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第三章 運命を変える7ヶ月間

95:森で夜を過ごしました

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 夕暮れまでに野営地となるチェックポイントに着いた私たちは、木々の間にテントを張り早めに夕食の準備を始めた。
 辺りが暗くなる頃には、他の班も続々と合流してくる。少し離れた場所に設営を始めた彼らの声を耳にしつつ、私たちは焚き火の炎を囲んだ。

 やっぱり他班はみんな、魔獣と戦いながらここまで来たらしい。それぞれの武勇を興奮気味に話すその声は、魔獣の姿を全く見なかった私からすると異様に感じられる。
 暗い夜空には不気味な赤い月が浮かんでいて、森の奥深くからは時折魔獣の遠吠えも響く。今いるここが非日常の空間なのだと否応なく感じられて、私はどうにも落ち着かなかった。

 この気持ちをきっと、アルフィール様も感じてらしたんだろう。アルフィール様の微笑みには固さが見られて、食事もあまり進んでいない。
 そんなアルフィール様を気遣い、殿下方が和やかに談笑しているけれど、アルフィール様の横顔はとても辛そうだった。

「アルフィール様、大丈夫ですか? スープ、お口に合いませんでした?」
「シャルラさん……ごめんなさいね。少し疲れたみたいで」
「それならもう休んだ方がいいですよ。スープは気にしないで大丈夫ですから」
「そうね。悪いけれどそうさせてもらうわ。……ディー様、お先に失礼します」
「ああ、ゆっくり休んでくれ。おやすみ、フィー」

 体の疲れは聖魔法で取れるけれど、心の疲れはどうにもならない。明日動きがあるかもしれないと思えば仕方ない事だろう。かくいう私も、ずっと不安を感じているんだから。

 三つ張ったテントの内の一つ、女子用のそれにアルフィール様の華奢な背が消えると、私は残されたスープを手に立ち上がる。
 勿体ないけれど私も食欲が湧かないし、他の誰かに食べてもらうわけにもいかない。鍋にも戻せないから、魔法で燃やして捨てるしかないだろう。

 そう思ってみんなから少し離れた場所へ向かうと、イールトさんがそっと付いてきた。

「シャルちゃん。それ、俺がやっておくからシャルちゃんも先に休んだら?」
「え、でもこの後お鍋も片付けなきゃですし、焚き火の番だって」
「夜番は男で回そうって、さっき殿下たちと話してたんだ。片付けも俺がしておくから大丈夫だよ。魔法を使えばすぐ終わるしね。シャルちゃんも疲れてるんだから、休んだ方がいい」
「でも……」

 躊躇う私の手からイールトさんはお皿を取ると、私の頬に手を当てた。

「シャルちゃんに無理してほしくないのも、もちろんあるけど。出来ればお嬢様に付いててもらいたいんだ。きっと心細いだろうから」

 イールトさんは私の目元や頬を優しく撫でてくれる。アルフィール様を心配しているのは本当だろうけど、私の事も同じかそれ以上に思ってくれてるのがよく分かった。

「分かりました。じゃあ、後はよろしくお願いします」
「うん、ゆっくりおやすみ」

 イールトさんの大きな手のひらに頬を擦り寄せながら言えば、イールトさんは柔らかく微笑んで手を離してくれた。離れてしまった温もりを名残惜しく思いながらも、私はテントに向かう。
 もしかするともう眠っているかもしれないと思ったけれど、アルフィール様は寝袋に包まったまま、魔道ランプの揺らめく光を眺めていた。

「シャルラさん、あなたももう寝るの?」
「えっと……はい。私も疲れてるので」
「そう。そうよね……」

 討伐訓練の間は、戦闘服でもある制服を眠る時も着たままだ。私は水と風の混合魔法で簡単に身を清めると、アルフィール様の隣で寝袋に入り込む。
 アルフィール様が私を気遣ってランプを消そうとしてくれたから、私は慌てて口を開いた。

「あの、アルフィール様」
「何?」
「もし良かったら、少しだけお喋りしませんか?」
「……いいわよ。聞き耳を立てている人たちには退場してもらうけれど」

 アルフィール様は、ふっと微笑むと防音の魔道具を取り出した。スノードームのようにキラキラと光が浮かぶのと同時に、テントの外側で誰かがガサリと音を立てる。
 それを聞いて私とアルフィール様は顔を見合わせて、クスクスと笑ってしまった。

