上 下
31 / 35
第十章<穂波操の物語>

第二話

しおりを挟む
 俺の勤めていたΩ風俗がある日突然閉店した。天蠍と龍二が誠治さんの組を裏切り、違う組に逃げたのだ。
 その理由は解らないし、俺は何にも聞かされていない。俺はいきなり仕事を失った。
 けれどその時も、余り気にしてなんていなかったのだ。
 
 
 どんな一日を迎えたって、どうせ夜が来て朝が来る。日は変わるし、人生は続く。死ぬまでそれを繰り返す。
 でも俺には今、一緒にそれを繰り返してくれる人が居る。
 
 
「俺の実家が実は旅館をしていてね…………。風の噂で従業員が足らねぇって聞いてたんだよ。
天蠍の裏切りの事もあるしよ、田舎に身を潜めてぇって思ってたんだ。
…………お前、俺の実家に来るか??」
「えー♡誠治さんそれって、プロポーズって受け止めてもいいのぉ??」
 
 
 誠治さんからの提案が余りにも嬉しくて、俺は照れながら冗談を口にする。
 すると誠治さんはほんの少しだけ寂しそうに笑い、俺の唇にキスをした。
 
 
「………ああそうだ。お前に俺の残りの人生、全部捧げてやるよ」
 
 
 想像していたよりずっと甘い言葉を返されて、顔を真っ赤に染めて俯く。
 この人は俺の想像よりも、はるかに上の甘い言葉を、いつも俺に与えてくれるのだ。
 
 
***
 
 
 俺が誠治さんに連れられて訪れた場所は、駅の目の前に綺麗な海がある観光地。
 活気づいている商店街に、自然のとても多い街並み。全てが東京と違って、穏やかで新鮮だった。
 
 
 誠治さんの実家は『嘉生館』という名前の温泉宿。
 嘉生館を訪れて一週間くらいは、誠治さんとその御母様がよく大喧嘩をしていた。
 けれど二週間目には落ち着いて、俺の事もすんなり受け入れてくれた様だ。
 誠治さんの御母様の志乃さんは、口がキツいけれど優しい。
 何時もなんやかんや理由を付けて、俺に着物をくれたりする。
 実はお母さんと心の中で密やかに呼んでいるけれど、口では大女将と呼ぶ。
 
 
 だって、本物の俺の母親より、母親っぽい世話を焼いてくれるから。嬉しくなってしまったんだ。
 
 
「なんやそんな安っぽい着物着て…………!!ウチのやるから、こっちにこい!!」
 
 
 掃除の合間にお母さんに捕まって、そのまま真新しい着物を押し付けられる。
 その光景を横目に見ていた誠治さんが、呆れた様に溜め息を吐いた。
 
 
「母さん…………相変わらず素直じゃねぇなぁ…………??随分操に合う着物を、選んできたんじゃねぇか?」
 
 
 誠治さんはそう言いながら、お母さんに微笑みかける。彼岸花と餓者髑髏の派手な着物を羽織っていた。
 お母さんは鼻を鳴らして、誠治さんから目を逸らす。
 
 
「アンタが選んだ着物は派手で下品やから。彼岸花と餓者髑髏なんて下品の極まりや。操の着物はウチが見繕う」
「おい待てや………母さんもこの間、蛇みたいな変な柄の買ってたやろ??」
「蛇やない。クロコダイルや」
 
 
 誠治さんとお母さんは、なんやかんやで仲が良い。あと自分が着る着物のセンスは二人共派手。
 色々な感情がお互いにあるのは察しているが、大分和やかにやり取りをしている様に思う。
 お母さんから受け取った着物は、真っ黒でシンプルなデザインだ。それなのにどことなくお洒落で、上品さがある。
 
