癒しを返してよ!"

その言葉達ははっきりと私に
聞こえるように言っている。


そこから私に対して
以前とは明らかに違う皆んなの態度に
私は居づらくなって
1ヶ月後にお店を辞めた。


智さんともあの夜を最後に
会うことは一度もなかった。








「お客さん。着きましたよ。」



タクシーの窓辺に移り変わる
街並みをぼんやりと眺めながら
あの時のことを思い出していたら
いつのまにか天宮社長の自宅マンションの前に
タクシーは停車していた。


随分と思い出してしまっていたのだろう。



(今更会うなんて思わなかった。)

「ありがとうございます。これで。」

そう言って社長にいただいた
お金を渡して私はタクシーから降りた。


見上げればぐんと高い高層マンション。


ここに住んでいる主人は
いけ好かない女たらしの男だけど

さっき別れたばっかりなのに
どうしても社長に早く会いたかった。










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