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第3章
黎明は導く、朝日のように
しおりを挟む芝蘭が想像したよりも、事態は緊迫していた。
ソラの言う通り、占音一人ではどうにもできない事情が珠魔にはあるらしい。驚きに動けぬ珠魔達を見回し、芝蘭は努めて強い口調で命じる。
「壱音をこちらに」
二人が動き、芝蘭の前へ占音を誘導する。髪や頬に残る汚れを払おうとして、占音の手に叩かれた。
「……朱家の代表というのは」
「こいつだ」
苦い顔を取り繕うこともなく、占音は白髪交じりの男性へと顎をしゃくる。目配せで部下を配置し、光河に占音の手当を任せる。
日向を側に控え、芝蘭は男性に向き直った。
「族長が不在となり、危機的状況に陥っていると聞いている。国交を結びたいというのは壱音の先見の目があってこその話だが、貴方達は、」
「自らが犯した罪も知らず、何をほざくか」
醜悪な敵意を向けられ、喉が痙攣する。反対派の珠魔だと分かっていても、鋭い気迫に怯みそうになる。
男性は両手を広げて裾を直すと、二藍がそうしたように珠魔の礼儀を示した。
「失礼。私は朱泉と申す者だ」
見上げる瞳が光を反射し、狡猾さを漂わせる。覚えのある雰囲気だが、芝蘭の知る中では最も優しい部類だ。
「朱家をまとめ、彼らの安全と珠魔の文化の保護を担っている。我々古い人間は、心魔の宝石狩りの被害を受けた世代でね。……そもそも、先代が基音にたぶらかされたことから、我らの窮地は始まった」
創生虹記の継承の差異はこのようなところに現れるのかと学ぶ。王族として教会の教育を受けた芝蘭ですら、その詳細を知らない。
「……先代基音が残した心魔を、頼りたくないと」
「島へ追いやった張本人を、どうして頼れようものか」
「ならば何故、心魔の土地で貴族となった?」
芝蘭の反論に、ぴくりと泉が眉根を上げる。灰色の瞳がその場にいる珠魔達を睨み据え、最後に芝蘭に向いた。
「何を言っている」
「静殿を始めとする一部の珠魔は、心魔の土地で心魔と同様の身分を持ち、暮らしている。大半は、名に朱を冠する者ばかりだ」
どよめきが走り、泉へ向けられる視線の色が変わっていく。彼らは泉を支持することでこの土地での安寧を得ていたが、その泉こそが、心魔から恩恵を得ていたというのなら、話は変わる。
「出鱈目を。肝心の静が行方不明だからと、好き勝手にこじつけられては困る」
「そうではない。心魔の土地で暮らすことを望むなら、それを叶えようというだけの話だ」
占音が唐突に咳払いをしたが、意図はここまで伝わらない。泉はそれ以上の発言を避け、周囲は芝蘭と泉の様子を見守っている。
気付かぬふりをして、芝蘭は話を変えた。
「聞くが、珠魔との外交は誰を通せば良い? 族長が不在なら、その代わりがいるはずだろう」
「天星だけだ」
間を置かず返した自分の答えに、泉自身が、ふ、と笑いを重ねた。
「族長を継ぐ天星だけが、他と我等を繋ぐ外交を担ってきた。不在である以上、我等に話はできぬ。帰ってくれ」
「……代わりもいない?」
取りつく島もない対応に疑問を抱く。泉から他の珠魔へ視線を移しても、彼らの視線は揺らがない。本当に、天星家しか他種との繋がりを保てぬというのなら、あまりに時代錯誤だ。
「心魔との国交回復において、その生活に関わる全てと身の安全を保証する。こちらが望むのは、技術を持つ珠魔による心魔への教育と、現存する農業工業の改善補助、及び天然魔石の貿易だ。事情を理解し、そちらの条件を纏める者がいればいい」
「何を言い出すかと思えば」
泉は鼻で嗤うが、一度亀裂の入った反対派には効果があった。
緑髪の珠魔が一歩を踏み出す。構えようとする日向を制して、言葉を促した。
「本当に、それだけでいいのか」
「……ああ。少なくとも今後十年はそれだけを頼みたい。こちらの条件に見合うものであれば、できる限りの助力をしよう」
