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小噺
食事の話(お題:「透火と食事」)
しおりを挟む透火はドリアが好きだ。
ドリアは野菜を溶かしたホワイトソースを炊いた穀物にかけ、発酵した乳の塊を薄く切って乗せた料理だ。これをじっくりと焼き上げることで風味をより楽しめ、冬に食べると一層美味しく、味わい深くなる。
この美味しい料理は、小麦粉が主食の王城でも、滅多にお目にかかれない類の代物だ。なにせ、この材料自体、運搬過程に課題が多く、食べられる状態で王城に届くこと自体、年に一度あるかないか。ドリアを食べた年は、豊作で、天気も良く、民も比較的穏やかに過ごせたのだと推測する程度には、貴重なのだ。
それほどまでの材料をごった煮のように混ぜないと、ドリアは美味しく出来上がらない。
軽率で豪快、しかし最も素材を美味しく頂けるこの料理を、透火が初めて食したのは十歳の頃。
そして、運命の二回目が、まさしく今日、今この時だ。
木製スプーンでそっとすくい、カリカリに焼けた表面ととろりとしたソースをふうふうと吹き冷ます。いつもなら、かき混ぜて、人肌になるまで冷めるのを待つ透火だが、今ばかりは猫舌などと言ってはいられない。食べなければ、おかわりの量が減る。
「いただきます」
ふっ、と最後のひと吹きもしないうちに、口に迎える。熱い、がホワイトソースの甘いようで甘くない味わいと香ばしさに、はふ、と嬉しい吐息が溢れる。
「……美味しい~!」
「はっは! それだけ喜んでもらえると、作り甲斐があるってもんだ」
料理長は快活に笑って、鍋の中を木べらでかき混ぜる。城で働く全員が食べられるようにと作られるドリアは、大鍋三つを使っても作りきれない。
第一陣として振舞われるのは勿論青家──王族であるが、参謀、騎士や軍隊長、近衛兵など上位階級者も、同じように食事をする。次いで、第二陣に召使いや執事、薬剤師や王宮庭師など労働時間に縛りのあるもの達に振舞われ、最後に、それ以外の者達へ。
これまでであれば、従者の透火は最初か最後の番に回されることが多く、芝蘭の公務と重なってしまえば、最早食す時間がない。
だが、今はその逆だ。
「基音に気に入ってもらえたドリアだ、みんなもちゃんと食べるんだよ」
応、と雄叫びのような返答に、一瞬透火の指先が止まる。だがそれも、美味しいドリアの前では長く続かなかった。二掬いめに、全ての思考を委ねる。
「それじゃ、第一陣を振舞ってくれ」
「では、基音様も……」
「いいんだよ。たまには好きに食べさせてやりな」
透火が口の中を熱くさせている間に、料理長たちの会話は終わり、食堂へ運び出す手伝いも重なって、厨房はしばし、人気がなくなる。
空になった喉に水を流して、温度差に驚く喉を慰め、ややあって、気持ちの良い笑顔で透火は顔を上げた。
「ありがとうございます、オリヴィア料理長。すごく美味しい、とても美味しい、なによりも美味しい!」
「いいんだよ。ずっと頑張ってきたんだから、このくらい」
泡立てる途中にひょいと手振りで返し、オリヴィアは快活に笑う。
厨房だけは、性別問わず同一の制服で職務を果たす。薄桃色の髪を全て白帽子に隠し、藤色の瞳を細めて、オリヴィアは魔石に手を触れて火をつける。すらりとした立ち姿には貫禄があり、長年の調理で鍛えられた腕は太く、調理する指先は細やかに動く。
透火が厨房の戸を叩いたその日から、変わることない姿でオリヴィアは働いている。
従者となる前も、なってからも、そして基音になっても、透火がくれば余り物でもなんでも使って、美味しいまかないを作ってくれた。
高さのない、小さい鍋にオリーブから絞り取った油を引き、白身のあらと玉葱の薄切り、しめじを炒める。もう一つの鍋では、卵と豆乳、蜂蜜に浸したパンをジュワジュワと焼いていた。どちらも昼食準備の残り物だと言っていたが、それにしては白身もパンも大きく切られている。
「よっと」
焦げる前にひっくり返し、バターを加えて焼き上げていく。
ドリアの美味しさを堪能しながら、透火はオリヴィアの後ろ姿をじっと見つめる。
「今頃、美味そうに食べてるんだろうな……」
「……お前は静かに食えねえのかよ」
一方こちらは、芝蘭と占音、そして賓客のハークが列席する食堂である。
基音を除けば、この国で最上位にあたる彼等もまた、こんがりと焼き上げられたドリアを味わっていた。
紫亜を最奥に、ロズと芝蘭、琉玖が向かい合わせに座り、その隣にリアナ、それから、ハークや占音たち上位官が並ぶ。
