虹の向こうへ

もりえつりんご

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第2章

そして光は、無慈悲に彼を導く

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 グラスから溢れそうな水のように、聖光国を包む空気は静かに張り詰め始めていた。
 未来への希望を臨んで直ぐ訪れた、経験したことのない自然の脅威。それは、貴族の身分が成立して以降、初めてあらゆる身分の者が共有した一つの不安ともいえよう。
 衣食住が安定しても、基盤が崩れてしまえば意味がないのは皆同じだった。
 国として成り立つ前ならば、こうも心魔がまとまることはなかった。
 いつ襲われるかもわからず、安心を得ても衣食住のどれかは必ず欠け、長続きはしない。金と力を勝ち得たものしか貴族になれず、学の有る者は貴族階級の一部に限られ、政治は貴族のために行われる形骸化した儀式だった。
 聖虹教会は、そんな貴族達を監視し、時に対立する存在として貴族以下の階級に手を差し伸べた。
 教会に仕える代わりに彼らの命を保証し、ささやかながらも衣食住を保障した。労働力として使われる者もいれば、消費される者もいた。教会の外では、野たれ死ぬか奴隷となるしか術はなく、生きること自体が難しい時代だった。
 しかし、陰鬱な時代は戦争と共に急速に終わりを迎え、数年の時をおいて全ては変貌した。
 民の希望は、国王に君臨した青紫亜という一人の人間となった。誰もが彼の言葉に影響され、言葉によって希望は実現し、多くが苦しみから救われた。身分の違いは残ったものの、暮らしは格段に良くなった。貴族も、教会も、それぞれが利を得ることで王族の誕生を支援した。
 紫亜の栄光は、確かに今なお輝く希望の光そのものだ。
 故に、王位継承者承認儀式の通達も、ある種の叱咤激励として民の耳に届いたことだろう。
 光はまだそこにあり、輝き続けてなお次を導いている。かつて味方であった自然が敵となっても、光があれば道は示されるのだと、人々がまだ、信じられるように。

「透兄、ソニア姉ちゃんから手紙きてたって」
「ありがとう」

 うーん、と首を捻り腕を組んだままの状態で、透火は指先で手紙を受け取った。
 透火がじっと見つめているのは、弟の教科書だ。ここ数年で一般化されたそれは、透火が芝蘭と学んだ時よりも質が良くなり、内容も整えられている。教会と王族が二脚となって国を支えていることもあり、それぞれの長短の記載も以前より増えていた。
 例えば、紫亜が統合を果たす前は人々の間には色の差別があり、教会は信仰の理由として色を保護していた。けれど、色の差別は教会内部にも多少なりとも存在し、必ずしも万人が保護されたわけではなかった。