 
「わぁっ………!!ありがとうございますぅ!!!」
「操は肌が白いから、黒い着物が良く映えるな…………!!
黒い色の着物を着た操、凄く好きだ」
 
 
 誠治さんの言葉に俺は微笑み、貰った着物を抱きしめる。
 夜が来て朝が来て、何時も同じ日々の繰り返しでも、この日常なら幸せだと思う。
 いつまでも幸せな日々が続く事を祈りながら、忙しない日常を駆け抜ける。
 けれどそんな幸せな日々は、長くは続かなかったのだ。
 
 
***
 
 
 咳き込む声で目を醒まして、慌てて洗面所へと向かう。洗面所には誠治さんの見慣れた後ろ姿があった。
 最近の誠治さんは咳込む事が多く、俺はとても心配していた。
 
 
「誠治さん??大丈夫ぅ??最近咳多くない…………??」
 
 
 誠治さんの背後に歩み寄ろうとすると、鋭い声が響き渡る。
 
 
「操!!こっちに来るな!!見るんじゃない!!!」
 
 
 誠治さんが俺に向かってこんな風に怒鳴るのは、この時が初めての事だった。
 俺に向かって声を荒げて怒鳴り散らした誠治さんは、口元を真っ赤な血で汚している。
 真っ白な洗面器は真紅で染まっていた。
 天蠍が誠治さんを裏切った理由は、誠治さんが肺に大病を患ったから。
 体が良くならずに死を迎えれば、誠治さんのいた組が崩壊することを見越した上での裏切りだった。
 
 
 真っ白い病室の中で誠治さんは微笑む。
 何時の間にかガリガリに痩せて、手足が骨ばんで見える。
 こんなに貧相な身体じゃなかった筈だと、幾度とない逢瀬を思い出す。
 その姿を見ながら、この人は長くないと感じていた。
 
 
「…………俺さぁ、誠治さんの番になりたい」
 
 
 一番最初にキスをした時みたいに、我儘を聞いて欲しい。
 そう縋る様に願ったけれど、誠治さんはそれを聞いてはくれなかった。
 
 
「操。俺はお前の事を、出来るもんなら番にしたい。契約してお前の事を、一生俺だけのものにしたい。
でも明日くたばるかも知れねえような人間が、これからも生きてくお前を縛るつもりはねぇ。
…………ただ俺がお前を縛らないのは、俺が出来る一番の愛だ。お前は必ず幸せになるんだ」
 
 
 愛してるんなら、番にしてくれよ馬鹿野郎。貴方を想って狂って死ねたら本望なのに。
 
 
 誠治さんは俺にそう告げた三日後に、息を引き取った。
 今でも忘れやしない、祭りの近付いた夏の午後の事だった。俺は突然、一人になったのだ。
 誠治さんが居なくなった日、俺の世界が終わった気がした。
 それでも夜が来て朝が来る。日は変わるし、人生は続く。俺が死ぬまでそれを繰り返す。
 あの人はこの世界のどこにもいやしないのに、何度も何度も繰り返す。
 
 
 俺は誠治さんの遺影を抱きしめながら、ただただ咽び泣き続けた。
 
 
 俺には何処にも居場所はなかったし、帰る家さえ存在してなかった。
 如何に俺の人生が誠治さんだけで構築されていたかを、この時に痛い程思い知らされる。
 俺にはもう何も残っていない。そう思いながら落魄れる。
 願わくは一日でも早く日が過ぎて、あの人の元に行けたらいいのに。とっとと死んでしまえたらいいのに。
 
 
 そんな最中に俺の身体に異変が起きた。
 
 
 誠治さんの葬式から二週間。身体が怠い事に気が付いた。
 夏風邪だろうと思っていた症状は、妊娠の初期の症状。
 病院に身体を診てもらいに行き、俺の妊娠が発覚したのだ。しかもいきなり双子の母。
 そういえば嘉生館に勤める様になってから、避妊薬の使用をやめていた。
 
