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第四章 社畜と女子高生と青春ラブコメディ

24.社畜と女子高生のバレンタインデー

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会社を出た後、駅で電車を待っている間にスマホを見ると、理瀬からメッセージが届いていた。


『お久しぶりです。来週の十四日はお仕事忙しいですか?』


 簡潔な文章だが、バレンタインデーの誘いであることは明らかだった。


『いつも通りだよ。八時か九時ごろに終わると思う』


 事実のみを返信する。まだ理瀬が俺に本命チョコを渡すとは限らない。もしかたら篠田の勘違いで、本命は別の人にあげるのかもしれない。

 いや。その可能性は低い。俺の予定を聞いて、夜遅くに俺と会おうとしている時点で、他の男へチョコを渡すのは放棄している。それは、わかっているのだが。


『バレンタインデーなので、チョコレート渡したいんですけど、時間ありますか』

『仕事終わった後なら、別にいいよ』


 流れでそう返信したあと、数分が過ぎ、またメッセージが届く。


『私の家に来てもらうのは申し訳ないので、どこか外で会えませんか』


 理瀬の家に行くのはまずいと思っていた。あそこは理瀬の拠点だから、雰囲気でどうしても理瀬が有利な形になってしまう。


『だったら、お前と初めて会った豊洲の公園でどうだ。遅いけど、九時ごろで』


 はじまりの地、豊洲のうんこ公園。二人で真面目な話をするにはうってつけだ。この時間なら、人に見られる可能性も少ない。


『わかりました』

『チョコレート、楽しみにしとくよ』


 俺はあくまで平静を装った。本命か義理か、そういうことは一切聞かず、理瀬に任せることにした。理瀬からこのメッセージへの返信はなく、当日まで時は流れた。

 バレンタインデー当日の夜。

 会社の女性陣が仕方なく配っていたお菓子を鞄へ乱暴に詰め、出る十分前に理瀬へメッセージを送った。例の公園に着くと、理瀬はベンチに座って待っていた。


「よう」

「あっ……こ、こんばんは」


 理瀬は、あからさまに緊張していた。

 やめてくれ。

 今まで、女子高生なのに知性が完璧で、俺なんかよりずっと優秀な存在だと信じていたのに。

 ここに来て、普通の女子高生みたいな表情をしないでくれ。


「わざわざすまんな」

「はい。これ、あんまり上手く作れなかったんですけど」


 理瀬は宝石を入れる箱のようにきれいな白い小箱を鞄から取り出し、俺に渡した。手が込んでいたが、チョコレートの外見からは、それが本命チョコだという証拠はなかった。

 

「俺みたいなおっさんが、女子高生からチョコレートなんて貰っていいのかな」

「えっと、それは、別にいいと、思いますよ」

「ホワイトデーのお返し、よく考えとくわ。じゃあな」


 俺がベンチから立ち上がると、理瀬はとても寂しそうな顔で俺を見た。


「別に、本命とかじゃないだろ?」


 俺は最低だ。

 こんな状況を作っておきながら、まだこんなことを言っている。

 男としては、女子からきれいなチョコレートを受け取った時点で、慌てふためき、それが義理などではない、と気づかなければならない。

 だが俺は、そうしなかった。

 あくまで理瀬から、言わせようとしていた。


「……それが、本命に、見えないんですか」


 俺はわざとらしくチョコレートの箱を目の前に持ち、じっくり観察する。どこに本命と書いてあるのか、探す仕草のつもりだった――実際は、理瀬の思いつめている顔を見るのがつらすぎて、他に見るべきものがなかったからなのだが。


「俺、女に二回も振られたバカ野郎だから、そういうのは直接言ってくれないとわかんないな」

「……わかってるくせに」


 俺は、手に持っていたチョコレートの箱を落としてしまった。

 理瀬が、そんな女々しい言葉を口にするとは思わなかったからだ。

 慌てて箱を拾い、あらためて理瀬の顔を見ると、とっくにボロボロと泣き崩れていた。


「いや、すまん。すまなかった。本当に」

「……っ、ひくっ」

「……ここじゃ寒いから、お前の家に寄ってもいいか」

「……っ、はい」


 数分前に考えていたことすら忘れ、俺は理瀬の家へ向かった。


** *


家に入ったあと、理瀬はコートを脱ぐことすらせず、俺の隣で懇懇と語りはじめた。

最初は、ただの親切なおじさんだと思っていたこと。自分が一人では生きられないと悟っていた理瀬は、保護者代わりになってくれる大人を探していた。だが、それは募集をかけて見つかるようなものではない。あの状況では、俺に頼むのが最適だった。