「ありがと、透水。ここにしまえばいい?」
「……うん、まあ、適当でいいよ」

 差別の内容を確認してから、透火は積み重ねて置かれた本の山に教科書を戻す。
 受け取った手紙を衣嚢にしまい、椅子に座る。
 月読という役職は教会の歴史と並ぶほどに古いものだが、配役される人間がアルビノに統一されたのはつい二十年ほど前だという。
 紫亜の従者代わりとして月読が配置されるようになったのもその頃で、素直に考えて透火の二倍を生きている女性が昨晩、拙い口出しをしたといえる。紫亜の指示を受けているにしては感情に溢れ、理由があったにしては目立ちすぎる行動は、透火の理解の範疇に無い。なにせ無駄が多く、人目につく場所で行う必要性も無い。
(もしかして、こういう考え自体が新しいのか)
 自分が庇護を受ける側であったからか、あるいは周りの人間に恵まれていたか、透火はそういったことを表に出す方法に必要性を見出せないが、他人もそうであるとは言い切れない。
 人間の違いは何も、種族や身分だけではない。
 教会や王族などの所属の違い、色を重視する思想は種族それぞれに共通して存在する。珠魔において占音の色は宝だと言っていたように、心魔では透火の色が特別だ。
 そもそも、心魔は極端な濃淡を持つ者が生まれにくい。黒髪は存在しないし、白や銀は圧倒的に数が少なく、金髪は金目を持たずに生まれることはない。
 他の役職、ひいては他種族と今後接触することが決まっている透火は、彼らの背景を踏まえて置かねばなるまい。占音と同様に、共存の道を選ぶのなら。
 教科書に載っていた色差別表には、教会で称えられる白、水色系統の順に低位置に置かれ、黒や紺などの濃い色、そして白金、金が最上位とされていた。教会内では上から金、銀、白、水色系統の順に並び、それ以外は平等とされており、現在は後者の色別が主に利用されている。
 王制が、差別の変容を実現させていた。
 銀や白は王族に保護され、その能力に応じて一定の役職に就くことができるようになった。水色系統は教会の外でも不自由なく過ごせるようになった。貴族達は戦争で貧窮し、信仰していた下流階級の者達が平穏に暮らせる社会となったことが教科書的な理由だが、被害や不自由が生じるものでなかった色は未だ重視する風潮が残っており、保守的な地域では差別はまだ色濃く残っているとも聞く。
 とはいえ、これらの事情が、月読と結びつくとも言い切れない。

「うーん」

 背もたれに背を預け、唸った。
 狙われる理由だけでも分かれば対策の立てようがあるというのに、透火にはこれっぽっちも心当たりがなかった。

「透兄、椅子」
「あ、ごめん」

 両腕を突っ張って椅子をカタカタ言わせていたところを指摘され、慌ててきちんと座り直す。昔は自分の部屋だったせいで、気が緩んでしまったらしい。
 軍部宿舎の最上階、角部屋。今は透水の部屋だが、元々は透火が従者に就くまでの二年を過ごした部屋である。春の進学に向け、透水が前の寮を引き上げたため、再び部屋を借りたのだ。
 一人につき一部屋の仕様で、少年二人で住むにしても手狭で、簡素だ。小さな棚と洋服箪笥があり、木製テーブルには椅子が向かい合わせに二脚置いてある。水場と食事場が一体となっており、扉を開ければ廊下から丸見えになる。
 部屋の左右には寝室と浴室や便所が扉一枚で繋がっている。次の寮へ入る準備を進めていることもあって、寝室の入り口にはまとめた荷物がこんもりと山を作っていた。
 透水が次の寮に入れば、透火は再びここに戻るつもりだった。従者でも軍人でもないけれど、何と言っても基音だ。顔見知りのお情けを頂戴するまでもなく、芝蘭を通じて取引でもすれば、部屋の一つくらいは貸してもらえるだろうと踏んでいた。毒を食らわば皿まで。基音として生きる以上、多少の無茶は聞いてもらえるように動くつもりだ。
 皿を洗い終えて、透水が手を拭きながら近寄る。

