虹の向こうへ

もりえつりんご

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第1章

誘うは漆黒の言葉

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 時刻は昼を過ぎる頃だが、陽の入りは早い。
 部屋に差し込む光に橙が混ざる。
 武器と魔石を調整し、服の皺を伸ばす。王城を出入りするために一般軍人の格好をした透火は、指先を覆わない手袋をはめて、鞘に収めた剣を腰に提げた。空色ではなく翠色の軍服は、鏡で見ると草木に紛れる色をしている。上から見ても区別のつかない、一緒くたの存在になってしまった。
(なーんて、何を弱気になってるんだか……)
 最後に必要な物資を入れた布袋を背負って、準備を終える。二年の月日を共にした部屋を見渡して、大きく深呼吸をする。 

「ここの荷物も、まとめないとな」 

 苦笑いで決意を口にして、部屋を後にした。 
 芝蘭が城を出立して数刻、そろそろ王都の中心部を抜ける頃かと推測する。昨年と同じ速度で進むのなら、日付が変わる前には南地区に着くはず。 
 できれば、芝蘭が南地区に着く頃に追いつきたい。 
(盗人を捕まえて、銀鎖の鈴を取り返して、魔法を使って移動、芝蘭の元へ行く。よし) 
 簡単に今後の予定を脳内で反芻し、廊下を進む。 
 階段を降りて、向かうはハークの部屋だ。休めと言った後に部屋を訪ねるのは気が引けるが、銀鎖の鈴の場所を見つけるには、彼らに協力を仰いだ方が早い。方角だけでも教えてもらって、後は自分でなんとかしよう、と算段をする。
 客間の多い二階は、透火にとって珍しくもない、慣れた場所だ。芝蘭に付き添って多くの貴族と出会い、話をした。苦い経験もたくさんあったし、一方で嬉しいこともたくさんあった。
 どことなく感傷的になっている自分の心を持て余して、透火は進む足に意識を向けた。 
 廊下の中腹にある客間。彼女たちに協力してもらえば、ある程度のことまで事を進める事ができる。
 慎重に、確実に、情報を得なければならない。 
 そうして気を引き締め、いざ扉を叩こうとした手は横から割り込んだ声に引き止められた。 

「透火様、そちらのお部屋は空室ですよ」 
「え?」 

 横を見れば、蓋布で顔を隠した月読が一人、立っていた。

「先程侵入者が現れましたので、お部屋を移動したのです」
「そう、なんですか。じゃあプラチナはどちらに」
「湯殿でおくつろぎいただいております」

 月読が口元を三日月に歪める。

「どうかお引取りを」

 そう言われてしまえば、透火に選択肢はない。
 大人しくその場を辞し、人気のない廊下まで移動して近くの窓枠に手をついた。裏切られた期待に打ちのめされ、がくりと項垂れる。 
(こんな時に侵入者って……)
 一方で、彼女たちの嫌疑は晴れたとも言えた。侵入者という話が、本当ならば。

「参ったな、探索ってどこの誰が担当して……あ」 

 式典の翌日ということもあり、軍部の方も通常と異なる業務で動いている。芝蘭の南地区訪問に同行する軍人も多く、城内での配置や班編成もこの日のために組み直されていた。指揮をとる隊長、副隊長もまた、今日に限って外に出払っている。
 そのため、探索の指示は日向を介して出すことになっていた。

「だめじゃん……!」

 日向は、芝蘭の従者として同じ馬車に乗っている。 
 魔石で連絡を取ろうにも、芝蘭の目の前だ。彼に取らせるわけにはいかない。それに、黙って従者を辞めてしまった手前、何もことを為さずに彼の前に自分を晒すことはしたくない。 
 銀鎖の鈴を持って彼の前に立つまで、何も知られずにいたいのだ。 
 待っていて、くれているから。 

