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第四章 社畜と女子高生と青春ラブコメディ

20.社畜と思い出のレストラン

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「そういうことなら、早く言ってくださいよ」


 このレストランが高校時代に青春を謳歌した場所だと告げると、理瀬は納得したようだった。


「久しぶりに店を見て、急に懐かしくなったんだよな。完全に俺の都合ですまないが」

「それならいいですよ。でもどうしてこんな店なんですか? もっと普通のファミレスとかじゃだめなんですか」

「ギターやってた男の友達が好きだったんだよ。『一流のミュージシャンを目指すためには、食事も一流でなければならない』とか言ってな」

「一流というより、異世界な感じですよ。なんで水がわざわざペットボトルで出てくるんですか? 『魔法の水』って書いてますけど」

「マイナスイオンが入ってて、体の抵抗力が上がるらしい。昔、店長のおじさんに聞いた」

「このお子様ランチのドラ○もんみたいな容器は許可とってるんですか?」

「そこは触れてはならん」


 理瀬と話していると、俺たちが初めてこの店に来た時の事が思い出される。あの時は照子が、店のあちこちにツッコミを入れていた。照子は人懐っこいから、店長のおじさんと仲良くなって、抵抗力を高めるためにマイナスイオンを店内に充満させている、という話を聞いた。実際マイナスイオンにどれくらいの効果があるのかは知らないが、イカれた店の雰囲気が好きになって、ここが俺たちのたまり場になっていたのだ。

 メニューが多すぎてどれを選べばいいかわからないという理瀬に、定番の定食を勧めた。


「……なんで食前にパイナップルが出てくるんですか?」

「パイナップルが体に溜まっている悪いものを排出してくれるらしい」

「……器が大きすぎますよ」

「ああ、この大鍋みたいな漆塗りの器な。特注品らしいぞ。ここに来たらこれを見ないとなあ」

「……うどんまでついてくるんですか」

「うどんが体に溜まっている悪いものを排出してくれるらしい」

「宮本さん、洗脳されてますよ」


 ここの定食の中身はめちゃくちゃなようで、ちゃんとストーリーがある。それを理瀬に伝えたかったのだが、あまり納得しなかった。

 かなり量が多かったが、昼食が軽かったこともあり、ふたりとも完食した。


「さてパフェでも食うか」

「えっ、まだ食べるんですか。っていうか、このパフェ大きすぎですよ」

「ここの定食はマイナスイオンで浄化されてるから、不思議と腹にたまらないんだよ。だから定食食った後でもこんな大きなパフェが食えるんだ」

「そういうのはもういいですよ」

「さすがに食い過ぎだから、二人で一つにするか」

「……そうしますよ」


 日が経つにつれて女子高生らしくなっている理瀬には、パフェという安易な誘惑が効いていた。頂上にケーキが載った、すごく大きいパフェだった。

 俺は少し食っただけでスプーンを置いた。アラサーの胃に、定食のあとのパフェはきつすぎた。年をとると、満腹感や疲労感といったものが遅れてやってくるので、若い頃のマネをしようとして後悔するばかりだ。

 理瀬は食べるスピードこそ遅かったが、パフェを楽しんでいた。

 満腹になった俺は、トイレに行ったついでに店内をぐるりと回った。ここで作品に対する議論をしていたのだが、実際は大量にある漫画の誘惑に負けてただの読書会になっていた。当時ここでジョジョシリーズをよく読んでいたことを思い出し、俺はなんとなくジョジョが置いてあるコーナーへ向かった。

 本棚の前で、緑色の作業服を着た、俺と同じくらいの年齢の男が本を選んでいた。

 なんだ、先客がいたのか、と思って俺は引き返そうとした。その時、本を選び終えた作業服の男と目が合った。


「あれ……?」


 男が固まった。俺も、すぐにその理由はわかった。


「宮本か?」

「お、おう」


 その男は、高校時代のバンドでギターをやっていた、岩尾だった。


「久しぶりでえ。なんしにこんなとこおるん?」


 俺を認識した岩尾は、高校時代となんら変わらない飄々とした笑顔になった。その瞬間、俺がこの男と過ごしてきた数々の時間と同じような感覚が俺を襲った。

 岩尾とは、高校卒業後も何度が会っていた。岩尾が実家の家業を継ぐため東京には行けない、と名言してから疎遠ではあったが、俺が地元に帰省した時は一緒に遊んだこともある。ただ、どんな昔の友人にもいえることだが、距離が離れてしまうと会う機会がだんだん減り、就職してからは連絡もとっていなかった。

 一瞬、長い間離れていた俺を受け入れてくれるかどうか不安だったが、それは杞憂だった。高校時代に刻み込まれた友情は、消えることなく生きていた。


「お前こそ、まだこんな店使ってるのか」

「俺の聖地やけんな。店が潰れるまで付き合うわ」

「作業着ってことは、仕事帰りか?」

「おう。彼女と会う時間が最近なかったけん、せめて晩飯だけでも、って一緒に来たんじゃ」


 突然岩尾の彼女の話になり、俺は強烈な劣等感を覚える。地方民はすることがなくて暇だからさっさと結婚する、という話もあるくらいで、岩尾に彼女がいても何ら不思議ではない。ただ、俺にはいないので、やはりそこは男として情けない気持ちになる。


「マジか。彼女見せてくれよ」

「ええぞ。ってか、宮本も知っとる子やぞ」

「えっ、誰?」

「まあ見てみいや」


 岩尾に先導されて奥の方の席に向かうと、そこには髪の短い女性がいた。年齢はたぶん、俺と同じくらい。


「あれっ……もしかして、部長さん?」


 その呼び方を聞いて、俺はその女性が誰なのか、やっと気づいた。


「江南さん……?」


 俺が照子と付き合う以前に好きだった、合唱部の江南さんだった。

 江南さんは人見知りな性格で、同じ部なのに俺とはあまり喋らなかった。俺が部長になってからは、俺のことを『部長さん』と呼んでいた。同期なのにえらく謙遜した言い方だった。そういう地味で引っ込み思案な子なのだ、江南さんは。今でも俺の名前を直接呼ばないところに、その性格が現れている。