「時間、そろそろじゃないの?」
「そうだね。行ってこようかな」

 壁掛け時計を見上げれば、時刻は十一時になる少し前。頃合いだ。
 椅子から立って弟を見下ろし、透火は兄らしく微笑む。

「昨日みたいな異変があったら、軍の人と一緒に逃げてな? 兄ちゃん、絶対探しに行くから」
「……わかってるよ。行ってらっしゃい」

 ぽんと頭を撫でると、透水は微苦笑を浮かべた。
 お返しのように背中をぽんと叩かれたので、透火は笑って部屋を出た。
 小走りに廊下を駆け、階段を一段飛ばしで降りていく。
 透火が飛ぶ度に、ひらひらと式服の飾り紐が宙で踊った。若草色に金糸で刺繍の施された、新しい式服だ。足元は黒か茶か見分けのつかない濃い色をしたズボンで、膝下は長靴に収まっている。
 走りながら窓の向こうへ視線を投げると、重装備の軍人たちが三人体制で警備にあたる様子が目に付いた。人の声は遠いが、耳を澄ませば、管楽器の演奏がどこからか聞こえてくる。
 今日は、王位継承者の正式発表の日だ。
 芝蘭と琉玖、そしてリアナの三人が初めて揃って国民の前に出、国王によって洗礼を受ける。
 これまで散々騒いできた話題の一つだ。集まる人数と数日起こり続けている異変やそれに対する不安を考慮し、催事は大聖堂で行われることになっていた。そのために普段よりも城に残る兵士が少なく、警備に当たる者が多く設定されているのだ。
 継承者となった芝蘭、琉玖、リアナの三人は今朝方王城で準備を済ませ、早々に聖堂へ向かった。
 城内から見送った範囲では、三人を乗せた馬車は無事城を出て街道に入っていた。道中での問題は生じてはいまい。
(あんな風に見送ったの、久しぶりだったなあ)

「っ、と」

 懐かしさを覚えるほどに古い記憶を思い起こした瞬間、片足が滑った。意識を現在に戻して、素早く片足で体勢を整える。誰にも見られていなかったのを確認して、階段を下りきるまで、思考を止めた。
 少しの間走って王城の正門まで向かうと、紺一色の馬車が見えてくる。
 その手前に立つ、銀髪の少女と女性。月読は一人。銀竜がそれぞれの相棒の肩に乗り、翼を休ませている姿が遠目にも確認できた。

「お待たせしました」

 短い息をそのままに声をかけると、三人が透火を振り返る。
 ハークと月読。彼女たち二人だけならまだ透火も納得ができるが、もう一人は予想外だった。

「諸事情により私も同行します。構いませんね?」

 つっけんどんにナイシャが言うのでハークへ目配せをしたが、視線は合わず、返答に手間取る。

「ええ、まあ。……大丈夫ですけど」

 かろうじて答えられた内容も、ナイシャには聞いてもらえない。彼女は開かれた扉をくぐって、一番に馬車に乗り込んだ。
(や、やりにくい)
 ハークの後に続きながら、苦笑いを浮かべる。
 乗り込んだ馬車は、馭者の声とともにカタンと動き始めた。
 この馬車の行く先は大聖堂だ。穹窿の門をくぐり、街道へ向かう馬車道を進むと、窓の向こうに尖塔を臨める。連なる旧式住宅や屋敷よりも飛び抜けた高さを持つ塔は、十字形をした聖堂の最奥に当たる。
 教会所属の貴族が少ない地域であった背景から、アハティの大聖堂よりは小規模ではあるが、催事や労働階級出身の子供たちの教育場として民に親しまれている。王城からちょうど真南に位置しており、徒歩で二刻、馬なら駆けて一刻でつく距離にある。
 馬車が迂回をやめ、進行方向に聖堂を定める。
 透火は視線を窓から室内へと戻した。
 向かいに座るハークは先ほどから透火と同じく窓の外へ目を向けているが、気もそぞろだ。覇気がないというか、先日の彼女とは雰囲気が違って見える。サンの呼びかけには顔を向けるが、透火からその表情は窺えない。
 一方ナイシャは、先日より一層雰囲気が険しくなった。脚を組み、時折こちらへ視線を飛ばすので透火は自分から話を切り出そうかと悩んだ。
 銀の守護者二人と出かけることになったのは、会合で話されたように、創生虹記の調査のためだ。
 監視者のハークが動くのなら、監視対象の透火も彼女と共にいなければならないだろう、と、案内人という名目で同行を強制されたのである。ハークとサンだけと思っていたところに一人と一匹が追加されているが、そこは誰に文句を言っても仕方ないので気にしないことにする。
 うまく乗せられてしまっただけのような、損をしただけのような気持ちで、透火は瞼を伏せた。
(もう始まったかなあ)
 この馬車は、王城と大聖堂を繋ぐ大通りを避け、隣の馬車用に設定された小道をカタカタと通り過ぎているところだ。文字で言えばCのような軌跡を描いて向かっている。
 いつもより多い揺れは臀部を不規則に刺激し、常に振動を受ける頭が混乱する手前で揺れを誤魔化していた。

