上 下
26 / 28
Ⅸ.

Ⅸ 第一話

しおりを挟む
 真っ白い空間の中にあるパイプ椅子に腰かけ、呼吸器が付いて細い管を腕に通した遊歩を見ている。
 この時に俺は余りの展開の速さに、完全に頭が取り残されてしまっていた。
 確かさっき迄俺は遊歩にプロポーズをされていて、愛していると伝えようとしていた筈だ。
 どうして今、こんな事になってしまったのだろうか。
 
 
「遊歩……」
 
 
 名前を呼んでも遊歩は返事を返さない。代わりに規則的な機械音が白い病室に鳴り響く。
 窓の外はもう明るくなっていて、日付が変わった事を教えてくれる。
 さっき迄警察の人が来ていて、俺はひたすら話を聞かれていた。
 眠る遊歩の顔を見ながら、綺麗だと心から思う。
 左手で遊歩の顔に触れれば、何時もより心なしかひんやりとしている気がした。
 
 
「朝だよ遊歩、ねぇ……起きて……」
 
 
 幾ら話しかけても遊歩は返事を返してくれないままで、だんだんだんだん不安が募る。
 このまま遊歩が目覚めなかったら、俺はどうすればいいのだろうか。
 遊歩は刺された瞬間に命令コマンドを使って俺に被害が及ぶのだけは阻止した。
 武器を捨てさせて動きを完全に止めたそうだ。
 軽い命令コマンド一つで其処迄動けなくなる位に、遥さんが遊歩を愛していた事を感じながらも、守られてばかりの自分を恥じる。
 遊歩に助けられるのはもう、何度目なんだろうと思う。
 
 
 警察の人に遥さんは連れていかれたが、そもそも遊歩は遥さんに長きに渡りストーカーされていたそうだ。
 遥さんの部屋の中からは沢山の遊歩の写真が出てきた。それで解った事らしい。
 でも俺がカムパネルラで働き始めた事に関しては、全くの偶然だったようだ。
 偶然街で遊歩と二人で歩いていた人間が、自分の働く店に面接に来たから雇ったと。
 履歴書に書いてあった住所から完全に住まいを特定し、遊歩と俺を殺すつもりで来たと言っていたそうだ。
 それはさっき警察の人から教えて貰った。
 そう言えば確かに遥さんは、俺が付き合っている人は男だと解っていたなあと今では思う。
 
 
 けれど今、そんな事を考えている余裕がない。手術は成功したそうだが、遊歩の意識が戻らないのだ。
 遊歩の身体には意外と深く包丁が刺さり、出血の量も多かった。
 一時は死ぬかもしれないと迄、お医者さんから告げられていたくらいだ。俺は今覚悟を決めて此処に居る。
 奇跡的に内臓への損傷は無かったそうだが、手術の時間もそれなりに掛かっていたように思う。
 身体はとても疲れているのに眠れない。眠ることが出来ない。遊歩が起きるのを待っていなきゃいけない。
 遊歩が起きた時に一人だと寂しい事位、どこの誰より俺が一番わかっている。
 だから絶対に遊歩が起きる迄、ちゃんと近くで待っていたい。
 
 
 ぼんやりと椅子に腰かけたままで窓の外を眺めている。
 風で揺れる木々を見ながら、そういえば余り遊歩と出掛ける様な経験はしていなかったと思った。
 俺と遊歩の生活の殆どが遊歩の部屋の中だったのだ。
 遊歩に出会った日から俺の世界は、完全に遊歩で埋め尽くされていた。
 
 
「なぁ遊歩、お前が居ないと俺って本当に何にもないんだな……」
 
 
 返事の返って来ないままの遊歩に、ただひたすらに話しかける。
 日向が死んでしまった日に、俺の世界は一度終わりを迎えた。
 まるでモノクロの世界を見続けているような虚無感の中で、俺は長い事生きてきたのだ。
 このまま終わると思っていた世界を遊歩が救い上げて、綺麗な色を付けてくれた。
 
 
 ドブ色なんかじゃなかった。これは正真正銘薔薇色だ。
 
 
 花が咲き乱れるかの様な愛しさを俺に教えて、深く愛してくれたのだ。
 白黒しかない世界に色を、遊歩が付けてくれたのだ。
 
 
「ねぇ遊歩、お前が居ないとつまんないよ……?」
 
 
 思わず涙が出そうになりながら、感情を吐き出してゆく。
 痛い事も苦しい事も大好きだけど、この心の痛いのと苦しいのは嫌いだ。
 こんな事になるんだったら、もっと早くに愛してると伝えておけばよかった。
 今思えば俺は日向に対しては、ベストを尽くして愛していたと思うのだ。
 愛する人の望みとはいえ、死なんて普通なら絶対に選べない。
 それに沢山愛の言葉も与えられた。沢山沢山日向に愛していると言った。
 だけど遊歩にはまだ、愛してるさえも言えてない。
 
 
「ねぇ遊歩………起きてってば………」
 
 
 涙声になりながら囁いても、遊歩の目は開かない。
 段々惨めになってきて、目から涙が溢れ出す。
 暴れたって泣き叫んだって、こういう時は絶対に目覚めない事位解ってる。
 時が来る迄起きない事位、自分で体感しているのだから。
 一度死にかけた俺が良く解ってる。
 けれど遊歩に話しかけることだけはやめられなかった。
 鼻水を啜りながらぐしゃぐしゃの顔でグズグズ泣きじゃくる。
 