「広範囲を探せる魔法が研究されればいいのに……」 

 握り拳を作って、まだ開発されていない魔法の存在を惜しむ。 
 この世界では、魔法という力は皆平等に扱える。文字式や関わりの深い物のイメージを描いたり、あるいは属性に特化した祝詞を覚えて読み上げたりと魔法の発動条件は様々あり、各人好みや使い勝手に合わせて選ぶことができた。
 その不思議な特性のため、魔法の研究・開発は亀の速度よりも遅く、なかなか進んでいない。魔石は、特性が幾つかに限られるため、魔法と比べて比較的研究や加工は進んでいるが、個人によって属性も発動条件も異なる魔法となると難易度は上がる。 
 それでも、少しずつ分かってきていることは確かにあった。 
 例えば、昨晩盗人と透火がやったように、発動条件が同一の術者が揃った時、互いに言葉や文字式を引用して短時間で魔法を発動させることができる。
 これは既に、王都を中心に周知されていることでもある。 
(盗人っていうか、始音か)
 壁に背中を預け、腕組みをする。 
 単独で探索・奪還をする上で、相手について力量が分かっているのは救いだ。 
 ハークと芝蘭の予測を借りるなら、相手は始音だ。 
 昨晩の戦闘で実力差は勿論、魔法に自信のある透火ですらあの状だと分かっている。見つけ出した後の行動も考えた上で動かねば、銀鎖の鈴を取り返すどころか命を落としかねない。周囲を巻き込む可能性もある。 
 透火の目的は銀鎖の鈴の奪還だ。相手の隙をついて取り返すことさえできれば、あとは移動魔法で逃げることができる。魔法の発動さえ間に合えば、阻止されなければ、望みはある。それに伴う負傷を覚悟した上での話にはなるが、それが一番妥当だ。 
 窓の外を見る。暮れなずむ空、西側の見張り塔。
 城に隣接して建つその塔からは、城壁までの敷地全体が見渡せるようになっていた。 
 あの場所から検討をつけて地道に探す他、今の透火にできることはない。途中で軍人とすれ違うことがあれば、探索班について話を聞こうと決めたところでようやく動くことにする。 
 廊下を進むと、突き当たりに階段がある。 
 その一段目を降りようとした時だ。 

「金髪のお兄さん」 

 振り返ると、謁見の前にすれ違った少年が立っている。いつ、そこに来たのか。気配はなかったし走ってきたわけでもないようで、彼は息を切らした様子もない。 

「……何か用?」 
「これ、お届け物です」 

 魔石の埋め込まれた手が、紙切れを差し出す。小さな手が持つのに丁度良い、小さな紙切れだ。 

「覚えがないんだけど……誰から?」 
「渡せって言われました。それ以上が知りたければ、紙を受け取れ、とも」 
「……わかった」 

 不穏な気配を感じたが、受け取る外ない。 
 礼を言って小銭を渡し、紙切れを引き取る。少年はあどけない笑みで応じて一礼をすると、小走りに廊下を去っていった。 
 意識していなかったから気付かなかったが、彼の身のこなしは軍人たちとは異なり、静かなものだ。暗闇を味方にすれば、容易く敵に近づくことができそうなほど。 
 人気のない内に、紙切れを開く。 
『銀の守護者の部屋に入れ。詳しくはそこで話す』
 見覚えのない筆跡だった。銀の守護者の部屋とは、先程の部屋のことだろうか。 

「……」 

 手掛かりの少ない状況で、闇雲に走り回ることは避けたい。 
 見られていないことを確認してから、透火は再び、ハークの部屋を訪ねた。月読の姿は無く、廊下に人気もない。扉を開け、そっと身体を滑り込ませる。
 音もなく扉を閉めて、部屋を見渡した。 

「よお、待ってたぜ」 

 右側から声がした。 
 調度品を避けて、小柄な青年が棚に腰かけている。高さは透火の腰ほどもあるその上で、器用に片膝をあげて頬杖をつく。長い黒髪は変わらず後頭部でくくられ、背中を通って棚の上で弧を描く。 
 間違いなく、昨晩の青年だ。 
 陽の下に出ると、顔立ちから体型まで透火たちと異なっているのがよく分かる。服装は身体の線が見て取れる無駄のないもので、首元から左胸にかけてだけ布にゆとりが作られ、それを引き止めるように斜めに留め具がついている。腰には二本のベルトをつけ、それぞれ短剣が提げられている。 
 手足の長さと太さ、肌の色、声の高さと身の丈まで同じところを上げろという方が難しい。烏のような真っ黒な髪も然り、透火たちの種族では金髪よりも珍しいどころか、そんな人間はほぼいないといってもいい。 
 考えられるとするなら、やはり、他種族。 