「はあ……」

 振動からくる気分の悪さを堪えながら、透火は後悔の入り混じった溜め息を零した。
 舗装されていない道はまだ続く。まるで今の透火の心境そのものを実体化させたみたいに、凸凹していた。

「何ですか?」

 言葉のない時間を閉ざしたのは、ナイシャだった。
 自分への当て付けと判断したか、口調は厳しい。ハークとは違い、彼女は感情が現れるので、透火は慌てて両手を振った。

「いや、芝蘭の様子見にいけなくて、残念だなあって思っただけです」
「……貴方達のそれは、結構なものですね」
「え?」

 キュウ、とナイシャの相棒が透火の膝に下りる。こちらを見上げる瞳はサンよりも大人びていて、穏やかだ。
 銀の守護者も銀竜も銀と青をその身に宿すが、それぞれ微妙に色が違う。夜と呼ばれていたその竜は、夜が訪れる刻を瞳に閉じ込めていた。

「私達は、守護者となるとき、それまで持っていた感情の類を削ぎ落とします」

 馬車の揺れ方が、変わる。舗装された道に移ったのだろう。体の五感でそれらを捉えながら、透火は銀竜と目を合わせていた。

「それは貴方達の持つ感情の類が汚らしく、鬱陶しく、この上なく無駄だからです」

 ナイシャの声が、馬車の中に響く。そろりと銀竜の尻尾が動いて、瞬きが一つ。黎明を待つ瞳は哀しげで、慈愛に満ちた輝きを秘めていた。
 透火が顔を上げると、異なる青に射抜かれる。青白い顔をしたハークと、険しさと緊張を肌に感じさせるナイシャ。開きかけた唇を震わせて閉ざし、意を決したようにナイシャが姿勢を整えた。

「昨晩、ハークがその身に魔法を受けました」

 予想外の話に、透火は息を止めた。

「魔法を使えない私たちは無効化の衣装を身に纏っていますが、それすらも解かれていたようです」

 膝の上に乗った竜の重みが、変わる。
 返答次第で、このまま脚を押し潰すという意思表示なのだと察した。

「貴方に心当たりはありますか? そして、貴方は私たちの監視対象ですが、私たちに、敵意はありませんか?」

 凛としながらも震える声に、彼女たちの立場の危うさを知る。
 種族も文化も異なる場所に、守護者は相棒とたった二人で乗り込まなければならない。たとえ信仰があったとしても、ヒトの生まれ変わりを監視していても、絶対安全の下に存在するのではない。魔法も使えないとなれば、身を守る術は己の武術と相棒の力のみ。殆ど無力化された状態で世界に放り込まれたも同然だ。得も知れぬ理由で襲われる恐怖は、透火の想像を超える。
 分かることは難しくとも、理解を示し、助けることは出来る。
 透火は彼女たちの味方をしたいと、初めて寄り添う気持ちを抱いた。

「俺自身に敵意はない。そして、少なくとも王子の周辺には、貴方達に敵意を示す人は居ないと保障します」

 空と海を秘めた尊い青を見つめて、透火は真剣に応えた。

「プラチナは大丈夫? 誰に襲われたか覚えてるの?」
「……少しの間、気を失っていたので」

 は、と詰めていた息を吐いて、ハークが口を開く。
 透火の反応を見て白と判断してくれたのか、夜がナイシャの膝の上へ戻っていく。
 彼女は難しい表情で相棒の尻尾を撫で、一つ、溜息を零した。

「……貴方には先に伝えましょう。今、銀の守護者同士で連携が取れない状態に陥っています。連絡を伝える者が降りて来ず、始音の監視に向かった者とも情報のやり取りができていません」

