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距離

14.距離

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 鉱山跡への入り口横にあった洞窟は、鉱山が生きていた時代の簡易休憩所だったらしい。
 中に入ると、切り出された石の寝台に藁が詰め込まれた袋の乗ったベッドが一台。袋はマットレス代わりだろうか。他にも似たような寝台がいくつかあるけれど、目の前の一台以外は物置みたいにされていた。

 焚火跡に火をつけ、持ってきた携帯食料で簡単に食事を取る。
 今日くらいは訓練も無いかと思っていたけれど、屋外じゃないからって訓練開始を言い渡されてしまった。
「視る対象を絞って取り込む情報量を抑えるんだぞ。眼を閉じるイメージで」
「……う、うん」
 向かい合ったリレイはその瞳にハーファを映し込む。ゆっくりと視線を相棒の顔へ向けると、意外と真剣な表情を浮かべていた。
「俺の気配は視ずに、姿だけを見るんだ」
 【眼】を自由に開閉する訓練。
 これは訓練なのだ。上手く能力が使いこなせないハーファのために、相棒がわざわざ協力してくれている。そう思い直してリレイをじっと見つめる。しばらく見つめ合っていたけれど、少しずつ目の前の顔が近付いてきて。
 今のハーファには、ここまでが限界だった。
 耐えきれずに視線を外すと、どうしたと何処か気遣わしげな声が降ってくる。ハーファの肩に手が置かれて、更に近付いてきたらしいリレイの耳飾りがすぐそこでしゃらりと揺れる音を立てた。
「っ……か」
「か?」
「顔っ……近い……」
 良かれと思ってしてくれている事なのに、こんな態度は怒らせてしまうかもしれない。けれど、これ以上の距離はどうしてもキスを思い出させてきて。
 それ以上、ハーファは何も言えなくなってしまった。

 少しの間、沈黙が落ちた後。
 肩に置かれていた手がするりと頬に当たる。あっと思った頃には顔をすくい上げられて、リレイの瞳と視線がかち合ってしまった。
 既に熱くなっている顔が、ぼっとまた一層熱さを増していく。
「これだけでも照れるのか? 本当に初だな」
 少し目を丸くしたリレイの顔が人でなしになる時の笑みを浮かべた。その表情でようやくハーファの硬直が解けて、口が声を空中に押し出す。
「うっうるさい! こんな至近距離にならないだろ普通!!」
「まぁ、あえて距離を詰めて近付いてはいるが」
「いちいちからかうな馬鹿っっ!」
 腹が立つ。こっちはこんなに動揺させられているのに。
 ただの観察だって分かっているのに、それでも動揺してしまう自分にも腹が立つ。
 段々訳が分からなくなって喚くハーファを、リレイは相変わらず見つめている。少しだけ、その微笑みが甘みをもって。
 
「ハーファが可愛いのが悪い」
 
 そんな言葉に、ハーファの頭と口は急停止した。

 可愛い、というのは……ハーファの年代の男へ向けるには適切ではない。それくらいは流石に分かる。
 もしも万が一、相棒の目にはそう映っているのだとしたら。
「……リレイの目、実はヤバいんじゃねぇの」
 流石に少し心配になる。視力とか、感性とか、色々大丈夫なのかと。
 まじまじと見つめてみるけれど、冗談でからかっている様子でもない。【眼】でも見たけれど、鉄壁の気配隠蔽度を誇る魔術師は何のヒントも見せてはくれなかった。
「失礼だな。見た目だけの話じゃない。俺に口説かれて、真っ赤でおろおろしてる姿が可愛い」
 ――つまるところ、からかって動揺する自分の様子が面白いという事なのだと合点はいった。それに対して可愛いは流石にないだろうと思うけれど。
 たぶんペットを愛でる飼い主みたいなものなんだろう。
 ……いや、愛でるというよりは。
「小動物いじめて喜んでる奴みたいな感想言うんじゃねぇよ、いじわる魔術師」
 人でなしは目を丸くして、ぱちぱちと瞳を瞬かせる。そのまま少し考えて。
「まぁ……確かに近いかもしれないが」
 この言いようである。
 二人パーティに慣れたせいか、最近は良くも悪くも遠慮がなくなってきている気がする。取り繕う気配もない。

 じとりとリレイを睨むと、またその顔が近付いてきて。
 さっきの会話で恥ずかしさもずいぶんと和らいだらしい。同じ手を食らうかと、向かってくる綺麗な顔に睨み返す事が出来るようになっていた。
 けれど。
「さすがに小動物相手に口付けて気持ちいいとは思わない」
「っ、え……ちょ、んぅっ」
 予想が外れた。今度はそのまま止まることもなく。
 近付いてきた顔が見えなくなって、唇に柔らかいものが触れる。びくんと震えた肩をリレイの右手が撫でて、そのまま後ろ頭に指がかかって。
 一気に苦しくなってきて息を吸おうとするけれど、何度も何度も触れてくる唇に塞がれて上手く息が吸い込めない。唇を撫でられる感触がやけに脳に響いて、気持ち良くて。
 からかわれてるなら抵抗しないと。
 そうは思うけれど、力の抜けた体は役に立たない。酸欠気味の頭まで思考を放棄してしまっている。
「ンぁ、ふ……っう、ん……」
 自分が出しているとは思えない程に舌ったらずな声をこぼしながら、リレイからのキスを最初から最後まで受け続けたのだった。