「何故、あんな真似を?」 

 腰を落として、剣の柄に手をかける。昨日の戦闘で彼の力量は重々に承知しているつもりだ。 

「ばーか、そのつもりなら昨日の時点で殺ってる」 

 呆れ顔で、彼はやれやれと首を振って肩を竦める。いちいち動作が大袈裟で、馬鹿にされているのが嫌でもわかる。 
 青年は棚から降り、透火の方に歩み寄る。 

「今、この部屋に外界遮断の魔法を掛けている。

 自然さをよそえる時間はそう長くない。話は簡潔に済ませる、よーく聞いとけよ。トウカ」 

「その前に説明しろ。どうして俺の名前を?」

 構えを解かない透火の姿に、彼は半目になって肩を落とす。片手を腰に当て、その言葉をあしらうようにもう片手をひらひらと揺らした。 

「お前の母親と知り合いだから。それ以上は割愛させろ、そのうち話す機会があんだろ」 
「母親……?」 

 記憶にかすることもない存在との繋がりを示されても、反応に困る。透火の反応の鈍さに不思議そうな顔をして、すぐに真顔になって彼は言う。 

「それより、まだ基音として目覚めてねーよな、お前」 

 全身が、粟立った。 

「……基音じゃない」 
「はあ? 生まれる前からわかってることだろーが、しらばっくれんな」 
「知らない。俺じゃない」 

 否定を口にしながら、動揺している自分に驚く。 
 これまでたくさん耳にすることはあったのに、どうして今更そんな反応をするのか。自分のことなのに理解が追いつかなくて、緊張を高めていく。 
 青年が、あと一歩のところまで近づいた。 

「鈴の音、聞いたろ?」 
「は……?」 
「生まれる前から決められた因果だ。ヒトの力は、鈴の音を合図に目を覚ます」 

 青年の腕が伸び、透火の胸元に手のひらを当てる。彼の手が淡く輝いたと思うと、紅い燐光に変化して散っていく。 
 光が溢れるたびに少しずつ、緊張が和らいでいく。
 煩いほどに聞こえていた動悸が、収まる。 
 振り払わねばならないはずなのに、動けない。 

「俺の名前は、占音センネ

 優しい表情で、彼はそう名乗った。

「生命石を宿す種族の代表、壱音だ」 
「共生派、の?」 
「そうだ。プラチナから聞いたな?」 
「え、あ、まあ……」 

 光が少なくなり、彼が手を引く。いつの間にか止めていた息が、そっと口から漏れる。 

「落ち着いたな?」 
「うん……ありがとう?」 

 礼を言うべき場面なのかわからないが、助かったので素直に言っておく。占音は、力の抜けた表情で笑って背を向けた。 

「月のない夜が近いのもあるだろーが、鈴の音を直に聞いたせいだろ。目覚めかけた力を外に放出してやった」 
「全体的に、よく分からないんだけど。それに、」 

 自分はまだ、基音だと認めたわけではない。そう続けようとした透火の前に、人差し指が立てられる。

「悪いが、いちいち質問に答えてる暇は無え。
 理解できなくていい、話を聞いて実行してくれりゃ、それで」 
 窓の方へ視線を向け、彼の指が文字式を描く。宙を動く指の軌跡が光となって、書き終えるとともに窓の方へ飛んでいく。 
 一瞬、光が弾けた。 

「──お前がどういう風に生きてきたかはどうあれ、今回の基音はお前だ」 

 声の高さを落として、占音が振り返る。
 胸元の留め具を外し、布の弛みを引き延ばして、その内側を透火に見せた。 
 息を、呑む。 

「この国の国王は俺たちの種族を虐げ、あまつさえ好きに利用し、基音を空の神にしようとしている」 

 紅玉より美しく、魔石を上回る見事な煌き。 
 すれ違った少年の笑みと、弟の顔が過る。目の前に立つ青年にも彼らと同じ類の、しかし全く異なる輝きを持つ魔石が彼の胸元に埋め込まれていた。 