 
 誠治さんの身体が悪くなる直前に、ダメ元で図った結果が出た。
 
 
 その知らせはまるで生きろと言わんばかりで、俺の生命力を甦らせた。
 更に誠治さんの遺言により、俺は嘉生館の経営に回る事になっていたのだ。
 生きていかなければいけない。彼の忘れ形見を守りながら。
 嘉生館もお腹の子供も、俺が守らなければいけない。
 それを知った時、俺には沢山の大事なものがあると思った。
 
 
***
 
 
 目を醒ませば見慣れた天井と、心配そうなお母さんの顔がある。
 確か俺は虎ちゃんを家から無理矢理追い返して、床で眠ってしまった事に気が付いた。
 お母さんの表情はとても心配そうで、顔に疲れが出ている。
 この人は責任感が強いから、少し無理をしてしまう所があるのだ。
 そういう所が俺にも通ずる所があって、上手くやっていけてるんだと思うけど。
 
 
 身体を起こして背筋を伸ばし、笑顔を作って気丈に振る舞う。
 疲れたお母さんの顔を見た俺は、明日にでも嘉生館に舞い戻ろうと考えていた。
 何時までも心配ばかりを掛けていてはいけない。
 俺が戦わなければならない事を、何人の人に戦わせているんだろうか。
 
 
「………操、身体は…………」
 
 
 そう言いながら俺の背中を撫でるお母さんに、満面の笑顔を返す。
 
 
「大丈夫です大女将!!ていうか、俺明日から嘉生館に戻ります!!!」
 
 
 俺がそう返事を返すと、お母さんの顔が露骨に悲し気になった。
 今日の俺はどうやら、いろんな人を悲しい気持ちにさせているらしい。
 虎ちゃんだって泣かせてしまったし、本当に申し訳ない限りだ。
 
 
 斎川虎之助。あだ名は虎ちゃん。彼はとっても不思議な少年だった。
 彼に初めて逢った時に、誠治さんと初めて出逢った日を思い返したのだ。
 彼と対峙した時も、体中の毛が逆立つような感覚がした。
 虎ちゃんは根性があって、どんなに冷たくしても、物凄い勢いで俺に縋り付く。
 こんなに根性がある男に好かれた事なんて、今までなかったとさえ思う。
 
 
 でもあれだけ突っぱねたなら、彼はもう俺に向かっては来れない筈だ。
 
 
「赦さへん………!!お前はまだ嘉生館に戻るな!!!」
「嫌です!!俺このままじゃ頭おかしくなりそう!!せめて働かせてください!!女将の仕事じゃなくても良いから!!」
 
 
 声を荒げたお母さんと言い合いながら、仕事の準備をし始める。俺はこの時にやけくそだった。
 どんな事が起きたって、どうせ夜が来て朝が来る。日は変わるし、人生は続く。
 俺が死を迎えるその日まで、それを繰り返す事を解ってる。
 それなら俺が耐えきれなくなるその時まで、駆け抜けてやりたいのだ。命より大切な嘉生館を守るために。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

はじまりの恋

葉月めいこ
BL
生徒×教師/僕らの出逢いはきっと必然だった。 あの日くれた好きという言葉 それがすべてのはじまりだった 好きになるのに理由も時間もいらない 僕たちのはじまりとそれから 高校教師の西岡佐樹は 生徒の藤堂優哉に告白をされる。 突然のことに驚き戸惑う佐樹だが 藤堂の真っ直ぐな想いに 少しずつ心を動かされていく。 どうしてこんなに 彼のことが気になるのだろう。 いままでになかった想いが胸に広がる。 これは二人の出会いと日常 それからを描く純愛ストーリー 優しさばかりではない、切なく苦しい困難がたくさん待ち受けています。 二人は二人の選んだ道を信じて前に進んでいく。 ※作中にて視点変更されるシーンが多々あります。 ※素敵な表紙、挿絵イラストは朔羽ゆきさんに描いていただきました。 ※挿絵「想い03」「邂逅10」「邂逅12」「夏日13」「夏日48」「別離01」「別離34」「始まり06」

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子

葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。 幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。 一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。 やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。 ※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

処理中です...