 最後の揺れの余韻を残して、馬車が止まる。聖堂に着いたようだ。

「基音の欠片が足りなかった時から、何かがおかしい。……ご注意ください。穢れは、自然現象だけではありません」

 馬車の扉が、開かれる。
 春を望む風が、三人の頬をそっと撫でていった。







 教会は人を護る場所であるのに素気無く、冷ややかな空気に包まれている。
 年齢が二桁に乗ってすぐの頃はよく透火達を連れてここに来たが、入る度に寒さを感じるので芝蘭は必ず上着を持って通うようにしていた。透火は本の詰まった棚に目を輝かせ読み耽っていたが、本より遊ぶことの好きな透水は沢山ある階段をバタバタと駆け回っていた。芝蘭はそんな二人を見ながら本を読むゆったりとした時間が、好きだった。
 侍女や教育者、イオン・ルーカスに連れられてよく通ったあの頃。
 王城の図書館も蔵書は誇るべき規模だが、分野や思想の偏りを避けるために、週に一度、教会の図書館に向かうことが義務付けられていた。透火の入学を機に無くなった習慣ではあるが、芝蘭はこの冷ややかな教会が暖かい王城よりも好きだったように思う。
(懐かしい)
 子供の頃より変わらない天井絵画を見上げながら、芝蘭は肌寒さに上着を引き寄せる。不思議なことに、ここはいつも、寒くて仕方がなかった。
 先程日向が閉じていった窓からは、遮断し切れない教会音楽が鳴り響き、民のざわめきが聞こえる。音が期待に溢れる程に耳を塞ぎたくなって、芝蘭は視線を足下に落とした。
 不意に、陶器のカップが差し出される。

「どうぞ」
「ありがとう」

 白手袋をつけたまま、侍女からカップを受け取る。紅茶の拘りの強い芝蘭を思って、日向が先に指示を出したのだろう。ジャムをお湯に溶かした飲み物で、舌と鼻に優しく、温かい。気の利く騎士が居てくれて自分は恵まれたなと思考を遠くへ投げる。
 顔を傾けても首筋に当たらない後ろ髪に気付いて手を後頭部に寄せた。指先に触れるのは、冷たい石の塊だ。
 夜明け色の髪は毛先が全て後頭部下に収まり、宝石飾りで整えられていた。誕生式典の際にも着用した純白と金糸の礼服に外套を取り付け、その上からさらに上着を羽織る。両肩には双翼に見えるよう豪奢な肩当てが装着してあり、芝蘭の現実を実際に重さとして現していた。

「そろそろか」
「ああ」

 近くの円卓にカップを置くと、壁際に凭れていた琉玖が、芝蘭の呟きを拾って腕組みを解く。
 彼もまた、芝蘭と同系統の礼服に身を包んでいた。芝蘭の衣装では赤に当たる部分が青紫のもので整えられ、彼の持つ色にうまく馴染んでいる。

「お待たせ致しました」

 両開きの扉が、二人の予感を実現させる。
 白磁に水色の流線が重ねられた、女性の礼服。
 腰から爪先までを覆い隠すスカート部分は花弁を返したように二段階の曲線を描き、胸元は蕾のように装飾も少なくすっきりとまとめられている。髪は男性二人と同様一つに纏められ、首元のチョーカーに留めたリボンと絡まるように結んであった。波のような水色の髪は、陽光に照らされれば美しい艶を走らせることだろう。

「お二人と同じ衣装を纏えるなんて、光栄ですわ」

 リアナが緊張した顔で無理に笑って見せる。
 三人の胸元に等しく飾られた紅玉に宿る、一つの薔薇。リアナの言うように、三人の衣装は王家御用達衣装専門店・王族の薔薇で誂えたものだ。
 彼らはその薔薇を留めた時より、同胞となる。
 間も無く呼ばれる壇上に並び、さらなる高みへ向かう同志として、好敵手として、三人はこれからの道を共にする。
 国の栄光と種族の繁栄を導くために。