「俺はそれを阻止したい。だから、まだ基音に目覚めていないお前に、頼みに来た」 

 目で確認をとり、素早く首元を整えつつ、占音は言葉を続ける。 
 目を奪われていた透火は、ようやく彼の言葉に反応した。 

「……頼み?」 
「ああ。基音にはなるな。銀鎖の鈴は放って、とにかくどこかへ逃げろ」 

 返事は、できなかった。 
 それは透火がしなければならないことで、頼まれたからといって二つ返事で請け負うことのできないものだ。現実として、占音の行動により胸騒ぎが落ち着いたのだから、透火が基音だということは、少しは、信用しなければならないかもしれないが。 
 だからといって盗まれた鈴を取り返さないわけにはいかない。 

「基音になるならないはともかく、銀鎖の鈴は返してもらわないと困るんだけど……」 
「ダメだ。少なくとも、今日は諦めろ。返すから」 
「そんな軽く……百歩譲って、芝蘭には返してくれないか? できれば今日中に」 
「あいつが鈴の持ち主なんだろ? すぐには無理だ。基音が目覚める条件を満たしちまう」 
「えええ……ちょっと待って」 

 軽い口調で言っているが、占音はつまり交渉のために透火と接触したということだ。 
 条件は、透火がこの場所から、紫亜の前から姿を消すこと。
 そうすれば、銀鎖の鈴は芝蘭の手元に返す、と。 
 今日中に芝蘭の元へ鈴を返さなければならない、わけではない。 
 国王に釘を刺された手前、そんな呑気なことをしていては何に利用されるかわからないと透火が不安になっているだけだ。
 でも、妙な噂一つでも流されたくはないし、万一何かあったとしても、明日の南地区訪問時に取り返せるように準備をしていた方がいいとは思う。 

「一応聞くけど、逃げろってことは……ずっとここに戻ってくるなって、こと?」 

 考える時間を稼ぐため、他に気になった点から質問を投げた。戸惑うことも何もかもを理解しているという顔で、占音は神妙に応える。 

「お前さえいいなら、俺の仲間と行動してもらうことも考えている。俺が、始音との決着をつけるまで」 

 言い方が違うだけで、透火にとってはほぼ同義だ。
 馬鹿にされている気分になる。 

「……ねえ、どこまで都合良く考えてるのかな?」 
「うっせえ。俺だって言われてすぐ実行してもらえるとは思ってねーよ。でも、もう時間が無い」 

 透火の腕を掴んで、占音が引き寄せる。 
 扉が勢い良く開かれ、先ほど透火が立っていた場所に弓矢が飛んだ。 

「動くな! 動けば命は無い!」 
「え、何──」

 先頭に立つのは、先程透火に忠告した月読だ。 

「だから、国王の話に乗って鈴を盗んだんだ」 
「動くなと言っている!」 

 占音の声に、彼女の厳しい声が重なる。引っ張られるままに部屋を走り抜ける。標的から逸れた弓矢が家具に突き刺さり、嫌な音を立てた。
 魔法で召喚された水球が襲いかかる。 
(なんで俺まで!?) 
 軍服を着ているのに、という叫びは声にする暇がない。彼らは透火の存在を気にせず、容赦なく魔法を発動させた。 
 占音が指を弾く。窓が割れ、兵士に襲いかかる。 
 バルコニーまで出たが、占音は足を止めなかった。 

「今から王都の外へ飛ばす」 
「いや俺ここの人間なん、えっ」 

 返答することも許されない。
 魔石を押し付けられた途端、足元から沸き起こった風に勢い良く飛ばされる。
 声をあげる隙もなかった。 

「いいか! 国王の好きにさせたくねーなら、できるだけ遠くに逃げろ!」

 その声を合図のように、風が唸って視界も何もかもを奪っていった。 


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