 ずっと重なっていた唇が離れてリレイの満足げな顔が視界に入る。少し上気したように見える頬と、濡れた唇をぺろりと舐める舌の動きがやけに生々しい。
 それが視界に入った瞬間、ぶわっと全身の血が沸騰したみたいに体が熱くなって。反射的にリレイを思いっきり押しのけていた。
「なっ……にすんだよ! 今日は大丈夫だったのに!! 野営にだってしたのにっ!! 何してくれんだ意地悪魔術師!!!」
 ぽかんとハーファを見る相棒にぎゃんぎゃん吠える犬のように喚く。けれど言葉は長続きしなくて、だからといって無言で睨み付けていられるほど真っ直ぐに直視できなくて。
 苦肉の策で、背を向けて床に敷かれていた御座の上に横たわった。
 ……こういう所だ。
 たぶん、こういう所がよく吠える動物みたいに見えるんだろう。
 それは分かっているけれど、これ以上どうにも出来ない。してやられて悔しい気持ちを抱え込みながら、身の下に敷いた御座をぎゅうっと握りしめた。
「いや、わざわざ床で寝る必要ないだろ」
 のんびりした声の主はぽんぽんと向けた背を軽く叩いてくる。人を散々揶揄っておいて。
「嫌だ。床で寝る」
 一度曲がったヘソは簡単には戻らない。しばらく何か呼びかけられていたけれど、聞こえないふりして全無視。
 すると諦めたのか、リレイの気配が遠ざかっていった。
 
 ……と、思ったけれど。
 
「ハーファ。こっちに来い」
 少し遠くの方で声がした。
 聞こえないふりを続行してると、ハーファハーファと何度も人の名前を連呼してくる。声の強弱や高さを変えて、一生分くらい呼ばれたんじゃないかと思えるほどに。
 それでも頑張って無視を決め込むけれど、それが段々と耳につくようになってきて。
「うっせぇ! 床で寝るって言ってんだろ!!」
「せっかく寝台があるんだから使うべきだろ」
「いっこだけじゃねぇか! 何でリレイと一緒に寝なきゃなんねーんだ!」
 耐えきれずに振り返って文句をぶつけるけれど、当然、吠える犬に動揺する様子などなく。リレイの顔が仄かに笑った気がする。
「ふぅん」
「……な、んだよ……」
 今度こそ、はっきりと顔がほくそ笑んだ。
 変なスイッチが入った時の顔。ハーファを揺さぶって揶揄おうとする時の顔だ。
 じいっと薄い色の瞳がハーファを見つめてくる。向こうの出方が分からずに警戒心と威嚇を向けるけれど、想定通りなのか効果がある様にはいまいち思えない。

 少しして、悪巧みをしていそうな顔が今まで見た中で一番甘やかに微笑んだ。
「俺の事を意識してるのか。さっきの口付けで」
 向けられた表情に一瞬どきりとしたのも束の間、理解が追いつかない言葉が飛んでくる。
 しばらく意味を考えて、ようやく理解が追いついて。
「……は……はぁ!?」
 なんで。どうしてそうなる。
 混乱しながら立ち上がるハーファに、リレイの顔はにやにやと腹の立つ笑みを浮かべている。
「悪い悪い、最初から顔が近いだの言ってたな。意識している相手と同衾なんて、初なハーファに出来るわけないか」
「っ、な……違う! そんな訳ないだろ!!」
 そう言うだけ言って相棒はごろんと寝台へ仰向けに横たわる。誤解を正そうと口を開くけれど、寝転んでしまった体はひらひらと左手を横に振るだけ。
「聞けよ!!」
 たまりかねて詰め寄ると、振り向いた顔はじっと無言で見つめてくる。あれだけ勢いよく距離を詰めたのに、いざ振り向かれると出てくるはずの言葉が消え去ってしまった。
「じゃあ、どうしてそんなに拒むんだ?」
「……拒んで、なんか……」
 リレイが悪いのに。
 いちいち揶揄うような事をするから。疲労してる訳でもないのに、キスなんかするから。
 
 けれど……確かにそうだ。
 何でもないのに、どうしてこんなに慌てふためいているんだろう。

 戸惑うハーファが面白かったのか、また相棒は意地の悪い笑みを浮かべた。
「っ……何だよその顔! もっと奥行けよ! 一緒に寝るなら狭いだろ!!」
 そう、何でもない。
 意識なんかしてない。なのに慌てふためく方がおかしいのだ。
「ふふ、そうだな。おいで」
 満足そうな笑顔を向けてくる相棒から最大限に距離を取って、ベッドの端に横たわる。向こうの思い通りにするのは少し癪だ。
 けれど伸びてきた腕ががっちりと腰に巻きついてきて、ずるずると中の方へ引き込もうとしてくる。
「ちょっ!? は、はなせ!!」
「そんな端じゃ落ちるだろ」
 抵抗しようとしても、変な体制で捕まってしまって巻きついている腕を外せない。力はハーファの方が強いはずなのに、ポジション取りに失敗したせいでズルズルと少しずつ引きずられていって。
 
 ……もう好きにしやがれ……。
 完全に抱きつかれる体制になってしまった辺りで力尽き、抵抗を諦めたのだった。
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