 
「ねぇ……遊歩………起きて………俺、ロクに有難うも言えてないよ………」
 
 
 情けない。あんなに近くに居たのに、何にも大事な事を遊歩に伝える事が出来ていない。
 泣き声を抑え込むのが出来ずに崩れ落ちながら、遊歩の寝ているベッドのマットレスに顔を突っ伏す。
 声を張り上げないように懸命に堪えながら、泣きじゃくって呟く。
 
 
「俺まだ……遊歩に…………愛してるって言えてない……」
 
 
 俺がそう言い切った、その時だった。
 
 
「あのさ……俺まだ死んでないけど………それじゃ死んでるみたいじゃねぇ??」
 
 
 聞き慣れた声に顔を上げれば、見慣れた遊歩の笑顔がある。
 何時も通りの下衆で揶揄したような表情に、更に涙が溢れ出した。
 
 
「う、ううう、うあああああーーーーーーーー!!!!遊歩ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!
わぁぁぁぁーーーーーーーーーーー!!!!!」
 
 安心したと同時に子供みたいに泣きじゃくれば、ベッドの上の遊歩がケラケラ笑う。
 
 
「もうまじでうるせーって!!ホントお前うるせーって!!!
どうでもいいからこの機械マジで邪魔だから医者呼んでくんない??」
 
 
 何時も通りの明るい遊歩の姿を見ながら、ナースコールを手にする。
 それを押して定位置に戻しながら、遊歩に問いかけた。
 
 
「………………遊歩何時から起きてたの?」
 
 
 俺がそう問いかければほんの少しだけ照れ臭そうに、遊歩が俺から目を逸らす。
 それから精一杯の声色でこう言った。
 
 
「起きて、ってお前の声で起きた………から、早く愛してるって言葉、期待してる………」
 
 
 とても言いづらそうに告げられた言葉で、体中が沸騰しそうな位に熱くなり、涙が一瞬で止まり冷や汗が溢れ出す。
 よりにもよって一番恥ずかしい所聞かれてやがった!!!穴があったら入りたい!!!
 
 
「………待って……それ滅茶苦茶恥ずかしいんだけど………………」
「ホント………だからさ、早く聞かせて………愛してるって………」
 
 
 遊歩がそう云った瞬間白いカーテンが開いて、恥ずかしそうに目を伏せるお医者さんと看護師さんが現れる。
 俺と遊歩は完全に凍り付き、二人仲良く顔を真っ赤にした。
 お医者さんが軽く咳ばらいをして、目を合わせないようにこう告げる。
 
 
「お取込み中の所、大変申し訳ないですが……ちょっと確認させて頂きますね………」
 
 
 この人達一体何時から此処に居たというのだ!!!絶対粗方会話聞かれてるぞこれ!!!!
 お医者さんが余所余所しい雰囲気で、遊歩に歩み寄り確認を始める。
 その横で俺は真っ赤な顔のままでひたすら俯いていた。
 遊歩の身体から機械が粗方取り外されて、ほんの少しだけ緊張が解ける。
 
 
「……………この経過でしたら、宮内さんはすぐに一般病棟の方に移れますよ」
 
 
 お医者さんがそう言いながら、俺たちに気遣い足早に出ていく。
 そしてやっと二人きりになった瞬間、遊歩が俺に囁いた。
 
 
Comeこっちきて
Kissキスして
 
 
 遊歩の命令コマンドの声に安堵しながら、命令通りに歩み寄る。
 そして遊歩の唇に唇を重ね合わせてから、息継ぎの途中で囁いた。
 
 
「………愛してる!!」
 
 
 やっと言えた。そう思った瞬間に、遊歩が俺をきつく抱きしめようとする。
 それと同時に遊歩の身体が強張った。
 
 
「っ……いってぇぇぇぇえええええ!!!!」
 
 
 この男、無理に身体を動かそうとするから………!!!!刺されているというのに!!!
 遊歩は患部を庇うように前かがみになり、俺はその背中を必死で撫でる。
 どうしようもなくバタつく空間の中で、俺は幸せを噛み締めていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

朝日に捧ぐセレナーデ 〜天使なSubの育て方〜

沈丁花
BL
“拝啓 東弥  この手紙を東弥が見ているということは、僕はもうこの世にいないんだね。  突然の連絡を許してください。どうしても東弥にしか頼めないことがあって、こうして手紙にしました。…”  兄から届いた一通の手紙は、東弥をある青年と出会わせた。  互いに一緒にいたいと願うからこそすれ違った、甘く焦ったい恋物語。 ※強く握って、離さないでの続編になります。東弥が主人公です。 ※DomSubユニバース作品です

Domは訳ありSubを甘やかしたい

田舎
BL
2024.2/18 大幅修正いたしました、ありがとうございます。 Subへの庇護欲強めのDom×訳アリな健気Sbu 熊狩勝利は完璧なDomらしい見た目に反してその欲求は自分のSubを溺愛したいというもの。けれど寄って来るのはハードプレイ所望者ばかりで今夜も合コンに敗れての帰宅。 『お兄さん、俺を買わない?』 欲求不満と酒に酔いつぶれた夜に声をかけてきたのは、全裸の露出魔――――!?!? ・基本攻め目線です ・受けが他のDomに乱暴されてしまう描写があります

【完結】虐げられオメガ聖女なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました(異世界恋愛オメガバース)

美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

処理中です...