「誰だったんでしょう?」
「きっとディー様よ。ラステロも一緒だったかもしれないわね」

 アルフィール様はひとしきり笑うと、ふぅとため息を漏らした。

「あなたがいてくれて良かったわ。わたくし一人では、どうしても緊張してしまうから」
「仕方ないですよ。ジミ恋でも明日になるんですよね?」
「たぶん、としか言えないわ。討伐訓練の最中ということしか分からないから。でも何もないということはないと思うの。ゲームとはこんなに違っているけれど、きっと起きるはずなのよ」

 うつ伏せで魔道具の光を見つめるアルフィール様の横顔は酷く儚げだ。「大丈夫」とか「必ず助ける」とか、殿下たちと一緒にこれまで何回も言い続けた言葉を今さら言っても、何の助けにもならない気がして。何て言っていいのか分からない。
 するとアルフィール様はゆっくりと顔を私に向けた。

「ねえ、シャルラさん。もしものことがあったら、わたくしではなくディー様を助けてね」
「えっ?」
「もちろんわたくしも、最後まで抗うつもりでいるわ。ディー様がここまでお膳立てして下さったのだもの。わたくしがわたくしを諦めるなんて、してはいけないって分かってる。でもね、ディー様はこの国に必要な方なの。万が一があってはいけないのよ。だからもしもの時は、あなたにディー様をお願いしたいの。あなたならきっと」
「アルフィール様」

 真剣な面持ちで話すアルフィール様に、私は思わず手を伸ばす。失礼なのは重々承知で、私はそのままギュッとアルフィール様に抱きついた。

「アルフィール様。もしも、なんて言わないでください」
「シャルラさん……」
「言われなくても助けますよ。殿下のことも、アルフィール様のことも」

 決意を込めて言えば、アルフィール様が息を呑むのが頭の上に感じられた。
 私はゆっくり顔を上げて、アルフィール様のお顔をじっと見つめる。アルフィール様のお顔は、迷子になって途方に暮れた子どものように不安げだ。
 アルフィール様の心にちゃんと私の本気を届けたい。でも正攻法じゃきっと伝わらないから。私は願いを込めて、笑顔を浮かべた。

「だってアルフィール様を幸せにしないと、私も幸せになれないんです。私、言いましたよね? イールトと約束したって」
「シャルラさん……」
「アルフィール様は色んなことを諦められるかもしれないけど、私には無理です。だから私は私のためにお二人とも救ってみせます。どうせ諦めるなら、諦めて私に任せてください」

 思い切りよく言うと、アルフィール様は目に涙を浮かべつつも笑ってくれた。

「あなたって本当にヒロインね」
「ヒロインと呼ばれても、私の気持ちは変わりませんよ。私は殿下よりイールトの方が好みなんです。だから何があっても絶対に諦めません。それに私たちには、これもありますから」

 アルフィール様の背に回していた腕を解き、私は手首を見せた。そこにはリジーが編んでくれた組み紐が巻きつけてある。
 ミサンガというこの組み紐は、アルフィール様の前世で願掛けに使われていたものらしい。リジーはこれを、私やアルフィール様、イールトさんにお揃いで編んでくれていた。
 といっても実は、お揃いを羨ましがった殿下やラステロくんたちの分も編む羽目になったから、私たちの班全員がこれを着けてるんだけどね。

「そうね。リジーもイールトもいるものね」
「はい。誰も諦めてなんかいませんから。アルフィール様が諦めても無駄ですよ」
「そうね……。この想いを切り離すのは難しそうだわ」

 アルフィール様は自分のミサンガを見つめてから涙を拭い、ふわりと微笑んだ。

「ありがとう、シャルラさん。でも本当にイールトでいいの? ディー様でなくても、ラステロやゼリウス様もいるのに」
「私はイールトがいいんです。イールトから嫌だって言われたら、諦めなきゃいけないかもしれないですけど」
「それはないわね。イールトはわたくしを裏切っても、あなたのことは裏切らないと思うわ」
「それは本当にすみませんでした!」

 アルフィール様の抱える不安が全部無くなったとは思わないけれど、少しは楽になったはずだ。アルフィール様とお話する事で、私も自然と肩の力を抜く事が出来た。
 それからしばらく私たちは他愛ないお喋りをして、最後は手を繋いで眠った。あんなに心細かった魔の森でもみんながいてくれたから、私は朝までぐっすり眠る事が出来たのだった。
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