 髪型が変わっていてすぐ気づかなかったが、面影は間違いなく江南さんそのものだった。


「なんで岩尾と江南さんが付き合ってるんだよ?」

「あれ、言うてなかったか? 俺、大学で軽音サークル入っとって、同じサークルの江南さんと付き合いはじめたんじゃ」

「あー、同じサークルの子、とは聞いてたような」

「ほうか。俺も、江南さんと宮本が同じ合唱部やったって、後から知ったもんな。俺が宮本にそれを言うた時は、どうせ知らん子やと思って名前まで言わんかったかもしれん」

「びっくりしたよ。江南さん、軽音サークルなんか入ってたんだね。おとなしい子だったのに」

「うちは音楽だったら何でも好きやけん……部長さん、いつの間にか標準語になっとっておもっしょいな」


 もうとっくに高校を卒業したのに俺のことを部長さんと呼び、標準語のことを笑う。俺と江南さんの間は、確実に断絶されていた。もうお互いに手を伸ばせば届くような距離ではなかった。

 そのくせ、並んで座った岩尾と江南さんの距離は、ものすごく近い。俺が長い時間をかけて失ったものと、新しくできあがったものの縮図のようだった。


「もう二人ともいい歳だろ。結婚しないの?」

「うちはそのつもりなんやけどなあ」

「俺のほうがお願いして、待ってもらっとる」

「なんでだ? 今更ギターでも再開したのか?」

「ほんなんと違う。俺の実家の印刷会社、一年前に倒産したんじゃ」


 軽い口ぶりで聞いたことを、俺は後悔した。

 上京とバンド活動を捨ててまで岩尾が守ろうとしたものが、今はもうない、という。

 岩尾は今頃、実家の印刷会社を継いで、俺とは違う一地方民としての人生を送っているはずだと、勝手に決めつけていた。

 その敷かれたレールのような人生は、いつの間にか崩れていた。


「最近はネットで発注できる印刷会社も多いけん、商売がうまくいかんようになってな。一応、借金とかはなしに会社は清算できたんやけど、俺は仕事なくなったけん、一からやり直しじゃ。土木工事の現場監督になるために、建設会社で下働きしよる。まだ給料が少なすぎて、結婚はできん。いろいろ資格揃えて、現場監督クラスになれたらええんやけどな」


 残業が多いとはいえ、会社に出勤さえすればそれなりの給料が貰える俺とは違い、現場系の仕事は実力がものを言う。経験や資格がなければ、給料は上がらない。岩尾は、いつの間にかその世界に足を踏み入れている。


「明日も現場なんじゃ。今、新しい高速道路作んりょんやけど、雨が多かったけん工程が遅れてなあ。年末年始返上で仕事じゃ」


 ああ、それは俺にもわかる、一応電機メーカーの営業で現場の工程とか見るから……などと、俺は他愛のない話をして、驚きを隠すのに必死だった。

 岩尾は自分で描いていた人生から転落し、自力で底から這い上がろうとしている。今時、土木の現場監督なんて、きつくてやってられない若者がほとんどだ。岩尾はその試練に耐え、資格を取ってまでして独立しようとしている。会社で上から振ってくる仕事をこなすだけの俺とは、大違いだ。

 ここでも俺は、岩尾に差をつけられたような気分になった。

 しばらく昔話などをして、時間を潰した。最後のほうで江南さんが「照子ちゃんとは最近、話するん?」と聞いてきたので、俺はここ数年会っていないと嘘をついた。雰囲気から察するに、俺と照子が別れた、というのは元合唱部の仲間には伝わっているようだった。ただ、その経緯などを説明する気にはなれなかった。あれは俺と照子の問題であり、旧友に話せるほど心の整理ができていないからだ。


「そろそろ出るか。明日も早いしなあ」

「おう。俺も席に戻るよ」


 三人で席を立つと、レジに近い席にいた理瀬はパフェを完食し、スマホをいじっていた。俺を見て、抗議するような視線を送ってくる。ほったらかしにしていたからだ。


「ん、その子、誰?」

「ああ……」


 やばい、と俺は思う。理瀬との関係を正確に説明するのはむずかしい。だが女子高生を連れ回している、と徳島で悪い噂を流されたら、二度と実家に戻れなくなる。


「この子は、俺の、俺の……」

「彼女ですよ」


 理瀬が放った唐突な言葉に、俺は固まった。


「なんな、宮本も彼女おるんでないか! しかもこんなかわいい子、ほっといたらあかんでないか」

「はは、はは、すまんな、理瀬」

「別にいいですよ。地元のお友達と久しぶりに会ったら、お話したくなる気持ちはわかりますよ」


 そう言ってはいたが、理瀬には地元の古い友達なんていないし、そういうことを実感する歳でもない。えらく冷たい言葉づかいだった。おそらくいつものように、客観的に判断してそう思ったのだろう。

岩尾と江南さんは一応信じてくれたらしく、へらへらと笑っていた。他人の彼女を初めて見た友人はだいたいこういう反応をする。


「ほな、俺らはもう帰るわ」

「おう。俺はもうちょっとしたら出る」


 立ち話をやめ、狭い通路で岩尾とすれ違い、俺は席に座ろうとした。

 その時、岩尾の作業着の肩に書いてある、小さな文字が見えた。

 『宮本組』と書いてあった。
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