「お時間です。こちらへ」

 月読の言葉に、素早く琉玖が歩き出し、扉の傍に居たリアナも歩を始める。
 最後尾を取る形で、芝蘭も二人に続いた。部屋の外には三人の騎士が壁際に並び、低頭している。

「いってらっしゃいませ」

 日向も含め、騎士はここから先には進めない。すれ違いざまに小さくかけられた声に、芝蘭は歩を緩めることで応じ、先へ進んだ。
 先導を務める月読と、琉玖、リアナ、芝蘭のみが暗い廊下を歩く。
(……この時が、来てしまった)
 溜息を、喉の奥に閉じ込める。
 気が重いと言えば、透火は怒るだろうか。継承者となりたいのは事実だが、それを果たすための道程は芝蘭にとって非常に辛く、重く苦しいものだった。
 候補者となれたのも、己の力で成し得た結果ではなく、あくまで条件を整えたからである。
 整えてしまったこと自体、芝蘭にとって後悔の一つにしかならなかった。大切なものを犠牲にしてまで手に入れたい立場ではなかった。
 それでも黙ってここまでやってきたのは、彼の瞳に映る自分が、彼の思う通りであればいいと願わずにはいられなかったから。
 いつだって、芝蘭を動かすのは透火だった。
 透火はそれを自覚せず、だからこそ芝蘭はずっと、それに甘えていた。彼にとって、自分はこの上なく真面目で、努力家に見えていることだろう。そう見えるように、そう彼が望む限り、芝蘭はそれに応えようと努めてきた。
 そう在ることが、芝蘭から透火への恩返しだった。
『お前は、今朝の父上の振る舞いをどう思う?』
『従者の意見をお求めで?』
 そして、本当は違うのだと分かって欲しいと思っても、透火の中ではもう変われないのだと悟った。
 もう、戻れないところまで来てしまった。
 それなのに、まだ、向き合う気になれないのだ。
 彼の中に在る自分と。

「緊張、していらっしゃいますか?」

 歩を緩めたリアナが、密やかに芝蘭に尋ねる。
 学園時代からの知り合いで、気性の穏やかさと透火とは違った侵襲性の少ない雰囲気が芝蘭には心地好く、今も親交の続いている相手だ。彼女が立候補を果たした時も、驚きこそすれ反対する気持ちは一切生じなかった。
 琉玖と同様、応援したい相手だと思った者だった。

「緊張なのか、よくわからない」

 そんな二人と肩を並べてしまっている事実が、嘘のように思えて仕方ない。嘘であってくれた方がいいのかもしれないと、芝蘭は先の光を見据えながら自覚した。
 逃げ出すことを許されない場所に、ひとりで来てしまった。今までなら、逃げ出すこともまだできたのに。
 爪先に、金色の光が射す。
 廊下の先に開けたバルコニーは、強い光で満ち溢れていた。期待、希望、次への願い。華やかで明るく、暖かい世界。
 鮮烈な光が、夜に寄り添う瞳を刺す。
 光と音に、歓迎された。多くの者が手を振り、笑顔を見せる。彼らのことも大事にしたい、一人でも多くを救いたいという想いは少なからずあるのに、芝蘭はそれが自分で在りたいと思えない。
 素直に喜べない自分は向いていないのだと、民の前に出る度に思い知らされてきた。
 三人の名前が呼ばれ、声が止む。
 やがて、世界は期待を孕んだ静寂で満たされる。

「次期国王となるのは、ひとりのみ」

 紫亜の朗々たる声が響く。その先を聞きたくないと思いながら、芝蘭は紫亜の横顔を見つめていた。
 一度も視線の交わらなかった紺の瞳は昏く、遠い。
 最愛の騎士を喪ったあの時から、月も太陽も失われた夜を彼は視ている。
 自分もいつかそうなるのではないか。望まぬ場所に立たされた今、芝蘭の足元を蝕むのは不安だ。

「今代基音を空の神とした者を、正式に次期国王に任命する」

 荘厳なる鐘の音が、刻を知らせる。
 芝蘭の足下には、暗い影が残っていた。


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