芝蘭から末席にかけて、占音、ハークが座ったせいか、先程から芝蘭がぼやく度に占音が反応していた。
「それにしても嬉しいわね。またこうやって、みんなで顔を合わせて食べられるなんて」
微笑みを絶やさず、ロズが食事の手を止め、芝蘭や琉玖、リアナを見渡す。紫亜は黙々と吹き冷ましては食べ、を繰り返すばかりで、王妃の声に反応する素振りも見せない。
「ご無沙汰しておりましたから」
「そうねえ。……ねえ、リアナさんはどう? ドリアは美味しい?」
「はい、とても。教会ではあまりこうした料理を作りませんので、貴重です」
花が開くように、いつもより浮き足立ってリアナは語る。空席を挟んでいるが、ロズとリアナに挟まれて、琉玖は気が気でなさそうだ。笑顔が引きつっている。
「あら、そうなの?」
「はい。……プラチナ様に通じる色の食べ物は、儀式の時しか食してはいけない決まりですので」
一言も発さず、黙々と食べるもう一人を一瞥し、リアナは続ける。
「ですので、このような素敵な場で、素晴らしいお料理を頂けて、嬉しいんです」
カタ、と小さな音を立て、紫亜が銀食器を置く。
「これから公務がある。悪いが、失礼させてもらう」
「貴方、食事の時くらいは大人しくしたら?」
「小言は後で聞かせてもらおう」
ロズの髪に触れ、それ以外には一目もくれず退出する紫亜を、全員が立席して見送る。
扉が閉ざされ、しばしの沈黙が流れて後、占音がだらりと姿勢を崩した。
「確かに美味いけど、俺には味が濃く感じる」
「そうなのか? 南と比べても、これはまだ薄い方だぞ」
「碧南でも味が濃い目だと分かって良かったぜ」
空になった容器に食器をおいて、占音は後頭部で手を組む。
流石の芝蘭も、その時ばかりは眉間に皺を寄せた。
「母上の前だ」
「そりゃ失礼」
「いいのよ。ねえ、芝蘭とはどう? 楽しい?」
「まあ、それなりに」
自ら進んで頬杖をつくロズに、占音はやや引き気味で応じる。相変わらず隣では、ハークが黙々とドリアを食しており、半分ほど進んだところで、サン用のスプーンを手に取った。
「冷めてきましたわ。ほら」
鳴き声と人語の応酬だが、本人たちは意思の疎通が出来ているようだ。嬉しい時は翼をばたつかせるサンが、周囲に小さな風を送る。
ふう、と冷め始めた一口に、余計なひと吹きをかけながら、芝蘭はドリアを掬う。
「……今頃は、デザートでも食べてるんだろうな……」
「いいんですか! こんな、贅沢なもの……」
「いいんだよ、残り物なんだし。食べちまいな」
透火の前に差し出された、淡色と艶やかな茶色で作られた綺麗な山は、プリンと呼ばれる。卵と砂糖、豆乳で出来たそれは、頂からカラメルを垂らし、ミントの緑で可愛らしく盛り付けられる。
聖光国北部では、これを凍らせて食べることもあれば、カラメルをキャラメリゼにして食べることもあり、その食べ方は地域、家庭で様々だ。透火のためにとオリヴィアが出したのは、普通のプリンとキャラメリゼにナッツの添えられたプリンの二つ。
月色の瞳に、太陽とも月とも重なるプリンを写し、よだれを垂らさんばかりに喜ぶ透火の姿に、オリヴィアはニヤリと口角を上げた。
「これはね、なんと、プラチナ様に所望されて用意した一つなんだよ」
「プラチナが? あっ、美味しい! 目覚めるように美味しい」
透火の耳元でこそりと囁き、反応を楽しむと、オリヴィアは調理器具の片付けを始める。 「懐かしい味がするんだってさ。嬉しいねえ」
ひと山を平らげた透火の耳に、その話はもう届かない。動くたびに揺れる跳ねた髪が、頷くように揺れていた。
「ご馳走様でした!」
空になったグラタン皿に、プレートが載せられ、数枚の小皿とともにオリヴィアが席を立つ。
透火の前には空になったプレートと、淹れ立て珈琲がちゃっかり置かれていた。
「はあ~……贅沢だ」
背伸びをすると、蓄えた美味しい力が全身に広がっていくような気分になって、透火は自然、頬を緩ませる。
「手伝ってくれたお礼だよ。芝蘭様にも、礼を伝えておくれ」
「はい。……と、それじゃあ、行こうかな」
「気忙しいねえ」
「ごめんなさい」
ぬるめに用意された珈琲を一息に飲み干し、透火は食器をオリヴィアの隣に置く。立ち上がると横並びになるオリヴィアの視線を、甘んじて受け入れて、緩んだ気分を引き締めた。
「美味しいものは、みんなで食べたい人だからさ」
少しの下心と、長年の信頼に突き動かされて、透火は厨房を出て行った。
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