俺が体目当てではないか十分注意しながら、ルームシェア生活を進めていた。

気持ちが変わりはじめたのは、俺が篠田と付き合い始めてからだという。

それまで理瀬は、恋愛そのものに興味がなかった。自身のキャリアについては高校生とは思えないほど計画的に描いていたが、恋愛や結婚といった要素はそこになかった。自分がそうすることを具体的にイメージできなかった。

だが、俺と篠田が楽しそうに過ごす日々を見て、考えが変わっていった。


「私にも、男の人のパートナーがいて、一緒に笑いあえたら、って、ほんのりと思うようになったんですよ」


 俺たちは、理瀬に大人としての生き方だけでなく、カップルという生き方も教えていたわけだ。皮肉にも、それをきっかけに結ばれてはいけない二人の物語になってしまった訳だが。

 俺が和枝さんを説得して、理瀬に会わせたあたりで、理瀬の気持ちはかなり俺に傾いていたらしい。和枝さんの説得は、理瀬に大人としての生き方を教える、というルームシェアの条件を大きく逸脱していた。にもかかわらず、俺は全力で和枝さんと向き合った。理瀬からすれば、自分のために全力を尽くしてくれている男性、と思うわけだ。


「……そのあたりからはずっと、私は宮本さんとより長く一緒にいることしか考えていませんでした。彼氏をつくりたいとか、宮本さんが真面目に働く理由を知りたいという理由で徳島までついて行ったりとか、目的は一応設定してましたけど、本当はただ一緒にいたかっただけなんですよ」

「……徳島に行った時、高速道路の工事を見た後、納得したと言って一人で帰ったよな? あれは何だったんだ?」

「あの時は……宮本さんが私に説明するため、色々なところへ連れて行ってくれたから、はじめは私といるのが嫌じゃないのかな、って思ってたんです。でもあの高速道路の現場を見て、真面目に働くことの重要さを教えてもらった時、ああ、宮本さんは私に何かを教えることに集中しているだけで、私と一緒にいる時間は早く終わらせたいんだな、って思ってしまったんですよ」


 その想像は当たっていた。血のつながりもない女子高生と一緒にいたら誤解を招くだけで、どうにかして縁を切らなければならない、と奔走していたのだ。

 

「宮本さんの気持ちはわかります。私みたいな子供なんかと対等に付き合いたい、とは思わないでしょう。ものすごく迷惑な話なのはわかってます。でも、ごめんなさい、私なりに色々考えて、やっぱり気持ちの整理がつかないというか、諦められなかったんですよ」


 体が震える。

 超えてはいけない一線が、跡形もなく粉砕されようとしている。


「私、今はもう、ほとんどいつも、宮本さんのことしか考えられないんですよ」


 理瀬の準備はできている。

 この前、篠田が指摘したように、一線を超えられるかは、俺の問題だ。


「自分でも、こんな気持ちになるなんて、思いもしなかったんですよ」


 越えていいのか?

 俺なんかが、こんなに優秀で、綺麗で、純真な女子高生の告白を受け入れてもいいのか?


「今まで宮本さんにいろいろ気を使ってもらって、私が何も言わなくてもよく考えてもらいましたけど……本当に大事なことは、ちゃんと言わないと伝わらないから……この一言を聞いてくれれば、あとはどうなってもいいです。もう会いたくない、というなら、それも受け入れます。だから聞いてください。お願いです――」


 言葉を続ける前に、俺は理瀬の肩を抱き、コートで膨らんでいる細い体を自分の胸へ重ねた。


「……どういう意味ですか」

「また泣きそうだったから。俺の前で泣くのは勘弁してくれ」


 それは本音だった。どんな理由であれ、理瀬の泣き顔を見ることが、今の俺にとってこの世で一番イヤな事だった。


「俺、理瀬のこと好きだよ」


 俺の腕の中にいる理瀬の体が、急にぐっと熱くなる。それから理瀬は俺の体をぎゅっと抱いて、顔を胸にうずめ、何かをつぶやいていた。音がこもっているせいで何を言っているか、よく聞こえなかったが、それを把握することにはあまり意味がなかった。
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