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第2章

第22話

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いつまでその場で座り込んでいたのか。

頭の中はぐちゃぐちゃになって
考えたくないことがいっぱいで。

心はズタズタに傷ついていた。

だけど時間がたてばたつほど
ゆっくりと冷静になっていく。


私は知らなかった。

彼に奥さんがいたなんて。


だけど知らなかったなんて
都合のいい言い訳だ。

私はさっきの女性を傷つけたんだ。

私はここで傷ついている
資格なんてない。

涙を流す資格もない。


泣きそうになるのを必死で耐えていると
トントンと扉をノックする音が
聞こえてくる。


「…はい。」

「ちょっといいかな?」

低く落ち着いた声だ。


ガチャリと扉が開いて
現れたのはここのオーナーである
智さんと同じ歳の男性だ。

年齢の割にスラリとした体型に
整った顔立ちで
私と同じ年齢のスタッフ達にも
智さんと同様に密かに人気がある。


「山川さん。さっき飯田さんから聞いたんだけど智の奥さんと揉めたんだって?」

入ってくるなり扉を閉めて
向かい合って座るといきなり
本題に入った。


まだ智さんからは何も聞いていない。


もしかして彼が来てくれるのでは
と期待したのもあっさりと
打ち砕かれた。

「……」

何も言えなかった。

自分で確信はついていた。
智さんは結婚しているって。
だけど私はまだ何も聞いていない。

オーナーの口ぶりから
智さんに奥さんがいることは
知っているのだろう。

「…はぁ。君は知らなかったようだね。」

オーナーは短くため息をついた後
同情するように言った。

「…あの智さんは?」

「絢香を送って行ったよ。夜の開店までには帰ってくると思うけど
あの騒動だと今日はキッチンにいたほうがいいかな。」

トントントンと指で机を叩きながら
思案するようにオーナーがそういった後
じっと私を見つめる。

「君と智は付き合っていたのか?」

先代のオーナーから
数年前にこの人に変わったのだけど
このオーナーは元々智さんと
古い友人だと聞いていた。

この人に変わったばかりだから
僕が彼を支えてあげないとね。
って穏やかに言っていた
智さんの横顔がひどく昔のように感じる。



ここで嘘ついてもすぐに
バレてしまうと思った。

このオーナーの目線は確信を得ていて
嘘など通用しないぞと脅してくるような
強い視線だった。


「…はい。」


怖くなって俯きながら頷く。


はぁーと先ほどよりも
大きいため息が聞こえてくる。

「君は知らなかったのかもしれないが智は歴とした妻持ちだ。こうなった以上交際は諦めなさい。絢香は私の従姉妹だ。
傷つけてほしくない。」


思わず俯いていた顔が上がる。
目を見開くと
少しだけ不愉快そうに眉根を寄せて
オーナーがこちらを見ていた。


(オーナーの従姉妹だなんて…)


「このことは他のみんなには内緒にしておく。今回は絢香が勘違いしたと言うことでみんなには伝えている。だから君はいつも通りに。いいね?今日はとりあえずこのまま帰っていいから。また明日からよろしく。」


そう言って一方的に話を切り上げた
オーナーは立ち上がって
部屋から出ていってしまう。


私はよろつく足を叱咤して
私服に着替えて裏口からお店を後にした。

着替えている最中も智さんが
やってこないかと考えてしまった。

誤解なんだ。
結婚なんてしていない。
好きなのは音羽だけだ。


なんて頭でいくら妄想しても
ジリジリと痛む左頬が真実だと告げる。


こうなる前にちゃんと
話し合いしていればよかった。


礼奈が女の影があるって
怪しんでいた言葉にもっと
耳を傾けていたら…


今更後悔ばかりしてももう遅かった。


家について
自分の部屋のベッドに
着替えもせずに横になる。

枕を抱えて目を瞑れば
優しく微笑んでくれる
智さんでいっぱいになってしまう。


どうしてこんなことに
なってしまったんだろう?


枕は少しだけ涙でシミができた。








いつのまにか眠りについていたようで
目がさめると夜の23時頃になっていた。

ズキリと頭が痛んで
鼻がツンとしたが
気にせずに体を起こす。

スマホを手にとって確認すると
智さんから着信履歴があった。


私は慌てて掛け直した。

この時間ならお店は閉店している。
そう思ってかけたのだけど
昼間の出来事を思い出して
切りボタンを押そうとした時
智さんと繋がった。


「音羽?よかった!出てくれて」

耳にあてると優しい声音が
聞こえてくる。

「…あ…」


何か話さなければと思ったのに
言葉が出てこなかった。


「音羽今から会える?今家の前にいるんだけど。」


その言葉を聞いて私は
窓に向かってカーテンを開けた。


家の前の電柱付近に智さんが
立っているのを見て
慌てて下に降りて外にでた。


出る間際にリビングから
あんたいたの!?という母の声がしたけど
そんなことどうでもよかった。



「智さん!」



通話中のまま駆け寄れば
いつもの表情でこちらを見ている。


知らず涙が溢れかえってしまう。

「音羽。少し散歩しよっか。」


耳に当てていたスマホから
通話中のボタンを切って
智さんは私に手を差し出してくる。


私はその手を取ろうか躊躇った。


だけどどうしても今までのように
繋ぐことは出来なかった。


智さんは少しだけ苦笑いをしたあと
ゆっくりと歩き出す。


「ごめん。絢香が怪しむからすぐに帰らないといけないんだけどどうしても音羽と話したくて。」

"絢香が怪しむから"


今まで智さんから別の女性の名前なんて
聞くことがなかったのに。


その言葉に胸が抉られる気分になる。


私はその場から動けずに
歩き出した智さんに向かって
問いかけた。


「智さんは結婚してるんですか?」



その言葉にピタリと歩みを止めて
数秒間が空いたあと

「うん。してるよ。」

   
真っ直ぐに悪びれる要素もなく
私に目を合わせながら言った。









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