火月は教育が行き届かぬことを話題にしていたが、芝蘭の話が通じない訳ではないらしい。周辺に立っていた数名と顔を合わせ、珠魔の表情が和らぐ。
泉だけが、この場で一人、異なる見解を持つようだ。
「くだらん。何故珠魔が心魔に手を貸さねばならん」
「くだらないのは、貴殿の話を聞かぬ態度だ」
「なんだと?!」
容易に想像できる対応だったからこそ、芝蘭でもうまい返しが行えた。
元より、泉に対しての交渉ではない。朱家に対しての話し合いでもない。
芝蘭は占音や透火とともに、珠魔を助けるべくして海を渡ったのだ。必要とする者に届けることが、重要だ。
「天星なら、ここにいる」
僅かに空気が変わったところで、占音が口を挟んだ。
ざわめく珠魔から彼の方へ視線を移し、目を見張る。占音は、透水の手を掴んでいた。
「こいつは、火月の子だ」
「な……っ」
驚愕が珠魔の間に伝播する。占音に促されて芝蘭の隣に立った透水は、緊張した面持ちでちらりと芝蘭を見上げた。
「……やはり、生まれていたではないか!」
最初に反応したのは、泉だった。
「何故だ! 水月と共に死んだのではなかったのか! 火月が私に見せた出来損ないは、何だったのだ!」
泉の気迫に圧される透水を背中から支え、芝蘭は庇うように前へ出る。無意識だった。
「出来損ないだと?」
「そうだ。私は確かにこの目で見たのだ。魔石ともなれなかった屑石に、あやつは視力を奪われたと」
珠魔の繁殖方法を知っている芝蘭に、その言葉はとても侮辱的に響いた。珠魔であれば尚更、しかし、誰もが言い返す勇気を持たぬこの状況が、何より許せなかった。
「他人の命を侮辱してまで、貴方は何を得るという」
「永遠の保証だ! 種の存続だ! そうでもせねば、我等は潰えるだけではないか!」
言い返した泉が、ふと周囲の視線に気付いて冷静になる。芝蘭が残した疑念が功を成し、珠魔から泉へ向けられる感情が恐怖から侮蔑へと変わっていく。
「お前達、なんだその目は」
「朱泉殿……もう、私達は無理です」
「何が無理だと。お前達のきょうだいがどうなってもいいというのだな!」
泉の脅しに、珠魔達の動揺が振り返す。先ほどの和やかさが嘘のように、彼らの不安がこちらにまで伝播する。
「同胞を貶め、己だけが助かれば良いとでも?」
気付けば問い返していた。ジリと焼け付くように胸の奥が熱くなる。
「心魔の若造が知ったような口を利くな。朱家が種族に貢献してきたからこそ、珠魔はまだ生きている」
「窮地に瀕した同胞を助けず、尊重せず、貴方がしていることは支配と同義だ」
「黙れ! 親の威光で大きくなっただけの子供に、何がわかる。過去に犯した愚行を忘れたとは言わせん!」
「忘れたのではない。これは償いだ」
身体の熱さを自覚しながら、芝蘭は泉の状態を冷静に分析していた。
保守的な人間というだけではない。彼にとっては、多種が協力することは可能な話ではなく、夢物語にもならないのだ。珠魔が貶められた経験から、あるいは、閉塞した環境で珠魔を纏めた栄光から、彼にとって、珠魔とは孤立した存在でなければならないのだ。
透水の肩を叩き、離れる。近寄るほどに泉の身体が小さく感じられる。能力の差はあれど、体格では芝蘭の方に分があり、焦燥からか泉の気迫が削がれ、恐るる要素はどこにもない。
聞く耳を持たぬ者に何を言おうと意味はない。だが、聞く耳を持つ者へ声を届ける邪魔をするというのなら、話は別だ。
「国王紫亜が残した傷跡は、私が癒し、別のものとして次に繋ぐ。対等な存在として未来の珠魔が大陸で生きるために、今を生きる貴方達に協力して欲しいだけだ」
芝蘭の言葉に、周囲の様子が変わる。
疲弊の残る顔を見合わせ、互いに頷く。泉の様子を伺う者はいない。
言葉が、届いた。
「! 芝蘭!」
その隙を狙った泉が動き、占音が芝蘭の腕を強く引いて庇おうとしたその時。
大きく、地面が揺れ動いた。
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