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夏、水道水
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喉が渇いた。なんでもいい、水分が欲しい。口の中がネバネバして気持ち悪い。唾液の嫌な甘みと、ねちゃっとした食感を舌で感じながら、今にも崩れ落ちそうな足を前へ前へと突き出す。最後のラインをタッチして、その場に倒れこんだ。
身体がジッとしていられない。体全体が酸素を欲しているから、何も考えなくても肺が膨らんでは縮んで、を繰り返す。生暖かい空気が舌に触れる。冷たいものが飲みたい。水が欲しい。キンキンに冷えた水筒の水が!
「冷たい水は体に良くないわよ」
お母さんはよく、水筒にパンパンに氷を詰める僕を見てそう言った。確かに、冷たい水を飲み過ぎてお腹を壊すことはよくあるし、常温の水を飲みましょうって、いろんなテレビの人が言っているのはわかっている。でも、お母さんは知らない。夏の放課後の体育館を知らない。ジメジメとした蒸し暑さで身体中の水分がひっきりなしに滴り落ち、光化学スモッグのせいで喉が、舌が、どんどん枯れていく。これを体験したことのある人にしか、僕らがどんなに清涼感を求めているかはわからない。キンキンに冷えた水は、僕らの口に入った途端、その粘ついた唾液を一掃し、蒸し暑い空間を一気に吹き飛ばす。
僕らは、舌や喉の感覚がなくなるまで冷え切った水を体に流し込む。犬や猫が舌を出して体温を調節するように、僕らは口の中を限界まで冷却して体温と、暑さで朦朧とする精神を正常に保っているのだ。
外のグラウンドから吹き込んできた砂埃でざらざらの床を這いつくばって、水筒を目指す。みんなの水筒がおいてある場所について、立ち上がって見下ろして思い出した。
今日、水筒を忘れた。
練習前に悪い予感として頭にあった絶望が、本物になって押し寄せた。今日は外の水道を使わなくてはならない。学校の水道水は、なんと言ってもまずい。薬を飲んでいるような気分になる。それに今日はあいにくの晴天―強い日差しでポカポカに暖められた蛇口から出る温水は、体の芯まで温めてくれてしまう。しかし、飲まないよりはマシなのである。絶望する暇などないと、水筒置き場の前で立ち尽くす自らを叩き起こし、小走りで水道へと向かった。砂埃を被った蛇口を捻ると、案の定、お湯が出てきた。残りの数時間、このお湯で練習を耐え凌がなければならないのだと思うと、朝もっと余裕を持って起きて、ゆっくり準備できていればと自分を憎み、「こっそりカバンに水筒入れておくぐらいの気遣いをしてくれてもいいだろう!常温でもいいから」と身勝手な怒りを母親に投げつけた。
その時だった。
体育館を飛び出す軽快な足音が聞こえた。ほのかに甘い香りを纏って、汗ばんだ女子バスケ部の先輩が視界に入ってきた。それから僕と同じように砂でざらざらの蛇口を捻って、小さな口を近づけた。それからフッ、と肩を少し振るわせ、Tシャツの襟で口元に流れたお湯を拭って、僕の方を振り返って笑った。
「何これ、お湯じゃん」
水道の水はその後もずっとお湯だった。でも、それがお湯だなと感じるたびになぜか僕は暑さを忘れた。「怪我や病気は心の持ちようだ!」とうちの顧問はいつもモラハラまがいなことを言うが、その通りだと思った。別に暑さが嫌じゃなくなったわけじゃない、水道のお湯が美味しくなったわけでもない。でも僕は、また水筒を忘れようかなと思った。
身体がジッとしていられない。体全体が酸素を欲しているから、何も考えなくても肺が膨らんでは縮んで、を繰り返す。生暖かい空気が舌に触れる。冷たいものが飲みたい。水が欲しい。キンキンに冷えた水筒の水が!
「冷たい水は体に良くないわよ」
お母さんはよく、水筒にパンパンに氷を詰める僕を見てそう言った。確かに、冷たい水を飲み過ぎてお腹を壊すことはよくあるし、常温の水を飲みましょうって、いろんなテレビの人が言っているのはわかっている。でも、お母さんは知らない。夏の放課後の体育館を知らない。ジメジメとした蒸し暑さで身体中の水分がひっきりなしに滴り落ち、光化学スモッグのせいで喉が、舌が、どんどん枯れていく。これを体験したことのある人にしか、僕らがどんなに清涼感を求めているかはわからない。キンキンに冷えた水は、僕らの口に入った途端、その粘ついた唾液を一掃し、蒸し暑い空間を一気に吹き飛ばす。
僕らは、舌や喉の感覚がなくなるまで冷え切った水を体に流し込む。犬や猫が舌を出して体温を調節するように、僕らは口の中を限界まで冷却して体温と、暑さで朦朧とする精神を正常に保っているのだ。
外のグラウンドから吹き込んできた砂埃でざらざらの床を這いつくばって、水筒を目指す。みんなの水筒がおいてある場所について、立ち上がって見下ろして思い出した。
今日、水筒を忘れた。
練習前に悪い予感として頭にあった絶望が、本物になって押し寄せた。今日は外の水道を使わなくてはならない。学校の水道水は、なんと言ってもまずい。薬を飲んでいるような気分になる。それに今日はあいにくの晴天―強い日差しでポカポカに暖められた蛇口から出る温水は、体の芯まで温めてくれてしまう。しかし、飲まないよりはマシなのである。絶望する暇などないと、水筒置き場の前で立ち尽くす自らを叩き起こし、小走りで水道へと向かった。砂埃を被った蛇口を捻ると、案の定、お湯が出てきた。残りの数時間、このお湯で練習を耐え凌がなければならないのだと思うと、朝もっと余裕を持って起きて、ゆっくり準備できていればと自分を憎み、「こっそりカバンに水筒入れておくぐらいの気遣いをしてくれてもいいだろう!常温でもいいから」と身勝手な怒りを母親に投げつけた。
その時だった。
体育館を飛び出す軽快な足音が聞こえた。ほのかに甘い香りを纏って、汗ばんだ女子バスケ部の先輩が視界に入ってきた。それから僕と同じように砂でざらざらの蛇口を捻って、小さな口を近づけた。それからフッ、と肩を少し振るわせ、Tシャツの襟で口元に流れたお湯を拭って、僕の方を振り返って笑った。
「何これ、お湯じゃん」
水道の水はその後もずっとお湯だった。でも、それがお湯だなと感じるたびになぜか僕は暑さを忘れた。「怪我や病気は心の持ちようだ!」とうちの顧問はいつもモラハラまがいなことを言うが、その通りだと思った。別に暑さが嫌じゃなくなったわけじゃない、水道のお湯が美味しくなったわけでもない。でも僕は、また水筒を忘れようかなと思った。
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